第154話 おっぱいマスター
午後、凡太とアイは警備会社の留置場に来ていた。カフェでの会話で、アイから犯人が更生しかかっていたとの情報を聞き、確認したくなったからである。
一応2人は警備会社の人と面識がかなりあるということで特に止められることはなく関係者以外立ち入り禁止の場所へ入っていく。この顔パス効果で犯人との面談の許可もすぐにもらえた。
犯人の移動と準備が整ったところで、面談室への入室を許可される。分厚い透明のアクリル板のようなものに仕切られ、犯人がテーブルに座らされていた。右胸にネームプレートが着いており“モミ・ケンジ”と書かれている。「ケンジだなんて日本人っぽいな」と凡太が思っていると、そのケンジがこちらに気づき、立ち上がって頭を下げる。
「わざわざ面会に来ていただきありがとうございます、マスター」
「いや、そんな畏まらなくていいんだよ。ってか、マスターって何?」
「あなたは胸を揉むという道を究められたお方だ。故にマスターと呼ぶのは当然かと思いますけど、違いますか?」
「どう考えても違います。そもそも女性の胸を触ったことのない俺に揉む道を究められるわけがないって」
「触ったことはないですって?この前はしっかりとさわっ――」
「はいはい、ストップ! モミさん、あれはマスターにとっては当たり前の事なの。だから説明や他言は不要よ」顔を少し赤くして制止に入るアイ。
「なるほど…そうでしたか。では、このことは道の方向性を守るために極秘にした方がよいですよね?」
意味深な質問。さらに目の活力が増すケンジ。
「え、ええ! 是非そうしなさい」
何やら2人の間で勝手に話がまとまる。マスター発言に関して全く納得がいってなかったが、極秘にするとか言っているくらいなので聞き出すのは難航しそうだ。凡太はその労力を考慮して諦め、渋々マスター呼びを受け入れた。
「とにかく、元気になってくれてよかったよ。前も言ったけど、モミさんがこれから自分の価値を高めつつ、相手の気持ちへ寄り添う形になれば、自然と女性の評価も上がって胸を揉む資格もちゃんと発生すると思うから頑張ってね」
「はい!マスターの様に胸を揉むのではなく揉ませるという道の極地に辿り着く為、日々精進していく所存です」
(揉ませる?何のこっちゃ?まぁ悪い方向には考えていないみたいだしそれでいいか)
今一内容がはっきりしない発言をするケンジに戸惑いつつも、考えるのが面倒になって無理矢理まとめに入る凡太。そこへケンジから新たなジャブが入る。
「ところでマスターは巷でおっぱい隊長と呼ばれているんでしたね?」
「そうだけど…」(嫌な予感がする)
「では、それらを合わせて“おっぱいマスター”と呼んだ方がいいでしょうか?」
まさかの新呼称の誕生に唖然とする凡太。これにはさっきまで顔を赤くしていたアイも少しだけ驚いた後で、笑いを堪えるのに必死になっていく。
おっぱい隊長は耐えられたが、それはさすがに恥ずかしいと思い制止に入る。
「それは勘弁――」
「パイマスよ。すべてはあなたと共に道を極めんが為に」
突然片膝を地面に着き、忠誠のポーズをとるケンジ。
「えぇ……」
あまりの真剣さに断ろうにも断れなくなった凡太。
こうして凡太とケンジの間でのパイマス呼称が確立されたのであった。
なお、このやり取りをずっとみていたアイは皮膚をつねるなどして笑いをなんとか堪え切った。
~~~
留置場を後にして町をぶらつく2人。
すると、凡太が急にアイの背中に隠れる。
「何やってんの?」
「すまんが少しだけ隠れ蓑になってくれ」
アイがその行動理由が気になって周囲を見渡すと、正面から作業着を着た男性が2人やって来た。
「さぁ飯も食ったし、仕上げに入りましょう」
「おうよ。しっかし、最近の表面確認は前よりかストレス減ったなぁ」
「これもあの兄ちゃんの手袋のおかげっすね」
「ああ。今度会ったらちゃんと礼を言わんとな」
「そうっすね。でもあの兄ちゃん、最近すぐに帰っちゃうから毎回言いそびれるんですよ」
「礼も言わせんとは気にくわねぇ。今度来た時は縄で縛りつけておくか?」
「それいいですね!」
男性2人が凡太とアイの横を通り過ぎていった。通り過ぎた後も凡太は少し震えていた。これらのことからなんとなく事情を察したアイ。
この後も作業着の人やそうでない人からも隠れ続ける凡太。その姿は警察から逃げる指名手配犯のようだった。それを見ていたアイがイライラし始める。
「隠れていないで堂々としていたら?何か悪い事したわけでもあるまいし」
「確かに悪い事はしてないけど、隠れてないと悪い事が起こるんだよ」
「悪い事って?」
「お礼攻撃だよ」
「攻撃って…」
「アイはあの攻撃の恐ろしさをしらないんだ。口頭でのお礼だけならまだしも、物品を渡されたり、何かサービスをされたりする。これが一回で済めばいいが永遠と続くんだ。永遠とな…」
「そう…」
この世の終わりの様なオーバーなリアクションをする男をみて可笑しくなって少し笑う。
そして嬉しくもなる。隠れた人間の数だけ、この男が何かしら助力したという事を知れたからだ。たった30分歩いただけなのに、その人数は10人を越えていた。
(あなたは自分が無価値人間だと思っているけど、これのどこが無価値よ)
至る所から価値が湧いてくる状況。これでも自分を価値の無い人間だと偽る姿は逆詐欺師のようである。それに気づいたアイは、怯える男の姿をみながら優しく微笑んでいた。