第165話 フクツの差
昆虫には痛覚がないので恐怖は感じないし、牙を折られた程度では攻撃をやめない…はずだった。だが、現在フクツアリと影3匹は後ずさりを始め、レイナから距離をとろうとしていた。
アリの牙は堅い。今まで数々の一流剣士の強化した一振りを受け止めてきたが、ひびが入ることは一度もなかった。それが今回初めてその堅さが破られる。しかも剣ではなく素手で。この一件で実力差を思い知り、早急に撤退した方が良いとアリ達の生存本能が命令を出したのだ。
4匹が各々の生存確率を上げる為に別方向に散って逃走開始する。今までにない高速移動の速さで。しかし、先程牙を折られた赤影が一瞬で追いつかれ…
手刀一閃
頭から真っ二つに両断される。超絶強化されたレイナの手刀は今や剣以上の切れ味を持っていた。振り下ろす速さも相当なもので、振り下ろした後に数秒してからようやく影がズリズリと断裂を始めたくらいだ。
他の影2匹も逃走距離はそれなりに稼いでいたもののすぐに追いつかれて、レイナによって瞬殺される。その姿はもはや通り魔のようだった。
残るはフクツアリ1匹のみ。こちらにもすぐに追いつくレイナ。
1匹と1人は対峙する形になる。
フクツアリが先に挟撃攻撃を仕掛けるが、レイナが両手の人差し指を真上に立てて、ピタッと牙の閉塞運動の勢いを殺した。そしてデコピンで両牙の先端を破壊する。これに驚いたアリが再び全力で高速移動して逃走をはかるも進行方向にレイナが急に現れ逃走経路をふさがれた。
クレベーションを再び展開しないことから、あれは一度きりの技だったのだと推測するレイナ。そして勝利を確信する。自身にはあの男から受け取った負ける気がしないほどの強化がなされているからだ。
「終わりです」
レイナが台詞を言ったのと同時に右手刀が放たれ、フクツアリが綺麗に両断された。その姿は今まで自分達が苦しめられていたことなど想像できないくらいに呆気なく弱々しかった。
~~~
王国への帰路にて。
凡太が目を覚ますと目の前に見慣れた背中があった。それがレイナだと気づくのに時間はかからず、自身がおぶられているのにも気づいた。
「ありがとうございます。レイナさん」
「いえいえ。あと、さん付けになっていますよ」
「えっ…?ああ、ごめん」
さん付けをやめさせる奴隷とそれを謝る主人、微笑ましい光景である。それに気づいた男がこの空気を破壊するべくKY発言を放り込む。
「奴隷の使い道がどうとか言っていただろ?あれ俺の本心な。あの時見せてくれた目は正しい。だからこんなゴミみたいな奴おぶる必要なんてないよ。ゴミは森に捨ててけぇい」
自身の評価を下げるだけ下げてポイ捨てを懇願したが、
「森にゴミを捨ててはいけません。責任を持って持ち帰ります」優しい顔で言うレイナ。
「ち、ちくしょう…」心から悔しがる男。
レイナに正論を言われ、渋々おぶられることを受け入れた。
そのまま数分2人が無言になったところで男が急に話し出す。
「実は今回の特訓はレイナに靴を買ってもらった時の恩を返す為に仕込んだ計画だったんだけど、無意味に終わっちゃったなぁ。むしろレイナに助けられてまた返さなければいけない恩が増えちまった」
恩返し計画内容を話す事は本来しないはずだが、よほど疲れていたことが影響してポロッと漏らしてしまったようだ。それを聞いたレイナは、
「そういうことでしたらしっかり恩を返せていますよ。助けられたのはこちらの方ですから。むしろフツノ玉の採取とこの助力で私の方が返さなければいけない恩が増えています」
「何言ってんの?フクツアリを倒せたのはレイナの実力によるものでしょ?俺が助けたことにしているのはおかしいよ!あれか?また主人を立てているだけだろ?」
「私の実力ではなく、あなたの実力です。だから全然立てているつまりはありませんよ」
「んなアホな…誰がどう見てもレイナの実力だろ?」
「その辺の勘違いは本当にアホのようですね」
「俺がアホだって…?よくぞ、気づいた!そうだ…!ゴミではなくアホなら森に捨ててもいいんじゃないの?アホは森に捨ててけぇい」
「アホを森に捨てると周辺動物の生態系に悪影響を及ぼします。却下です」
「た、確かに…」
この後も妖怪・森に捨ててけぇいの攻撃に合うレイナ。いつもなら「面倒ですね」と一言漏らし精神疲労していくところだったが今日は違った。この妖怪が捨てていくように促す際に発する言葉の内容には、この妖怪の良い部分が隠れている事に気づいたからだ。脳内での変換作業が面倒なのは変わりないが、変換するたびにほっこりするレイナであった。
~~~
神役所・休憩室にて。
設定課チーフと事務の部下が今回のフツノアリ戦をモニターで観ながら話している。
「フクツアリの影3匹は高い魔力の人間を狙う習性があるから、彼女を助ける為に自身の魔力を高めたまま回避行動をしていたのは見事だったなぁ」
「それでタイラさんはあのタイミングであの技を使ったのですね」
あの技とは体魔変換・開のこと。凡太はこのときその習性のことを当然知らなかった。レイナを助けたい一心で囮役として最適な行動を取ろうとした際に無意識でその技を使っただけである。なので、2人は少し勘違いをしており、美談っぽくしてしまっていた。
「しかし…フクツアリは今まで負けなしだったんだけど、まさか負けるとはねぇ」
「まぁどんなに強くても分析されることで攻略法をつくられていつかは負けるものですよ」
「確かにそうなんだけど、彼らの世界ではまだフクツアリの攻略法が明確になっていなかったんだよ。だから“まさか”なんだ」
「言われてみればそうですね」
凡太のいる世界でフクツアリ情報はあったが、攻略情報はない。『会ったらまず逃げろ』といった逃走方法と危険情報が記録されているだけだった。その為、チーフも部下もこの時は凡太達がたまたまフクツアリに勝てたのだと思った。
「ところで今回のフクツアリはどういった経緯でつくったのですか?」
「過去の勇者の能力や性格を分析してまとめたら、高い気力値と困難に抗う習性を持っている者が圧倒的に多かったんだ。それでそういう勇者の天敵になるような魔物をつくろうと思ったのがきっかけかな。困難に抗う人間はその状況の時、大体興奮状態になる。興奮状態になることで行動意欲が増して攻撃の威力が上がったり、痛みが緩和されて怯み辛くなって戦闘を有利に行えるんだ」
「それでクレベーションという技をつくったのですか」
「うん。これのおかげで勇者には連戦連勝だったよ。何せ彼らの一番の強みを潰しているわけだからね。あと、基本人間は意欲がなくなれば行動不能になることは必須だから死角なしだったんだけど…」
「彼は特殊ですからね」(彼らが勝てたのはたまたまではなかった…ということか)
「そう。意欲がない状態に慣れていてその状態でも動ける人間なんていないと思っていたからね。今回の一件で自分の準備の甘さを痛感したよ」
「仕方がない事ですよ。まさか彼の習慣がフクツアリの天敵となる要素だったなんて誰も予測できないですし」
部下の慰めにちっとも安堵しないチーフ。技術者が予測できなくて諦めるというのはプライドが許さないといった表情をしている。一転、何かを思いついた表情になった。
「今度はクレベーションをリスクなしの永続設定にしてみようかな…」
「やめてください。世界バランスが大きく崩れます」(この人が一番チートなのでは?)
この後、興奮するチーフをなんとか宥めてフクツアリのチート設定を阻止した。
日頃から癖の強い者の緩和作業を続ける部下の苦労は絶えない。