第149話 価値説教
「資格がないだと?先程私はこの女性に同意を得た。それこそ立派な資格ではないですか?」
「“同意を得た”ではなく“強要した”の間違いだろ?現にその女性は揉まれることに嫌悪感を抱いているじゃないか。胸を揉むという行為を実行する際、揉む側と揉まれる側にストレスを発生させてはならないことが大前提だ。あんたはそれを守れていない」
「知らなかった…。胸を揉む行為にそんな前提があっただなんて…」
「ちなみに学校じゃあ教えてくれないぜ?胸揉み業界では常識中の常識だしな。そんな分かり切ったことを学校側がわざわざ教えるなんて時間の無駄をするわけがないだろう?」
「た、確かに…」
謎の胸揉み流儀に説得される犯人。アイは心の中で『アホかこいつら』と本気で思う。
「あと、そんな脅しまがいのことまでして揉んだところで本当に気持ち良いか?相手への罪悪感が残っているし、気分最悪だろうが!誰かと何かを一緒にする時、1人は不幸・1人は幸せになるより、2人とも幸せになった方がいいに決まっているんだから、お互いの意思疎通が重要になってくる。あなたはそれが抜けていたんだよ」
「言われてみればそうだ…勝手を相手に押し付けていたかも知れない。なら、資格がないと言われるのも当然ですね」
「資格の有無はまた別の話だ。さっきの話で物事は対等である方が良いという事は分かったと思う。すると、気持ち以前に人間の価値が対等であるかという疑問も当然発生する」
(いや、発生しないから。何当たり前のことみたいにすませようとしているの?)
アイが心の中でつっこむ。
「ちなみに人間の価値とはその人が日頃からどんな努力をしているか、どんな風に人を助けているかで決まる。その量の多さと質の高さが価値の高低基準になる」
「ふむふむ」と頷く犯人。
「仮に価値の高い人間が低い人間と一緒に外食しに行ったとしよう。この時の価値の低い人間の気持ちは想像できるか?」
「対等でない為、気を遣われ対等を演じてくれている事に申し訳ない気持ちになり一緒に居づらくなって逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていると思います」
「その通り!この話をすぐに理解できたのは君が初めてだよ!さすが知能犯」
「いやーそれほどでも」
(なんで少し仲良い雰囲気になってんのよ!)
アイは心の中でツッコミを入れつつ、例題の2人が自分とあの男であることに気づいてしまい「そんな風に感じてたんだ…」と少し反省した。
犯人が何やら考え込んでいる。
「それでいくと私は価値の無い人間に該当する。と、いうことは…」
「おっ、察しが良いですなぁ。そうです。ここにいる女性は価値の高い人間という事です」
「やはりそうか」
「無理もない。あなたは彼女の事をよく知らないのだから。どれ、少し彼女の価値の高さを説明させていただきましょうかね」
男の上ずった声を聞き、アイは「あ…これ、少しとか言っているけど絶対長くなるやつ」と察する。
「まず、1週間前の仕事で――」
「いいから!」褒め語録を制止させるアイ。
「えー」心から残念そうな男。
「そんなこと説明している暇があるならさっさと拘束を解いてよ!」
「“そんなこと”だと!?アイの優秀エピソードは町中に広めてもいいほど良質なものだ。ぞんざいに扱われるべきものではない!」
「分かったから!寮に帰ったら存分に説明していいから今は我慢しなさい」
「本当だな?約束だぞ!」
「はぁ…」
男が拘束を解こうとアイに近づこうとすると、
「ちょっと待ってください」犯人による制止が入る。
(ですよねー)
このまま何もせずに逃がしてくれるほど甘くない。世の中の常だ。
男が迎撃態勢に入ろうとすると、
「それでは私は一生胸を揉めないという事じゃないですか!」
(おっと?何か思っていたのと違うぞ)
「未来を想像しました。私の価値を高めていって価値のあるものと対等になるところまで。ただ、どうしても双方のストレスを無くす前提を守る未来が想像できないのです。自分勝手な私に意思疎通なんて無理なんですよ!」怒りを放出する犯人。
「そんなことはない。価値を高めていけばいずれは…」
「もう待てない!」
アイの下へ駆け出す犯人。
「いや、待ってもらうよ」
犯人の目の前を小さい気弾が通過し足を止めさせられる。
「邪魔をするつもりですか?ならばここで少し気絶していてもらいましょう」
「嫌なこった。アイ、椅子からは動けないだけか?」
(“だけ”って…?ああ、そういうこと)「うん、そうだよ!」
「OK!必ず助かる」
「助かる?助けるの間違いじゃないですか?」
犯人の振り下ろした鉄パイプが男の後頭部を襲う。
「あれだ、あれ!神頼みだよ」反射反応によって右に飛んで回避する。
「そうですか。私もですが、あなたの方も相当価値のない人間のようだ」
「“ようだ”じゃなくて、その通りだよ!」回避しながら念動弾を放つも犯人にかわされる。
しばしパイプ打撃と念動弾の攻防が続く中で、犯人による男の分析が進む。
(この男を最初に見た時、魔力を全く感じなかった。だが、戦闘が始まったのと同時に魔力を感じるようになった…。これはどういう事だ?無から魔力をつくり出すことは通常不可能だ。つまり、通常でない方法を用いているということ。この男、あなどれないかも…)
自身の知らない技を使用する男に自然と警戒反応を強めた。ポケットに忍ばせていたバフ分析用のサングラスを装着する。強化魔法を警戒しての行動だ。
「そういえば、どうしてこの場所が分かったんですか?」
(私の隠蔽魔法のレベルはそこそこ高いはずだ。現に今まで一度もこの場所のことを知られずに移動できている。これもまた、男の未知の技によるものなのか。解答次第では私の天敵になり得るし危険だ)
男の未知部を解明し、少しでも優勢にする為の犯人の質問。賢い者であれば、自身の優位を保つ為、あまり情報は漏らさないはずだが、この男は賢くない。というか馬鹿だ。自分が分析されているとも知らずに解答を話し出した。
「あんたに発信機をつけていたからだよ」
「発信機だって?そんなことできるはずない。あなたと私はここで初めて出会ったはずだ」
「そうだね」
「では、私に発信機をつけることは不可能ではないか?」
「それが可能なんだよ」
(さっぱり分からない…)
男の返答によってさらに疑問を膨らませていく犯人。可愛そうに思った男が助け舟を出す。
「ここへ来る前に何か触らなかった?」
「そちらの女性を運ぶ為に抱えるなどはしたが…」
「その前は?」
「女性の発信機を外して…」
「それだよ」
「それとは?発信機は外した後すぐに破壊した。信号を拾う手段なんてあるはずがない」
取り外した発信機をうっかり持っていたなんてくだらないミスを犯すわけがない。それを確認するために、自分の頭の中で記憶の巻き戻し・再生を繰り返す。しかし、何度繰り返してもミスはみつからなかった。諦めかけた時、ふと女性の肩についていた発信機を取り外した場面を思い出す。
(そういえば、あの発信機はつけてある場所が分かりやすかったけど、とるのに苦労したなぁ。しっかり服の繊維に張り付いていたから手袋を外して爪でめくりあげながら取ったっけ)
思い出に浸る様に手袋を外して自身の爪を見ると…
「なんだこれは?」
犯人の爪が蛍光塗料を塗られたかのように発光していた。
「それがあんたにつけた発信機…というより発信装置みたいなものかな。それは共光石と呼ばれる白い石の粉末を混ぜた特製の塗料だよ」
「共光石?確か普段は発光しないけど割ると半日光り続けるだけの石だったはず」
「違うんだなぁ。最近の研究で割った石同士の距離を離していくと光が弱まっていくことが分かったんだ。で、近づけるとまた強く光る。このことから光の強さを利用すれば簡易的な発信機代わりになると考えた。まぁ効果はあんたの言う様に半日だけだけど、今回のようにすぐに見つけないといけない状況ならその効果は十分発揮されたというわけさ。ちなみにその塗料は洗っても落ちないよ。でも、半日経てば自然に落ちるから安心してね」
犯人が男の話を聞き、熟考を始める。
(実物の発信機を外させることで、注意をそちらに向けさせる。そして注意がそれている間に、別の発信装置を仕込む。発信機を外したことで満足してしまい詮索することを怠ったことは私の落ち度だと認める…が、果たしてこの二重工作をはじめから看破できる者はどれだけいるだろうか?)
発信機は全て取り外して壊してしまえば無害という事。
発信機を取り外している時は安全だという事。
発信機は誰かによって取りつけられるもので、つける人が近くにいなければ取り付けられる心配がないという事。
以上の先入観が合わさって引き起こされた自身の失態を深く反省する。
そして男との力量差を悟り始める。
(人間の行動心理を熟知しているかのような行動…。この男相手に私は勝てるのだろうか?)
犯人が男の顔を見る…
まるで得体の知れない化け物を見るような目で……