第174話 全力もどき
イコロイは余裕の表情を装っていたが、内心余裕がなかった。
(啖呵を切ってあの発言をしたものの、今の体力であの2人を相手するとなると数分程度しか持たないだろう)
少し自信をなくし、俯いた先にはあの男の顔があった。
『こいつならどうするか』
その思考になったイコロイにさっきまでできなかった考え方が浮かぶ。
(どうせ長引かせても負けるのだから、いっそのこと力を圧縮させて数秒間だけでも全力で攻撃を仕掛けてみるか…)
まるであの男のような発想をするイコロイ。彼の考え方は割と計算高かったが、あの男のせいで計算なしの特攻行動に駆り立てられてしまった。本人はこの事に気づいていたが、嫌な気分にはならずに清々しい気分になっていた。
「さてやるか」
その言葉と共に、右拳に残った力を全て込めるように赤いオーラを圧縮させていく。そのオーラの密度は凄まじく、天使2人を畏怖させるものだった。
「一体何をするつも――」
アネが言葉を言い終わる前に、背後に高速移動したイコロイ。
アネが『まずい』と思って強化魔法を自身にかけようとしたが、
時すでに遅し。
背中に正拳が炸裂した。
バキッ!メキッ!と木を折り倒しながら吹っ飛んでいくアネ。その勢いは木を5本程度折ったくらいではおさまらず、結局勢いが止まったのは木を22本倒した後だった。
アネに意識はあったが、さすがに「ぐぐぐ…」と歯を食いしばりながらもすぐに立ち上がれないほどのダメージを受けていた。この様子を見てイコロイの顔から力みが消え、戦意が抜け落ちた。まるで降参したかのように。
(即死させるつもりで殴ったんだけどあの程度とはね。やはり2対1だと分が悪かったか)
そう言ってシスの方を向く。すると彼女は掌をかざして息を切らしていた。どうやらアネに対し、攻撃が当たる前に強化魔法を全力でかけたようだ。
(僕の全力はこの程度だったってことかな)
完全に諦めモードのイコロイ。そんな中、アネが倒れているところにシスが駆けつけ応急処置程度の治癒魔法をかけていた。反撃の一手が残っていない以上、この処置が終われば
イコロイの命は最後である。
(気絶するほど全力を出すってどんな感じなのだろうか)
ふとイコロイが考える。
気絶するほどとなれば、その前段階である激しい苦しみを越えなければならない。その辛さは想像を絶するので越えることは容易ではない。思考の何もかもを脱ぎ捨て死に物狂いのような状態でなければ到底越えられないのだ。自分の力を引き出すために自分の生は捨てて、死を受け入れた状態。イコロイはどちらかといえば生に執着がない方だったが、それでも生き物としての生存本能が働いた為、先程のように『気絶するくらい全力を出そう』と意気込んでもそこに到達することができなかった。
ある事に気づいたイコロイが言葉を漏らす。
「死を常に受け入れているという事か?力を出す為なら平気で命を差し出す。そんなこと、生物である以上できるわけがないだろう」
男の異常さに気づいたイコロイが徐々に恐怖を強めていく。
「あいつは一体何なんだ…狂っている」
恐怖が最大になった。しかしその恐怖の発生源は敵ではなく味方という奇怪な状況である。その奇怪さにあてられたのか、あの男と同様にイコロイが狂い出す。
「あいつにできて、僕にできないことなどない…」狂気の笑いを浮かべるイコロイ。
一方、天使達は……
アネの応急処置をしつつも今後の展開について話していた。
「さっきの一撃はおそらく全力を込めたものでしょう。その証拠にイコロイの魔力反応がかなり薄まりました」
「では次の攻撃で仕舞いね。圧倒的強者もこうなってしまえば呆気ないものね」
「最後まで油断しないでください」
「はいはい、分かってますって。ではシスの攻撃から入ってそっちに気を取られている内に私が上空から奇襲をかけるわ」
「了解」
そう言って止めを刺す前のウキウキした顔でイコロイの方を向く2人……
だったが、その顔が一気に恐怖へと変わる。
イコロイがブツブツ呟きながら不敵に笑っていたのだ。しかも呟く度に右拳にまとっていたオーラが大きくなっていく。
「絶対にぶっとばす…絶対に倒す…絶対に殺す…」
それを見たアネが怯えながら言葉を漏らす。
「そんな…嘘でしょ。あいつの力はもうなくなっていたはずでしょ?あの力は何なの?どうしてないはずのところからあれほどの力を生み出せるの?」
恐怖で頭が混乱し、疑問を子供のように吐き出すアネ。その様子を見てシスが冷静に答える。
「彼は私達が手に負える相手ではなかったということです…。アネ、ここは一旦引きましょう。この他にも何か能力を隠しているかもしれませんし危険です。幸いにも彼の目は私達の方を向いていません。だから急いで!」
そう言って、まだ混乱状態のアネを両手で引っ張って空中に飛びあがり、そのまま引き上げていった。
その数分後、イコロイがハッと我に返る。どうやら力を引き出すのに集中し過ぎて周りの事が見えてなかったらしい。
「やはりそう簡単にはいかなかったか」
自身が気絶していなかったことから全力を越えられなかったことを悟りガッカリする。
「天使達は去ったのか。どういう風の吹き回しか知らんが、次に来た時は確実に倒す」
辺りを見回したことでようやく現状を把握する。
この後、警戒しながら奇襲を待ちつつ、安静状態を保ち体力回復に努めたが、結局この日天使達が現れることはなかった。