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ハインツ翁という男


 これは遡ること三年前の話だ。


 この国の貴族――特に高位貴族は、15歳から学園に通う前にこの国の基礎知識や礼儀作法、そしてある程度の魔法を家庭教師から学ぶ。礼儀作法はどんな家でも5、6歳頃から勉強を始めるが、魔法を学び始めるタイミングは家によって数年の差がある。

 通常、どんな貴族の子どもでもまずは家庭教師による得意属性の鑑定から入る。そして親が家庭教師から我が子の得意属性を聞き、得意属性から将来の方針と今後の授業の方針を相談するのが一般的だった。

 勿論、ここで決まるのはあくまで仮置きの方針だ。次の授業で子どもから将来の希望を聞き、特に決まっていなければ親と家庭教師が決めたその方針を進める、子どもの希望があれば親と子と家庭教師の三者面談で方針を調整するのが望ましいとされている。

 だが、望ましいとされているだけで、実際は親の政略で望まぬ方針を強いられる子どもも少なくない。もしくは、優秀な子どもを育てた家庭教師は箔がつき、高位貴族から家庭教師に請われることも多くなるということから、親に黙って家庭教師の望む方針に進まされる子どももいる。


 故にクラウゼヴィッツ侯爵家は、子ども――魔法の天才である嫡男ギルベルトに、魔法を教える家庭教師選びは特に慎重だった。


 ギルベルトは魔法を本格的に勉強し始める前から、無自覚に魔法を扱う程の天才だった。とある使用人がそれに気付き、主人であるジーモン=クラウゼヴィッツ侯爵に進言した時、ジーモンは正直なところ半信半疑だった。

 だがクラウゼヴィッツ侯爵家の使用人は、下級使用人に至るまで侯爵家の親戚筋や同じ派閥の貴族家からの紹介状が無いと採用されない――つまり身元が確かで信頼に足る人間ばかりであり、侯爵家への忠誠心も高い者たちである。故にその進言も一笑に付すことなく、他の使用人たちからも聞き取りを行ってきちんとした調査を行った。

 すると、下級使用人たちから驚くべき証言が得られた。


『以前ギルベルト坊っちゃまが、洗濯に使っていた冷たい水を暖かいお湯に変えてくださったことがあります――』

『曇り空の日にシーツがなかなか乾かなくて困ってたら、強風であっという間に乾かしてくれたりして――』


 平民である下級使用人は、学園に通わないので親や勤め先から生活に必要な魔法を教わる。幼い頃から働いていればその分早く魔法を教わるのだ。そのため、まだ幼いギルベルトが魔法を使えても不思議に思うことはなかった。さすが侯爵家の坊っちゃまは幼い頃からこんな魔法を使えるんだな、と感心していただけだったのだ。

 ギルベルトが下級使用人ばかり助けていたのは、単にそちらの方が大変な仕事だったり、目に見えて困っていたからだろう。実際、今回助けたのは、部屋の模様替えで重そうな花瓶を運ぶ上級使用人だった。

 高級な花瓶だったので丁重に運ぶ必要もあり、下級使用人に任せずゆっくり運んでいたところ、たまたま通りかかったギルベルトが風魔法で重さを軽減しようとしたというのだ。ちなみに花瓶を持ち上げる程の下からの急な強風で花瓶は使用人の手を離れ宙を舞い、使用人は一緒に吹き飛ばされて悲鳴を上げた。吹き飛ばされて怪我こそしなかったものの、寿命が縮んだ使用人は慌てて主人に報告したのである。ちなみに花瓶は別の使用人がファインプレーでキャッチしてくれたらしい。


 善意の被害を受けた使用人もいたものの、複数の使用人たちからの報告はギルベルトの魔法で助かったという好意的なものばかりだった。

 被害を受けた上級使用人も、ギルベルトは自分のためを思ってやってくれたということは理解しているし、それにあの歳で無自覚で魔法を使えるなんて物凄い才能に違いありませんと彼を褒め称えていた。勿論、上級使用人にはギルベルト本人からきちんと謝罪をさせたが。


 ならば試しに、とジーモンは物置にしまってあった鑑定盤をギルベルトに渡して得意属性を検証したところ、まさかの六属性全てが光り屋敷中を混乱させる結果になった。

 古い鑑定盤だから壊れているのでは?と意見を受け最新の鑑定盤を購入したものの、やはり結果は全ての属性が光った。ジーモンはこの事態を重く受け止め、使用人たちには箝口令を敷き国王に報告した。

 王家に仕える魔導師団でも鑑定してもらったが、やはりギルベルトの得意属性は全属性であるという結果は覆らなかった。二属性持ちですら国内の10%に満たないのに、全属性持ちなど長い王国の歴史を紐解いても前代未聞である。

 魔導師団は大興奮でギルベルトを保護という名目で魔導師団に置きたいと提案してきたが、ジーモンは断固拒否した。ギルベルトが嫡男だからという理由もあったが、なるべくギルベルトに自分が『特別』だと思わせたくなかった親心もある。

 ジーモンから見て、ギルベルトは小さな妹を守ることに夢中になっている兄であり、まだ7歳の幼い子どもだった。いずれは侯爵家の跡取りとして教育していくものの、天才だと周囲から持て囃され、そして他人とは違うのだと孤独になっていくような将来は望まなかった。

 特に、幼い兄妹を引き離すようなことはしたくない。フランツェスカに触れることで小さく弱き者を守る心を育てているギルベルトは、その延長で困っている使用人にも無自覚に魔法を使って助けているのだ。そういう心はいずれ貴族として大切な高貴なる者の義務(ノブレスオブリージュ)の精神にも繋がっていくと、ジーモンは確信していた。


 魔法の天才であるギルベルトに一切の偏見を与えず、利用するような真似をせず、過剰な特別扱いをせず、それでいて腕のいい家庭教師を探すのは困難を極めた。

 ギルベルトの噂を聞き付けて我先にと自分を売り込んでくる家庭教師は後を絶たなかったが、ジーモンは決して妥協しなかった。

 そして、ジーモンがどうか息子の家庭教師にと一年掛けて屋敷に通い頭を下げ、ようやく了承を得たのがハインツ翁である。


 ハインツ翁――若い頃は魔導師団の団長として勤め、彼が着任していた時代は黄金時代と呼ばれる程、人々は魔物の恐怖に怯えずに済んだと言われる生ける伝説。深い知識と確かな技量で、現役を退いた後も魔導師団で教官として優秀な魔導師を育て、時には国立学園や国立魔法研究所に臨時講師として招かれた。

 彼は希少な二属性持ちだったわけでもない。特別魔力が高かったわけでもない。ただ、『負けなかった』だけだ。

 魔導師団の団長時代も、教官時代も。二属性持ちが相手でも、自分より魔力がある相手でも、恐ろしい魔物が相手でも。諦めず、何手先も相手の手を読み、しぶとく生き残って反撃の機会を待ち、そうして巡ってきたチャンスを決して逃さなかった彼は負けなかった。

 そうやって無敗の魔導師として名を挙げても、彼はひとつも驕らなかった。


『私はただ、負けなかっただけですから』


 どんな賞賛を浴びても、賢者と褒めそやされても、ハインツ翁はそのように目を細めて謙遜したという。


 しかしどんな無敗の魔導師でも老いには勝てず、そろそろ隠居を決め込もうと思っていたところ、クラウゼヴィッツ侯爵から家庭教師の打診を受けた。

 最初は年を理由に断るつもりだったが、この国の侯爵である彼自らが一年間、何度も時間を作り自分より身分の低いハインツ翁を訪問し頭を下げたこと、ギルベルトの話を聞いた時、彼が心から息子の将来を案じていることに心を打たれ、遂には家庭教師を引き受けた。


 家庭教師として訪れたクラウゼヴィッツ侯爵家にて侯爵夫妻にギルベルトを紹介された時、ソファーに座っていた少年は自分の肩にもたれかかって微睡む幼い妹の髪をゆっくりと撫でていた。陽の当たるソファーで寄り添う兄妹は、まるで絵画のように美しかった。天才と呼ばれる少年の穏やかで優しい微笑みを見たハインツ翁は、この幼い兄妹の平穏を守ろうと奔走するクラウゼヴィッツ侯爵に心から敬服した。


「侯爵様。奥様。この老骨に大切なご子息の家庭教師という大任をお与えくださったこと、改めて感謝申し上げます」


 微睡んでいるフランツェスカを侍女に預けてギルベルトに挨拶させようとする侯爵夫妻を引き止め、ハインツ翁は深く礼をした。それは、この尊きものを守り抜く決意をしている両親への敬意であり、その一時を任せる程に信頼されていることへの感謝でもある。


「こちらこそ、この国の賢者である貴方に家庭教師として来て頂けて、本当に良かった。どうか息子をよろしくお願い致します」


 ジーモンもまた、ハインツ翁に最初に家庭教師を打診した時と同じく深い礼をした。隣の侯爵夫人も瞳にうっすらと涙を浮かべながら同じく頭を下げる。この誠実な夫妻が天才であるギルベルトの両親であることを、ハインツ翁は天に感謝したのだった。



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