第114話 甘えられる人
マリアは入院中、医者にこんな忠告を受けていた。
「あなたは人に気を遣い過ぎです。たまには誰かに甘えて息抜きしないと再発してしまいますよ」
「再発防止したいのは山々なのですが、甘えられる人がいないのです…」
「うーん。それは困りましたねぇ。あっ、そうだ。前に話してくれたあなたを助けたっていう方はどうですか?彼なら事情を話せば協力してくれるのでは?」
「タイラさんに頼むのですか?彼には私やレベッカを助けて貰った恩がありますし、そんな恐れ多いことはできません…」
「ただ、そうなるとまた再発して娘さんや周りの方に迷惑をかけてしまいますよ」
「うぅ…、善処してみます」
それから、マリアは悩んだ。この事を娘のレベッカに相談するのはおかしいし、凡太に直接相談するなどもってのほかだ。そうして先延ばしを続けたこの案件は研究所に入社した当日まで手付かずのままだった。
さすがに先延ばしし続けるのにも疲れ果て、やむを得ず、同僚にこの事を相談することにした。同僚達がマリアから仕事の相談以外の個人的な相談を受けた事は、今回が初めてだったので、皆が目を丸くして驚いていた。が、すぐ目に活力を呼び戻し、真剣に聞く姿勢になった。彼らはこれまで散々マリアに個人的相談を聞いてもらっていたので、意思疎通がなくとも全員の想いが“マリアを何としても助けたい”と一致した。
「と、いうわけなんです」
マリアが医者の忠告と甘えられる人間がいないことについての話をし終える。
「その甘えられる相手は、わしじゃ駄目なのかい?」
「馬鹿!あんたじゃ無理だっての。甘えられるんだったらもうとっくに甘えているはずだろ?ねぇ、マリアちゃん」
「すみません…」
「マリアちゃんが謝ることはないんだよぉ。悪いのはこのじじぃさ」
「ごめんよぉ、マリアちゃん。だが、ばばぁ。おめぇは許さねぇ」
「やんのかい?じじぃ」
「はいはい、ストップ」
50代のじぃちゃん、ばぁちゃんを制止する40代男性。役割的に彼がまとめ役のようだ。
「話をまとめると我々の中、及びマリアちゃんの親族に甘えられる人物はいないということだね。となると、唯一甘えられる可能性があるとすれば、タイラさんだけかな。彼はマリアちゃんだけでなく、我々も救ってくれた恩人だ。だからこそ、信用できる」
「わしも同感。だけど、直接協力を頼むとマリアちゃんにとっては良くないって話だろう?」
「そうだねぇ。恩人に頼みごとをするっていうのは気が引けるからねぇ」
「うーん。いっそのこと、タイラさんにマリアちゃんのことを好きなってもらえば、恋人になって甘えたい放題……なーんちゃって!」
40代男性のしょうもない冗談。だが、今この集団の熱量は異常に高く(マリア以外)、思考能力が欠如していた。それ故の、
「「それだ!」」 (え~!!)
意見一致である。こうしてマリアがある意味一番望んでいなかった同僚達による恋人作戦が開始される。
同僚達は凡太の性格上、この仕事部屋に必ず挨拶にやって来ると考え、マリアに自分達の勝手な恋愛テクニックやアドバイスを聞かされる。
「まず名字でなく、名前で呼ばせてみぃ。自然とキュンとくるはず」
「男は普段は優しい表情をしている女が急に不機嫌そうな顔をすると釣られるものだよ。あと、急に冷たい言葉で引き離すのも効果的よ」
「昨日の夕食って彼が途中で勝手に帰ったわけだろ?だったら、それを足掛かりにしてもう一回やってくれるように押すべきだよ。一緒に過ごせる時間は多ければ多いほどいいからね」
正直、マリアにとって有難迷惑な感じだったが、皆が真剣に考えて意見を出してくれる手前ないがしろにすることができなくなっていた。味方サイドにいながらのある意味一番タチの悪い背水の陣状態である。
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マリアの心の声と共に前回の会話のハイライトをご覧いただこう。
凡太がスライド式ドアを開け、入ってくる。
「エケニスさん、こんにちは!」
(本当に来てくれた。すぐにでも挨拶とお礼が言いたいけど我慢よ)
「エケニスさーん」
(無視することがこんなにも心苦しい事だなんて…。でも皆の想いを無駄にできない。あと、今まで不機嫌な顔なんてあんまりしたことなかったから顔がつりそう…)
凡太が右手の掌を振る動作をする中、両拳を必死に握り我慢を続けるマリア。そして、俯き顔を赤くしながら助言通りの台詞を小声で発した。
「名前で呼んでくれないと返事しません」
(恥ずかしい!穴があったらすぐにでも入ってその中に籠りたいわ)
あまりの恥ずかしさで耳まで真っ赤にしていた。
「こんにちは、マリアさん」
「こんにちは、タイラさん」
(名前で呼んでもらえたのはいいんだけど、こちらの方がキュンとさせられた気が…本当にタイラさんも同じ気持ちになってくれたのかしら)
助言通りの不機嫌な顔を続ける。すると、見事に釣れる。
「昨日は勝手に帰ってすみませんでした。あと、勝手にお酒を盛ってしまってすみません」
「全くです。主催者に何の断りもなく帰るなんて失礼過ぎます。反省してください。お酒の件は私が間違えただけですし、気にしていません。あと、薬ありがとうございました」
(そう。あのお薬を頂いただけでも十分だったのよ。だからこれ以上要求するのは本当に心苦しいわ…)
そう思い、要求を諦めようと顔を上げた時、同僚達の熱のこもった目を見てしまい退路を断たれる。
「とにかく、罰として正式なやり直しを要求します。次の休日にもう一度、夕食に来てください。分かりましたね?」
「いいんですけど、それじゃ全然罰になりませんよ。美味しいものが食べられるのでむしろご褒美では?よって、罰の変更を要求します!」
「却下します!」(ごめんなさい)
「変更を――」
「却下です!」(本当にごめんなさい!)
「分かりました…」
「では、決まりですね」(私の人生の終わりも決まったかもしれない…)
マリアが抜け殻状態になっていたところへ、凡太が話しかけてくる。
「今、製品の動作試験のデータ収集をしているんですけど、一般人データが不足していて…。よろしければ手伝って頂けませんか?」
(喜んで!…って言いたいけど我慢よ、我慢!)
再び両手の拳をグッと握って堪え、本当に心にも無い(助言通り)の一言を放つ。
「それって私じゃなくてもできますよね?」
(いっちゃたー!きっと『なんて冷たい女なんだ』って嫌われるに決まっているわ!)
「マリアさんじゃないと駄目なんです!お願いします!どうか協力を!」
「はい!喜んで!」
((なんでだ!)) ここにきて、心の中の声が共鳴する。
不意はつかれたものの、凡太が離れていかないでくれたことで嬉しくなって満面の笑顔になる。
試験室でのデータ収集作業が終わり、
「今日はありがとうございました。おかげで良いデータが取れました」
「いえいえ、仕事ですから」(お役に立てたようで本当に良かったです)
「それじゃ別の分析作業があるのでこの辺で」
凡太がこちらを振り返えらなくなるまで手を振り、見えなくなってからその場でしゃがみ込む。
「ふぅ…慣れないことをするのってこんなに疲れるものなのね。さて、私も急いで仕事に戻らないと」
数秒の極短休憩を終え、働き者のマリアが仕事場に直帰する為、走り出した。