ポー
19~20世紀初頭のイギリスみたいな街から再び歩き始めて半日、ようやく次の町が見えてきた。私の記憶ではもう一人の自分のの記憶が度々蘇っては類似点を探したり比較したりするようになっていた。それは既に癖のようなもので、時々本当の自分がどちらだったのかさえ分からなくなっていた。もしかすると、私と一緒にいるジョージは本当の弟じゃないかもしれない。でも、そう考えるとどこか寂しさを感じるので、あまりそういうことは考えないようにしていた。
そういえば、もう一人の自分を殺そうとしたあの女はいったい何者だったんだろうか。未だにそれは謎のままだった。
この世界についてだが、もう一人の自分がいた世界と比較して全体的に此方の世界の方は技術が遅れている。そもそもこの世界にはパソコンも電話もない。ただ、資源や生物や環境がイコールで結ばれない限りは全く同じような発展を今後するかは分からない。
本音を言うと、人間より賢い筈の種族がこの世界にいるにも関わらず技術の発展が遅いのか釈然としなかった。勿論、ロボット技術はむしろ此方の世界が進んでいたり、首都には12の支柱で支える巨大な都市という建築技術がある。どうも高度な技術を他の種族は持っている筈なのだがどういうわけかそれをあまり国全体に広げようとはしていない。何か意味があるのか?
そして、見えてきた町は一言で表すなら素朴な町並みだった。
その町に入って直ぐに犬の吠える声が聞こえた。全身真っ黄色に赤色の血管が浮かび上がった不気味な犬が首輪もつけずに野放しにされ、長い舌と口から腐敗臭のする唾液を出しながら外をふらついている。両目は白く混濁しており明らかに様子が変だ。恐らくは毒キノコを食べてあのようになってしまったのだろう。視力を完全に失うかわりに鋭い嗅覚だけが研ぎ澄まされ、野犬は人間や他の種族の臭いを嗅ぎつけ襲ったりする。噛まれた者は60%以上の確率で死亡する程の致死率。野犬もその後、血を大量に吐きながら死ぬ為、まず助からない。その野犬に向かって猟銃を向けた町の人は冷静にその野犬を撃ち殺した。火を吹く銃、犬の鳴き声、倒れる犬、それをじっと見る人集り。
それを見たジョージは「可哀想……」と呟いた。カイリーはそんなジョージの頭を撫でた。だが、ポーはジョージを叱る。
「可哀想だから生かすのか? それは違う。それでは苦痛を長引かせるだけだ。むしろ、殺してやることがあの犬にとって苦痛を取り除く唯一だ。あの野犬は町の外にある黄色の毒キノコを食べたんだろう」
「そうさ」
突然、エプロンをした人間の女が近づいてきた。見た目は四十代くらいで髪と瞳は茶色、手には煙草を持っていた。その煙草を加え吸うと、白い煙を吐き出した。
「あの犬に同情はこの町の中ではしない方がいい。この町ではああいった犬のせいで何人も死んでるんだ。だから犬を嫌う人は多い。でも、犬に罪はない。これは仕方のないことなんだ」
「分かった」
ジョージは素直にそう答えた。
「分かればいいんだ」
女はポーの方を向いた。
「それで、この町に何の用だい?」
「職を探している」
「そりゃ残念。この町に求人はないよ。そのガキぐらいなら都市に行けば煙突掃除くらいの求人は見つかるかもしれないな。もしくは炭鉱で働くことだね」
「本当にないのか?」
「しつこいね。ないさ。皆、自分の職を手放したくはない。当分、空きはないよ。どうせ食うもん困っているなら自分から身売りしたらどうだい? そういう奴も少なくない。死ぬ勇気もなければ飢えにも耐えられない奴が商人のもとに行って世話を求めるのさ」
「まさか」
ポーはとんでもないといった表情をした。
「まぁ、好きにすればいいさ。でも、お願いだからこの町で変なことはしないでおくれよ。テロスに目をつけられたら同族の私達までとばっちりを受けちまう」
「何かあったのか?」
「最近人間同士の村、共同体を作ろうと国内であちこち起きているんだ。テロスはそれが気に入らないのさ。他の種族だってそうだ。そのうち人間が勝手に自分達の国を建国でもされたらと、思っているみたいだよ」
「そうなのか?」
「さぁ? でも、そうなればテロスや他の種族達は当然認めないし、人間を殺そうと運動が起きる。それまではまだ労働力として人間は生かされてきたが、ロボット技術や機械化が進んだ今、私達はその機械に取りかえられ私達は始末されるかもしれない。ある者は遅かれ早かれそうなると噂している者もいるぐらいだ」
「その人間達だけの村があるなんて知らなかった。つまり、人間達だけの自給自足というんだな?」
「そうでしょ。そこでは通貨もない。川といった水とかは皆共有財産として資本とは分離した社会とは違う。食料も配給制と聞いたわ。もし、そこに行くなら止めないけど」
「場所は?」
「ここから北」
「分かった。ありがとう」
すると、女は手を出した。それを見たポーは黙って金をその上に乗せた。女は貨幣を握りしめるとそのままポケットに入れた。
「早くこの町から消えな」
女はそう言って煙草を捨て靴で踏みつけ火を消すと、どこかへと去っていった。
「どうするの?」とカイリーはポーに訊ねた。
「行こう。他に行く宛はない」
「分かった」
こうして私達は人間だけの村へ目指すこととなった。
ポーと弟と一緒に歩きながら私はもう一人の『自分』について考えた。その『自分』がいた世界では過重労働や低賃金といった負のワードが目立っていた。特に物価高の影響で生活苦を送る人達が増加し、社会に不満を持つ人が増えた。『自分』もその一人だった。そして、その影響もあってか若い人達の中でマルクスが再び興味を持たれるようになり、特に彼の『資本論』を読む人達が増え始めた。だが、『自分』はそこまでは熱心になれなかった。不満はあってもそれでどうにかなるとも思えなかったからだ。かといって絶望していたわけでもない。どちらかというと無関心だった。無知という理由もある。そこまで政治や社会に詳しいわけでもなかった。インターネットや動画では必死に教育問題や経済問題、政治についてあげているインフルエンサー達はいたが、どこまでが真実なのか不透明な為、それらを参考にしようとすら思わなかった。だからといって時間をかけて本を読んだり勉強しようとも思わない。日々の仕事でそんな気にはならなかった。例えあなたは資本家の奴隷ですと言われても、『自分』はだから何だと返すだろう。それだけ心が奴隷になってしまったとしても驚かない。もし、人間だけの村(共同体)の自給自足の村社会があって、そこに通貨はなくて、そこでは田舎みたいな仲間意識が強い。きっと村八分にされたら死ぬだろうし、それだったら個人主義にどっぷり浸かった『自分』は不満や文句はあっても今の社会を受け入れてしまうだろう。例え仕事をロボットやAIにとられても、全ての職が奪われるわけではないだろう。そんなお気楽な頭をしていたのは、きっとこだわりや信念といったものがなかったからだろう。そう、空っぽの人間だった。それが『自分』だった。必死なのは適応力、それが生きるのに必要な力。そんな馬鹿な『自分』だった。
でも、ふと思う。そのもう一人の『自分』の記憶を利用して、此方の世界に知識や技術を取り入れられたら、人間は今より早いスピードで発展していけるんじゃないかって。もしかすると、それがこの世界に生きる私の役目なんじゃないかって。もし、人間の村に着いたらそこで役立てるかもしれない。
だが、歩き続けて暫くすると異変に気がついた。最初の異変は焦げ臭さがあって次に煙が見え始めた。ポーは足を止めた。私達も足を止める。
「引き返そう」
ポーがそう言った。こういった直感と決断は重要だ。私はポーに賛同し頷いた。
だが、その前に馬の走る足音が響いた。
「急いで隠れるんだ!」ポーは慌てていた。声に焦りがあり、私達にも緊張が伝わった。私達は木陰に隠れた。周囲は木々と草が生えている。そこに一人の女が走ってきた。女は二十代後半から三十代あたりで金髪に緑のワンピース姿だった。直後、女の近くの木が何かに当たり、大きな風穴があいた。
女は驚いて立ち止まった。すると、さっきまで女しかいなかったのに突然全身黒色ボディスーツ姿のテロス達が四体現れ、女を取り囲んだ。
(なに、あれ……)
知らない技術だ。まさかあのスーツは光学迷彩みたいに着ている者を透明化させる技術なのか? だとしたら凄い技術だ。
人間が勝てないわけだ。もし、全ての兵器にもその技術が応用されていたら透明の敵と戦うことになる。
「人間、お前が人間の女王か?」
「……いいえ。私達の社会に階級はない」
「お前がリーダーなんだろ?」
「……」
「なら、女王だ。人間の女王に訊く。大人しく投降し我々に服従するか? もし、人間の女王が我々に服従すれば他の人間達の村もこれ以上愚かな行為はしなくなるだろう。だが、お前が服従を誓わないなら今ここでお前を殺す。そしたら他の村を襲い、他のリーダーにお前と同じ質問をする」
「私がもしあなた達に服従を誓えば他の人達に危害は加えない?」
テロス達は顔を見合わせた。クスクスと笑っている。
「どうしてこれから奴隷に落ちる人間の言う事に我々が誓わなければならない? お前の奴隷姿を見ても他の奴らが抵抗を止めないなら殲滅するしかない」
「待って! 私なら皆を説得させられるわ」
再びテロス達は互いを見合わせた。
「お前の利用価値ぐらいは分かっている。村の人間達はお前に従う。そのお前は我々に従う」
「それでいいわ」
すると、テロスは鞭を振るい地面に叩きつけた。女はビクッとした。
「なら、誓いを見せろ」
女は唾を飲み込んだ。そして、女は意を決した。女は着ている服と靴を順番に脱ぎ始めた。それをテロスはケラケラ笑いながら見届けている。そして遂に女が着ている服全てを脱ぎ捨て生まれたままの姿になって直立した。そして、テロスの前で膝を折り頭を深々と下げた。そこへ一体のテロスが後ろから近づき女の首に枷をはめた。
それからのテロス達の行動は卑劣だった。女に辱めを与えただけでなく無抵抗な女の体に鞭を振るい、無数の傷を与えた。女は悲鳴をあげ、嗚咽し、許しを求めた。その体には一生の傷を深くつけられ、女はその場に倒れ込んだ。
それから女の足首を掴むと、テロスは女を引きずりながら移動しその場から消えた。
私達は何も出来なかった。ただ、隠れ女の悲鳴を聞かないよう耳を手で塞ぎ、気づかれないことを必死に祈り続けた。
私達は暫く、そこから動くことは出来なかった。
その間私は少し思った。あの女は私達に情報を売ったのではなく嵌めようとしたのではないかと。金をとって更に邪魔者を排除する。そんな狡猾な手口をとったのではないかと半信半疑になった。これでは同じ人ですら信じられなくなる。いや、むしろ信じちゃいけないんだ、この世界で生きていくには。
「あれは一場の夢だった」
ポーはそう言ってカイリーの肩を叩いた。
そうだ、現実はそう甘くない。
とにかく私達は歩き続けるしかなかった。
兎角しているうちに空は夕焼けになってしまった。ウォーターフロントまではまだ距離があった。
その道中、馬蹄型の古いトンネルがある。そこまで大きくないそのトンネルにはまだ電気が通っていたが、白い照明はチカチカとしていた。そのトンネルを過ぎて更に歩いた先に橋がある。かつては貨物列車を通す為の鉄道を建設する計画だった。しかし、トンネルが完成したあとも鉄道が通ることはなかった。理由は海側から全国へ向けたルートの方が速いということで、鉄道計画は中止になった。今は人間が時々行き来する用になった。一方で鉄道が通るかもしれないと歓喜していた町は失望に終わった。海沿いの街だけが潤う結果となり、内陸部は農業を中心としたかたちとなった。そもそもテロスにとっては麒麟という生き物がいるから鉄道を使っての移動とかは考えない。あくまで麒麟には乗せられない大きな荷物の移動程度しか考えていないからそこまでの関心は連中にはなかったのだろう。
このトンネルも人間が造ったものだ。テロスは絶対に肉体労働はしない。自分達は人間より後に生まれた優れた生物だという自負がある。そして神が出来損ないの失敗作の人間にかわって新たな生物を生み出した。それが自分達だというのが連中の主張なのだ。もし、そうだというなら神に訊ねたい。何故私達は失敗作なのか? 神は完璧ではないのか? 私達は失敗ならどうでもいい存在なのか? なら、何故私達は生まれてきた? 私達人間に生きる意味はあるのか?
私達はトンネルをくぐり通り過ぎると、出口の先も道が続いていた。私達はその道に沿って歩き続けた。すると、赤煉瓦の変電所があらわれた。ポーはその変電所に近づいた。窓つきの扉には鍵がかかっておらずポーがドアを開けようとすると、抵抗なく開いた。中を見渡して誰もいないことを確認するとポーは私達の方へ振り向いた。
「今日はここへ泊まろう。この時間だ、見回りは来ないだろう」
私達は頷いた。
夜はあっという間だった。
私達は特に何をするわけでもなく横になった。ジョージは疲れているのか早くに寝に入った。私はまだ寝付けなかった。それでもなんとか寝ようとした。
「寝れないのか?」ポーは横になったままそう訊ねてきた。
「うん」
「そうか」
「ねぇ、ポー。私達はなんで生きてるんだろう? 生きる意味ってあるのかな?」
「さぁ……どんなことにも意味はあるんじゃないのか?」
「この運命も?」
「どうにもならない運命もあるってことだろう」
「死にたい人はどうするの?」
「分からない。カイリーは死にたいのか?」
「ううん。私にはジョージがいる。でも、ジョージがいなかったら分からない」
「なら、ジョージの為に生きろ。今はそれでいい」
「……そうだね」
◇◆◇◆◇
結局、深い眠りとはいかなかった。それでも休めた分、今日は頑張らなければならなかった。というのも食料もお金ももうそんなに残ってはいなかった。
今日中には目的地の街に到着しておく必要があった。変電所を出ると三人は若干急ぎ足でウォーターフロント、街へ向かった。
だが、何の因果か私達の行く手に新たな不運が降ってくる。それは空から突然怒鳴り声がしたところから始まる。
「そこの人間、止まれ!」
私達は立ち止まり、空を見上げた。するとそこには龍の頭をした四足の麒麟に跨ったテロスがいた。
ポーは二人を見て「抵抗するな」と小声で警告する。
麒麟はゆっくりと降下し着地した。
「何をしている?」
「ウォーターフロントを目指していまして」とポーは答えた。
「何故だ」
「職を探しにです」
「無職なのか?」
「……はい。機械の導入により仕事を失いましたので村を出てここまで歩いてきました」
「それは無駄足だったな」
「え? それはどういう意味でしょうか?」
「機械化はウォーターフロントも例外ではない。むしろ、先に機械化させほとんどの人間の労働者は必要となくなった」
「そしたら他の街へ向かいます」
「その街もない。お前達人間は不要だ」
テロスはそう言うと銃を取り出した。そして、その銃をポーに向けた。
ポーはハッとしてカイリー達に「逃げろ!」と叫んだ。直後、銃声が響いた。火を吹き、ポーの腹から血が吹き出た。
「ポー!?」
これは何の悪夢なのか。
何故、神は連中を生み出したのか。
連中と私達の違いは何だというのか。
テロスはポーが撃たれたのを見て笑った。
あれはどう見ても悪魔だった。