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ハインツ翁という男 その2


 三年前の出会いから、ハインツ翁の心は何一つ変わっていない。

 自分の役目はギルベルトの家庭教師として、彼に魔法の知識を付けさせること。魔力をコントロールさせること。他に類を見ない全属性持ちという個性を伸ばすこと。そして何より、その力に溺れないように育てること。

 そんなギルベルトの妹であるフランツェスカが急に魔法を学びたいと言い出したと、侯爵夫人のアンネリーゼから聞いた時は驚いた。兄が魔法を勉強しているところを見て興味を持ったのだろうか?

 ギルベルトもそんな妹を心配していたが、フランツェスカの意思は固いようだった。しかもその理由が、強くなって自分や家族を守るためだと聞いた時、やはり兄妹なのだなとしみじみ思ってしまったものだ。7歳であそこまで魔法の勉強に積極的な令嬢は珍しいだろう。ああいう子どもをお転婆と言うのかも知れないが、同時に将来が楽しみでもある。


 フランツェスカの魔力鑑定を終え、その日はギルベルトの復習も兼ねて実践よりも座学を優先したハインツ翁は、兄妹の授業を終えた後、アンネリーゼとの面会を望んだ。


「急なお願いにも関わらず、フランツェスカの指導まで引き受けてくださって、本当にありがとうございます。ハインツ先生、フランツェスカはどうでしたでしょうか?」


 普段の子どもたちを愛する母親の顔から、夫の留守を預かる侯爵夫人として凛とした表情に変わっているアンネリーゼは、ハインツ翁にテーブルを挟んだ反対側のソファーをすすめ自分もソファーに腰掛けた。


 この国の状態については、現役を退いた身とはいえある程度の情報は集めるようにしている。ハインツ翁本人は権力など求めていないが、ハインツ翁を取り込むことで権力を増せると信じている貴族は多いのだ。こんな老骨にそれ程の価値は無いとどれだけ訴えたところで、権力志向の貴族たちは価値を付けるのはこちらだと冷笑するだろう。

 しかしこのクラウゼヴィッツ侯爵夫妻は、ハインツ翁を尊重し、子どもたちの家庭教師以外の役割を求めなかった。夫妻はハインツ翁のこれまでの功績と人柄から、息子の家庭教師に相応しいと判断しただけで、それ以外の下心は一切無かった。

 それを王宮で宰相として十分な権力を持っているクラウゼヴィッツ侯爵の傲慢と批判する貴族はいるのだろう。利用できるものを利用しない愚か者だと嘲笑う貴族もいるのだろう。だが、ハインツ翁はそんなクラウゼヴィッツ侯爵の潔癖なまでの律儀さが心地良かった。だからこそ、そんな夫妻の力になりたいと考えている。


「奥様。ご子息のみならず、ご息女までこの老骨に預けてくださったこと、誠に光栄に思います。早速ですが……お嬢様の得意属性についてお話がありますので、人払いをお願いできますかな?」


 得意属性は、魔法を使っていれば自然と他人にバレるものではあるが、自分の弱点を知られるという諸刃の剣という観点から、幼いうちは使用人にも隠しておく家庭は多い。高位貴族となればそれは当たり前である。

 ギルベルトのような多くの人に知られてしまった天才は例外とはいえ、魔法の勉強を始めたばかりのフランツェスカの得意属性は隠して当たり前なので、アンネリーゼはほとんどの使用人たちを下がらせた。残ったのは執事のオイゲンと、フランツェスカの侍女であるベルタのみである。


「さて……奥様、どうか落ち着いてお聞きください。お嬢様は、炎属性と光属性の二属性持ちであることが判明致しました」

「二属性持ち……!? フランツェスカまで……」


 アンネリーゼは思わず淑女の微笑みを崩し、両手を口元に当て動揺した。勿論、フランツェスカが希少な才能を持っているということに対して嬉しい気持ちはある。しかしそれ以上に、ギルベルトのみならず、いずれフランツェスカまで注目を浴びるようになるのが恐ろしいという感情もあった。

 全属性持ちという史上初の天才の兄と、国内で10%に満たない二属性持ちの妹。そんな兄妹を人々はどう思うだろう。しかもそれが、冷血宰相と冷たい視線を浴びる侯爵の子どもなのだ。どうか平穏無事に生きて欲しいと願うアンネリーゼを嘲笑うかのように、子どもたちは天から類稀なる才能を授けられてしまった。


「ああ……あの子たちには、穏やかに生きて欲しいのに……」

「奥様の懸念は、よくわかりますとも。不安になるのはもっともです。しかし、それをお子様方に悟らせてはなりません」


 青ざめて震えているアンネリーゼの背を、侍女のベルタが撫でて落ち着かせる。アンネリーゼは深呼吸をしてからハインツ翁の言葉に応えるように気丈に顔を上げて、まっすぐ前を見据えた。

 フランツェスカの二属性持ちという才能自体は、希少で素晴らしいものだ。母親として早く祝いたいという気持ちに嘘は無い。フランツェスカの才能をのびのびと育てるためならば、不安など飲み込んでいつも通り笑っていなければならないのだ。


「ええ、わかっております。フランツェスカの才能は素晴らしいもの。我が家がどんな状況であろうと、それは変わりません。どうかあの子の才能も、存分に伸ばしてあげてくださいまし」

「心得てございます」

「フランツェスカは、わたくしを守るために魔法を学びたいと……そう言ってくれるような、優しい子です。もしあの子が望んでも、攻撃魔法のような危ない魔法は……」

「勿論、まだ年端も行かぬ子どもに攻撃魔法など教えられません。身近な人を守りたいと強く願っているならば、まずは護身に使える魔法――例えば魔法障壁や、目くらましに使える魔法から勉強させましょう。しかし、当面は座学です。魔法の基礎を学んでいる間に、どうか侯爵様にお伝えを。出来れば、ご夫婦と私と三人でもう一度相談したいと思うのですが……」

「はい。旦那様には一度屋敷にお戻りくださるよう手紙を出しますわ。どうかフランツェスカのこともギルベルトのことも、よろしくお願い致します」

「承知しております。今日は、どうかお嬢様方を褒めてあげてくださいませ」


 深々と頭を下げるアンネリーゼにこちらも深く礼をして、ハインツ翁は面談を終わらせた。

 執事のオイゲンに見送られ、屋敷の外に停めてあった馬車に乗り込む。馬車の中で一人になったハインツ翁は、そこで小さくため息を吐いた。


「(まさかあれほど稀な才能を持った兄妹がいようとは。長年生きてきた中で人も世界も知り尽くしたつもりでいたが、人生とはわからんものだ……)」


 すっかり暗くなった夜道を、馬車は走っていく。思い出すのは、今日の幼い兄妹のことばかりだ。そして、娘の才能を喜ぶと同時に、その身に降り掛かるであろう苦難を考えてしまう夫人。子どもを自分の政略の道具としか見ていない貴族も多い中で、あそこまで真摯に子どもの将来を慮ることのできる大人が果たしてどれほど存在するというのか。


「本当に、あの子たちの親があの夫妻で良かった。あの方たちのためなら、この老い先短い身でも力を尽くそう……」


 そんな殊勝なことを言葉にはしてみたものの、その口元は笑みの形に曲がっていることは、ハインツ翁自身がよく分かっていた。

 夫人の前ではしおらしく振る舞っていたが、実は彼だってずっと興味津々なのである。全属性持ちの天才少年にも、二属性持ちの少女にも。これからあの兄妹がどんな出会いをして、どんな魔法を使って、どんな道を歩むのか。その成長を最前列で見守ることのできる自分がどれだけ幸運であるのか、そう考えるだけで自然と笑みが零れてくる。


「ほっほっほ。若人の成長を見守ることほど、長生きの秘訣は無いわい。人生まだまだ楽しいことが尽きんのう!」


 権力に興味はなく、金にも興味はなく、名誉にも興味はなく、ただ魔法と将来性のある若者が大好きなだけの好々爺。無敗の魔導師、この国の賢者と呼ばれたハインツ翁が実はけっこう愉快な性格をしていることは――彼を敬愛する教え子たちしか知らないことなのだった。


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