彼と彼女のミルキーウェイ
やぁ! お久しぶりだね、赤い君。
君と話が出来る距離まで近づいたという事はもう、前回から二年二か月がたったわけか。
その後調子はどうだね、変わった事は無かったかな。
なになに、ある訳が無いだろうって? 大きい輪っかの彼とは……まだ暫らく会えていないか。
そんな事より私の話を聞かせろだって? ふふ、確かに私には沢山話のタネがあるからね。ここ数万年はとっても楽しいんだ、なにせ私達と同じ様に考えて話して、そして私達とは違って動き回れる彼等が居るんだから!
そうだねぇ……前に話したのはなんだったかな……楽しい話だったかな、悲しい話だったかな……――思い出した、とても悲しいお話をしたんだったね。
私のからだに線を引いて争い合う彼等の、とても悲しいお話、引き裂かれた一組の恋人たちの悲劇はとてもありふれていて、うん……今も沢山起きているよ。
別にそれで私が悲しいわけではないのだけどね。
ずっと彼等を観察していたお陰かな、彼等の考えてることも焦点を合わせれば解るようになってきたし、それはとても楽しいんだけどどうせなら幸せな物語を見てみたいからね。
だから今回はとても楽しかった線の話をしようかな。
私のからだに彼等が引いた沢山の線、その中の一つでつい先日起きた一つの物語さ。
彼等の国を示す線、彼等の国の中でさらに細かく、もっと細かく、それはもう数えるのもバカらしいくらい沢山の地域を分ける線が私のからだには引かれている。
そこは……何だったかな……そうそう日本というこの辺り、とても眩しい所があるだろ? ここの中の町という地域を区切る線があるんだよ。
小さすぎて見えないって? 確かに君は小さなところに焦点を合わせる事なんて無いものね……――こうやるんだ、意識を傾けて……そうそう、小さく小さく細く……研ぎ澄ませて……見えてきたかい? ちょっと意識を共有しても良いかな? この方がわかり易いからね、うんうんココだ、この小さな四角い箱が集まってる所のこの線だよ。
これは道路っていうものなんだけど、街を区切る線とは違う彼等が移動する為の線なんだ。
でもこの線は移動するだけの線ではなくて彼等の幼体達が物事を学ぶ学校という建物、そこに通う幼体達を区切る線でもあるんだ。確か学区とかいう線だったかな。
前置きが長いって? すまない、最近彼等の創り出した文化という物に少々傾倒していてね。こういうのはじっくりと説明した方が後々わかり易いんだ。
そろそろ本題に入るから許しておくれ、赤い君。その時に保存した私の記憶を出力するよ、この微笑ましい物語を君にも見せたくてわざわざアカシアレコード保存局に星辰波を飛ばして依頼したんだからね。
ーーーーーーーーーーー
「ぶっ壊してやりたい……くそっ……あの道路さえ無ければなぁ」
二階の僕の部屋の窓から、二車線の車道を見下ろしながら僕はそう呟いた。別にテロリスト志望であるとか、思春期特有の破壊衝動うんぬんという訳では無い……と思う。
そこそこ交通量の多い車道を行き交う沢山の自動車を眺めながら、そうっと……ちらちらと伺う様に向かいに建っている一軒家を観察する。
「今なにしてんだろ? 勉強してるのかな……それともこの間話していた面白いっていうニューチューバ―の動画でも見てんのかな」
車道を挟んで向かいに住む幼馴染の少女の、可愛らしい笑顔を思い浮かべながら、まるでストーカーみたいだなと自分でも嫌になりながらも彼女の事を考えてしまう。
保育園の頃から一緒で、小学校も一緒に通っていた僕と彼女は一緒に居るのが当たり前みたいな感じだったんだ。
家族ぐるみで仲の良い僕達は長期休みともなればキャンプやバーベキューに行って、親達がビールを呑んで楽し気に話している横で二人で探検ごっこをしたりして一緒に遊んでた。
でもそんな楽しい日々も中学校に入った時に全部台無しになったんだ……。
「何が学区だよ……小学校が一緒なんだから中学も一緒で良いじゃないか、畜生……」
僕と彼女の家の間を走る車道。それが中学の学区を分ける境界線である事を知った時……正直少しせいせいしたと思った。
低学年や中学年の頃は平気だった。
でも高学年になって皆が色恋を意識し始めるともう駄目だ、必ず二人で登校してくる僕達がからかわれない訳などある筈もなく、チョークで黒板に相合傘を書かれては羞恥心で真っ赤になりながら消していたのを覚えている。
これでもう、からかわれなくて済む。そんな風に思っていたあの時の僕を思いっ切り助走をつけてぶん殴ってやりたい。
いつからだろうか、僕が彼女の事を好きだったと気づいたのは……一年の夏か? 久しぶりに家族同士のキャンプで長く遊んだ僕達はどこかよそよそしくて……それが無性に寂しかったのを覚えている。
それとも二年の秋だろうか、中学時代の彼女の女友達づてに彼女が三年生と付き合っているという噂を聞いた時は、訳も解らず全てを壊したい衝動に駆られ、自分の頭を壁に叩きつけて親に心配されたっけ。
「こんな道路……くそったれ……大地震でもきてぶっ壊れちまえば良いのに……」
憎かった。
僕と彼女を決定的に分断するこの道路が、それがただのエゴだと解っていても僕にはどうしようもない程にこの道路が憎たらしかったんだ。
毎朝、家を出る時間を合わせて挨拶はしている。
今の僕に出来るのはそれくらいしかないし、年に数回家族同士で遊んでいた機会も僕達が成長して思春期に入ると段々と減っていった。
最後に遊んだのは……三年になってすぐのゴールデンウィークにやったバーベキューだったかな。毎朝見かけるセーラー服では無い彼女の私服姿、その大人びた容姿に胸が高鳴って……マトモに話す事すらせずに僕はひたすら肉を食べる事しか出来なかった。
「はぁ――あっ……」
溜息を漏らして道路から向かいの家の窓に視線を上げた瞬間に、部屋に彼女が入ってくるのが見えて……慌てて僕はカーテンを閉めた。
まさか見られては無いよな、気持ち悪いなんて思われたら……あーッ! くそっ! 駄目だ、こんなんだから僕は……勉強でもしよう。
僕は勉強机に向かって真新しい新品の教科書を広げる。
来週から通うことになる高校の教科書は、手にぴたぴたと吸い付く様な気持ちの良い感触で、新たな生活の始まりを予感させて僕の心を騒めかせる。
少々僕が通うにはハードルが高いと進路指導の先生に言われていた高校だけど、彼女の志望校だと親に聞かされたあの日から死に物狂いで勉強して、なんとか合格できたんだ。
また彼女と同じ学校に通えるという喜びと、以前の様にまた仲良く出来るのだろうかという不安が、僕の心をぐちゃぐちゃに攪拌している。早く来週にならないかな……来週なんて来なければ良いのに……矛盾した感情が爆発してしまいそうになるのを必死に抑えながら……僕は言葉に出して決意を固めた。
「来週の登校日の朝、彼女に告白しよう。振られても良い、こんな生殺しの生き地獄はもう……耐えられない」
言葉に出すと少し、気が楽になった気がしてきた。
二年の頃に噂になっていた先輩とはまだ続いているのだろうか……そもそもその噂が真実なのかも確かめられていないのだけれど、もし彼女に聞いて肯定されたらと思うと怖くて怖くて、聞く事すら出来なかったんだ。
花が咲いた様に笑う彼女の肩を抱く、顔も見た事も無い男。男勝りだったのに、段々女の子らしくなって、いつのまにかオレじゃなくて私って言う様になった彼女と楽しそうに遊んで……暗くなった公園で唇を重ね……うあああああッ!! 駄目だ駄目だ!! もう嫌だ!! こんな事ばかり考えてしまう自分が嫌だ!!
ボカボカと自分の頭を殴りつけてから、熱くなった下半身を冷ます様に腕立て伏せを行う。
やっぱり早く来週になってくれ! 僕の頭がおかしくなってしまう前に……――。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「ちゃんと提出するプリントは入れた? 忘れ物はない?」
「大丈夫だよ、ちゃんと確認したもん。もう私も高校生なんだからそんなに心配しないでよ」
「そうは言ってもねぇ……あんたどこか抜けてるからさ、道順は覚えてる? 迷子になんてならないでよね」
「大丈夫だって、それに……一緒に行くから……」
「ああそっか、高校はまた一緒だもんね。ふふ……今夜はお祝いね」
「なんでそうなるの?! まったくこの母親は……シャワー浴びてくる!」
入学式の朝、起きて来た私をからかう様な事を言ってきた母さんから逃げる様にお風呂場に入って熱いシャワーを浴びる。
顔を両手で擦る様に洗いながら先程言われた言葉を思い出してしまうと、熱いシャワーを浴びている筈なのに無性に顔が火照ってきてしまう。
お風呂場の腰掛にぺたんと座りこんだ私は、熱いシャワーを浴び続けながら彼との思い出を振り返っていた。
「お母さんはあんな風に言うけど……彼女が居るって話もあったし……そんな上手くいく訳ないよ……」
最初に意識したのはきっと、小学校の五年生くらいだったかな。
クラスメイトの男子達に囃し立てられて嫌だったけど、でもホントはそんなに嫌じゃなくて……彼は真っ赤になってたけどね。黒板に書かれた相合傘を必死になって消してたのはちょっとショックだったけど、でも男の子なら仕方ないか。
保育園の頃は私の方が背が高くて、子供っぽい彼の事を弟みたいに思ってたけど……段々私の背を越していく彼の姿はとても頼もしく感じた。
六年生の冬に学区って物の存在を知った日は、夜中まで布団にくるまったまま泣いちゃったんだよね。彼と引き離されてしまう様に思ってしまって涙が止まらなかった。
中学に入ってからは制服に身を包んだ彼が、なんだか知らない人になってしまったみたいで怖くて……あんまり話せなくなってしまったけど。家族同士で遊ぶ時の私服の時だけは昔みたいにちょっとだけお話できて嬉しかったな。
「はぁ……気が重いよ……お風呂から上がってご飯を食べたら……ああああッ!! こんな顔じゃ出られないよ、早くしゃっきりさせないと」
一度シャワーを止めてシャンプーを手に取って泡立てながら髪に擦り込んでいく。
少量の液体から生まれたとは思えない程の大量の泡に包まれながら私は、ついこの間交わした会話を思い出していた。
『おはよう』
『おはよー!』
いつもはそれだけで終わる挨拶。
ここ三年程の間繰り返されてきた私と彼の、朝の日課。でもその日だけは少し違っていて……。
『なぁ……高校さ……たまたまなんだけど一緒になったみたいでさ……』
『あ……うん……そうだね』
『迷って入学式に遅れたら大変だろ? その……一緒に行かない……か?』
『ッ! ――うん! 寝坊しないでよね』
『する訳ないだろ!』
――嬉しかった。
約束した事もそうだけど、彼から誘ってくれたことがとても嬉しくて……その日は学校に行くまでの道のりがとても輝いて見えたのを覚えている。
「あんな顔で誘われたら……期待しちゃうじゃない……バカ……」
15歳になった彼はとっくに私よりも頭一つ分くらい背が高くなってて、もう弟みたいなんて言えない。そんな彼の随分男らしくなった腕で抱き締められたら……って私は何を考えてるの!! うあああああッ!! ここがお風呂場でなくて自分の部屋なら頭を抱えてのたうち回ってる所だ。
まだ噂になってた彼女とは続いてるのかな……そもそも噂が本当なのかも知らないけれど、彼の横で見知らぬ女がその男らしい腕に抱き付いている姿を想像するだけでもやもやとした醜い嫉妬が私の心を覆っていくんだ。
そこは私の場所だ! 大声でそう叫んで見知らぬ女を相手に心の中で大立ち回りを演じている自分。そんな事をしても彼の心が手に入る訳では無いのに。
すべては私と彼の家を隔てる境界線の仕業だ。国が定めた学校に通う子供達を区切る絶対のライン。
あれの所為で私はこんな思いを……――いや違う、私に意気地が無いだけなんだよね……。
「今日で終わらせるんだ。振られてもいい、話せなくなっても良い、この気持ちに区切りを付けないと私はもう踏み出せない」
自分に言い聞かせる様に呟いて、シャワーでシャンプーの泡を洗い流していく。心の迷いもついでに流してしまおう、もう私は迷わない。
お風呂から上がり、体を拭いてドライヤーで髪を乾かしていく。
念入りに気合を入れて髪型をセットし、食卓に用意されたご飯とおみおつけ、ハムエッグを掻き込む。腹が減っては戦は出来ぬのだ。
恋は戦争であるとは、誰の言葉だったか……今日私は、彼の心を奪うと決めたのだ。
時計の針が開戦時刻五分前を示している。
買っても負けても悔いは無い、女は度胸! あの憎っくき境界線を乗り越えて私は、恋をつかみ取るんだ。
「行ってきます!」
「ふふっ、行ってらっしゃい。頑張ってね」
ーーーーーーーーーーーー
とまあ、こんな具合でね。
とっても暖かい気持になっただろう? 彼等は沢山の悲劇に塗れているけど、同じくらい幸せに満ちているんだ。
結局どうなったのかって? 君、それは無粋というものだよ。でもまぁ気持ちはわからなくもない。見てみるといいさ、場所は同じで、彼と彼女が通う高校とやらはここさ。今は少し離れた繁華街と呼ばれる所に居るみたいだね。
どうだい? 見えるかい? ああ、私も見えて来た……これはこれはなんとも……ふふっ幸せそうじゃないか!
あれから一年が経っているからね、今日は仲良くデートといった感じかな。肩を寄せ合ってなんとも甘酸っぱい!
彼等の中の伝説にね、織姫と彦星という物があるんだよ。ほら、あそこに輝いている恒星系の集団を天の川と彼等は呼んでいてね。その川を挟んで輝く二つの星を男女に見立てた恋物語さ。
スケールは違えど……彼と彼女にそっくりだと思わないかい? 学区の境界線という天の川に引き裂かれた彼と彼女は見事、それを乗り越えて結ばれたんだ。
私の上で栄える彼等が皆、彼と彼女の様になれれば良いのだけど……まぁまだたった数万年さ、これからも彼等の愛はきっと彼等を栄えさせていくだろうね。
かつては彼等を、取るに足らないちっぽけな存在だと思っていた私を恥じるよ。いまではもう彼等の存在無くしては私は私足り得ないとすら、思ってしまっているんだ。
なんだって? 当てつけかって? 君の所にも小さな小さな命が育ち始めているじゃないか。なぁに私だって46億年掛かったんだよ。もう少し辛抱強く待ってみてもいいんじゃないかな。
それにこの調子だと……ふふ、そう遠くない未来に君の所にも彼等がお邪魔する筈さ。
その時はどうか、宜しく頼むよ。