間1 居酒屋にて
「なるほど、確かにどう見ても相手の男に非があるな。と言うか、選りによって婚約者の妹に手を出すとは理解できん」
「それだけ早百合の押しが強かった、とも言えるわね。あの子は本当、自分の我を通すためなら、全力で騒ぎ立てるから」
小さい頃から、玩具屋や菓子売り場でギャン泣きして欲しい物をねだる娘だった。
婚約破棄とその経緯は親類縁者の間で瞬く間に知れ渡った。
婚約よりも破棄の方が広がりが早かったのは、ご愛敬だ。人と言うのはスキャンダラスな情報の方が受けるものだと、しみじみ感じ入ったことを覚えている。
お待たせしました~、と、生中ジョッキの2杯目が届く。
「わたしが家を出て、入れ替わりに早百合夫婦が越してきて。そのおかげかな、二人目の子供はマタニティブルーになることもなく、無事に生まれたみたい。ちなみに、最初は女の子、次は男の子だったわ。新見の後継ぎもこれで安泰ねって、知らされた時は答えたんだけど…」
その表情に、ちらりと影が差す。
「だけど、どうなったんだ」
「母に泣かれちゃったわ。ゴメンナサイゴメンナサイって繰り返して。そんなつもりじゃなかったのに」
無理もない。
穿って見れば、嫌味とも取られかねないだろう。
しかし、そんな状況では、なにを言っても同様かもしれない。
「おかげでそれから数年、実家には寄り付けなかったわね。お盆も正月も、行かないからって報告の電話だけして終わりよ」
「大変だったな」
「まぁね。でも、仕事に就いて物凄く慌ただしかったから、あんまり悲劇のヒロインぶる暇なんてなかったわ」
過去のアレコレを思い出したのか、少し苦い笑いが浮かんだ。
「で、ね。久しぶりに帰ったのが、二回目の婚約を報告しに行った時だったのよ」
枝豆を摘まもうとしていた手が停まった。
「それは、また…大変だったな」
「まぁ結論から言えばね。でも、その時には、まさかこの婚約もパァになるなんて思ってもなかったから」
「では、家族にも認めてもらった後での破局だったのか」
「ええ。おかげでもう、大騒ぎだったわよ。最初の時よりね」
なまじ相手に非があった分、今度こそ思いっ切り騒げた、とも言える。
「なるほど。で、一体誰なんだ、二度目の相手と言うのは」
「ああ、多分貴方も知ってる人よ」
「なに?もしかして、うちの会社の人間なのか」
「ええ、そう」
その口元に、ふっと自嘲が浮かぶ。
「会ったことある?本社の坂崎正人って」
男の目が見開かれた。
「坂崎…もしかして、第一営業部の坂崎課長のことか?」
「その通りよ。我が社最大派閥のホープ、御子神社長の懐刀。最年少で課長になった坂崎正人が、わたしの二人目の婚約者だったの」
苦い笑いと共に吐き出された過去は、驚嘆すべきものだった。
「それは…しかし、確か彼は」
「そう、既婚者よ。しかも奥さんは、御子神社長のお嬢さん」
つまり、社長の娘婿と言うわけだ。
「…その彼が君と婚約していたということは、つまり」
「まぁね、早い話が乗り換えられたのよ。ただの平OLと社長令嬢とじゃ、比べるまでもないわ」
「じゃあ、今の細君の前に君と付き合っていたのか」
「もちろんそうよ。先にあっちとくっついていたら、わたしの出る幕なんてなかったでしょうね」
そうとでも思わなければやっていられない。
「でもね、洋二の時と違って、坂崎は浮気したわけじゃないの。彼なりに苦渋の決断の挙句、わたしじゃなく今の奥さんを選んだわけだから、まだマシなんじゃないかしらね」
「それは、一体」
「まぁ聞いてちょうだい。この際全部話すから」
ジョッキを一息に開けて、千里は過去の話を再開した。