間6 バーにて
「なるほどな」
再生を終わらせた後の第一声がそれだった。
「なんとなくお前の言いたいことが分かった。千里はこの先も、人に魅力を与え続けるだろうというこことか」
「そう言うこった、つまりお前はその渦中に自ら飛び込んだわけだ。トラブルが全くない人生なんざ、早々にあきらめるんだな」
「あきらめる、か。見方を変えれば中々得がたい、ある意味幸運なのかもしれない」
「…そんな事を言っていいのかよ。見ただけで吐き気がしそうな有象無象までもが擦り寄って来るかも知んねぇんだぞ」
「そういう感じではないと思うが。ビジネスマンにとって無条件に人を惹きつけられるということは、強みでしかないぞ」
「そうかもしれんが、色が絡むんじゃ安心できねぇ。むしろ、とんでもないスキャンダルを呼ぶかもしれねぇってことはわかってんのか」
「重々承知の上だ。千里を得るならそのくらいのリスクは受け入れるさ]
「はぁ、未来の重役候補――支社長様は肝が据わってるねぇ。じゃあもう止めやしないが、千里ちゃんの実家の方はどうする気だ?」
「ああ、かなりの資産家だったな。まぁそっちも今後の事態によっては引き受けんでもないが、そう言えば結局妹は今どうなってるんだ」
「ああ、新見和弘にこっぴどく拒絶されて、とうとう旦那や両親にも呆れ果てられたあの女か。今は一種の謹慎状態だな」
「謹慎?」
「新見家は、まぁ本家ほどじゃないが、そこそこ広い敷地の家を構えててな。その中にある離れに閉じ込められているような状態だ。外出は禁止、母屋にも許可がない限り来るなと言われて、子供たちともほとんど会わせてもらえないらしいな。――聞いた話じゃ、スマホもパソコンも取り上げられて、誰とも連絡が取れないようにされたそうだ」
「ほぼ軟禁だな。しかし本人がその気になれば、いくらでも出かけられるだろう?成人した女性なんだから」
「先立つものがねぇんだよ。小遣いは無し、カードは停止されて、電車にも乗れねぇんだとさ。車の免許は持ってるが、キーは取り上げられて動かせねぇ」
「自分の貯金はないのか?」
「全くないね。ってーか、働いたことなんざないからな、自分の金と言えるものは持ってねぇ。ずっと親からの小遣いか旦那の稼ぎでやってきたみてぇだな。それも、あればあるだけ使っちまうタイプだ」
「…そのどちらも停止されば、使える金は無いわけか」
「ああ、いっそバイトでもパートでもする気がありゃあもっと違うんだろうが、本人に勤労意欲ってものが一切ないからな」
「つくづく千里の妹とは思えんな」
「バリキャリ中のバリキャリな千里ちゃんと比べたら、哀れに過ぎるな。大体、男はみんな自分に媚び諂うもんだって意識が抜けきってないんだよな」
「学生の頃ならそんな勘違いもあり得るだろうが、もう二十代も後半だろう」
「まぁなぁ、アラサーになってもそれじゃあ、ただの痛いオバさんにしかなれないだろうよ。ま、本人がもっといい女なら別だが――中身も含めてな。ありゃあ見た目は普通にちょいと毛が生えた程度だし、性格は残念に過ぎる。正直関わりたくない類の女だ」
「しかし、千里と結婚するなら、その妹も覚悟の内か」
「そう言うこったな。まぁお前さんなら大丈夫だとは思うが、くれぐれも気をつけろよ」
「良くわかった」
差し出された新しいグラスには、オリーブが添えられている。爪楊枝が刺さったそれを、酒より先にひょいと口に入れる。
「で、もう一つの新見家は、今どうなってるんだ。例の本家とやらだ」
「ああ、妹ちゃんに迫られた和弘氏が気になるんか」
「…」
「そんな面で睨むなって。はいはい、そっちの現状も調べてあるから、落ち着けよ」
手帳をぱらぱらと数ページめくる。
「結論から言うとだな、あの家は今三兄弟の長男が後継ぎに返り咲いて、女房ともども戻ってきてるよ」
「そうなのか」
「ああ、例の三男坊は恋人の男と渡米して、あっちで新婚生活を送ってるらしい。シュウ・ニムズとしての活動も順調で、今後はアメリカ発でやってくようだな。まぁ、お幸せにってところか」
「で、次男はどうなった?」
「次男の和弘氏は家を出て、これまた海外へ飛んだよ」
「なに?」
「あの次男坊は、元々外資系の企業に勤めてたんだよ。後継ぎに繰り上がった時に退社するように言われたらしいが、本人の意思で勤めは続けてた。ま、考えてみれば、そうでなけりゃ街中のマンションなんざ買えんだろ。女房が死んだ後、そのマンションは売り払って実家に戻ってたみたいだがな、調べてみたらなかなか好条件の立地で新築だった。親の援助もなしでそんな物件が購入できたんだから、優秀な社員みたいだな」
「で、家を兄にまかせて――いや、返して海外赴任か」
「ああ、行先はヨーロッパ方面らしいな」
「…その次男が千里に気があったのは確かなのか?」
「おそらく、ってところだな。ただ、それが本当だからと言って、弟と契約結婚してくれなんて申し入れた当人が、千里ちゃんに言い寄るわけにはいかなかっただろうよ」
「ある意味哀れだな」
「まぁ、これからの面倒事から解放されたと言うべきかもしれねぇがな」
「余計なことを言うな。それで、三兄弟の親や祖父はどうなってるんだ」
「あー、それな。なかなかシビアだぜ」
「と言うと?」
「まず、自己中ジジイだがな、例の法事以来めっきり老け込んで、家のほとんどを息子に丸投げしてるそうだ。まぁそんだけショックだったんだろうが」
「まさか、痴呆でもはじまったのか?」
「いんや、そこまでは行ってねぇ。だが、もう誰かにガミガミ言ったりアレしろコレしろと指図することはなくなったそうだ。ってか、そんな気力もなくなったようだな」
「憑き物が落ちたように、か」
「ああ、まさにその通りだ。日がな一日どんよりして暮らしてるそうだ」
「息子夫婦はどうしてる?」
「息子はまぁ普通だ。今まで父親まかせにしてきた家の管理を引き受けて、それなりに元気だよ。ただなぁ、奥方の方がちょいとな」
「と言うと、三兄弟の母親か」
「ああ、お気に入りだった三男坊が逃げ出して、一時は随分荒れたみたいだ。子離れできない母親ってのは、本当に困るねぇ。俺のお袋なんざ、子供たちを追い出した後は、人が変わったみたいにド派手になって人生を謳歌してるってのによ」
「余計なことはいい。で、その母親はどうしてるんだ?」
「どうもこうも、最初は三男を連れ戻しにアメリカへ行くだのなんだの泣き叫んでたみてぇだが、旦那からも息子たちからも、いい加減にしろと怒られて、舅同様呆然自失だ」
「なるほど、そっちの方が問題だな」
「いや、多分大丈夫だろ」
「と言うと?」
「さっきも言っただろ、長男が嫁さんを連れて戻ってきたってな。で、その嫁さんってのがまた、千里ちゃんとタメを張るバリキャリと来てる。なんせ、上級試験突破したエリートだぜ」
「…確か、祖父が嫁とは認めなかったそうだが」
「そりゃああんなワーキングウーマンを受け入れるような家じゃなかっただろうな。意識が戦前――いや、明治時代くらいには錯誤してたジジイが当主だぜ」
「そんな家に入ったのか、その女性が」
「おかげで新見本家とやらは、今大改革の真っ最中だ。落ち込んでたお袋さんは、強烈な嫁に『折角子育てを終えて自由になったんだから、もっと人生を楽しんでください』とかなんとかビシバシ言われて、落ち込み切れないようだぜ」
「…良い結果になればいいが」
「大丈夫だろ。あの嫁さんが居れば大概のことは対処できるんじゃねぇか。それに、子供もできたそうだしな」
「そうなのか」
「ああ、ちょいと遅めだったが無事妊娠が判明して、今年中には生まれるそうだ。どうやらあの家も未来に向かって進めそうだな」
「なら、目出度いことだな」
「ああ、千里ちゃんに知らせが行くのがいつかはわからんが、多分喜んでくれるだろ」