1回目 大学
わたしが最初に婚約したのは、まだ大学生だった時。
相手は、大学の2年先輩。蓮見洋二って名前。
学科は違ったけど、大学の名物教授が主催する研究会で知り合ったの。
初めてできた彼氏だったわ。
え、その前?
全然駄目だったわね。その、好きな人がいなかったわけじゃないけど、ことごとく失恋してたわ。
中学高校6年間で3回くらいかな。まぁちょっといいな、くらいな人ならもう少しいたけど、そこまで本気で入れ込んだわけじゃなかったから。
ああ、違う違う。
好きになったときはフリーなんだけど、ちょっと親しくなると、わたし以外の女の子と付き合いだしちゃって。
そうね、わたしに近しい人たちだったわ。親しくしてた友達とか、気の合った先輩後輩とか。
みんな素敵な女だったから、しょうがないなぁって。ま、直後にはこっそり泣いてたりもしたけどね。
そんなこんなで、いわゆる両想いになれたのは、彼が初めてだったの。
ええ、元々憧れてはいたのよ
その前から、いわゆる合コンなんかにも参加してはみたけど、どうもしっくりこなくて。
研究会メンバーの中でも優秀だった洋二は、すごく好みだったけど、正直手が届かない人だと思ってた。
でも、彼の方から告白してくれたの。
あの時は本当に信じられなかったわ。夢か何かじゃないかと、本気で思ったわね。
それからの2年間、わたしたちは順調にお付き合いを続けたわ。
そしてね、洋二は無事に就職内定をもらって、卒業資格も取った。
そのお祝いの最中、プロポーズされたの。
ええ、もちろんOKしたわ。
両親にも紹介して、すごく喜ばれた。
ただ、わたしはまだ在学中だったから、卒業してからってことになったわ。それまでに彼は社会人として一人前になるべく頑張るからって。
思えばあの頃が一番浮かれてたわね。
え、それはもちろん、就職はするつもりだったわよ。
せっかく大学まで出してもらうんだから、ちゃんと社会に出て仕事ができるようにならなきゃって思ってたからね。
今の世の中、世間知らずじゃやっていけないじゃない。
ええ、しばらくは共働きして、余裕が出来たら子供とか作って――なんて当時は明るく考えてたわ。
まさかその幸せ計画が木端微塵になるなんて、思ってもみなかった。
なにがあったかって。
結論から言うとね、洋二が他の女と関係して、妊娠させちゃったのよ。
そうね、一言で言っちゃえば、浮気よね。ただ、それだけじゃないって言うか…。
え、わたしの両親?なにか言わなかったのかってことかしら。
…それが、ねぇ。あー、正直にぶっちゃけるとぉ、その妊娠しちゃった女ってのが。
わたしの妹、早百合だったの。
いや、そんな顔しないでよ。
そりゃまぁ、レディースコミックみたいな話だけど、たまには現実にもあるのよ。
洋二を家に招待したのがプロポーズされた翌週で、その時、両親と妹にも紹介したんだけど。
一目惚れだったんですって。
姉の恋人で、結婚も決まってるってわかってはいたけど、恋心は止められなかったの、なーんて、涙ボロボロ流しながら訴えられてねぇ。
洋二も洋二で、思いもしない相手から激烈に告白された挙句『一度でいいの、一度だけわたしに思い出をください』とかなんとか迫られて、ついほだされちゃったんだそうよ。
ええ、本当に陳腐よね。
こう言っちゃなんだけど、多分洋二も早百合も、ドラマチックな状況につい盛り上がっちゃったんじゃないかしら。
悲劇のヒーローヒロイン気分でワンナイトして、後は心の奥底で~なんて、甘っちょろい考えに浸ってただけだったのよ。
で、現実が追いついたら、そんな甘いもんじゃなかった。
もっとも洋二はともかく、早百合の方はなかなか目が覚めなかったけど。
ええ、早百合は子供を産むって聞かなかったわ。
母はオロオロしてた。
え、そりゃそうよ。
冷静に見れば、早百合の方に非があるわ。もし、これが他人の女性だったら、母も激高したでしょうね。
でもねぇ。
うちの両親、特に母は妹に甘くて。
あ、だからってわたしが差別されたり、ましてや虐待だのネグレクトだのをされたわけじゃないわよ。そこは誤解しないでね。親の愛情は充分もらってたわ。
ただ、なんて言うかな、手のかかる子ほど可愛いってあるじゃない。
わたしは昔から真面目な方で、あまり親の手がかからないタイプだったわ。自分で言うのもなんだけど。
成績も素行も、アレコレ言われなくても悪くなかった。だからまぁ、安心物件て感じよ。
で、妹はね。
その、活発で自由な子だったわ。自分のやりたい事だけをやる、好きな事ばかりを追っかけるって。
ええ、だから――いわゆる目の離せない子ね。
それでなくても母は心配性なところがあったから、自由気儘に振舞って、成績もいまいちな妹を気にかけるのは当然、みたいなところがあったわけよ。
年頃になると結構モテて、男の子たちと気楽に付き合っては別れてを繰り返してたわ。中高と失恋ばっかりしてたわたしとは大違いで、内心羨ましかったのは確かよ。
無理もないわね。あまりお洒落もしなかったわたしと違って、メイクだ流行のファッションだって、そりゃもう気合を入れてたもの。
母はそんな妹を危なっかしいと心配してたんでしょうね。
で、そんな心配が斜め上で的中しちゃった。
すったもんだの挙句、母が泣いてわたしに頼むの。
『とても申し訳ないけど、こうなったら仕方がない。蓮見さんを早百合に譲ってあげてちょうだい』
ってね。
ええ、そりゃもうショックだったわよ。わたしも当時はまだ純情だったから。
しかも母親が被害者であるわたしじゃなくて、加害者の妹の味方をするに至って、もう現実を受け止めるのがきつくなっちゃったの。
土下座する洋二と泣きわめく妹。そして涙ながらにあたしに頭を下げる母親を、茫然と眺めてただけだったわね。
正気に戻ったのは、父が机を蹴倒したからよ。
父は事態を知って烈火のごとく怒ってね、洋二の胸ぐらをつかんで派手に一発殴りつけたわ。早百合にも『そんな不義理の子供は始末しろ!』って怒鳴ったの。
でも、それで逆に冷静になれたのよ。
その辺りがねぇ、わたしの甘いところなんでしょうね。
とっさに、それは駄目!って言っちゃったの。
すごく悲しくて辛くて、早百合を憎いとも思ったけど、なんの罪もない子供を殺したいとは思わなかったわ。
でも、何もかもを無かったことにするには、そうするしかないじゃない。
それに気づいた時、すっと洋二への熱――みたいなものが冷めたの。
それまでなんとか繋ぎ止めたいと願っていた心が、ポロっと落ちて消えた、みたいな。
泣きじゃくる妹の姿と、殴られたまま真っ青になって座り込んでる洋二を見て、゛もうこれ以上は嫌だ“って気持ちがムクムクと湧いてきてね。
気づいたら洋二に。
「貴方とは別れます。早百合と結婚して、子供を産ませてあげてちょうだい」
って告げてた。
待ってくれって彼は叫んだけど、わたしは無視してその場を出たの。
考えてみたら、妹だって色々なモノを犠牲にしたのよね。
だって、当時あの子はまだ十八だったのよ。
通ってた高校はまぁまぁな私立だったけど、志望大学にも受かってて、これからが一番楽しい時期ってところだったのに、進学はあきらめなきゃならなかった。
自業自得と言えばそれまでだけど、正直どうしてそれほどまでに洋二が好きだったのかわからないわ。
あ、でもその代わり、浮いた学費を出産と育児の費用に充ててもらってた。なんだかんだ言って親は、妹に甘かったわ。
なにしろ洋二もやっと就職したばかりの新入社員だったから、色々心もとなかったの。
おまけに蓮見の実家は、息子の不義理にお怒りで、頼れなかったみたい。後でわたしに対して土下座せんばかりに頭を下げて謝ってくれたし。
勘当しても構わないとまで言われたけど、そんなの望んでなかったわ。むしろ妹を受け入れてやって欲しいって言ったら、泣かれちゃった。
決して優しさで言ったわけじゃなかったんだけどね。
わたしが洋二と早百合に再会したのは、それから二年後。
ううん、違うの。父がね、援助と引き換えに、わたしと会うことを禁じてたのよ。
なにを心配してたのやら、まったく余計なお世話よね。
でも、その時はわたしの方に彼らと会う必要があったから、わざわざ訪ねたの。
何の用って、大学を卒業して家を出ることになったから、わたしに代わって両親と家をお願いって頼みに行ったの。
どうしたの、そんなに驚かなくてもいいじゃない。
こっちだってそれなりの思惑があってのことよ。別に彼らを許したわけじゃないわ。
ようやく、って感じだったわ。
本当はあの二人が結婚するってタイミングで家を出たかったんだけど、父と母がそれだけはしないでくれって言うんだもの。
そんなことになったら、寄ってたかってわたしを追い出したみたいに見えるからって。
ま、世間体が悪いってことだったんでしょうね。
はっきり言うけど、それこそやりきれなかったわよ。
早百合は無事に子供を産みはしたものの、すっかり参っちゃってね。いわゆる育児ノイローゼって奴。
ある意味予想通りではあったわね。
あの甘ったれで自分勝手な妹が赤ん坊の世話なんてどこまでできるやらって、頭が冷えたら逆に心配になったくらいだもの。まともに家事さえできる子じゃなかったのよ。
洋二は就職したばかりで、さすがに育休なんて取れる状況じゃなく、自分のことで手一杯。
とうとう母に泣きついたの。
妹を見捨てられなかった母は、父やわたしに隠れて手助けに行って――見事に孫バカのお祖母ちゃんになっちゃった。
でもわたしに気兼ねして、こっそりとしか行けなくて。もちろん知ってて黙ってたわよ。
母は、こう言っちゃなんだけど、隠し事が上手な人じゃなかったから。いそいそと大荷物持って出かける姿を見るたび、ああまた早百合と赤ん坊の所に行くんだなってバレバレだった。
父も薄々勘づいてたんでしょうね。ちょくちょく帰宅が遅くなってたのは、赤ちゃんがぐずったり熱を出したりしたせいだったろうから。
でも、何も言わなかったわ。
そりゃね、初孫を堂々と可愛がれなくて辛かっただろうとは思うわよ。
わたしだっていたたたまれないというか、気が重かったわ。
そんな状況で2年も暮らせば、いい加減世間体なんてどうでも良くなるってものよ。
就職が決まって一人暮らしの算段が付くまで、なるべく家には帰らないようにするしかなかったもの。
大学に行って、夕方以降はバイトを詰め込んで。時には漫画喫茶で夜明かしした時もあるわ。
研究室の他にもサークルとかに所属して、もうとにかく家には寄り付かないようにしてたわね。
ただ、わたしは家を出れればなんとかなるけど、その後両親がどうなるのかって考えるとねぇ。だから敢えて洋二と早百合夫婦に、遺恨はもうないから、あとはよろしくって。
あはは、そうよ。
両親と実家を押し付けてきたの。
あそこにいたら腐っちゃってたわ。両親だけじゃなくて、親戚もうるさかったしね。
え、親戚のこと?そうね。
わたしの実家は、地元じゃそこそこ知られた資産家なの。元をただせば、長いこと土地のまとめ役をやってた旧家の分家筋なんだけど。
おかげで、婚約破棄の事情から経緯まで知れ渡っちゃって、特に本家の伯父ってのが、また面倒くさい人でね。
とにかく、わたしはもう故郷に、実家にいたくなかったの。
今、洋二は新見の家の婿養子になってるわ。
長い間跡取り娘として生きてきたけど、全部妹にくれてやった。
実家に帰った途端、二人目ができたっていうんだから、きっとこれが一番良い選択だったに違いないわ。
そう言う訳で、わたしの最初の婚約は綺麗に破棄されたのよ。