第2話
「や、やめて。もうやめてよ。」
幼い少女が泣き叫ぶ。白衣を着た男の右手には、ドス黒い液体の入った注射を持っている。さらに、もう1人の男は薬の様な錠剤を持っている。
「うるさい、黙れ‼︎お前はな。親に捨てられてここにきた。俺たちは拾ってやったんだ。大人しく実験に参加するんだ。それ以外お前の生きる道はない。」
幼い少女にとって恐怖だった。いつ、死ぬかわからない状況で毎日耐え続けなければならなかった。
また別の日に幼い少女は、牢獄の中で聞いてしまった。この実験に耐え抜き、生き残った能力者に何かを憑依させるということだ。耐えきれなかった能力者は、死んでいくという話である。幼い少女にとって生きる希望が絶望に変わっていく。
ーた、たすけてー
また、あの夢を見た。私の思い出したくもない嫌な記憶が蘇る。
うっすらと誰かが私を呼びかけている。この声は、凪帆?
「琴葉さん、起きてください。」
瞼が重く、目を覚ますことができない。私は、呻き声しか出すことができなかった。テレパシーを使って話しかけるという手もあったが頭痛も酷く、使うことができなかった。凪帆が私に語りかけている。
「琴葉さん、だいぶうなされてたから疲労困憊のところ起こしてしまいました。」
私は、重い瞼を持ち上げて目を覚ます。オーバードーズをしたのか副作用による脱力状態で躰に力が入らない。そういえば、昨日、私は何をしていたのだろうか?はっきりと思い出せない。大抵思い出せない時は……。
「また、オーバードーズですか?あれほど止めろと言ったのに。だから、記憶があやふやになるんですよ。」
此間は、薬を飲まないで怒られたのに今度はオーバードーズ。私は、"すまない"の一言で済ませた。
「琴葉さんが飲んでいる薬は、1日食後3回の服用をする必要があり、過剰摂取すると個体差はあるものの副作用が強く出る場合もあります。まぁ、飲まなくても何かしらの副作用はしっかり出ますけどね。規定量を守って飲んでもらわないと困りますよー。」
「琴葉さんが飲んでる薬ってどんな薬なの?」
「凪帆さん気になります?」
「気になると言われたら気になるけど……。やばい薬なのはわかる。」
「この薬は、国が指定している特定医療劇物ですよ。まぁ、琴葉さんの体質に合わせて調合はしてますけどね。」
「げ、劇物⁉︎」
「そうです。気になるからと言って誤って飲まない様にしてくださいね。桜さんならやりかねないので。」
「もー、なにそれ酷ーい。」
私は、オーバードーズの副作用による脱力感に襲われながら無理して起き上がる。
「私の管理不足で迷惑かけてばかりで申し訳ない。」
「琴葉さんは、1人で抱え込み過ぎ。もう少し部下を頼りなさい。これは桜からの命令だ。」
「おい、桜。直属の上司に向かってなに様だ。」
「な、凪帆の頭にツノが生えてる……。」
「ツノ生やさないと分からん時あるでしょ?」
凪帆は桜に対して睨みを効かせながら言った。
「凪帆、そんなに怒ることはないさ。」
私は、少し間を置いてこう言った。
「直属の上司・部下の関係だったとしても楽しく仕事をすればいい。上司と部下関係なく対等にすべきだと私は考えている。悪には、制裁を。善には手を差し伸べよ。でも、うまくいかないのが現状さ。」
「そうすると犯罪を犯してしまった能力者たちはどうなるのですか?」
「それは、己の心と向きあればわかる。」
思うように動かない躰で私はなにを言っているのだろう。
"悪とは、何か?"
善でなければ、存在してはいけないのか?能力者だから差別してもいいのか?普通の人間だから善なのか?自問自答を繰り返すとキリがない。私の存在意義は、一体何なんだろうか?
「仕事、捗ってるか?」
「あら、理事長じゃないですか。」
理事長である宇都宮嶺二に凪帆が笑顔で答える。
「わざわざ直属部隊のフロアまで御足労とは何事でしょうか?」
「理事長直属部隊の名の元で活動してるわけだし、たまには様子を見に来るのも悪くないと思ってな。」
そんな訳がない。私はそう思った。勘の鋭い嶺二がそんな理由で直属部隊のフロアに来る訳がない。
「そんな訳がなかろう。私が随時、嶺二に報告しているし、活動報告書も書かせてる。にもかかわらずここに来るということは、私の様子を見に来た。ただ、それだけのことだ。」
私は、弱々しい声で嶺二に言った。
「ご名答。わかっているじゃないか。」
そうだろうと思った。
「琴葉が家に帰ってこないとなれば、心配するのも当然だろう。同居人であり、直属の上司である以上、様子を見に来るのは間違っちゃいないだろ。」
桜と凪帆が驚いた顔をしている。まぁ、当然の反応か。
2人が唖然とする中、桜が口を開いた。
「琴葉さんと同居してるんですか?」
「そうだ。問題でもあるか?」
「問題大有りだ。このスケベジジイ。」
「武藤凪帆ってこんなキャラだったか?」
「たまーにでる凪帆節だね。」
私は、ため息を吐きながら座っていたソファーから立ち上がった。足元がおぼつかず、いかにも倒れそうな様子だったのか嶺二に抱え込まれてしまった。
「京介が調合した薬の管理も俺がやってるものの、監視を掻い潜って飲まなかったり、過剰摂取による副作用もなきにしもあらず。過剰摂取をすれば、一時的に身体能力も上がるんだけど。今みたいな状況になる。だから、普段からよく見てやらないといけないんだ。琴葉は、意地っぱりだからどうせ言ってなかったんだろ。この馬鹿タレが……。」
「調合した薬を理事長に渡すことになってたのはそういうことだったんですね。」
"そういうことだ"と言って嶺二は私を睨みつけた。なぜ、部下に伝えていないんだという眼差しだ。透視能力者を透視するのは、限度がある。心の内をそう簡単に読ませないという心理が働いたりする為だ。透視させたくないだけなら言葉で言えばいい。ただそれだけなのに。
「詳しい理由は言わなくていいから、薬の必要性は説明しとけと言ったのに、お前はなにしてる。命に関わるんだぞ。」
「命に関わるって。国指定の劇物ってさっき、京介が言ってたけど、そんなレベルなの?」
「京介はこの事、知ってたの?」
「薬を飲まなかった場合とオーバードーズした場合ののリスクと対処法。それ以外のことは何もです。」
「症状が落ち着くまでは、俺が琴葉は預かる。お前たちは自分の仕事の進め方、わかってるな。」
嶺二は、私を抱え込んだまま直属部隊のフロアを後にした。
呆れた顔で嶺二は、私にこう言った。
「自分の部下くらい信用して必要なことは、話すんだ。全てを話せと言っている訳じゃない。命に関わる部分だけでもいい訳だから。」
と。
言えたらどれだけ、楽になるのだろう。一心同体となった魂は、もう2度と戻りはしない。
「それはそうと、私を理事長室に連れて来たけど、どうするつもり?」
「お前の躰が心配なのは本当だ。あと、東京駅周辺の事件で気になることがあってな。」
嶺二は、いくつかの書類を私の前に出した。そこには、荒井和彦と一緒に映る人物がいた。
「一緒に映る人物が誰なのかは、特定できなかった。直属部隊が結成されて5年だろ。5年間消息不明になってたやつが急に現れて事件を起こした。何かがおかしいと思ってな。事件が起きた次の日に話を聞くために入院先の病院へ行ったんだ。そしたら、荒井は何者かによって殺された後だった。厳重態勢で監視をしていたにも関わらずだ。」
「お前な。人が薬の影響でぐったりしてる時に、大事な話するなよ。ゲホッ。」
「ごめん。」
「でも、良く調べたものだ。」
なぜ、荒井和彦は事件を起こしたのか?一緒に写っていた人物は誰なのか?謎が深まるばかりだ。