4回目 本家
本家からの縁談?なにそれ。
あの忌々しいクソジジイの家に嫁げなんて、人生を終わらせろと言ってるのと変わりない、冗談じゃないわよ、絶対に嫌!って思わず電話口で叫んだわ。
その時は本気でそう思ったんだけど、もうね、両親が本当に泣きそうな有り様で、とうとう名古屋まで押しかけてこられちゃ、お見合いぐらいはしょうがなかったの。
でも結局わたしはその縁談を受け入れて、新見本家の三男坊、修哉さんと婚約したわ。
ああ、そうよね。理解できないってのが当然でしょうね。もちろん訳あってのことよ。
まぁ一種の契約結婚ってところかしら。わたしにも修哉さんにもそれなりにメリットがあったからなのよ。
修哉さんの方にもね、ちょっと世間的にどうなんだろうって事情があったの。
ただわたしと違って、彼の事情っていうのは一つじゃなかった。更に言うなら彼一人の問題でもなくて、もう当事者だけじゃどうしようもなくなってたの。
――何もかも全部捨てる覚悟があれば別だったんでしょうけどね。
え、わからない?
親兄弟を含めて、故郷での人間関係全部をかなぐり捨てることが――もっとはっきり言えば、見捨てることができたなら良かったんだけどってことよ。
無理があるって?ふふ、でもね、優れた才能を持って生まれた人が、いずれはぶち当たる試練でもあるの。
思えば茜さんもその口だったわねぇ。
彼女の才能とセンスは素晴らしいものだけど、将来性を悲観した親を始め、常識に縛られた人たちに足止めされてたようなものだもの。それを振り切って単身渡米したからこそ、つかんだ成功だったわ。
ただ修哉さんは、茜さんとは桁が違ってた。才能も、試練の深刻さもね。
お金はあっても、古い考えに凝り固まった身内に囲い込まれて、その素晴らしい才能を潰されるところだったの。
わたしに期待されたのは、そんなギチギチの環境から彼を救い出すことだった。
向こうの親御さんたちは、当然わたしは仕事を辞めてあちらの家に嫁ぐっていう意識だったけど、そもそもそれが勘違い。
結婚したら、逆に修哉さんがわたしの仕事に合わせて名古屋へ移り住む予定だったの。
今時なら良くある話でしょう。法律にも明記してあるわ、婚姻したら夫婦どちらが世帯主になっても良いってね。
そして、二人暮らしプラス修哉さんが仕事できる家かマンションを購入して、まぁ一種のルームシェア的な生活をするっていう計画だったの。
どういうことかって、つまりは修哉さんのためよ。
あー、そうね、新見修哉じゃわかんないか。じゃあ、これならわかるんじゃない。
ほら、彼にもらった名刺よ。
デザイン事務所 ネオアイズ代表 イラスト・デザインクリエイター シュウ・ニムズ
そうそう、わたしも貴方と同じような反応だったわよ。
ええ、そのシュウ・ニムズよ。
最近では確か、ジュースのCMだったわよね。その前は有名ブランドの香水ポスター、それからあのベストセラーの装丁に、億越えの興行収入を叩き出した映画のポスター。
そりゃもう驚いたわよ、まさかそんな有名人が出てくるなんて思わなかったもの。しかも、見合い相手とは言え一応親戚枠だものね。
年齢は二十五歳よ。ええ、年下ね。
ふふ、わたしの相手って年上ばっかりだったから、なんか新鮮だったわ。
ま、それだけじゃなかったけどね。
知ってる?修哉さん、シュウ・ニムズって、本人がすっごい美形なの。
歳から言えば美青年って呼ぶべきなんだけど、とてもとてもそんな風には見えなかったわ。お肌はツルツルだし髭もほとんど生えてなくて、十代だって言われてもおかしくなかった。
本当にこの人と結婚なんてしていいのかしらって、ちょっと不安になったくらいよ。
え?あー、それね。
その、ねぇ。なんか…歳の問題じゃなくてね、ああいうタイプって、どうも飾っておくだけなら見応えもあるんだけど、実際に傍でしゃべって触れる対象になると、恋とか愛とか、そういう生臭い相手になれないって言うか、要は恋愛対象に見れなかったのよね。
もちろん正直に言ったわよ。
ところが、それが却って喜ばれちゃって、修哉の花嫁は貴女しかいない!って、力一杯主張されちゃったわ。
事情を知れば確かにその通りなんだけど、なんか釈然としないものがあったのも確かよ。
どういうことかって?
そうね、今となってはもう隠す必要もないわ。でも、かなり個人的なことだから、ここだけの話にしておいてね。
まず、初めにぶっちゃけるとね。新見修哉って人は、同性愛者だったの。
ちょっと、大丈夫?
店員さん、すいませんけどオシボリもらえます。ほらほら、そんな派手にむせなくても。
いえ、本当のことよ。しかも女性には全く興味を持てないガチ系だそうで、同性婚を認めてないこの日本では、結婚なんて到底無理な人。
問題はね、そんな性嗜好をご両親や新見当主のお祖父さんが認めるわけがないってことなのよ。
そして更に言うなら。
親御さんに、後継ぎには程遠い三男坊にも関わらず、修哉さんを独り立ちさせる気が全くなかった。これが致命的だったのよねぇ。
いえ、あのクソジ…自己中なお爺さんのせいばかりじゃないわ。主に子離れできない母親が原因よ。
さっきも言ったと思うけど、新見の本家は代々土地の有力者でね、そのせいか、まぁ今時どうなのよって習慣が残ってて。
その中で、後継ぎは実の両親じゃなくて、当主――祖父母が育てるっていう呆れたことが、未だにまかり通ってたの。
で、新見家は男ばかり三人兄弟。後継ぎの長男と控えの次男は、授乳を終えた頃には完全に母親から取り上げられたような状態で、ほとんど教育に関わらせてもらえなかったんですって。
そりゃあね、昔はその方が良かったのかもしれないわ。
家電なんてものがなかった時代、家事を任されてたお嫁さんは半端ない重労働だもの。子供の世話をしながらじゃ、大変だったでしょうよ。
でも、今の世じゃ通じないわ。母性が強い女なら子供を奪われた恨みばかりが募るはずよ。
そうしたところが。
次男の後、数年で思いもかけず三人目ができちゃったの。それが修哉さんよ。
今度は女の子じゃないかって思われたそうだけど、生まれてきたのはまたもや男の子。
もう上に二人もいるから後継ぎは心配ない。それに、姑もいい加減歳で三人もの子育ては大変だってことで、この子は母親の貴女が育てなさいって、ポイと任されたんですって。
本家は子供をなんだと思ってるのかしらって、聞いた時には腹立たしかったわよ。
でもそういう事情なら、ようやく母親らしく世話をできた我が子を愛しむのは当然よね。多分、上二人の分まで愛情を注ぎまくって育てたんでしょう。
それが悪いとは言わないけど。
二十歳を過ぎて、経済的にも充分独り立ちできる息子を離そうとしないっていうのは、ちょっとね。
本家の伯母にとって、修哉さんは何にも代えがたい宝物。例え家を継ぐことがなくったって、自分から離れて暮らすなんてあり得ない。
国内どころか、今やシュウ・ニムズは国際的にも名の知れたアーティスト。伯母はそんな彼を囲い込んで、子役のステージママよろしく、仕事も私生活も自分のいいようにしようとしてた。
本人に自覚がないのが一番面倒だって言われて、なるほどって納得したわ。
しかもしかも、それでなくても縛りがきつかったのに、今度は修哉さんが本家の後継ぎに繰り上げられそうになったの。
そんなことになったらお終いよ。天才シュウ・ニムズは消えて、修哉さんは生き地獄の人生を送ることになる。それだけは避けたい、だから頼むって言われちゃあ、ねぇ。
誰にって…あら、言ってなかった?
えーっとね、わたしにこの契約結婚の申し入れと説明をしてくれたのは、修哉さんのお兄さん――次男の新見和弘さんよ。
実を言うと修哉さんは、当事者であるにも関わらず、この計画を一切知らされてなかったの。
なにしろお見合いの席に中々姿を見せなくて、思わず『わたしは透明人間と結婚する趣味は無いんですけど』って突っ込んじゃった。
ようやく姿を見せたかと思えば、あの綺麗な顔をポカンとさせて『え、誰?』だもの。
向こうからの申し入れなのに、これはどういうことなんだろうってわたしも両親も唖然とするしかなかったの。
で、ようやく事情を聞けたのは、なし崩しにお見合いの場が解散してからだったわ。
一旦仕切り直しをって言われて帰宅しようとしたら、見覚えのある人に声をかけられたの。
それが新見和弘さん。昔、わたしが家を出る前、傷物扱いされた本家に乗り込んで、当主の爺さんをおちょくった話はしたじゃない。その時『グッジョブ!』って言った彼よ。
騙し討ちしたみたいな形になって申し訳ないって言って、改めて事情を説明してくれたんだけど、もう本当にね、闇が深いと言うか、阿保らしいというか。
一緒に説明を聞いた修哉さんは、もう魂が飛んで消えそうな有様になってたわ。
新見本家の長男は要一郎さん、次男が和弘さん、三男が修哉さん。
当然後継ぎは長男の要一郎さんのはず、だったんだけど。なんと、要一郎さんは後継ぎから外されてたの。
彼は省庁勤めのバリキャリと大恋愛の末、駆け落ち同然に結婚したそう。なんでも新見の爺さんは、お相手の女性を生意気だとか我が家に相応しくないとか言って嫌い抜いているんだとか。
あの女と結婚するなら、家を出て行け!って叫んだら、本当に出て行っちゃったんですって。
で、それまで控えの次男だった和弘さんが繰り上がったわけ――なんだけど。
爺さんがね、また変な女に引っかかったら困ると、わざわざ結婚相手を探してきたのよ。もう、ほぼ強制だったらしいわね。
当時、彼は特にお付き合いしてた人はいなかったから、まぁいいか、みたいな感じで結婚しちゃったんですって。
ところがね、この宛がわれた花嫁とやらが、完全にハズレだったそうよ。――いえ、和弘さんの言葉だけど。
お見合いの席と婚約中は物凄い猫を被ってて、結婚した途端本性を現したって、まぁよくある話よね。
夫のことなんてただのATM扱い。こんな古いだけの家で年寄りたちと暮したくないと、わざわざ街にマンションを購入して別居。でもって舅や姑の目がなくなった途端遊び歩いて、終いにはロクに帰宅もしなくなったとか。
浮気?はは、そんな単純なモノじゃないわ。
貞操観念、ナニそれ?人付き合い=セックスでしょうって人。ええ、ものすっごく爛れてるわね。
いくら良家のお嬢様ったってこれはない、もう離婚したいと訴えたら、爺さんがお前はワシの選んだ娘を否定するのかと、怒られたんですって。
夫なら女房を殴ってでもしつけ直せばいいだろう。なんて、下手したら告訴騒ぎになりかねないことを平気で言ったそうなのよ。まぁ、あの時代錯誤を地でいく人なら、さもありなんだけど。
で、更に爺さんが言うことには、彼女の生家や父親はそりゃあ立派なんだから、ちゃんと言い聞かせればすぐに行動を改めるだろう、なんて。何を勘違いしてるんだかわからないわよね。
要するに人間のガワのガワだけで評価して、本人の性根なんて見えてないのよ。
無茶苦茶だと思わない?おかげで和弘さんは、地獄のような結婚生活を三年ほど送ることになったのよ。
ええ、三年よ。そこでとうとう決定的な破綻が起きて、さすがの自己中ジジイも嫁選びに失敗したことを認めざるを得なくなったの。
なにが起きたかって、和弘さんのハズレ嫁が死んだのよ。それも最低最悪の死に様でね。
いいえ、痴情のもつれ的殺人なんて、単純なモノじゃないわ。もっと性質が悪いの。
その手の仲間とまぁイロイロやるパーティーでヤバいクスリの過剰摂取。それで心臓が止まっちゃったんですって。
違法薬物の情報をつかんだ警察が踏み込んだら、もう手遅れだったそうよ。
不良嫁はその頃にはもうほとんど帰ってきてなくて、実質別居状態だったそうなんだけど、離婚してない以上夫は和弘さんなわけだから、知らせは彼に行ったわけ。
そうして警察に駆け付けてみれば、霊安室にご案内。身元確認が終わったら、和弘さんも薬物検査を受ける羽目になったんですって。
もちろん陽性反応なんて出なかったから、最終的には無罪放免されたけど、そうなるまで随分大変な目にあったみたい。なんか、聞いてて気の毒になったわ。
で、まぁ当然ながら大騒ぎになって、これはさすがに爺さんも反省するだろうと思いきや、嫁を管理できなかった和弘が悪い、とか言い出して非を認めなかったんですって。
で、そんな無能は切り捨てて、この際三男の修哉を後継ぎに、なんてとち狂ったことを言い出したわけ。
呆れた話だと思わない?
それまでほとんど放置していた末っ子を今更担ぎ出そうなんて、身勝手もいい所。
なにしろ、修哉さんについてはまるっきり把握してなかったから、彼の仕事やその評価についても全然理解してなかった。そして、彼の恋愛志向も。
事実を知って――怒鳴るやら喚くやら。同性愛など絶対に認めない、絵描きの仕事などさっさとやめろ。
とまぁ、修哉さんの人生を真っ向から否定しまくって、修哉さんがお付き合いしていた恋人(男性)はいつの間にやら外国に飛ばされ、降るように来ていた仕事も勝手に断りを入れ――このままじゃヤバい、修哉さんはこの家を出るべきだって結論が出るまでに時間はかからなかった。和弘さんはそう言ってたわ。
でも、それは末っ子べったりの母親に阻まれたの。
長男次男を奪われ、長年旧家の嫁として押さえつけられてた伯母だもの、ようやく自分に向かって風が吹いてきたとでも思ったんでしょうね。
修哉さんを後継ぎにって話が浮上した途端、そのべったり具合が酷くなって、なにがあろうと離すもんかって有様になったんですって。
その頃には和弘さんの立場は大分微妙になってて、祖父や母親に真っ向から対立するのは難しかったから、秘かにお兄さんと連絡を取って相談したわけよ。
要一郎さんは、自分が出た後の家が――弟たちがどうなっているのか知って、随分罪悪感を覚えたみたい。
その辺、長男気質と言うかなんと言うか。
そしたらね、例のバリキャリ奥様が、旦那を蹴り飛ばす勢いで発破をかけてきたんですって。グジグジメソメソしてる暇があったら、弟のために全力を尽くせ!って。
いや本当、大した人だと思わない。
で、勘当された長男と廃嫡寸前の次男が生贄にされそうな三男を救うべく、頭を絞って出した結論が、かつて本家の当主をものともせず、散々おちょくっていった分家の娘を引っ張り込むことだったわけよ。
結婚っていう形でね。
実家とは疎遠で生活を確立してて、結婚したとしても経済的に夫を頼らずともいい女性。本家の大伯父や姑にもひるまず、恋愛に狂うこともないメンタルの持ち主。
しかも分家の娘だから、身元も確か。結婚したって姓が変わる面倒もなし。
こうやって条件を並べると、確かにわたしってピッタリよね。
いやだ、そんなことあるわけないじゃない。別に自棄になってたわけじゃないわ。
でもねぇ、いい加減わたしもいろんな所からの風当たりが面倒になってきたところだったのよ。
わたしに対して後ろめたい両親や妹夫婦のこともあるし、桐本社長ほどじゃなくても、月下氷人を気取りたがる人って結構いたのよ。ええ、いい人がいるけどどう?みたいなね。
それに…嘘か本当かわかんないんだけど、坂崎課長の夫婦関係が微妙だ、なんて噂が本社時代の友人から回ってきてね。まさかとは思うけど、わたしになにかアプローチして来るようなことがあるかもよ、なんて言われて、ゲンナリしてたってこともあったのよ。
例え本当の夫婦じゃなくたって、形だけでも既婚者なら、そういう面倒事からは逃れられるかなって。
まぁそんなわけで、わたしは修哉さんとの契約結婚をOKしたのよ。
婚約はサクサク進んで、結婚式の日取りだ引き出物だって、本当騒がしかったわ。
なにしろ名の知れた旧家だものだから、そりゃもう冠婚葬祭に気合を入れるわけ。特にあちらの伯母は、もう息子のと言うより自分のための式だとばかりにはっちゃけてたわね。
いやそんなわけないじゃない。
修哉さんの名古屋移住計画は、三兄弟とわたし、四人だけの秘密だったわよ。
実を言えば結婚式だって挙げないつもりだったんだもの。婚姻届けだけ提出して、秘かに本籍もこっちにするつもりだったの。
けど、まだ大っぴらじゃなかったとはいえ、次期当主になる人の結婚となったら、祖父さんや母親が口を出さない訳もなくてね。
え?ああ、そのこと。
相手が昔本家をおちょくりまくったわたしだってことで、爺さんが最初難色を示したのは確かよ。
でも、修哉さんの事情が事情じゃない。どんな縁談を用意したって、まともな女性が嫁いでくれるわけがないって、和弘さんが祖父や両親を説得したの。
そこでなんでわたし?とは疑問だったけどね。
まぁそういう訳で、一応自分の結婚であるにもかかわらず、わたしにやることなんてなかったわよ。
まったく、これが本当に好きな人との式だったら、完全に折れてたわ。
過去三回の婚約では、こんな存在無視な扱いはされなかったから、尚更本家と伯母のヤバさが実感できたと言うか、なんと言うか…。
修哉さんは、同性愛者で幸運だったかもしれないわ。まともなお嫁さんなら、あの伯母が姑になるなんて耐えられないでしょうね。
まあ、あのままだったら、形だけとは言えわたしがその不幸な嫁になるところだったんだから、破棄されたのは幸運だったわ。
そうね、そこを話さないとね。
理由は簡単、修哉さんの恋人とやらが帰ってきて、ヒーローよろしく修哉さんをかっ浚って行ったからよ。
はいはい、そんな顔しないで。
いやだってねぇ、アレは本当に見応えあったと言うか、笑えたと言うか。なにしろ親類縁者勢揃いの場でやらかしてくれたもの、誤魔化しようがないわ。
違う違う、結婚式じゃないってば。
まぁ、もし結婚式だったら、もっと派手な騒ぎになって、それはそれで笑えたでしょうけど。
男同士の恋愛活劇が繰り広げられたのは、法事の席よ。爺さんの妻、三兄弟の祖母に当たる人の七回忌ね。
ええそう、長男次男を母親から取り上げて育てた大姑。要一郎さんの勘当騒ぎが起こる少し前に亡くなったの。
運の良い人だと思うわよ。なにしろ手塩にかけて育てた孫息子たちのドタバタを見ずに済んだんだから。
一周忌の時は要一郎さんがまだ勘当される前で、三回忌の時は和弘さんの結婚前。当時婚約者の彼女たちは法事に参加できる立場じゃなかった。でも、わたしは一応分家の娘じゃない。だから結婚前でもそういう席に呼ばれることができたわけで。
一部始終を見せていただきました。
お寺じゃないわ、広さだけはある本家の座敷で営まれた法事だったの。
お寺さんの読経が終わって、さぁ挨拶だ宴会だってタイミングでいきなり若い男が飛び込んできてね、『迎えに来たぞ、修哉!』って、すごい大声で叫んだの。
修哉さんは上座で大伯父・伯父と並んで座ってたから、隠すこともできなくて。男の名前を叫んで立ち上がったのを、皆がびっくりして見てたわ。
もちろんわたしもその一人。なにが起こったのか、一瞬わかんなかった。
修哉さんはその男に向かって一直線、出席者の眼前を突っ切って抱き付いたのよ。
いっそ見事なラブシーンだったわ。映画かドラマだったらBGMがドーンと盛り上がって、一番の見せ場だったでしょうよ。
男に腕に掻き抱かれるのが、これまた男。
居並ぶお年寄りたちには、シュールな光景だったでしょうね。
そういうわけでね。
修哉さんの恋愛事情はあっという間に周知の事実として、新見一族に広まったのよ。
そして、本家の爺さんと母親があわあわしてる間に、本人はとっとと愛の逃避行とやらを完遂したわ。
まぁ具体的に言うとね、お相手の住んでるアメリカへ飛んで、結婚しちゃったの。ほら、あっちは州によっては同性婚ができるから。
修哉さんの恋人は、大伯父が裏から手を廻して海外赴任させたらしいんだけど、それを逆手にとって、同性婚OKの場所で生活基盤を確立させていたんですって。
で、愛しい彼を半ば浚うようにして、連れて行ったと。
あ、そのこと。
実を言うとね、わたしとの新婚旅行は海外って予定してたから、パスポートは取ってたの。
それに、母親には内緒にしてたけど、住まいも仕事の拠点も変える計画だったでしょう。そのための準備は荷造りも含めて大体終わってたしね。
行こうと思えば、数分で愛しい彼の元へ飛び立てる状態だったのよ。
うん、とってもおめでたい話だと思わない。
これでみんなが幸せになれたのよ。よかったわ。