捲土重来 part2
「お帰りなさいませ、ハワード様、ノーラ様」
ずらりと並んだ使用人たちが、城の半地下に造られたハワード専用の秘密のガレージへと滑り込んだ車を出迎えた。
だが、尻尾を立てて軽やかに降りてきたノーラに続いて、血まみれの服装で降りてきたハワードを見た瞬間、悲鳴にも近い声が上がった。
「紳士諸君!」
ざわついた空気が、筆頭執事のフォレストの一喝によって平静を取り戻した。
「お帰りなさいませ、ハワード様。お身体の方はいかがでしょうか」
フォレストは視線を下げたまま、影のようにハワードに寄り添い歩き続ける。
「気にするほどではない。それよりもイーストエンドのスラム街の道路と、幾つかの建物を損壊してしまった」
ハワードの少し後ろを歩きながら、無造作に渡されたマントを器用に畳み、最後に剣と銀仮面を受け取るとその上に丁寧に並べた。
「了解しました。明日の朝一番に、ロンドン市長に老朽化して崩れたエリアに対して、ウォルズリー家からの寄付を申し入れるようにいたします」
「巻き込まれた犠牲者が判明した場合は、哀悼の意を。残された家族には、援助を約束すると伝えてくれ」
「はい。ところでーーあの男は、如何でしたか?」
チラリと後ろを振り返ると、ノーラに何かしらの小言を言われ、ボヤきながらついてくるジャックを見て囁く様に尋ねた。
「心配性だな。運転技術はおまえが危惧していたよりずっとまともだったぞ」
ハワードたちが乗っていたのは、神出鬼没な怪物たちの探索のため、盗まれたウォルズリー家の専用車とは別に、英国の自動車メーカーであるロイス社*にオーダーした試作車だった。
それまでの車に比べるとケタ違いの馬力を誇り、より速く、まるで『幽霊』の様に静かに行動できるように設計されており、なおかつとびっきり高価であった。
だからこそ、ハワードが専属の運転手を外し、何処の馬の骨かも分からないジャックに運転させる事を宣言した時には心底呆れ心配していたのだが、そんな事はおくびにも出さないようにした。
「左様でございますか。それはようございました。しかしロイス社の人間があの無残に傷ついた車体を見たら、何と申しますでしょうか……」
「『とても試作車とは思えない、従来の車とは一線を画す高い性能に非常に満足している。市販の際には私が命名するか、推薦文を書いてもいい』と、伝えておいてくれ」
「承知しました。より高性能でハイエンドな高級車メーカーを目指す彼らにとって、何よりのお言葉でしょう」
自室へと向かいながらしばらく無言で歩き続けていたハワードだったが、不意に口を開いた。
「今回もーー何の手がかりも掴めなかった」
「寝酒をお持ちいたしましょうか。それとも、何か軽くつまめるような軽食の方がよろしいですか?」
苦々しげに吐き出すようなハワードの呟きを、フォレストは聞こえぬ素振りで受け流すが、ハワードの嘆きは止まらない。
「不甲斐ない……自分自身に腹が立つ!こんな事では、とても父上のーーいや、初代当主の思いに応えることなどーー」
「ハワード様、実はひとつ、お詫びしなければならない事がございます」
苛立ちを隠せないハワードに対し、穏やかな口調でフォレストが話し出した。
「明日の朝食のデザートに、ハワード様の好物であるストロベリーをご用意したのですが、残念ながらジャムに使用する事にいたしました」
「……」
場の空気にそぐわない話の内容に、ハワードが訝しげに見つめるのを気にする様子も見せず、フォレストは淡々と話し続ける。
「旬には少し早いとは言え、香り、色艶共に大変良い出来だったのですが、残念ながら酸味が強すぎました。いやはや、昔から『早摘みの果実は、えてして酸いものである』と申しますが、何事も焦りは禁物でございますな」
少しの沈黙の後、ハワードが小さく笑った。
「……食えない男だな、おまえは」
「いささか、酸味が強うございますか?」
「ふん。確かにーー少し焦り過ぎたのかもしれないな」
二人の後ろを少し離れてついていきながら、ジャックがノーラに話しかける。
「何だか楽しそうだな、若様」
「あの子にとってフォレストは、幼い頃から多忙な両親の代わりに、家族みたいな存在だからね」
「家族、ねえ。俺にはよくわかんねえな」
ジャックは、視線をチラリと窓の外の暗闇へと走らせながら呟いた。その寂しげな横顔を、ノーラは何も言わずじっと見つめる。
「ところで、あいつは兄弟はいねえのかい?」
「いるわよ。弟が三人。今は全員パブリックスクールに入っているわ」
「弟……か。じゃあやっぱり、この城や財産はあいつのものって訳か」
「何?アンタ、人の財布が気になるわけ?」
「まあーーそうだな。解せねえんだよ」
「解せない?」
「ああ、あいつのやってる事がわかんねえ。一生遊んで暮らせる財産があるのに、大昔のご先祖だか何だかよく分からないものに縛られて、化け物相手に命を賭ける意味なんかねえだろ」
皮肉な笑みを浮かべ、ノーラはジャックに問いかける。
「ねえジャック、アンタこの件が片付いて、ハワードに義理を返したら出ていくつもりなんだろうけど、本当にそれでいいの?」
「え?」
「言ってたわよねえ。やらなきゃならない事があるって。そのためにギャングになるって。で?人の道を外れ、汚いことに手を染めてまでして目的を達成してーーそれからどうするの?アンタはそれで満足なワケ?」
一瞬絶句した後、自らの言葉を噛み締めるようにジャックは言葉を絞り出した。
「力がーー俺の目的のためには、力が必要なんだ。だが、親もいねえ、学歴もねえ、何にも持ってねえ俺が力を得ようと思うなら、裏社会でのし上がるしかねえんだよ。その後の事は……その後はーー知った事じゃねえよ」
「な・る・ほ・ど。確かにアンタには、レッスンが必要なようね」
「……どういう事だよ」
やがて四人はハワードの部屋の前へとたどり着いた。
フォレストが音もなく扉を開き、ハワードに続いて足を踏み入れたノーラが、振り向いてジャックへ告げる。
「そのうち、わかるわよ。それと、部屋に入る前に盗んだ皿を戻しておきなさい。今なら内緒にしておいてあげるから」
『ちぇっ、何もかもお見通しかよ』
ジャックはボヤきながら、懐から灰で汚れた小皿を取り出すと廊下の棚にそっと置き、部屋へと入っていった。
*ロイス社……後のイギリスを代表する高級自動車メーカーとなる『ロールス・ロイス社』の前身。




