第162話 フツウはクツウ
レイナは詠唱中のフクツアリの下へ向かう途中、何やら集中できないフワフワした感覚に包まれる。これにより高速移動して一気に距離をつめることができずにいた。なので、走って移動中だ。
1分経過。レイナはいつの間にか歩いていた。最初は朝布団から出るのが辛いみたいな少し嫌だけど、頑張って抗えばなんとか行動できるような感覚だった。が、徐々に行動が困難になっていく。嫌な仕事を長時間やる予定があってそれにとりかかる前のような感覚。これによりレイナの足取りが自然と重たくなっていく。
「こんなことで立ち止まっては駄目だ。進まなくては…」
普段ならこうした感覚の時も持ち前の気合で強引に進めるレイナだったが、今回は進むのに手こずっていた。
2分経過。とうとう歩くことができなくなる。というより歩きたくなくなる。
手足がだるくなって力が入らない感覚。
風邪をひいているわけではないが、それに近い倦怠感になる。
「とにかく意欲が残っている内に攻撃…を…」
風邪をひいている中でもトレーニングをしていたからこそこの状況でも対抗意識だけは崩さないレイナ。ふらつきながら、腕に力が入らないのを何とか押し切り剣を構える事に成功する。どうやら斬撃を放つつもりらしい。
レイナはクレべーションにより、頭を揺らされるような倦怠感になって集中力を削がれながらも、目を閉じて自分の呼吸を感じる事だけに集中する。
最後の力を振り絞る時「うぉー!」と叫んだりして気合を入れる姿をバトル漫画ではよくお見掛けするが、冷静に考えるとあれは非効率的ではないだろうか(演出上そうした方が盛り上がるから仕方がない事ではある)。そもそも気合を入れる時に大量にエネルギーを使っている。おそらくアドレナリンを強引に放出させて、痛みや疲れを緩和させようとするのが目的なのだろうが、疲れを緩和させるのに余計に疲れることをしていてはどうもこうもない。そこでエネルギーを使うくらいなら叫ぶエネルギーをちゃんと最後の行動に使うべきだ。
レイナはそんなことなど当然意識したわけではなかったが、鍛錬習慣によりこうすることが自分の力を引き出すきっかけをつくりやすいということが体にしみこんでいた。これは意識的に集中するというよりか無意識に集中するという行動。だからこそ、この悪環境での集中を可能とした。そうして、きっかけができあがれば、後は流れ動作である。足の踏み込み、腰の捻り、腕の振り、手首の返しなどが勝手に連動していく。
そして、いとも簡単に斬撃が放たれた。
斬撃はいつの間にか地上に降りていたフクツアリの方へまっすぐ向かっていく。まだ詠唱中のフクツアリ。集中しており、よけることはできなさそうだ。
斬撃が命中し、辺りに衝撃音と粉塵が舞う。
「どうだ…?」
煙越しからフクツアリの状態を確認する。
「やはり…。そううまくはいかないものですね」
体に多少の切り傷はあったものの、ダメージは少ない様子。その証拠に詠唱を続けていた。
レイナは特にガッカリしていなかった。自分の能力と相手の能力の基準が大体分析できていたので、強化魔法なしの生身の状態ではこの程度だという予想ができていたからだ。
斬撃を放ったところで大したダメージを与えられないことがわかったことでフクツアリへの対抗意識がなくなった。これで斬撃を放つ意欲も消え失せる。力なく笑い、あの男と同様の戦闘放棄状態になった。この瞬間、フクツアリに対して反撃を試みる者の数がゼロとなる。これにより、フクツアリの勝利が粗方確定する。そしてそれをさらに確定させるように詠唱が完了した。
3匹のダークカラー赤青黄アリ型影が出現する。影はそれぞれ独立し、標的に向かう。
向かった先は――
「おい、なんでこっちに来るんだよ。俺はただの雑魚だぞ?俺と戦っても時間と労力を無駄にするだけというのが分からんのか」
見苦しい言い逃れを披露する凡太。当然アリにはそれが理解できないので、そのまま攻撃を受ける。レイナが『いい気味よ』とでもいうような顔で男を見た。
なぜ凡太が真っ先に狙われているのか?
レイナはその疑問に対し、影がこの場で一番弱い者から攻撃する習性があるのではないかと推測する。そう推測できたのは、フクツアリがレイナに向かって来たからだ。本体が強者を相手している間に、確実に倒せる方を先に倒す。戦況をより有利なものに仕上げていく。勝利を盤石にするため基本だ。
フクツアリが急に高速移動して目の前に。
レイナは回避行動を取る為に、必死で気力を振り絞る。牙の刃先がレイナの服にかするくらいのところでしゃがんで挟撃をかわすことに成功した。アリの挟撃速度は強化魔法無しだと回避が不可能なほど速いのだが、レイナも魔改造的によってしごかれてきたのでその経験によりなんとか体が反応したようだ。
かわした後にすかさず攻撃を仕掛けようとするレイナだが、体が思う様に動かない。というより、そもそも動く気が全く湧いてこなかった。これもクレベーションによる意欲吸い取り効果である。
「こんなものに…負けてたまるか…」
意欲は気力を振り絞ればまかなえるが、その分体力を余計に使ってしまう。体力を削って意欲をつくり出してもクレベーションによってすぐに吸い取られる。つまりこの空間内での足掻きはすべて無駄になるのだ。それどころか、足掻く度に体力が減っていくのでどんどん不利な状況下に追い詰められていく。足掻きが得意なレイナにとっては最悪な状況である。
それでもレイナは活路を見出そうと足掻き続けるも結局は生成した意欲を吸い取られ続け体力を大幅に消耗させていった。
ちなみにあの男は戦闘放棄して無気力だったくせにまだしぶとく生き残っていた。何やら影3匹の挟撃をかわしながら「だるー」とか「めんどー」とか「はよ終わらんかなー」などとぼやいている。時折「レイナはまだてこずっているのか?こんなところで弱者アピールとかいらないからさっさと決めちゃってよ」と他力本願な台詞を吐く。しかも3匹の攻撃をかわしながら、レイナの方へちょっとずつ近づいてきていた。その距離30m。おそらくレイナに影の相手を丸投げする為に近づいてきたのだろう。
自分はもがかず、全て他人任せにして任せた相手にもがくのを強要する姿は、まさにクズ人間そのものである。
幸いにもレイナはそんな男の事に構っていられるほど余裕のある状態ではなかったので気づいていなかった。
「動け…動けぇ…」
そう言っているが、意欲がわかずに剣を持ったまま行動不能状態になるレイナ。意欲はスイッチの様なものである。これがなければいくら体力や魔力があろうと行動を起こせないからだ。体力は残り4分の1ほどあるものの脳内で体力を意欲に変換する作業に疲れ切っていた。精神的疲労は体力とはまた別物なのでどうすることもできない。
そんな時にフクツアリが目の前から挟撃をしかけて来る。当然かわすことも防御することもできないレイナ。このままチョンパされるかと思いきや、なぜか急に前にこける。剣を構えたままだったので、たまたま剣を振り下ろす感じになってフクツアリの額に剣が刺さった。レイナはそのまま前方に倒れたことで挟撃を回避、刺さった剣は挟撃によって真っ二つに折られた。
うまいこと難を逃れたレイナだったが、すぐに難がやってくる。マウントを取ったようなポジションからフクツアリが再び挟撃を仕掛けようとしていた。
「まだだ…まだ終わっていない」
最後まで抗おうとするレイナ。だが体は動いてくれない。
それを見た凡太は、
「面倒なこと言うなってー。終わりだよ、終わりー」
抗い放棄を促す最低振りを披露した。レイナにはそれを注意する元気すら残っていないし、そもそも聞こえてすらいなかった。
フクツアリが大きく顎を開く。
と同時にレイナは死を意識した。
閉じていく顎と共にレイナも目を閉じていく。
自身の真っ二つにされる姿を想像し、目を閉じ切った瞬間-――
すべてが真っ暗になった。