第110話 幸せを呼ぶすき焼き
マリアの家に着き、鍋をセットして具材やタレの投入開始。鍋も研究所製の魔力を込めれば加熱装置が働く仕組みのものを使用。凡太の予想通り、マリアもレベッカも初めてのすき焼きに興味津々で、自分達が持成す側だということを忘れているようだった。グツグツと具材が煮立ってくると醤油風味の美味しそうな匂いが蓋の隙間から溢れ出す。そろそろ頃合いだ。2人のお椀に溶き卵を用意し、蓋を開ける。食欲をそそる匂いが部屋中へ一気に広がる。箸で2人のお椀に具材を取り分ける。レベッカのお椀には気持ち肉多めにした。
「うわぁ、美味しそう」
好奇心と驚きが混ざった顔でゴクリと唾を飲む2人。その姿をみられたことに凡太は幸せを感じていた。
「いただきます!」
「「いただきます」」
食事開始の号令。凡太が先陣を切るのは今回が初となる。それだけ2人が目の前の食事に心を奪われていたということだろう。
さっきまで茹だっていた具材が溶き卵によって冷まされ、丁度良い暖かさになり、2人の口の中へ運ばれていく。
「美味しい…」
絶句気味で静かだが、箸は賑やかに進むレベッカ。
「醤油ベースなのに甘いし…なにより食べやすい。味にもコクがあって肉の油や野菜の水分が良い具合で合わさっている感じで素晴らしいです」
食リポ気味に感想を述べながらも器用に箸を進めるマリア。
「それはよかった」
そんな2人の姿をおかずに具材を味わって食べる凡太。
3人がそれぞれ幸せを噛みしめながら食べ進めて、第一陣をあっという間にたいらげる。第二陣も同じくあっという間に終了。第三陣+締めのうどんでようやく2人のお腹が満たされる。
「お腹いっぱい。もう食べきれない」
「私もです。本当においしかった」
「好評で何より。また今度やりましょう」
2人の幸せそうな顔をみて、作戦をやって本当によかったと凡太は実感した。
食事後、ソファの上でレベッカが凡太の膝の上に座りながら腕のマッサージを受けていた。満腹によるものなのか、マッサージの気持ち良さが要因なのかは分からないが、スヤスヤと眠りについていた。凡太はそんなレベッカをソファで横にして、かけ布団をかける。そこへ「せめて洗物だけでも」と最後の最後で自身が流されていたことに気づいたマリアが文字通り最後の仕事を終わらせてやって来る。手には2人分のお茶の入ったコップを持っており、1つを凡太の前のテーブルに置く。凡太は笑顔で会釈しながら一杯いただく。
「まぁ、この子ったら。ご迷惑をかけてすみません」
「いえ、いつもの事ですから」
この1週間、マッサージするとレベッカがうとうとし出すことが何日かあったので慣れた様子でそう答える。
「タイラさんに会ってからこの子は大分変わりました」
「そうですか?思春期だからいつ急な変化があってもおかしくないと思います。だから俺が原因ではないと思いますが…」
「そんなことはないです。この子、私と居る時はこんなにだらしないところはあんまりみせなかったですし」 そう言って優しい顔でレベッカを見るマリア。
「俺と居る時は大体だらしないですけどね…痛っ!」
レベッカが寝返りしたときに勢いをつけた腕が凡太の顔に直撃する。
「1週間という短期間で一体どんな手品を使ったんですか?」
自分じゃ思いつかなかった教育方法を聞く為、にじり寄ってくるマリア。どうやらどんなに言い逃れしようとしても逃れられない様だ。凡太は腹をくくり、話し出す。
「手品と言うほどのものでは…変わったとしてもそれはレベッカ自身の努力によるもので俺は何もしていませんよ。まず、レベッカには朝運動をしてもらうことで、内なる積極性を発生させるように努めました」
「内なる積極性?」
「はい。朝にちょっと激しめの運動を続けることで、行動意欲を生み出す脳内物質…えーと、精神高揚系の魔法のようなものが自然にかかるようになって、運動をやらないよりは格段に気分が良くなるのです」
「へぇ、初めて聞きました。物知りですね」
「俺の世界では一般教養レベルなので誰でも知っている知識です。なので、全然物知りの部類ではないですよ。それで、それと同時に行っていたのが同調効果による信頼関係の向上です。人は同じ作業を一緒に行うことで仲間意識が芽生えるので、それを利用してレベッカとできるだけ仲良くなろうと努めました。その甲斐あってレベッカが友達のように接してくれるようになったのです」
「なるほど。それでレベッカとあんなにも打ち解けていたのですか。道理で私じゃ無理なわけですね。一緒に居る時間が短いから」 残念な表情をするマリア。
「そう落ち込むことはありませんよ。これからは仕事の勤務時間が大幅に改善されたことで、2人で過ごす時間も増えるでしょうし、嫌でも仲良くなっていくと思いますよ。で、仲良くなったところでレベッカにとって、俺が落ち着ける場所のような役割を果たすので、こんな感じでだらけやすくなったというわけです。とにかく、運動を実際に行ったのはレベッカ本人ですし、こうなるきっかけを作ったのは自分自身の力です。だから、レベッカは本当によく頑張ったと思います」
「でもそのきっかけのきっかけを作ったのはタイラさんですよね?だから、頑張ったのはタイラさんでは?」
「いえ、それを言うなら1週間俺に居てほしいとレベッカが頼んだことが発端なのできっかけのきっかけのきっかけを作ったレベッカが一番頑張ったのです」
「いいえ!最初に会ったあの夜、私を助けようとする為に自作自演策をうってくれたんですよね?ですから、起源となるきっかけを作ったのはタイラさんで間違いないわけです。だから、一番頑張ったのはあなたです!」
「ぐぬぬ…俺が譲り合いで負けるだと?こんなことがあってたまるか!まだだ。まだ終わるわけにはいかん」
粘ろうとするも結局良い考えが浮かばず、
「俺の負けです…」
凡太が顔を歪めて敗北宣言。譲り合い合戦はマリアが勝利した。近年稀にみるどうでもいい内容の激闘だったが、本人達は真剣だった。その証拠にマリアも凡太も息を切らしていた。ここで、マリアが渇いた喉を潤す為、コップの飲み物をグビッと一気に飲む。
「わちしのかちでーす!」
呂律の回らない感じで勝利宣言すると、急に電源が落ちた様に寝てしまった。
「残念でした。俺の勝ちでーす」
凡太はそう言ってマリアに掛布団をやさしくかける。
凡太にとっての“勝ち”とは譲り合い合戦の勝ちではなく、この場から退散することだった。聖人マリアの今後の行動として「夜も遅いですし泊っていってはどうですか?」と誘ってくる確率が凡太の中で100%になっていた。聖人の厚意を断りきることは不可能なので、言われたら最後である。そうなる前になんとかして逃走経路をつくる必要があったのだ。しかし、聖人には隙が無かった。
(勝って安心した瞬間が一番隙だらけになるね。お茶がお酒にすり替わっていたことにも気づかないなんて。それにしても一杯で寝落ちするとは…。本当は酔ってもらって、思考能力が鈍ったところで、トイレを装ってシレっと逃げ出す算段だったんだけど、良い意味で計画が外れてよかった)
相手に隙が無いなら作ればいい。凡太は譲り合い合戦でわざと自分が負けることによって、マリアに優越感を与えて思考能力を一時的にマヒさせたのだ。強敵との戦闘でこれをやればかっこいいのだが、か弱い女性に対してやるとなれば、相当かっこ悪い行為である。そんなかっこ悪い男がドアに向かい歩き始める。どうやら帰るようだ。
「レベッカ、鍵はちゃんとかけておいてね」
「なんだ。ばれていたの」 狸寝入りに定評のあるレベッカが返事する。
「そりゃそうだろ。1週間も隣で寝続けたら、誰でもガチ睡眠かそうでないかは区別がつくようになるって」
「ふーん。で、本当に帰っちゃうんだ?別に泊っていってもいいのに」
「いいのぉ~?そしたらおじさん、今夜はハッスルしちゃうよ!ちょうど泥酔した淫らな人妻もいらっしゃいますしね。ケケケ…」
「それ、言ってて恥ずかしくないの?」
「凄く、恥ずかしいです…」
「だよね。あなたがいくら変態発言しようとちっとも怖くないの。小心者でめんどくさい性格の人間がそんなことするはずないからね。というか、何で毎回、人の厚意がきた時に不格好な変態発言で誤魔化す必要があるのよ」
「凄く、恥ずかしいからです…」 反省する様に俯き、顔を赤くするおっさん。
「変態発言よりその反応にドン引きしたわ…。あと、その反応されると私が説教しているみたいになってイジメている感じになるからやめてくんない?」
「うえーん!レベッカがイジメるよぉ~!」
「あ、ちょっと!逃げんな!」
レベッカの制止を聞かずに不格好な泣き真似をしておっさんがドアを開けて出ていく。
「まったく…。めんどくさい奴なんだから」
タメ息を吐きつつ、ドアの鍵を閉める。ふと下駄箱の上を見てみると200mlくらいの半透明の蓋つき瓶が手紙と共に置かれていた。手紙には“二日酔い改善用の薬です。よかったら使ってください”と書かれていた。レベッカはそれを読んでもう一度呟く。
「本当にめんどくさい奴」
今回はこの言葉とセットだったタメ息は発生せず、代わりにご機嫌な鼻歌が発声された。