第140話 褒め殺し屋
「まずアイ、お前からだ」
重い空気を身にまといながら指を差す。その姿は死神が死を宣告するようだった。
「研究所に俺が誘うまでは町の警備員として働いていたんだよな?」
「ええ…そうだけど」(何で知っているの?)
「騎士団員の人達から大変優秀な人だったと話を聞いている」
凡太が“優秀”と言うところで目がクワッと開かれ、アイとレイナがビクッとする。
「働き始めて間もない頃から同僚へ積極的に話しかけて場を和やかにしていたそうだな」
「当たり前じゃない。だって――」アイが理由を述べるところで凡太が割り込む。
「全身包帯姿のせいで周りが緊張してしまうから、それを少しでも緩和する為…だろ?」
コクリと頷くアイ。割り込まれたことで若干不快になっているのと、自身の気遣いが露見して恥ずかしいのが半々といった表情だ。
「面識が浅いとき積極的に話しかけなかった場合、苦労するのはその同僚達だ。何せ自分の仕事がやり易い空間をつくる為に少しでも場の雰囲気を良くしようと、めんどくさいと思う気持ちを押し殺してコミュニケーションを図るはずだからな。それを考慮し、自分から動くことで彼らが負うはずだったストレスを未然に防いだのだ。あと、これを“当たり前”と言っているところが素晴らしい。人は基本めんどくさがりだから、そういう面倒なコミュは他人任せにして期待するもの。だから全然当り前じゃない。集団があったら、それを実行する人はその中の1割未満だろうよ」
アイや凡太のようなマイナス思考人間はつねによからぬ事が起こる前提で思考を巡らせているので、こういった面倒な事を察する能力が他の人よりは長けていた。自身が察して行動するのが面倒なことには変わりない。が、大きい面倒な事を中くらいの面倒な事にすれば、少しでも自分へのストレスを減らせる。そんな妥協精神が事前気遣いという行動を可能にしている。
「その同僚達の代わりに言う。気を遣ってくれてありがとう」
「何よ、それ。意味わかんない…」
口調は怒っているが、嬉しさが胸の奥から込み上げてくるような感覚になるアイ。事前気遣いを実行する人間が1割なら、それを公言して褒める人間はそれより遥かに少ない。事前気遣いをする人は気づかれているが、先程述べた通り人は自分ファーストであることが普通なので、わざわざ褒めるなんて面倒な事をしないのが普通である。さらには、自分は気遣われて当然だと思う人さえいる。アイはこのことを理解しており、自身の苦労が誰にも評価されることなく終わることを覚悟して割り切っていた。そんな中、自分の苦労を知るどころか評価してくれる人が現れれば、溢れる嬉しさに歯止めが利かなくなるのは当然だろう。
これを聞いていたレイナもいつの間にか表情が和らいでいた。
凡太はまだ話を続けるようだ。先程までの重い緊張がなくなった代わりに次にこの男が発する言葉への期待からくる心地よい緊張が発生していた。
「2週間勤務した頃、上司にある提案をしたそうじゃないか」
「えっと…警備場所によって割り当て人数を増やしたり、減らしたりできないかってやつね?」
「ああ。範囲の広さで人員を割り振るのではなく、過去のデータで犯罪件数が多い地区に人員を多く振って、少ない箇所は範囲が広くても少数にする。良い発想だと思ったよ」
「ありがとう。でも、それを犯罪者に利用されるかもしれないってことで、結局却下されちゃったけどね。あとで考えると誰にでも思いつくような発想だと思って言ったのを後悔しちゃった」苦笑いするアイ。
「確かに誰にでも思いつくような発想だ」
さらにしょんぼりするアイ。
「だが、誰にでも言えない発想だ」
「え…?」
「誰にでも思いつくようなことを言うのには勇気がいる。即出だったらかなり恥ずかしいしな。だが、警備という仕事は人々に安全に生活してもらう為のもの。恥より本来の仕事目的を優先した行動は素晴らしいと思う。あと、これだけじゃないだろ?」
「何が?」
「過去のデータを10年分見返して分析していたらしいじゃないか」
「提案する前にちゃんと調べるのは当然じゃないの?」
「ちっとも当然じゃない!人はめんどくさがりって話、さっきしたよな?意外と思いつきでそのまま提案したり、それほど深く分析しないで提案する人が多いんだよ。要は自分の発想を早く褒めてもらいたくて行動が思考より先行する感じかな。自分ファーストだから相手に有益で分かりやすい情報を伝えるという点を無視してしまっている。その反面、アイは提案する時にデータの要点を1枚にまとめた用紙を提示したそうじゃないか。分かりやすかったって言っていたぞ」
「嘘?その時は『却下だ』としか言われなかったのに…」(というか、さっきから何で詳しく知っているのよ)
「その上司と話してみると結構人見知りな感じだったし、褒めたいと思っても恥ずかしくて言えなかったんだろう。シャイな人あるあるだから許してやってくれ。で、これもさっきの事前気遣いと一緒でアイの良さがつまっている素晴らしい行動だったと思うのだが、レイナはどう思う?」
急に話を振られたレイナだが、動じることなくこう答える。
「素晴らしいと思います」
「だろ?」
褒められることに慣れていないアイはどんどん赤面していく。
この後もう3つほど評価されるべきエピソードが追加され、アイが戦闘不能になったところで標的が変わる。
「次はレイナ、お前だ」
死神の様な指差しがレイナを向く。だが、今やその死神に殺気は感じられなかった。