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ポンコツ悪役令嬢、7歳 その2


 それから母親のアンネリーゼ=クラウゼヴィッツ侯爵夫人が治癒師とベルタを引き連れて部屋に飛び込んできたのは、フランツェスカがちょうどコップの水を飲み干した頃だった。


「ツェスカちゃん! 熱は下がった? 体調はどう?」


 アンネリーゼはベッドの上に座るとフランツェスカの頬を両手で包み込み、ぺたぺたと触って熱がないか確かめている。暖かい手のひらの感触にムズムズしたものの、母の温もりが嬉しくてフランツェスカは目を細めた。


「お母様、もう大丈夫ですわ。心配を掛けてごめんなさい」

「まぁツェスカちゃん、母が可愛い我が子を心配するのは当たり前です。本当に無理はしていない? さぁ、治癒師にもう一度診てもらいましょうね」


 治癒師はこの世界では医師のような職業だ。この世界には魔法が存在し、その魔法の力によって日々の生活が成り立っている。


 この乙女ゲームの世界観は、剣と魔法と魔物が存在し、封建社会で世襲君主制で国民は貴族と平民に分かれているというファンタジーものである。背景の建物は中世風であるものの、風呂やトイレ、食事等は現代並であり公衆衛生の概念もある。しかし科学の代わりに魔法が発達した世界ということで、現代のような医療やテクノロジーは存在しない――そんな、よくある設定の世界だった。

 そんなことをぼんやりと思い出しながら、治癒師が展開した魔法陣をフランツェスカは見ていた。設定といっても、この世界は間違いなくフランツェスカが7歳まで過ごしてきた世界で、現実である。それをきちんと認識できたのか、前世の記憶はまるで一冊の辞書のように頭の中で整理された。その知識が欲しい時は頭の中で辞書を引くような――そんな認識でいると、現実と前世の記憶がごちゃごちゃにならずに済む。


「熱も下がりましたし、これ以上の異常は特に見当たりませんな。あとはとにかく安静にすること。滋養のつく食べ物を少しずつ食べさせて、水分補給も忘れないようにしてください。そうすれば自然と快方に向かうでしょう。また何かあればすぐにご相談ください」

「ありがとうございます。謝礼は執事に用意させてありますわ。応接間に待機させているので、受け取ってくださいまし」


 治癒師の診断でやっと安心できたのか、アンネリーゼもベルタもほっとした様子で表情を緩める。アンネリーゼはフランツェスカのベッドに腰掛け、彼女の小さな頭をゆっくりと撫でながら礼を言った。その言葉で治癒師は一礼して部屋を出ていく。侍女のベルタはフランツェスカから空になったコップを受け取り、新しい水を注いでいた。


「お嬢様がこれ以上目覚めないようでしたら、屋敷での診察ではなく入院も考えていたのですよ。その相談でちょうど治癒師様が屋敷を訪れていて、ようございました」

「ええ、そうなの。ツェスカちゃんが目を覚ましてくれて本当に良かった……でも、油断は禁物ね。ベルタ、しっかり見てあげて頂戴ね」

「勿論でございます、奥様」


 ベルタから水の入ったコップを受け取り、こくこくと小さな喉を鳴らしながら水を飲むフランツェスカを愛おしそうに眺めているアンネリーゼ。その視線には紛れもなく母の愛が詰まっていて、フランツェスカは自分が愛されていることを実感した。


 フランツェスカは、自分の家族についての前世の情報を、頭の中の辞書から引き出す。ちょうど本編シナリオ4章にて、フランツェスカの家族についての情報が明かされていたからだ。


 特にこの時代にとって重要な人物は、フランツェスカの父だろう。

 フランツェスカの父、ジーモン=クラウゼヴィッツ侯爵は、王宮にて宰相を勤めている。家族と国を何より愛し、厳格で堅物だが法を重んじ、国王からの信頼も厚い立派な人物だ。しかし、彼はとある理由から王宮中で『冷血宰相』と囁かれ、貴族たちからの批判や冷ややかな視線に晒されている。

 彼が冷血宰相と呼ばれることになった理由こそが、国王と共にのべ10年にも渡る時間を費やした『大改革』である。

 その大改革によって王宮に蔓延る悪徳貴族や大貴族の力を削ぎ、権力を司法や王室など然るべき機関に分散させる法案を通した結果、クラウゼヴィッツ侯爵家は力を削がれた貴族たちから恨まれた。フランツェスカも幼少時代から友人を失い、更に誘拐や脅迫状に怯えながら過ごしたエピソードが配信された時はユーザーたちは皆涙した。


「(そういえば、本編シナリオの時間軸はこの大改革が終わった直後――だから、わたくしは何かとつけて周囲から『悪役令嬢』って言われていたんだわ)」


 冷血宰相の娘とあっては、他の貴族にとっては鬱憤晴らしにいい的だ。しかし、その大改革について大っぴらにフランツェスカに喧嘩を売れば、国王も尽力した大改革に文句があるように捉えられてしまう。

 故にフランツェスカ個人の言動を見張り、些細なことで批判したり揚げ足取りをしていたのだと思われた。鈍感なヒロインがポンコツ悪役令嬢フランツェスカのことをほとんど脅威と感じていない様子だったのに、周囲からはしっかり悪役令嬢扱いされていた理由はこれである。


 のべ10年の大改革が終わったのがフランツェスカが15歳で学園に入学する時なのだから、そろそろ王宮ではクラウゼヴィッツ侯爵と国王による大改革が動いている頃だ。


「ツェスカちゃんの容態が回復したことは、旦那様に手紙を出しておかないとね。きっと心配していたでしょうから」

「お父様は、今日も王宮ですか?」

「そうよ。お仕事がお忙しいみたいで、やっぱりなかなか帰ってこれないって……でも、とっても大切なお仕事らしいわ。寂しいだろうけど、ツェスカちゃんはいい子で待っていられる?」

「はい、お母様。わたくし、お仕事を頑張っているお父様を応援しますわ!」

「まぁ、旦那様もきっと喜ばれるわ」


 いくら宰相職でも普通は王宮に泊まり込んでまで仕事はしないだろう。クラウゼヴィッツ侯爵は大改革の最中は家族に危険が及ばないように遠ざけていたと本編シナリオテキストにあったので、家に帰らないことで家族を軽んじるように見せる一環なのかも知れなかった。軽んじられるような家族ならば、政敵からは誘拐して人質にしたとしても大した効果は得られないと思われることを目的としたパフォーマンスなのだろう。

 そこまでパフォーマンスしても尚、本編シナリオの過去でフランツェスカは誘拐や脅迫状に怯えていたのだから、クラウゼヴィッツ侯爵家にとってこの大改革がどれほど危険な綱渡りなのかを再確認する。いくら国王が味方とはいえ、大多数の貴族から反対されてしまえば無理やり押し通すことは出来ない。


 フランツェスカは考える。前世の記憶を思い出した今の自分にできることは何か? 国の改革という大役を背負った父の憂いを、少しでも減らせることができないか?

 そしてフランツェスカが出した答えは――そう、“強さ”である。


「お母様、わたくし、魔法を勉強したいですわ!」


 ベッドから身を乗り出さんばかりの勢いで告げるフランツェスカを見て、アンネリーゼはぱちくりと瞬きした。


「ツェスカちゃん? 急にどうしたの? 確かにいつかは魔法のお勉強も必要だけど……今すぐ始める必要はないのよ? ギルちゃんだって、ちゃんと勉強を始めたのは確か8歳くらいからだったわ」


 アンネリーゼがギルちゃんと呼ぶ人物は、フランツェスカの4歳年上の兄であるギルベルト=クラウゼヴィッツ侯爵令息だ。将来はクラウゼヴィッツ侯爵家を継ぐ嫡男であり、11歳という子どもながら既にその名を知られた魔法の天才である。


「わたくしには、お兄様ほどの魔法の才能は、きっとないもの……少しでも早く始めて、お兄様に近付きたいのです。それに魔法で悪い人からお母様を守れるようになれば、お父様もきっと安心すると思うの」


 アンネリーゼは驚いた顔で口元に両手を当てる。彼女は夫であるクラウゼヴィッツ侯爵から大改革の計画、そして危険性を聞かされ、それを正しく理解していた。侯爵夫人としての彼女の仕事は、夫の留守を預かり、愛する子どもたちを危険から守ること。

 最近では夫人たちの社交場であるお茶会へのお誘いもぐっと減り、以前は親しくしていた夫人の友人たちも誰が敵に回るかわからない。実際、クラウゼヴィッツ侯爵家はじわじわと社交界から孤立しつつあった。

 そんな状況を子どもたちには悟らせないように明るく振る舞っていたが、7歳になったばかりのフランツェスカから『悪い人から守る』とはっきり口にされたことで、アンネリーゼはショックを受けた。次期侯爵であるギルベルトには大改革のことをある程度は伝えているが、幼いフランツェスカには何も知らせないまま守りたかったのだ。

 しかし、それと同時に、父親譲りの聡明さを発揮し始めたフランツェスカに期待してもいた。フランツェスカが今の状況を理解しているのは前世の記憶があるからなのだが、アンネリーゼは知る由もない。


「まぁ、ツェスカちゃん……あなたがそんなことを考えていたなんて……それじゃあ明日、ギルちゃんの家庭教師にお願いしてみましょう。ただし、一つ約束よ。もし魔法で自分の身を守れるようになったら、お母様よりツェスカちゃん自身を守ることを優先してね。この約束を守れるなら、いくらでも魔法を勉強していいわ」

「お母様……はい、わかりました。それなら、お母様もわたくしも守れるように、ずっとお母様の側にいるわ」

「ふふ、ツェスカちゃんは優しい子ね。でも決して無理してはダメよ」


 母に優しく頭を撫でられて、フランツェスカは嬉しそうに目を細める。魔法の天才であるギルベルトと一緒に魔法を勉強できること、それこそをフランツェスカは狙っていた。純粋に早く魔法を使ってみたいという気持ちもあるが、もう一つ、彼女にはある計画があった。それには、天才と呼ばれるギルベルトの協力が必要不可欠だった。



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