捲土重来 part1
「何もかも、計算尽くってわけね」
ノーラが忌々しげにつぶやいた。
流れ込んできたテムズ川の水流はさらに勢いを増し、あっという間にジャックの胸あたりにまで達した。
「おいおい、こいつは本格的にヤバくなって来たぜ!」
鼻をつく悪臭に顔をしかめながらも、意識を失いかけているハワードを必死で支えながらジャックは叫ぶ。
ジャックの頭に飛び乗ったノーラは、室内を見渡すとボヤいた。
「あーもう、仕方ない。今回は退くしかなさそうね」
「畜生!こんな所でくたばってたまるか!!白猫のねーさんよお、何か方法はねえのかよ!?」
「あんたうるさいわよ、少し静かにしなさい」
「そんな事言ってもよおーー」
「…… 大丈夫だ、ジャック。僕が守る」
目を覚ましたハワードの眼が、再び赤く燃えている。
「やめなさいハワード!そんな身体で魔法は危険すぎる!」
「こんな事態を招いたのは、僕の失態だ」
ノーラの制止を無視し、ハワードはジャックの体を引き寄せ強く抱きしめた。
「お、おい、何だよ!」
「僕から離れるな。時空の裂け目に引きずり込まれたら、身体がバラバラになるぞ」
「裂け目?いったいーー」
ハワードは右腕を高く突き上げると同時に、ありったけの力を振り絞ると呪文の詠唱を始めた。
『我に翼ありーー大地の束縛から解き放たれ、空間を裂き境を超えーー想いを繋ぎし場所へと導きたまえ!』
その直後、パンッといった乾いた破裂音と共に三人の姿は消え、室内は一気に流れ込んだ濁流で満たされた。
「はっ!?」
気がつくと、グッタリとしたハワードを抱え、頭の上にノーラを乗せたままの格好でジャックは教会の前に停めた車の側に座り込んでいた、
「何だこりゃあ……一体どうなってるんだ!?」
「『姿くらましの術』よ」
訳がわからず途方に暮れるジャックの頭の上から、ノーラが音もなく石畳へと降り立った。
「姿くらまし……?」
「ハワードの発動させた『姿くらましの術』ーー記憶にある二箇所をつなぐ空間移動魔法ーーで、あたしたちはあの汚水でまみれたクソ溜めみたいな地下室から、地上へ瞬間移動したわけ。まあレベル的には中難度程度ってところかしら」
ジャックは興奮して叫んだ。
「凄えじゃん!こんな便利な魔法があるなら、賭場荒らしでも銀行強盗でもやり放題ーー」
バチーン!!
ノーラの強烈なビンタが炸裂し、ハワードを抱えたまま、ジャックは後方へと一回転した。
「な、何すんだよお!」
「今度そんなふざけたことを言ったら、舌を引き抜いてやるからね」
「冗談だって言ってんじゃん…… 」
その時だった。
ゴゴゴ……足元の石畳から、不気味な地響きが伝わってきた。
「さっきの爆発で、地盤が崩れかけてる。ここも長くは持たないわ、早く車を出しなさい!あたしは後の座席でハワードに治療魔法をかけるから」
「あ、ああ、わかった!」
そう言っている間にも足元の地面が陥没して大きな穴が開き、教会がぐらりと傾き出した。
「おおうっ!?」
周囲の石造りの建物が自重に耐えきれず、地鳴りのような轟音を立て次々と崩壊しながら、漆黒の穴に飲み込まれていく。
「こいつはとことんヤベえ!しっかりつかまっててくれよ!」
ジャックがアクセルを踏み込みと、三人の乗り込んだ『シルバーゴースト』は銀色に輝く車体を武者震いのように震わせながら一気に加速し、崩壊する現場を脱出した。
「これだけ離れたら、もう大丈夫だろう」
城へと帰還する車中、ようやくひとごこち着いたジャックは、タバコに火をつけると深く丁寧に吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出した。
「ふーっ、やっぱりひと仕事の後の一服はヤベえな、たまんねえ!!」
満面に笑みを浮かべハンドルを握るジャックに、後部座席のノーラが呆れたように声をかける。
「しかしアンタって、本当に語彙力ってものがないわねえ。何があっても『やべえやべえ』ばっかりじゃないの」
「へっ……こりゃあ済みませんね。こちとら、ひっくり返って寝ているどこぞのお坊ちゃんみたいに、銀の匙を咥えて生まれてきた訳じゃないんでね。育ちが悪いんだから、多少の不作法は仕方ねえだろう?」
「ひとついいことを教えてあげるわ、坊や」
ノーラの神秘的なオッドアイの瞳が、不貞腐れた様な口調のジャックをじっと見つめる。
「己の不遇や至らなさを、生まれた境遇のせいにしてるやつを世間ではこう呼ぶのーー『ガキ』ってね。他人に対する言い訳を誰よりも自分自身が信じ込んで、一歩も歩けなくなってしまう。表社会でも裏社会でも、アンタが一人前の大人として認められたいなら肝に銘じておく事ね」
軽口を叩いたつもりが、ノーラの厳しい指摘にジャックはぐうの音も出なかった。
「ちぇっ、手厳しいなあ。ところでよお、さっきのあの化け物。急に固まったと思ったら爆発するなんて、一体何があったんだ?」
「罠魔法よ」
「トラップ?」
「ええ。ある一定のーー恐らくはあいつの背後にいる連中につながる様なーー『語句』を喋ろうとすると発動し、その口を封じると共に周囲にいる者を爆殺するようなタチの悪い魔法が掛けられていたわ。それも掛けられた本人はもちろん、このアタシでさえ魔法の『起こり』が見えるまで気づかないほど、巧妙にね」
「そんな事、できるのかよ」
「あいつが言っていたような悪魔だけじゃない。連中の組織には、強力な魔法使いが介在している。恐らくはヨーロッパでも指折りのね」
「一筋縄じゃいかないって事か。で、頼りの若様の具合はどうなんだ」
「……もう、大丈夫だ。そんな事より随分と煙臭いな」
後部座席でノーラの治癒魔法を受けていたハワードが、ゆっくりと起き上がった。
「お、おお、悪い」
ジャックは、慌ててタバコを窓から投げ捨てた。
「ハワード、まだ動くんじゃないの。傷口が開いても知らないわよ」
「心配かけてすまないな、ノーラ」
「フンッ。こんな所でアンタにくたばられたら、ウォルズリー家の守護者であるあたしが困るのよ」
面倒臭そうに鼻を鳴らすと、ノーラはそっぽを向いた。




