悪夢を手放せ、と白猫は囁いた part3
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そして時は流れ、魔法使いが亡くなっても、
心優しく素晴らしく美しい白猫はこの城にとどまり、
その子孫たちを守っていくのでした。
めでたし、めでたし。
おしまい。
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「なんだこれ……」
書斎を使用人たちが片づけている間、ジャックは応接室の豪華なソファーに腰掛け、倍ほどに膨れ上がった左ほほを氷で冷やしながらハワードに渡された絵本『ウォルズリー家と美しい白猫ノーラ』を読まされていた。
「そこに書いてある通りさ。このウォルズリー家は魔法使いの末裔であり、彼女ーーノーラーーは、元魔女で我が一族の守護者という訳だ」
「それはわかったけど。なあ、気のせいかもしれねえが、ずいぶんと美化されてねえか?」
ジャックはハワードに小声で話しかけながら、痛むアゴでくいっと向かいの席のノーラを指した。
「さあ、僕も子供のころから繰り返し読むように言われてきた、代々伝わる昔話だからな。ただーー」
「ただ?」
「わずか数千人の魔法使いの王国に対し、西の大国は何十万という軍を率いて攻め込んだらしいがその大半が返り討ちにあい、見せしめとして兵士の亡骸は国境沿いにずらりと吊るされていたそうだ」
「うへえ……」
「運よく生き残った兵士の間では、その女王は"最強にして最悪の魔女"、"血と殺戮の女王"と恐れられ、その後も広くヨーロッパ全域で恐怖の代名詞として語り継がれたらしい」
ジャックの頭の中で、猫の顔をした魔女が逃げ惑う兵士を血祭りに上げながら高笑いしている、地獄のような姿が浮かんだ。
「……なにが『争いを好まない心優しい女王』だよ。ところでーーなんで俺は殴られなきゃいけないんだよ!」
口の中が切れ、鉄サビの味がする。
「ああーー、それは簡単な話だ」
「あたしは口の利き方を知らないガキと、アフタヌーンティーのひとときを邪魔するようなマナーの悪いやつが大嫌いなのよ」
テーブルを挟んだ向かい側で、薫り高い紅茶を味わいながらノーラがピシャリと言い、その圧力にジャックも口をはさめない。
「まあ、これでお互いのこともよく理解できたし。どうだいノーラ、僕が言っていたように度胸もあるし機転も効く。こいつなら大丈夫だろう?」
「ふん、マナーもわかっていないガキだけど、ちょっとは使えるかもね。で、ジャックだっけ?あんた、お茶は淹れられるの?」
「おい、さっきから何の話だよ。ひとっつもわかんねえぞ!」
「ああ、そうか。では改めて。おめでとうジャック!おまえはこの栄光あるウォルズリー家の長子である僕、ハワード・ウォルズリーの従者に選ばれたんだ!いやあ、本当によかったな!」
「……はあ?」
「まあ、最初は何かと大変だと思うけど、大丈夫!おまえならうまくやれるさ!」
「ちょ、ちょっと待てよ!従者って何だよ、何で俺があんたの子分にならなきゃいけねえんだよ!」
「さっき自分で言ってただろう?『命を救われた恩義がある』って」
「それとこれとは話が別だ!第一、あんた俺がそこの化け猫ーー」
「何ですって?」
ノーラの美しい瞳がギラリと光り、ジャックは慌てて訂正した。
「い、いや、『白猫のねーさん』にぶっ飛ばされるのを黙って見てただろ!それで貸し借りなしだ!」
「ああ、さっきの事か、それはすまなかった。ただ、残念ながら僕じゃないんだな」
「……はい?」
「ノーラなんだ、おまえの命を助けたのは。僕の回復魔法じゃとても無理だったんでね」
唖然とするジャックに、ノーラが鼻をフンッと鳴らした。
「あんたねえ、この慈愛の精神あふれる優しいあたしが、神業のような回復魔法を使わなかったら、あんた万が一助かっても全身麻痺レベルの有り様だったんだからね。少々殴られようが火炙りにされようが感謝するのが当たり前で、文句言われる筋合いはこれっぽっちも無いわよ!」
「で、でも、それとこれとは……」
「何?まだなんか文句あるの?真夜中に叩き起こされ、どこの馬の骨かもわからない死にかけのウンコまみれのヤツを助けなきゃいけないあたしの気持ちが想像できる?」
「いや、あの……」
「わかったら、大人しく言うこと聞きなさい」
ノーラの怒涛の口撃に圧倒されるジャックだったが、次第に胸の内に"いつもの"黒い衝動が広がり出した。
呼吸が荒くなり、ブチギレそうになるのを必死でこらえながらジャックはノーラに頭を下げた。
「すまねえ、助けてもらって申し訳ないんだけど、俺には絶対にやらなきゃいけない事があるんだ。その為には寄り道している暇はねえんだよ」
ノーラがその美しい瞳で、ジャックをじっと見つめて諭すように話しかける。
「あんた……いつまでも後生大事にかかえこんでないで、いい加減その悪夢を手放しなさい」
ノーラの指摘に、ジャックの顔色が変わった。
「な、何でそんなことわかるんだよ!誰が好き好んで悪夢なんかーー」
「いいえ」
ジャックの抗議を、ノーラがピシャリと撥ねつけた。
「自分でも気づいてないんだろうけど、あんたは心の奥底ですがりついているのよ、自分の中の憎悪と怒りに」
「なーー」
「一人で生きていくのは怖くて、恐ろしくて。きちんと世界と向き合う自信がないから、己を守るために手放せないのよ」
「違う、違う!俺はーー」
「一度くらい、自分のためだけに行動しなさい」
「ふざけんな!!あんたたちに俺の何がわかるってんだ!いいか、金輪際、従者なんて引き受けねえからな!」
ジャックが立ち上がって叫んだその時、ドアがノックされた。
「若様、ロンドン警視庁のストレイド警部とチャーチル議員がいらっしゃいました」




