第111話 気づける人
ここは研究員寮のトマス・ミーラ・凡太の合部屋。エケニス家から帰ってきた凡太が、2人に今日の内容を話していた。2人共、凡太がエケニス家に行っていた事情を知っている為、わざわざ話す必要はない。よって、これは凡太のただの愚痴だ。
「ってなわけで、命からがら逃げ出して来たんですよ」
「ご苦労様」
「…命があってよかったね」
「本当にそう!めちゃくちゃ疲れました」
何やら自然な会話の流れになっているが、不自然さに気づいた人は正常だ。本来、相当頭のおかしい部類の人間にしかできない勘違い行動・思考の話を聞かされれば「どういうわけだよ!」とか「頭、大丈夫?」など、理解できずにツッコミを入れたり、ドン引きするはず。それらをせず、凡太の異常な行動・思考を理解しきって「彼ならそうする事が当然だろう」と解釈している二人の高すぎる理解力が異常なのだ。
通常、人間は他人に対する認識を簡素にしての脳での情報処理に使うエネルギーを節約する。血液型で性格を分類する行為がまさにそれだ。特に確証はないが、A型なら真面目、O型は大雑把と考えてしまった方が楽である。人の数だけ考え方が存在し、個人個人の思考をいちいち考えていれば、脳のキャパはすぐに限界を超えてしまうので、この対処の仕方は自己防衛反応といえる。その反応を無視し、凡太という異端児の理解に努める2人は相当のお人好しであり、脳のキャパが大きいのだろう。
凡太が愚痴を話すことは珍しい。自身の偏った思考が他人に理解されにくいという事を知っているからだ。はじめはトマス達にドン引きしてもらう為に自身の愚痴を話していたが、2人は最初から理解を示してくれた。今まで自分の思考に対して、共感・理解してくれる人間に会ったことがなかった。そんな男に自分の心が開ける場がとうとうできたのだ。本来なら“愚痴を話すことは他人にとって負担になるから、あんまり話してはいけない”という凡太の中でのルールが適応されるが、自身の考えが共感されるという快感が自制心を破り、愚痴という行動をとらせている。
愚痴はまだ続いている。
「で、一番わけのわからないのが、エケニスさんとレベッカが俺を嫌わないことです。自分の仕事で利用する為に自作自演して近づいてきた男ですよ?そんな胡散臭い人間が居たら誰でも嫌うか、警戒を続けるはずでしょ?ところが、2人のとっている行動は俺を警戒するどころか逆に招き入れている感じがしてならんのです。最近はそうすることで俺を油断させ、何らかの方法で陥れる罠だと考えています。これだと2人の行動が納得できるものになるので良い推測だと思っているのですが、どう思いますか?」
と、1番わけのわからない男からの超絶難しい質問が飛んでくる。これに対し、トマスがゆっくりと口を開いた。
「2人が今も君を警戒しているとなれば、そのように罠を仕掛けることは充分に考えられるから良い推測だと思うよ」
「そうですよね!」 共感を得て、パッと顔が明るくなる凡太。
「だけど、それは2人がまだ警戒していたらの話だ」
「どういうことでしょうか?」
「2人が警戒していないって事だよ」
「嘘でしょ…」
「残念ながら嘘ではないよ。そもそも君はエケニスさんを助けたいから自作自演計画をたてたわけだろう?」
「はい…」
「そこなんだよ。しかも君は計画にトラブルが発生して破綻状態になった時、彼女の身の安全を第一に考えて行動したのだろう?」
本物のチンピラにボコボコにされたときの話だ。このとき、マリアに強化魔法をかけたことを秘密にしておくつもりだったが、レベッカの尋問によって知られたことで、本人に伝わっていた。
「当たり前ですよ。巻き込んだのはこっちですし、当然の責任の取り方ですよね?」
「確かに当然なんだけど、その“当然”が君の信用を大幅に上げるきっかけになったんだよ。この人は責任を取れる真面目な人だとね。そういえば、集合場所を間違えた騎士団の人達にはあのあと怒ったりとかしたの?」
「謝罪とお礼は言いに行きましたが、怒ってはいませんよ。俺が分かりやすく伝えてなかったのが原因なので、彼らを怒る理由が全くないじゃないですか。むしろこんな面倒な計画にわざわざ協力してくれたのです。その親切な心を頂いただけでも十分ですよ」
「やっぱり…。この事はエケニスさんに話したの?」
「話してないです。こんな失態後日談なんて話す必要ないでしょ」
「残念。これも話していたらもっと好感度は上がっただろうに」
「どこにそんな要素が?」
「人の失敗を責めないところと、人の厚意に感謝するところ。まぁ君からしたら当たり前のことだからわけが分からないだろうけど、一般人からしたら当たり前じゃないんだよ(さて、この分からずやにどういえば理解してもらえるだろうか)。そういえば、君は何でエケニスさんを助けようと思ったんだっけ?」
「困っていたからです」
「それ!」「…それだ」
今まで会話に入らず、聞き手に徹していたミーラまでもが同調する。
凡太は困っている人がいたら誰でも助けるほどお人好しではない。観察し、自身が良い人(頑張っている人や尊敬されることをしている人)と判断した人物を対象として助けている。マリアはたまたまその対象だったに過ぎない。
「何がそれなんですか?良い人を助けるのは当然でしょう?」
「当然じゃないよ。助けたことは偉いと思う」
「どうせ俺が助けなくても誰かが助けましたよ。彼女はそれくらい目に見えるほど頑張っていましたし、評価されるべき人間だった。むしろ、なんで今まで誰も助けようとしなかったかが不思議なくらいです」
良い人が困っていたら誰かに助けられて当然だという偏見が、自身の評価の判断基準を曇らせていたようだ。凡太はそれに気づいていなかったが、気づいたトマスが説明する。
「頑張っている人ほど他人に助けを求めないし、気づかれないような行動をしているものだよ。彼らは評価されたくてその行動をしているわけではないからね。自分でそうしたくてしているだけだから他人に気づかれるように振る舞う必要がないんだ。だから、気づかれない。評価されるべき人間も気づかれなければ評価されないただの凡人。その凡人を傑人に変える凄い人がいるんだけど、知っているかい?」
「知りません。どんな人ですか?」 くいつく凡太。
「気づける人だよ。その人は他人の努力や頑張りをちゃんと観察・分析する。その後で他の人に話して回って広めるんだ。評価されるべき人が評価されるのはこの人の力があってのものだよ」
「そんな凄い人がいるだなんて…。その人は誰ですか?」
(お前だよ!)(…君の事だよ)
心の中でツッコミを入れる2人。凡太にとって他人の努力を観察・分析することは当たり前すぎる事なので、それを自身がやっているという自覚は全くなかった。
この後、凡太の興味が完全に“気づける人”に向き、それについて質問しまくり、トマスとミーラは疲弊していった。
“他人の努力を観察・分析する”を続けることも努力の1種。それに気づいて凡太をきちんと評価している2人も立派な“気づける人”である。