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漫画ではよくあるのに実際にはあり得ないシチュエーション

作者: アオイミチ

 昼間ギラギラと肌を照り付ける太陽は、下校する頃になると一気にその力を弱めていた。だが日差しが弱くなっても、じめじめして肌にまとわりつくような不快感からは解放してくれなかった。


 優斗は学校の帰り道を一人で歩いていた。海に面する街であるため、どこを向いても海が見える。小さい頃から見慣れた風景だった。高校の友達とは家の方向が違うため、優斗はいつもここを一人で通る。いつもと変わらない景色。いつもと変わらない日常に嫌気が差さないわけではない。だが、そういった刺激ももどうしようもない気怠さと共に日常の中に溶けていった。


 ここは昔から小さな漁港があるだけの小さな町だ。御多聞に漏れず、若者が都会へ流出し、めっきり過疎が進んで久しい。優斗が通う高校もかつてはマンモス校であったらしいが、今や各学年2クラスずつしか残っていない。来年からは1クラスになるではないかという噂もささやかれている。


 優斗にまとわりつく空気の不快感がさらに増していた。西の空を見ると不穏な気配を漂わせた黒い雲が姿を見せようとしていた。


「ああ、これは一雨くるな。やっべ、傘忘れてきた」


 優斗は自分の迂闊さを嘆いた。この時期の夕立はとても傘なしでは耐えられない。優斗は少し小走りで帰ることを考えたが、それだとさらに汗をかいて、制服とシャツが体に張り付いた不快な状態に拍車がかかるのではないかと思い、考えを一旦止めた。


「はぁ、めんどくさいな。早く家に帰ってシャワー浴びたい」


 だが、自然はそんなに甘くはなかった。急にポツポツと大粒の水滴が落ちてくるのを感じた途端、滝を打つような勢いで雨が降ってきた。


「ああっ、もう」


 優斗は鞄を頭に乗せて走ることにした。このまま帰ったらどうせ雨でびしょ濡れになるため、汗をかくことを気にしている場合ではない。


 しばらく走っていると、バス停が見えた。バス停といっても今はバスなどは走っていないため、ただのモニュメントと化したものだ。だがペンキが剥げ、ところどころ柱も板も腐って頼りないそのバス停も、屋根があるという意味において今は頼もしい構造物だ。


 優斗はそのバス停で小休止することにした。


 すると、そこには先客がいた。


「ん? 優斗?」


 真琴だった。ベンチに腰掛けて体を拭いていた。


 真琴は優斗の幼馴染で親同士の仲がよいため、小さい頃からよく一緒に遊んだ仲だ。だが優斗が中学に上がり男友達とよくつるむようになってからは、真琴も女同士で遊ぶようになり少しずつ疎遠になっていった。同じ高校に進学したのは知っていたが、お互いほとんど話すことなく過ごしていた。


「おっ、なんだ真琴か」

「何? そのがっかりした感じ。幼馴染の私がいたことがそんなに残念だった?」


 真琴がバス停にいたことは、優斗にとっては不意打ちだった。心の準備をする時間がなく、ついぶっきらぼうに話しかけてしまった。


「そ、そんなことねえよ」


 優斗は必死で取り繕うとするがそんなに器用な性格ではないため、目を合わすこともできず、上手い言い訳も思いつかなかった。


「あー、分かった! 優斗あれでしょ、テニス部の沙樹がいたらいいなって期待してここに来たんでしょ? あーあーすみませんね。クラスのマドンナの沙樹じゃなくて。あれでしょ? 沙樹がいたら『さあこれで髪を拭きなよ』とかいってハンカチ差し出したりするんでしょ。あと『実は傘持ってるんだ。これ以上濡れるといけないから送っていくよ』とか言って、ちゃっかり沙樹と合い合い傘で帰って、あわよくば沙樹の家まで行こうって腹積もりだったんでしょ」


 真琴は昔からよく喋る。優斗は小さい頃からうんざりする程聞いてきたので慣れているはずであったが、真琴の声を聞くこと自体が久しぶりのため、不覚にもちょっと懐かしいと思ってしまった。


「ん? どうしたの? ぼーっとして。もしかして図星だった?」


 真琴はポニーテールを揺らしながらニヤニヤして優斗の顔を覗き込む。


「ばっ、馬鹿。違うよ。っていうか何それ? 妄想が過ぎるんだよ。お前の気持ち悪い願望なんて聞きたくねえよ」

「ばっ、馬鹿。違うよ。ぜんっぜん違うし。あんたがいつも考えてそうな気持ち悪い妄想を私が代わりに代弁してあげたんじゃない。感謝しなさいよね」


 真琴はムキになって立ち上がって優斗に咬み付く。



 真琴が優斗と向い合った瞬間、優斗の動きが急に止まった。


「ん? どうしたのよ急に動かなくなっちゃって」

「ばっ、おまっ……」


 

 優斗が両手を顔の前に広げて目を逸らした。真琴は自分の服に何かついているのかと思い、自分の身体を改めて見直した。すると、上半身は雨にやられてびしょ濡れになっていた。びしょ濡れになって制服のブラウスが肌に張り付き、その下の下着までがくっきりと浮かび上がっていた。


「っ…‥‥」


 真琴は咄嗟に腕で胸を隠し、優斗に背を向けた。真琴は恥ずかしさで呼吸が苦しくなり、何も言い返せなくなってしまった。


「み、見えた?」

「い、いや。全然。何も見てない……はず」

「……優斗のスケベ」


 その言葉は優斗にボロを出させるのには十分だった。


「はっ、何でスケベなんだよ。お前がこっちに見せてきたんだろ」

「あー、やっぱり見たんだ。スケベ、エッチ、変態。しかもさっきは見てないとか言って嘘ついた! ばかばかばかっ。噓つきの変態」

「お前が見せてこなかったら見てないんだよ。っていうかこっちは見たくもないしな。お前こそ何だよ柄にもなく色気づいたもん着けやがって。見せる相手もいないくせに」


 優斗は思わず『しまった』と思った。調子に乗って言わなくていいことまで言ってしまった。


「……酷い」


 既に遅かった。時間を巻き戻してやり直したくても戻ってはくれない。真琴は目に涙を貯め始めた。こぼれないよう堪えていたが、頬を伝う前に下を向いた。そのせいで堪えていた涙が地面を打つ。


「……ご、ごめん。言い過ぎた。悪かった」


 優斗も下を向いた。浅はかな自分が嫌になり自己嫌悪に陥る。例え真琴が顔を上げたとしても、正面から顔を見ることができる自信がなかった。ただただ誤ることしかできない自分にもさらに嫌気が差してきた。


 真琴から目を逸らした先に真琴の鞄が見えた。よく見ると真琴の鞄からは折りたたみ傘が少し顔をのぞかせていた。


(えっもしかして、真琴は俺を待って……いやそんなはずはない。そんな偶然はない。でも待てよ。俺がこの道を通ることは真琴は知っている。いつも俺は一人……いやいや落ち着け。考えても答えが出るわけではない。ここはこの状況を何とかしないと……)


 二人の間には一瞬とも永遠とも思えるような時間が流れた。二人は外の雨が小雨になってきていることに気が付かない程、それぞれの世界に入り込んでいた。


 優斗はポケットからハンカチを取り出す。


「ほら、使えよ」


 真琴はまだ下を向いたまま顔を上げない。


「ハンカチくらいあんたに借りなくても持ってる」

「でも、さっき髪を拭いたから濡れちゃってるだろう。いいから使えよ。ほらっ」


 優斗は無理やりハンカチを押し付ける。真琴は下を向いたまま、押し付けられたハンカチで自分の顔を拭いた。


「あと、ほらこれも使えよ。あっ、ちょっと濡れちゃってるけど、まあ大丈夫か」


 優斗は自分のリュックの中からジャージを取り出して真琴の肩に羽織るようにかぶせた。


「何で、このクソ暑いのに長袖ジャージなんか持ってんの? 馬鹿じゃないの」

「う、うるせーな。教室のエアコンが寒いんだよ。女子もいっつも上になんか羽織ってるだろ」

「男子がエアコンの温度すぐ下げるから寒いんだよ。女子は体冷やさないよう気を付けてんだから」


 女子……なんだなと思った。真琴とは小さい頃は男とか女とかを気にせず遊んでいた。しばらく遊ばない内に真琴は女子になったんだなと改めて思った。目の前にいる女子が、自分の知っている真琴ではないのではないかと錯覚しそうになる。


「顔、上げてくれ。俺が悪かったから」

「やだ」

「何でだよ。誤ってんじゃんかよ」

「やなものはやなの!」


 優斗は一旦大きくため息をついた。そして、真琴の鞄から傘を取り出そうとする。


「傘……持ってんじゃんかよ」

「う、うるさい。急に降ってきたし、鞄の底から上手く出てこなかったんだよ」


 聞いてみれば何てことないことだった。優斗は考え過ぎて少し期待した自分が恥ずかしくなった。


「傘持ってるんだったら、使おうぜ」


 優斗は真琴の傘を取り出して広げた。


「ほら、顔上げたくないならそのままでいいから行くぞ。このままここにいても風邪引くだけだしな」


 幸い二人は幼馴染だ。帰る方向は一緒である。


「……うん」


 真琴は下を向いたま頷いて優斗が差した傘に入る。歩き出そうとして、二人はやっと気が付いた。


「あっ……」

「あっ……」


 雨はとうに上がっていた。急に振り出した雨は上がって、雲の隙間からうっすらと赤く染まった空が見えた。


 優斗は傘をたたみ、真琴に返した。


 二人は歩き出した。真琴はまだ下を向いたままだった。


「前向いて歩かないと危ないぞ」

「ん……こうすれば大丈夫」


 真琴は優斗の鞄を掴んだ。


「それだと歩きにくいんだけど」

「うるさい、馬鹿」


 雲が晴れて大きな茜色の空が広がった。海がそれを反射して赤く染まっていた。


 二人はその反射した光に照らされながら帰路についた。


 







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