第101話 孤独とストーカー
レベッカにとって待ちに待っていない次の日の早朝がやって来た。レベッカは凡太に連れられ、公園へ。気温は18℃と丁度良く、服装はどちらも半袖短パンだ。なお、レベッカの髪はショートカットなので運動の邪魔にはならない仕様になっていた。
運動開始前。いつものように肩や足を回して関節を温める動的ストレッチを行う。レベッカは体を積極的に動かすことが約10年振りである為、この時点ですでに辛そうだったそんなことお構いなしにアップジョグに移る。息を切らし死にそうな顔をしながらも100mをなんとか走り切る。ふと辛い感覚と共に過去の事を思い出す。
レベッカが4歳の頃は活発でよく近所の子と一緒に外で遊んでいた。気遣い癖の片鱗はこの頃から現れる。他の子が怪我をしたり、体調を崩したらすぐに大人を呼びに行く。迷子になった子の親を一緒に探してあげる。など、誰に頼まれたわけでもないのに率先して行動していた。そんなレベッカは当然近所の子供達の中で人気者だった。
ある日、いつものように公園で駆け回って鬼ごっこをしているグループに混ざろうとしていると男の子に心ない事を言われる。
「足遅くてつまらないから混ぜてやーらない」
(私の足が遅いせいで皆の遊びをつまらなくしていた…。足が遅い事は迷惑なことなんだ)
この時期の子供の成長差からすれば個人差があって当然で、ましてや男の子の方が運動能力が高いに決まっているので、気に病む必要はない。しかし、気遣い精神が浸透しつつあったレベッカはこの言葉に大きなショックを受ける。そして、皆に気を遣わせるくらいなら遊ばないほうがましだと考えるようになった。こうして、外で遊ばずに他の子たちとの接点を断ったレベッカの人気はなくなり、存在を忘れられるまでになった。
(何で昔の事を思い出しているんだろう。嫌な思い出だなぁ…。鬼ごっこのときの離れていく背中の場面とか本当に最悪。なんでこんな最悪な思いをしなくちゃいけないんだろう…)
昔の事を思い出し、ただでさえ重かった足取りがさらに重くなる。
あまり苦しさに目を瞑って走っていたレベッカが、前方を確認する為、目を開ける。
「やっぱりだ。遅いと置いていかれる…。だから、走るのは嫌なのよ」
幼少の頃の話が事実なら、レベッカは運動が嫌いなわけではなく、運動によって誰かに置いてかれる感覚を嫌悪していたのだ。現在そのトラウマを絶賛体感中。
「もういいや…」
レベッカは今まで必死で走っていたことが急に馬鹿馬鹿しくなる。
どうせ自分のことなんて誰も見ていないんだし、これ以上走っても意味はないと結論を出し、足を止めようとすると――
「まだまだここからだぞ、レベッカ」
とっくに前に行ったと思っていた男が隣に居たのだ。
(この男の事だ。初日だし気を遣ってそういう対応をしているだけだろう)
幼い頃のトラウマはそう簡単に払拭されないもの。レベッカは卑屈になる。
この日は凡太への疑念が疲れを上回った為、なんとか最後までアップ30分をやり終えた。レベッカの体力不足を考慮し、一緒に行うのはここまでとなる。
「お疲れさま!明日もよろしくね」」
凡太は自分用のアップをする為、レベッカに手を振りながら走り去っていく。
(今日はずっと並走してくれたけど、明日はどうだろう)
レベッカは疲労した足と疑念を引きずりながら先に帰宅。
予想に反し、次の日も、その次の日も笑顔での並走が続いた
そして、1週間経過。最終日も並走は続く。
最終日ということで、レベッカは今まで言おうか迷っていた一番の疑問を吐き出す。
「なんでいつも私と並走するの?遅い奴なんて放っておいて先に行けばいいじゃない」
「レベッカを置いて先に行ってもつまらないじゃん。ってか、1週間よく耐えたね。筋肉痛もひどい状態のはずなのに、やるじゃない」
レベッカは混乱する。今まで、“足が遅いこと=つまらない”だったのに足が遅い事をつまらなくないとするどころか、褒めてくれたのだ。しかもその男は心底楽しそうな顔をしている。その顔が嘘じゃないか確認の為、聞いてみる。
「足の遅い奴と一緒に走っていてもつまらないでしょ?」
「全然!ってか、もう2週間頑張ってみない?ここからが伸びやすくて楽しくなるところだし、ここでやめるのは勿体ないと思う。だから、もう少し一緒に走ろうよ。頼むっ!」
男は足の遅い奴を追い出すどころか、引き入れて続行を懇願してきた。それに、自分と走ることを心から楽しんでいるようだった。
その様子をみて目から涙が自然に溢れる。今まで孤独を生み出す元凶だと思っていた走ることが、反対に孤独を消し去ってくれたからだ。そして、孤独を消し去った元凶に向かって返事をする。
「しょうがないから付き合ってあげる。おっさんが一人で走る姿なんて悲壮感しか生まないもの」
「おい、事実だけども…。そういうことは本人の前で言わないの。ところで気遣いはどうした?それに敬語は?」
「あなたに気遣いしたり、敬語で話すのは勿体ないと思っただけよ。だってつまらない私と一緒に走ってくれるつまらない人だもの」
「だから、レベッカはつまらなくないって!俺がつまらないのは事実だけども…。ってか、なんで泣いているんだ?」
「これは…汗よ!目から汗が出たって表現よく使うでしょ?」
「使わないよ。まさか気遣いは涙と一緒に流した的な事を言うんじゃあるまいな」
「だから、汗だって!しつこいなぁ」
「ストーカー男だからな、当然だろ?」
「あと500mガンバロー」
「あのーレベッカさん?無視しないでいただけます?」
レベッカは先程の弱々しい消極的な走りと打って変わり、能動的で力強い走りになっていた。彼女本来の身体能力には何の変化もないが、今まで抑制されていたものが解放されたからだ。レベッカを劇的に変えたのは、運命の人とかドラマチックなものではなく、ストーカー男という最低なものだった。しかし、彼女はそれを感じさせない幸せそうな顔で走っていた。