炭鉱の霊
炭鉱での過酷な労働によって犠牲となった人達の苦しみと嘆きは怒りにも聞こえてくる。彼らに安らぎの場所はなく、むしろ食人鬼のせいで騒がしくしてしまった。対する食人鬼はそんなことは関係ないと言わんばかりにどんどん群れが廃病院内を飛び回った。その時、壁から突如白い無数の人間の腕が現れ騒ぐ食人鬼を捕まえると、壁の中へと引きずり込んだ。壁にのみ込まれた食人鬼は消えてしまい、それは病院のいたるところで発生した。
レインとボニーは悲鳴をあげ続ける。だが、不思議なことに幽霊は私達に直接仕掛けてくることはなかった。あれ? と思って気づいたのは心霊現象が起きてそれから食人鬼を襲い始め暫くしてからだった。それはルナもアンジェリーも同じだった。
食人鬼は急いで病院から脱出をはかる。次々に侵入した食人鬼が割れた窓から飛びたっていく。
それから少しして、病院内は再び静けさを取り戻した。
「……いなくなった?」カイリーはそう言った。他の皆も耳をすませる。だが、食人鬼の羽がパタパタと動く音はいっさい聞こえてこない。
食人鬼がいなくなったと知ると皆は一気に脱力感が襲った。
「もぉーなんだったのよ」とレインは言った。
「この病院の怨霊が救ってくれたってこと?」アンジェリーは首を傾げる。
霊には色々ある。良い霊もいれば悪い霊もいる。守護霊や祟といった呪いがあるように。ここでは人間の悲劇が溜まりに溜まっている。それは淀んだ空気となって雰囲気を暗くしていた。そして、聞こえてきた苦しみと嘆きの中からは子どもの声も多く混じっていた。
それはつまり、ここはあの時の悲劇から時間が止まっていて永遠にこの場所に囚われているのだ。
その時、突然ボニーが叫んだ。
「あれ!」
ボニーが指差したので皆でその先をみた。するとそこには大人や子ども達がいつの間にか集まって此方を向いていた。全員、患者の服を着ていた。全員は思わず身構えた。
すると、ルナは言った。
「食人鬼を追い払ったのは私達を助けようとしたんじゃなくて、私達という獲物を横取りされないよう追い払ったんじゃ?」
「まさか……」私がそう言うとルナは「これで終わりではない……」そう答えた。
「皆、逃げろ!」アンジェリーが叫び、皆は一斉に階段の方へ急ぎ、そこから階段を猛ダッシュで降りると、外を目指し走った。
もうあんな夜を体験することはないだろう。
私達は病院から出ても暫くは走り続けた。
とにかく、病院から出来るだけ離れたかったからだ。
◇◆◇◆◇
走って運良く逃げ切れた私達はそのまま移動し気づけば空は明るくなってきていた。それを見て私達はホッとした。もう大丈夫だと。それから私達は林の中へと入っていった。
エルフの住む森と違いここにある木々は細く痩せている。まるで生命力に明らかな違いがあるかのようだ。ここにある木はテロスが建築用の資材として植えられたもの。対してエルフが守る木はずっと昔からある太古の木ばかりだった。原生林という。それを守るのがエルフ達だった。
私達は林に隠れると、一度休憩することにした。全員が座りあぐらをかいて木に寄りかかった。小さな虫達は地面にある小さな穴から出入りし他の虫の死骸を運んでいた。遠くからは小鳥たちの鳴き声も聞こえてくる。テロスがつくった自然でもそこに生き物達が住み着き、生きていた。
「なにかあったら起こして」とアンジェリーは言って目をつむり、寝ていなかったルナとメアリーも眠りについた。レインは寝不足かあくびをしている。それにつられボニーもあくびをした。
「寝てもいいよ」と私が言うと「そう? それじゃ宜しく」と遠慮もせずあっさり眠りに入った。ボニーもうとうとし、遂には私以外全員が眠りについた。
私は眠れなかった。色々あって疲れたには疲れたけど、体がどうも重い。風邪気味なのか、体調が悪いのか、でも、直ぐに治るだろうと思った。咳もしていないし、熱も無さそうだったからだ。ただ、目は覚めていた。あの病院で囚われている未だ自由になれていない人達の霊の顔が頭から離れないでいた。その目に力はなく、しかし何かを訴えるような、そんな目をしていた。その顔は今にも喋りかけてくるんじゃないのか、そんな気を感じさせた。
駄目だ。亡霊に囚われては。私は頭の中からそれを振り払おうとした。あの人達は可哀想だ。でも、私には救うことは出来ない。せめて、成仏できるよう祈ってあげることくらいだが、それでなんともならないことも分かっていた。
私は視線を自然から皆の寝顔に向けた。ルナ、レイン、ボニー、アンジェリー、メアリー。静かに寝息をたてている。ふと、その口元に目がいった。その閉じている唇が動き出すんじゃないかと何故か想像してしまった。本当に自分は疲れているのかもしれない。そう思った直後、口元が動きだしニヤリと笑い出した。
えっ!?
私は一驚し思わず後ろにある木に後頭部をぶつけた。だが、痛みより私は二度見した。しかし、口元は元に戻っていた。
見間違いか?
その時風が吹いた。おかしな方向から。それは後ろからだった。でも、私の背後には木がある。なのに不思議と木を挟んだ向こうから目線を感じるのだ。私は思わずゾッとした。
何かいる…… 。
だが、さっきまで人の気配なんてなかった。もしかして私達を追ってきたテロス? いや、違う。あの霊ではないのか。でも、なんで…… 。
皆は気づいていない。眠りについたままだ。
皆を起こすべきか。
その時だった。
死にたくない……まだ、死にたくない。
それは子ども達の声だった。私は耳をおさえた。でも、意味はなかった。その声は私の脳内に直接語りかけてくるのだ。
死にたくない……生きたい……
「あなた達はもう死んでるの」
死にたくない……生きたい……
「ごめんなさい。私にはあなた達を救うことは出来ない」
死にたくない……生きたい……
「私も死にたくない」
そこで自分は生きたいんだと自分の言葉でハッと気づかされた。
私は復讐にとらわれていた。でも、何も出来なかった。いや、何もしなかった。ポーが死に目の前で弟を殺され、本当の私は死にたくないとそこで願った。死を目の前にし恐怖した私は生き恥を晒し、それでも生き続けた。それが本当の自分だ。
どうして私は生きているんだろう……何故、弟じゃなく私が生きのびたんだろうか。
死にたくない……生きたい……
「死にたくない……生きたい」
私は弟を殺され、そこで死ぬ運命もあった。私はテロスに奴隷にされたんじゃない。自ら生きる為に奴隷になったんだ。何故あの時弟を殺したテロスに立ち向かわなかったのか。私の足は完全にすくんでいた。私が復讐を誓ったのは、自分に生きる『意味』をもたらす為。でも、そんな自分にそもそも度胸なんてなかった。私は卑怯者だ。
風は止み、視線もいつの間にか消えた。すると、体が急に軽くなった。だが、かわりに咳が私を襲った。そして、自分の手を見ると何故か黒く汚れていた。
私は呪われたんだと直ぐに分かった。
◇◆◇◆◇
二時間くらい休んだあと、ルナ達が目覚めると街を出る為に体を起こして再び歩き始めた。
ルナを先頭にアンジェリー、メアリーと続き私達はその後ろについた。するとレインが私の顔を見るなり「そういえば一人でなんか喋ってたけど、何喋ってたの?」といきなり訊いてきた。
「え? 寝てたんじゃなかったの?」
「いや、聞こえちゃっただけだよ。で、何だったのさ?」
「知らない。気のせいでしょ」
「えー……まぁ、いっか」
レインはそう言ってそれ以上は聞こうとしなかった。
呪われたのは恐らく自分だけだ。他の皆は呪われた感じがしない。何故、自分だけが…… 。
私は自分の掌を見た。この黒い汚れみたいなのは拭いても拭いても落ちることはなかった。