第109話 すき焼き作戦
「今夜は何が食べたいですか?」
「すき焼きが食べたいです」
「すき焼き?」
「ざっくり言うと甘辛い醤油スープの中に野菜や肉を煮込んで食べる料理です。スープは俺が作るのでエケニスさんには野菜や肉の下処理をお願いしたいです」
「分かりました」
おわかりいただけただろうか?
マリアがまんまと誘導させられたことを。
常時マイナス思考の凡太は当然の事ながら夕食に誘われるパターンを予測し、対処法を練っていた。それが、このすき焼きの提案である。
まず、聖人マリアなら相手の食べたいものを用意する為に何が食べたいかを必ず聞く。そのときにもし自身が作れない料理を指定された場合はどうするだろうか。その場ですぐに調べて作っても相手が食べたいと想像した完成度のものを出せず、不満を与えてしまうと考え、大人しくするしかないはずだ。もちろん、すき焼きがこの世界で知られていないことは事前にリサーチ済み。よって、必然的に料理の主導権を強奪した。さらには、マリアの強奪された時の虚無感を取り除くべく、すぐに野菜と肉の下処理という作業を与え、公平感を演出したのだ。この下処理作業という名の助け船に乗らなければ、マリア自身の立場が不安定になるので、これを承認するしかない。そして、この承認は強制的にすき焼きの承認も含むので2重承認となる。こうしてマリアは知らぬ間に凡太のしいたレールの上に乗せられた。
なお、「食べたい料理は何?」と聞かれて「なんでもいい」と答えるのは相手に無駄な気遣いや料理の絞り込みで思考疲労させてしまうよろしくない返答なのでさけている。また、今回の場合ではそう答えてしまえばマリアのペースにはまるだけなので愚行だ。
3人は食品店に到着。店内はスーパーのように棚に食品が綺麗に陳列されていた。野菜や肉の保温装置は魔法研究所製の魔力をチャージすることで24時間一定温度を保てるものが使われていた。買い物かごを持ってレベッカ、凡太、マリアの順で入店する。マリアがちょうど入ったところで、店長らしき人がもの凄い勢いでやって来る。
「おめでとうございます!あなたでちょうど100万人目の来店となります。記念すべきあなたには特賞として新製品の高級すき焼きセットをプレゼントいたします」
「えっ?」
突然のイベント。マリアが状況をのみこむ前に次々とすき焼きセットの野菜や高級肉、鍋、すき焼きの素などが渡されていき、3人の両手は塞がっていった。
「以上です。またのご来店をお待ちしております!」
塞がった手を見て、中で買い物をする必要がなくなったと判断され、店長による強制退場が宣言される。
「あ、ありがとうございました」
まだ驚きを抑えきれていないマリアは最低限礼の言葉をひねり出すことに成功し、そのまま帰路につく。
「いやー、ラッキーでしたね」
「そうですね。びっくりしちゃいました」
マリアがまだ驚いている表情をするたびに凡太が嬉しそうな表情をする。
「これもエケニスさんの日頃の行いが良いからですよ」
「そんなことはないです。私は毎日当たり前の事をしているだけですし、その中に徳があったとは思えません」
「またまた~病院の先生や職員の人から聞いたんですが、自分の食べた食器をこっそり洗ってきれいにしていたり、率先して元気のない患者さんの話し相手をして雰囲気を良くしてくれていたそうじゃないですか。それはもう十分な徳だと思いますがね」
「先生達がそんなこと言っていたのですか?恥ずかしい」
「何も恥じることはないですって!むしろ誇るべき事です。なっ!人見知りのレベッカ」
「そうだよ、お母さん。自分が大変なときも他の人の為に動けるのは偉いよ。あー今日は重いもの持っているせいで腕パンパンだなー。どこかに気遣いのできない間抜けな暇人いないかなぁ?」
「喜んで持たせて頂きます、先生」 凡太がレベッカの荷物を半分肩代わりする。
「腕の張りがひどいなぁ。今夜もんでくんない?」
「畏まりました、先生」
「2人共、仲が良いのね」
「「ええ、とっても!」」
2人共、笑ってはいるが顔が少し引きつっていた。
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ラッキーとはそう簡単に起こるものであろうか?
否。
先程のマリアのラッキーは全て凡太の仕込みだったのだ。
事の発端は昨日、凡太がマリアの退院日に立ち寄ることが決定した日。決定後、すぐに対処策を練り、すき焼きを提案するところまで思いつく。そして、その食材をなんの不自然さもなく、まとめて入手させるイベントをつくれないか考える。
凡太が試験モニターになってくれる人を選別していた時に、いつもの癖でこの食品店の店員がいないときにこっそりと忍び込んで、保冷装置の動作不良になっている箇所の修理をしていた。このことが店長にバレてから、目をつけられるようになり(もちろん凡太本人はバレた自覚はない)、凡太の来店時に不要なものだからと言って旬な果物や野菜を店長から直々に手渡しされ、タダでもらうようになった。そのときに店長がもの凄い圧でやって来るので凡太は断れないでいた。なんだかんだで、二人は顔見知りになった。
すき焼きの食材調達をこの店に決めた時、それらがタダでまとめて手に入った方がマリアが喜ぶのではないかと考える。しかし、自分がおごる形で食材を購入したところでマリアが喜ぶはずはない。そこで考えたのが記念を装った新手の商品贈与詐欺である。食材や道具をあらかじめ自身で購入して用意した状態で、店長に渡して来店記念の一芝居をうってもらうことで、マリアが凡太の存在に気づくことなく贈与できると考えた。
(たまらん…たまらんぞ)
相手に気づかれることなく喜ばせることに快感を覚える変態は、この作戦のシナリオが完成したとき、歓喜で体を震わす。
しかし、その変態の作戦に誤算が生じる。店長にこの作戦を伝え、承認してくれたのは良いものの、食材や部材の費用は全てこちらでもつと言い出したのだ。他人を施すところで他人から施されては意味がない。凡太は必死で食い下がるも店長が引く様子はない。攻防が何時間も続いたところで「今後人気商品となりそうなすき焼きのレシピを教わったことで売り上げ向上が望めるから」という店長の一言が妥協点となり、事はおさまった(凡太は不満そうな顔をし続けていたが)。
ちなみに、野菜や肉などは全て下処理されている状態なので、鍋に投入して煮詰めるだけになっている。それを踏まえてマリアに野菜の下処理を振ったのだ。すき焼きの真新しさで驚いた状態を維持。マリアの仕事がなくなったことを悟らせない内に早急にすき焼きを完成させ、始めからそんな気負いがなかったかのようにする魂胆だ。
斯くして、すき焼き作戦は成った。この作戦により、マリアの運が使い果たされただろうが問題ないだろう。なぜなら、あの男がまた運を生み出してくれるからだ。