間2 居酒屋にて
「そういうことだったのか」
なにやら長年の疑問に決着がついたらしい。
沖村はまだあまり減っていなかったジョッキを持ち上げ、一気に煽った。
「あの頃の本社は、海外にいた俺の耳に届くほど不安定だった。新社長が就任して間がないのに、どうしてなのかと不思議だったが、そんなことがあったとはな」
どちらからともなく大きな息を吐きだした。
「でもね、あの時はまだ坂崎達は一線を越えてなかったらしいのよ。心変わりして、両想いにはなったらしいんだけど、わたしに対して申し訳ないって気持ちはあったからって」
「そうか。だが、それはそれでどうなんだ」
「でしょう。聞いたこっちも、物凄くイラついたわ。しかもよ、そこで相談したのが選りによって社長その人だっていうんだから、なに考えてんだかって話よね」
それを聞いた時点で、婚約者にも仕事相手にも愛想が尽きた、と千里は語る。
「浮気相手の父親にか、呆れたものだな」
「あの娘に激甘な社長だからね、一も二もなく女子社員を切り捨てて、娘に男を当てがったってわけよ」
その後、事態を知った同僚たちの驚愕を尻目に、さっさと転勤先へと居を移した。
実家へも早々に知らせた。すると、そちらの方で大騒動が勃発したらしい。
「前の婚約破棄で色々あったからね、ようやくわたしにも幸せの目がって、親類中に言いふらしてたんですってさ」
親心かもしれないが、傍迷惑な。
おかげでますます実家への足が遠のいた。
「もうこれ以上煩わされるのが嫌で、転勤先の営業所では沈黙を貫いたわよ」
「君が転勤した営業所と言うのが、あそこか」
「ええ、名古屋支社管轄の三河地区担当営業所。そんなに大きくはなかったけど、大企業やその関連会社がたくさんあるところだから、それなりに重要な拠点よね」
「そこでの活躍は聞き及んでいる。随分優秀な成績を収めたようだな」
「まぁね。過去を吹っ切るつもりで仕事に邁進したもの、実績が出せなきゃたまったもんじゃないわ」
「そこは本社時代と同じだな」
「気合が違うわよ。もうわたしには仕事しかない!って覚悟だったわ」
「しかし、そこで三度目があったんだろう?」
しばし、間が開く。
「…ええ、そうよ。まさかあんなことになるなんて思いもしなかったわ」
「相手は誰なんだ?会社の人間か」
「いいえ」
キュッとその拳が固められた。
「会社とは一切関係のない職業の人よ。更に言うなら、会社員でもなかったわ」
「ほう?仕事一筋だった君に、どうしてまたそんな縁があったんだ?」
「それはね、本人こそ関係なかったけど、親類縁者が途轍もなく企業の中で活躍されていたからよ」
沖村の目が見開かれた。
「企業で活躍?あの土地でそうだとすると、まさか、あの大企業の…」
「ええ。とは言っても、本社じゃなくて、グループ内の一つだけど」
「それでも大したものじゃないか」
「ええそうよ、なにしろ社長さんだったもの。貴方も知ってるでしょう、ほら」
千里の口から出てきた企業名に驚愕する。
「大物だな。あそこは未だに創業者一族が君臨している、大企業にしては珍しい会社だ。――と、言うことは君の三人目はもしかして」
「ええ、本家筋の人よ」
はあっと、感嘆の吐息が漏れる。
「それは大したものだ。あの会社に入っていなくても、随分いい暮らしができていただろう」
「ええ。でも誤解しないでね、ニートってわけじゃなかったんだから。それどころか随分立派なお仕事に就いてたわ」
「と言うと?」
「大学のね、助教授だったのよ」
「ほう」
「その筋の研究ではかなり有名な人だった――らしいわ。そっち方面に詳しくなる前に婚約破棄したからよくわからなかったけど、博士号も持ってた」
「なるほど、優秀だな。名家の御曹司で地位も高い。しかし、そんな人物となんでまた婚約して――破棄することになったんだ?」
「それがねぇ、なんて言うかもう、余計なお世話がとんでもない結果を引き寄せたって感じなの」