第137話 通り越し苦労
アイとレイナの変装が解除された次の日。
朝練を終え、凡太と共に学園へ登校中。
変装をする必要がなくなり、心の負担が減ったはずだが、未だにどんよりと重い気持ちだった。
ノーキンとの試合を控えた修行期間中、アイが今までため込んでいた不安やストレスが爆発し、「私には存在価値が無い」と発言した時、男は「居場所になる」と言った(※26話)。その後、その言葉が本気だったか不安だったので「責任はとれるのか」と聞くと「任せろ」と答えてくれた。このことで、男がずっと自分の居場所として側にいてくれるものだと思っていた。にもかかわらず、急に自分の前からいなくなるのはおかしい。アイがラコン王国に来た最大の目的はこの約束破りついての厳罰処分を下す為だった。
このように当初は男を恨んでいたアイだったが、一応男の言い分も確認しておこうということで、ミーラの姿で自分の印象や評価を質問していた時に衝撃の事実を知る。男が自分とした約束とは全く別の内容を約束したと思っていたという件だ。男の約束内容は“修行の成果を出すこと”だったので、試合でアイが当時圧倒的強者であったノーキンに勝利した時点で守られたこととなる。つまり、この男は約束を破るどころか、ちゃんと守って完遂までしてくれたのだ。これでは怒るに怒れない。
このことがきっかけで、他にも色々と勘違いしていたことを知り、恥ずかしくなるアイ。同時に男に勝手な事を言って困らせてしまったことが多々あったので反省し、落ち込んでいた。重い気持ちの原因はこれである。
(いつまでも落ち込んでいられない。これからは少し自重しよう)
甘えを控えようと心の中で決意するアイ。そこへあの男がしゃべりかけてきた。
「アイと一緒に歩くのって久しぶりだなぁ。なんか嬉しいよ」
「それはどうも」
「何か元気ないね?何だったら話してみ?」
(あんたのことで悩んでいるなんて話せるわけがないでしょ)
「別にいい。ほっといてよ」
冷たく返すアイの言葉を聞き、落ち込んだように俯く男。
(しまった!)
気にかけてくれたのに突き放されてはショックを受けて当然だ。
アイは急いで謝ろうとする。
「ごめ……って何やっているの?」
俯いていた男が顔を上げ、全力の変顔をしていた。その顔は非常に憎たらしく、あらゆる人の殴りたい欲求を引き立てる造形をしていた。
「何って…別にいいじゃん。ほっといてよ」
そう言いながら顔は変えないまま煽る様にアイへ近づいていく。
アイは最初こそポカンとなっていたものの次第に怒りが込み上げてきた。自分が真剣に悩んでいるにも拘らず、男がおちゃらけた行動を続けているからだ。
「それより、さっきなんか謝ろうとしてなかった?聞こえなかったんだけど?」
耳に手を当て聞こえないアピールする男。続けて、
「謝罪ならもう少し大きい声で言ってくれないかな?はいっ、もう一回!もう一回!」
朝の静かな通学路に男のアンコールがこだまする。幸いにも周りに人がいなかったが、いれば確実にウザいと思われるだろう。アンコールが続くにつれ、アイの怒りが増していく。それが今にも破裂しそうなくらいに溜まった時、男が止めの一言を添える。
「なんだ、まともに謝ることもできないのか。これだからお子様はこま――」
男が腹パンを受けて後方に吹っ飛ぶ。その勢い凄まじく、木に衝突して1本…2本と折っていっても止まらない。5本目でようやく勢いがなくなる。男はダウン中。アイはそんな男の下へゆっくりと歩いていき、見下す顔で治癒魔法をかけ、応急処置をする。そして、男が目を覚ます。
「す、すびませんでした。もうしばせん」半泣きで汚い表情。
「分かればいいのよ」スッキリした表情。
アイが男に手を差し伸べて立たせた。服についていた枝や枯葉を払う。その表情は数十分前の重く険しいものがきれいに払われているようだった。
学園へ到着。授業のある教室に向かう。凡太とアイは隣同士で着席する。1分後、ジョウが現れ、凡太の隣に座る。
「おはようございます、師匠!ミー…じゃなかった、アイさん!」
「おはよう」
今は平和な空気の教室だが、昨日教室に入ったときは大変だった。
~~~
昨日。
教室に入った瞬間、生徒たちがどよめき出す。
「内のクラスにあんなに可愛い子いたっけ?」
「いなかったはず。でもこの魔力の感じは覚えがある」
「俺も…あっ、もしかして彼か?」
「私もそう思う。けど、男性だったはずでしょ?どうして女性なの?」
「分からん…」
特待生ということで、各自魔力探知ができる。いつも認識していた魔力と姿が一致しなかった為、混乱中である。それに耐えかね、意を決して質問しにいく猛者が現れた。
「失礼ですけど、ミーラさんですよね?」
「ええ、そうよ」
「やっぱりミーラさんだった!」
おおー!と湧く一同。
「ミーラさん、包帯とったんですね」
「ええ。ちょっとした心境の変化があってね」
「そうですか。へぇー、そんな顔だったんだ。可愛いですね!」
「ありがとう」
「ところで、タイラさんやジョウ君は“アイさん”って呼んでいるけどどっちで呼んだらいいですか?」
「呼びやすい方で構わないわよ」
「分かりました。じゃあアイさんで」
察する能力が高い為か、特に包帯をつけていたことを追求するものはおらず、アイはすぐにクラスに溶け込んでいった。
なお、この学園では偽名登録可能なので、名前が変わっても特に問題は起こらないようになっている。なにせ、実力さえ認められれば、学園生活ができるという心の広い学校なのだ。
~~~
授業後、研究所へ。更衣室で仕事着に着替えてから、レイナの研究室に行って仕事を始める。
ちなみに研究員達の変装解除の反応も特待生と似ていた。彼らの場合、仕事内容を重視している人がほとんどなのでなおの事、気にしていない感じだった。
さらに1週間経つと、2人が変装していたことを思い出す者がほとんどいなくなり、その思い出は日常の中に呑まれて消えていった。