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間5 バーにて

 名古屋の繁華街と言えば栄と呼ばれる場所だが、その中でも錦三丁目の地名が付いたそこは、バーやスナックなど、その手の店が立ち並ぶ激戦区だ。

 そんな中の一つ。さほど大きいわけでもない雑居ビルに、その店はある。

 路面沿いでもなく、かろうじて動いている感のエレベーターを使って行くこじんまりとしたバーだ。見た感じそれほど流行っているようにも見えない。

 が、この店はこの街でもかなりの老舗なのだ。入れ替わりの激しいこの地で、大手でもないのにこれほど長く続いている店は少ない。


「いらっしゃい」

 あまり愛想と言うものを感じられないマスターが、カウンターの向こうでグラスを磨いている。

「いよぉ、来たね」

「待たせたか?」

「うんにゃ、そう大したことはねぇよ。ウィスキー二杯分ってとこか」

「…待ち合わせの時間は五分後だったはずだが」

「せっかくの奢りだってのに、モタモタしてたら勿体ねぇだろうが。こちとら普段は素寒貧で、こんな酒なんざ呑めねぇんだからよ」

 その手にある杯は、三杯目だろうか。

「おい、仕事の方は大丈夫なんだろうな」

「ったりまえよ、きちんと済ませたから呑んでんだろうが。ほれ、報告書」

 A4サイズの紙をまとめた束を無造作にカウンターに放り出す。

 それをざっと読むと、その眉間がキュッと締まった。

「…なるほどな。あの社長、かなり無理をすると思ってたが」

「大体が取引先やら下請けやらとのいざこざが原因だねぇ。無理を通せば、どっかにシワ寄せが来る。そういうのをうまいこと散らしてくれる人材がいないのが痛いんだな。社長就任前後は良かったんだが、ここ数年どうもね」

 グラスを振り振り応える男に、依頼者である男は難しい表情を向ける。

「娘の方はどうなんだ。あまり良い噂は聞かないが」

「あー、そっちはもう完全にアウトだな」

 半分ほど残った酒をグイッと呷ると、ジャケットの内ポケットから手帳を取り出す。

「賞を取ったとか言うホテルの後、一時はどっと仕事が来たみてぇだが、トラブル続きだ。なんとか完了しても、事前の打ち合わせと違うとかクレームがついたりで、すっかり信用を無くしてる」

「それで、やっていけてるのか?」

「まぁなぁ、父親と亭主が必死になって支えてるお陰だな。正直親会社からの援助がなけりゃ、今頃とっくに不渡りを出しててもおかしくねぇよ」

「賞を取ってからまだ数年だろう。なんだってそこまで」

「そりゃあ、アンタの可愛い千里ちゃん――い、いや、新見女史がいなくなったからだろ。例のホテルは、彼女が色んな方面で仲立ちして、あの突拍子もないデザインを現物化してくれたようなもんだ」

「…そこまでなのか」

「ああ、そうだよ。アンタ、あのホテルに行って見たことあるか?そりゃ凄げぇぜ、賞を取ったのも当然って感じだ。だが、一から造らにゃあんなモンは無理だろうな」

「つまり、改装や模様替え程度じゃ、到底実現不可能だと」

「そう言うこった。天才ってのは怖いねぇ、まともな感性じゃ到底思いつかないことをペロッと出してくるんだからよ。だが」

 酔いが回っていた顔が、少し引き締まる。

「世間との折衝ができなきゃ、ただの狂人で終わる」

 成功なんてはるか遠い所に逃げてしまう、と、男は述懐した。

「なるほど、良くわかった。――ある意味似た者親子だな」

「全くその通り!社長さんもね、あのギャンブラーな所をフォローしてもらわないとダメだろうな」

「そんな人材なら、幾らでもいそうなものだがな。娘婿になった坂崎課長なら、文句ないだろう」

「ところがどっこい、その坂崎課長が最近どうも下降線でね。まぁ、女房のせいも大分あるんだろうが、他の仕事――担当してる取引がどうもな。新規のお得意先も開発できてないようだし」

「そう言えば、本社で上向きな話は聞こえてこないな」

「社長さんのごり押しが、ここへ来て大分問題になってきてるからなぁ。まだはっきりしてねぇが、常務さんが本道に復活するって噂も聞こえてきてるぜ」

「ほう」

「良かったじゃねぇか、長峰常務はアンタを買ってくれてるんだろ」

「まぁな、お陰で随分長いこと海外勤務になってたが」

「っかー、ライバルの子飼いを放逐して、やりたい放題かよ。そんで崖っぷちに追い詰められてりゃ世話ねぇな」

「まぁいい。会社のことについては、あとはこっちで何とかする。で、他の調査結果はどうなってる?」

 誰何(すいか)するその視線にいささか危険な光が灯るのが分かる。

「あー、それな。まぁ一通りは調べたんだが…」

「なんだ、なにか問題があったのか」

「問題っつーかなぁ。こいつらアレだよな、千里ちゃん――新見女史を蹴ってくっついたんだよな」

「そうだ」

「だったらもうちっと熱があってもいいんじゃねぇか、と思うんだが。どいつもこいつも、ラブラブとは程遠いぜ」

「なに?」

「まず、妹夫婦なんだがな」

 そう言って手帳をパラリとめくる。

「ぶっちゃけ離婚の危機だ。原因は浮気問題」

「ほう、婿養子とやらがふらついたのか」

「いんや、女房の方だ」

 マスターが差し出したグラスを取ろうとした手が、止まった。

「妹が?姉の相手に岡惚れしたのにか」

「まぁなぁ。考えてみりゃあの妹は、さぁこれから女の盛りって時にガキこさえて、育児に追われてた訳だ。で、今そのガキ二人が小学校に上がって、多少なりとも時間ができたら、昔の遊び癖が復活したみてぇだな」

「…なるほど」

「ただなぁ、ちょいとその辺で行きずりの男を摘まむくらいならまだしも、選りによってなんであんな奴にちょっかいかけるかね」

「なんだそれは?」

「亭主の時と似たパターンだな。姉貴が本家の三男と婚約してただろう」

「まさか、また」

「いんや、その兄貴だよ。次男の和弘だったか、女房を最悪な事態で亡くした、カワイソーな寡夫の跡継ぎ様に言い寄ったんだとさ」

 ガラン、と男が手にしていたグラスの氷が大きな音を立てた。

「それで、どうなったんだ?まさか…」

「それこそまさかだ。次男様は鼻も引っ掛けなかったらしいな。それどころか、両親や亭主にバカ娘をちゃんと躾ろと文句をつけたらしいぜ」

「それは確かに正しい行動なんだろうが、家庭不和を爆発させただけだろう」

「あー、まぁそうなんだが、なんせ亭主は婿養子だろ。しかも、実家じゃあ未だに前の婚約破棄が響いてるらしくてな、折り合いが悪いんだとさ」

「ほう、つまり今の婚家に縁を切られたら身の置き所が無いのか」

「そう言うこった。一応自分の仕事もしてるようだが、新見の収入に比べたら微々たるモンでな、ありゃ、離婚は嫌だろうな」

「子供たちのため、とかは無いのか」

「ガキどものためって言うなら、あの女房を追い出した方がよっぽどためになるぜ。世話してんのは、今やほとんどお袋さんだしな」

「…しかし、血縁は娘の方か」

「そう言うこった。あの新見女史の妹とは思えんね」

「本家の次男とやらも災難だったな、亡妻に続いてまた似たような女に言い寄られるとは」

 そう言うタイプに好かれる男なのか。と、口にする。

 すると調査をした男は、その言葉をやんわりと否定する。

「そうじゃねえよ、多分な」

「なに?」

「俺の見たところ、多分ありゃ新見――面倒くせぇな、もういいだろ――千里ちゃんのせいだな」

「――っ、おい!」

 怒気が膨れ上がる。が、そこでそれまで完全に空気だったマスターが、カタンと音を立てた。

 渋い顔をしながらも座りなおす男。

「何が言いたい」

「だからだな、あの妹はそーゆーのに…はっきり言っちまえば、千里ちゃんの魅力に当てられてんだよ。恐らく誰よりもな」

「?なんだそれは」

「なぁ、少しは不思議に思わなかったのかよ。四回だぞ、四回。そりゃあただの恋愛、男女の軽いオツキアイってんならともかく、本気で婚約までしてるんだぜ」

「それは…」

「それも、こぞって誰か他の女に横恋慕された挙句、だろ。まぁ最後の親戚枠はちょいと違ってるが、それにしたって、三人もの男が同じような有様で略奪されるってのは、どう考えたっておかしいだろ」

「確かに、そう言われれば妙だが」

 お互い気が合わなくなったとか千里の方に揺れがあったとか、三者三様の事情があるならばまだわかる。

 だが実際は、ほとんど同じ状況で破局を迎えている。

 それが三回も続いたとなると、さすがに不自然だ。

「どう言ったらいいんだろうな、ありゃあ。とにかくだ、千里ちゃんが誰かを好きになるってか、好意を持つとだな、妙な色気が出るってんだろ」

「そう言われたそうだな」

「多分そいつはマジな話だ。でもって、恐らくだが、千里ちゃんが好きになるってだけじゃねぇ、()()()()()()()()()()()奴にもその色気とやらが出るんだよ」

 しばし、沈黙が場を満たした。

「つまりなにか、千里の周りには、人たらしがわんさか湧くとでも?」

「だなぁ。問題はその“たらし”に色が絡むってことだ。ちょいとでも千里ちゃんに好かれたり好いたりすれば、その訳の分からん色香とやらが纏わりつくっつーか」

「そんな人間が、まともな人生を送れるとも思わんが」

「その通りじゃねぇか。千里ちゃんの今までが、“普通”だと思うか?どう考えたって違うだろう」

「…社長や娘もそれにやられたとでも?」

「ってーかな、あの親子は千里ちゃんがいたからあそこまで昇りつめてたんじゃねーかと俺は思うぜ」

 彼らの視線がカウンターに置かれた報告書に集まる。

「もし千里ちゃんがいなかったら、御子神のプロジェクトは完全にコケてただろうし、娘のホテル内装は実現すらできなかったろうよ」

「まさか。娘の方はともかく、社長のプロジェクト当時はまだアシスタント程度の半人前だったんだぞ、いくらなんでもあり得んだろう」

「常識的にはな。だが難しい相手との折衝はほとんど千里ちゃんが引き受けてたらしいぞ」

「…」

「実際の話、千里ちゃんがプロジェクトから外れた途端、問題がどっと出てきたそうだからな。御子神や坂崎の上から目線っつーか、希望的観測に溢れすぎたやりように付いていけなくなった連中は多いそうだ」

「それは…確かにそういう話は耳にしたが」

「だろ。で、それを証明するってぇわけじゃねえが、三人目も大概ヤバい状況になってるぜ」

「三人目?確か大企業の御曹子で、大学の助教授と聞いたが」

「ああ、その助教授様さ。親代わりの伯母夫婦に対する恩義を捨てきれなくて、千里ちゃんを捨てて従妹と婚約したお坊ちゃんだ」

「なにがあった?」

「あったっつーかな、なんにも無いんだな、これが」

「どういうことだ?」

「千里ちゃんとの婚約破棄から、もう大分経ってるだろう。いい加減新しい婚約者と具体的な話が進んでもいいようなもんだ。ところが結婚の“け”の字も出てこねぇ」

「ほう、そうなのか」

「ああ。それと言うのも、お相手の従妹殿ってのが、なかなかGoサインを出さないからだそうだ」

「は?傷害事件や自殺騒ぎを起こすほど、相手に惚れていたんだろうが」

「だよなぁ。そこんとこが支離滅裂と言うか、滅茶苦茶だ。件のお嬢さんは、千里ちゃんが去ってから――なんつーか、憑き物が落ちたみたいになって『え、結婚?お兄ちゃんと』てな感じで、むしろ今じゃ同世代の気の合う連中とつるんで遊びまわってるらしい。また、相手のお坊ちゃん助教授が積極的とは言えない有様でな、ますます研究に没頭しちまって、まるっきり結婚をしようって気概がないらしい」

「信じられんな。色んな意味で」

「ああ、おかげで桐本夫妻の方が困惑してるみてぇだ。あの夫婦にしてみれば、娘のためにかかなくてもいい恥をかいて千里ちゃんを遠ざけたのに、当人たちにまるでその気が失せちまってんだからな」

「千里は何のために…」

「言うなよ、そのお陰でお前さんが手に入れられたんだろうが」

「それはそうだが」

「で、だな。さすがにこりゃあもうちょっと深く探ってみた方がいいじゃねぇかと思ってだな」

「なにをした?」

「おいおい誤解すんなよ、別に千里ちゃんに絡んだわけじゃねぇ。ただ、もっと前の時点を掘り起こしてみたんだよ」

「前の時点?」

「ああ、千里ちゃんが最初に婚約したのが、大学生の時だろ。だが、それよりずっと前からあの妙な色気を付加する力があったんじゃねぇか」

「…それは。で、どうだったんだ?」

「ああ、大当たりだよ。やっぱり新見千里は、とんでもねぇ人間だった」

「…」

「このボイスレコーダには調査の内容が入ってる。なぁ、本気であの女と結婚するつもりなら、今聞いとけ。そんでもって、ここから出たらすぐ忘れろ」

「ヤバいのか?」

「ってーか、信じ難い話だ。本人にもまるっきり自覚はないしな。だが、多分間違いねぇ」

「俺が知っておいた方が良い、と」

「マジであの女と一生付き合うなら、心の隅にでも置いといた方が良い。でなけりゃ、厄介事が向こうからやって来た時、対処に困るぜ」

「いいだろう、聞かせろ。ただし、忘れるのはお前もだ」

「ああ、わかった」


 応えと同時に、小さな機械の再生ボタンは押下された。


 聞えてきた数人のインタビュー記録は、その晩限りの再生となった。

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