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ここではない何処かで始めるオレの冒険者生活  作者: アップルジャック
第一章 出会いと別れは、目覚めから始まる
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読んでくれてありがとうございます。

蛙の尻尾亭で食事をし、南門の外で野営をして夜を明かす。同じような毎日の繰り返しだが、今朝は随分と晴れ晴れした気分で身体も軽い。


まさかとは思うが、まだリルドレイクの効能が残っているのだろうか。それとも脂の滴る、鳥の丸焼きを食う夢を見たせいだろうか。


実際に食ったわけじゃないが、あんな大きな丸焼きを一人で食えるなんて、まさに夢みたいな話だ。しかし、心地よい朝は思いがけない形で幕を閉じる。


朝から南門の衛兵たちが慌ただしい。この感じは少し前にもあった。


◇◆◇◆


マルナの主教は慈母神を主神とした女神信仰である。街には慈母神と女神たちを祀ったいくつもの神殿があり、安息日や祝い事の際には多くの街民たちが足を運ぶ。


神殿は冒険者にとっても馴染みの深い場所である。依頼任務で呪や毒を受けた際に駆け込む事が最も多いが、大きな以来任務へ向う前に、慈母神の加護を求め、聖水や御守を買い求める者も少なくない。


職業柄、慈母神や女神以外の神を信仰する者もいるが、これらを一括に邪教徒と呼ぶ事はなく、一般的にはある特定の信徒を指し示す。


魔王信仰。魔物や獣、周辺の地形を含む全ては魔王に帰属し、魔王はそれらに平等な安寧をもたらす者である。このような考えは、マルナがまだ現在のような城塞都市となるずっと以前から、この地で暮らしていた原住民たちの生活に根付いていた。彼らこそマルナで邪教徒と呼ばれる者の正体だ。


「おはようございます。この騒ぎは?」


「よう、荷物持ち(ポーター)の坊主。北地区でまた邪教徒の犠牲者が出たらしい」


三ヶ月程前の事だ。街で重大事件が起こった。東の水路から娼婦の死体が揚がった。これが普通に身投げしたものならば、娼婦の一人くらいで騒ぎになどならない。私情のもつれにしろ、金絡みのもつれにしろ、よくある話として街民の記憶からはすぐに消え去る。


ところが揚がった死体からは血が抜き取られ、額には刃物で『X』の印が切付けられていた。偶然に付いたものなどではないと、その場に居合わせた者たちの背筋が凍る。


額に残された印は、地下の闇に紛れる魔王信仰者たちが、生贄の儀式に用いると噂されるもので、同じような事件がこの週だけで既に二件起きていたからだ。


結局、連続殺人事件の目撃者は見付からず、三件目以降は新たな事件も起きなかった。街民たちの関心は常に移ろいやすく、この三ヶ月の間に事件の話をする者はほとんどいなくなっていた。


そんな事件が再び起きた。


オレは背嚢を背負い、急いでコンラッドの元へと走る。死体が揚がったのが水路だとすれば、きっとドブさらいの連中は衛兵たちに駆り出されているに違いない。


オレの予想が的中したのを示唆するかのように、ドブさらいの予定場所となっていた東地区の水路周辺には、野次馬たちで人だかりが出来ていた。衛兵たちの声が飛び交う水路の近くに、見知った顔を見付け駆け寄る。


「コンラッドさん!」


「おお、来てくれたかハルト、悪いがすぐに手を貸してくれ」


水路の端には引き揚げられたばかりの男性の死体が無造作に置かれ、数人の衛兵たちが取り囲むようにして調べている。どうやら水路の奥に他にもまだ何かあるらしく、ドブさらいの仲間たちが手を焼いていた。


背嚢をコンラッドの傍らに下ろしたオレは、すぐに上着と靴と靴下を脱ぎズボンの裾を捲くると水路へ入る。深い場所では胸まで浸かる事もあるのだが、街民の面前で全裸になる勇気はない。


「ハルトこっちだ。ここを持ってくれ!」


濁った水を掻いて仲間たちの場所へと急ぐ。水路のゴミを取り除きその奥の何かを引き出そうとしているらしい。


近くまでたどり着いたオレの目に、最初に映ったのは細く青白い腕。すぐに水の流れに揺らめく女物の衣服が見える。


「ちょうど水路が狭くなった場所だったから、上手いこと引っ掛かったらしい」


遺体が流れてしまわないように、慎重に周囲のゴミを取り除きながら仲間の一人が話す。亡くなった女性を前にして、上手いことなどと話すのは不謹慎にも思えるが、もし引っ掛っていなければ死体は流され続けていただろう。


そうなれば遺体が見付かるのはいつになった事か。一ヶ月も掛かってしまえば、身元も判明できないほどに変わり果てた姿となる。


やがて女性の遺体がゆっくりと水路から引き揚げられた。まだ少女のあどけなさが残る真っ白な横顔。それに対比するように落ちくぼんだ目の周りは青黒い。細く小さな体とは裏腹に、腹部には異様な豊かさが見て取れた。


「子供かと思ったら、子を孕んでやがったのか、気の毒に…」


仲間の一人が思わず口にした。そうなると先に見付かった男は彼女の旦那か、それとも父親だろうか。二人の額にくっきりと残る『x』印。これを切り付けた者なら二人の関係性を知っていた事だろう。


野次馬の人だかりも遺体が衛兵たちによって運び出されると、自然に消えて無くなった。それでも周囲が落ち着いたのは、陽がだいぶ西の空に傾いてからだ。


お陰でこの日のドブさらいはあまりはかどらなかったが、夕刻の鐘が鳴るとコンラッドは、一人一人の労をねぎらいながら給金を手渡していった。


それにしても邪教徒たちは、どのような基準で生贄を選んでいるのだろう。魔王信仰に異を唱える者が対象というのであれば、街民の大半にその可能性があるため、それは無作為な殺人とほぼ同意となるはずだ。しかし、水路から引き揚げられた遺体には、どれも血を抜かれたり額に印を刻まれたりと、ある種の主張めいたものを感じる。


「食うのか、考えるのか、どっちかにしな!」


蛙の尻尾亭でいつもの麦粥を注文し、物思いにふけているとアマラに怒られた。オレは平謝りして急いで麦粥を掻き込んだ。


帰り道に通った南門は、いつもより少しだけ衛兵の数が多いように感じられた。今朝の事件に配慮したものなのだろう。


いつものように石で竈を作って火を起こし、水を入れた鍋を掛ける。お湯が沸くまでの間に手際よく天幕を張り終え、出来上がったお茶を手にして近くの切り株に腰を掛けた。


西から流れる雲がいつもより少し早い。そろそろ寒い季節がやってくるのだろうか。オレは薄味のお茶を啜り、早めに寝袋へと潜り込んだ。


あくる朝。天幕に当たる雨の音で目が覚めた。


深夜に降り始めた雨は、一度は止んだかのように思われたが、明け方近くになって再び雨脚が強まったようだ。こんな日は仕事へ向かう足取りが自然と重くなる。


基本的に大雨の場合は荷馬車が到着しないため、荷下ろし作業は中止になるのだが、その判断は元締めのマイルズが下す。つまりは取り敢えず、彼の元へ集まり判断を仰がなくてはならない。


そんな曖昧な状況下で、雨の中をわざわざ集まったのはオレを含めてたったの五名。そのうえ何故かマイルズの姿が見当たらない。


「おう、お前ら。待たせちまったな…」


これでは仕事にならないと諦めかけていた所へ、マイルズが憔悴した様子で現れた。何かあったであろう事は、その場にいた全員が察していたが、お互い視線を交え誰かが問い掛けるのを待つ。


首領(ドン)マイルズ、何かあったんですか?」


結局、最初に口を開いたのはオレだ。左右に立つ仲間に何度か肘で突かれた後に、渋々と言った様子で遠慮気味に尋ねはしたが、実際のところオレ自身も気になっていた。


こんなに気落ちしたマイルズを見るのは、愛娘のリンベルに三日間も口を聞いてもらえなかったとき以来だ。酒の飲み過ぎを妻とリンベルが指摘しているのにも関わらず、連日のように千鳥足で家へと帰っていたマイルズの落ち度なのだが。


「今朝がたブルーノとミゲルが亡くなった。流行り病だったらしい…」


「ブルーノさんと、ミゲルさんが…」


あまりにも急すぎる話にオレは言葉を失う。他の仲間たちも信じられないといった様子でオレを見詰める。


ブルーノとミゲルは、マイルズ商会の中でも古参と呼べるベテラン作業員だ。二人ともここ数日は体調を崩し仕事を休んでいたが、それ以前は何事もなく一緒に荷下ろしの作業をしていた。


荒くれ者の多い仲間たちの中でも体格に恵まれ、これまで病気などしたことがなかったのに。それがほぼ同時に二人もだなんて。


「悪いが今日のところは作業はなしだ…」


そう言ってマイルズは力なく去って行った。その背中は巨体には見合わないぼどに小さく見えた。


仲間の死によって降って湧いた休日。流行り病で亡くなった者は、葬儀もそこそこに火葬されるのが常だ。今から彼らの家を訪れても何もしてやれる事はない。


このまま酒を飲み、仲間との思い出に浸るのも悪くはない。だが、こんな明るい時間から酒浸りになれるような身分でないことは、オレ自身が一番よく理解している。


既に雨は小降りになっていた。気晴らしにと思い宛もなく歩いていたら、いつの間にか広場まで来てしまったらしい。雨上がりの広場にはたくさんの露店が軒を連ね、活気ある売り声が沈んだ気持ちを少しだけ慰めてくれる気がした。


表通りの大店とは違い露店に並ぶ品物は、価値ある値打ち品から訳有品やガラクタまがいの品物まで幅広い。大抵の場合は安価な粗悪品が多いのだが、そんな中から掘り出し物を見付ければ喜びもひとしおだ。


一軒当たりの品数は決して多いとは言えないが、似通った商品を扱う店同士が密集する事で、客に多くの選択肢を与え購買意欲を掻き立てるのが露店である。


食料品に衣料、雑貨、装飾品、傷薬から毒薬に至るまで、籠や檻に入れられた鳥や小動物はペット用ではない。生きた野生動物が食用として店頭に並べるのは当たり前の光景だ。縄で近くの木に繋がれた大型の生物は使役動物だろう。様々な品物を並べた露店が鎬を削り、その競争が新たな客を呼び込む。


そう言えばそろそろ砥石がなくなるな。オレが持つ刃物は生活ナイフだけだが、切れ味の悪い刃物ほど厄介な物はない。


砥石を求めて歩いていると、甲冑や兜を店先に置く露店が増え、やがて刃物を多く取り揃える露店も出てきた。刃物を置く店では、大抵の場合は砥石も扱っている。


調理用ナイフや生活ナイフに、冒険者たちが腰に下げているような短剣、重量を感じさせる手斧や長剣まで。露店の店先に大きさも形も違う様々な刃物が並ぶ。全体的に剣の品揃えが多いのは、最も基本的な武器なため出回る数も多いのだろう。


刃物に限った話ではなく、露店は見ていて飽きない。多くは実用的な簡素な造りだが、中には刃に特独特な紋様が浮き出たものや、柄や鞘に美しい装飾が施された物も見られる。


「武器をお探しで?」


その中の一軒を通り掛かると、眠そうな目をして無精髭を生やした、店主と思しき男が話し掛けてきた。


オレの視線から刃物を探していると察したのだろう。なかなか目ざとい店主ではあるが、オレの目的が砥石だという事までは予測できなかったのだろう。


「いえ、砥石の値打ち物があればと────」


「旦那、冒険者っスね。その背嚢は荷物持ち(ポーター)か。そうなると砥石はナイフか短剣用ってところっスね…」


独り言のように呟いた眠そうな目の店主は、そのまま露店の奥のにある木箱を漁りはじめた。


オレが冒険者であることは、首から下げた認識票(タグ)を見れば分かるし、それを知る者なら大きな背嚢から、荷物持ち(ポーター)であることも一目瞭然だろう。


ナイフや短剣は荷物持ち(ポーター)は勿論のこと、冒険者なら誰もが扱う武器だと言って差し支えない。それでも砥石の用途を断定し、いち早く行動に移る辺りは流石はプロだ。


「持ち運ぶなら、これくらいの大きさの物が良いっスね。一〇ラットでどうっスか?」


彼が見せてくれた砥石は品質が良く、提示された価格も相応のものだった。だからと言って言い値で買ったのでは、露店を訪れた意味がない。


「五ラット」


「いきなり半値は無茶っスよ。じゃあ、九ラットでどうっスか?」


半ば呆れ気味ではあったが、そこは無精髭の店主も慣れたものだ。すぐに値下げした価格を提示する。


「六ラット」


「いやいや、ぜんぜん歩み寄れてないじゃないっスか。せめて八ラットなら…」


「買います!」


交渉と言う程ものではないが、一分と掛からずに今夜の麦粥代が浮くのだから、オレのように常に財布の軽い者には馬鹿にならない。


革袋から銅貨を八枚取り出し、それと引き換えに受け取った砥石を腰の雑嚢へとしまう。こんな石が麦粥四杯に相当するのを考えると、良い買い物だったのか疑わしく思えるが、実際それだけ砥石の需要は高い。


以前にジルが教えてくれたのだが、万が一、魔物の群れに出くわした際には、自信の有無とは関係なく基本は逃走となる。何故なら刃物は、使う度に切れ味が落ちるからだ。


戦闘となれば刃溢れや、刃先自体が折れたり曲がったりする事も珍しくないうえに、血や脂が付着するだけでも切れ味は失われていく。英雄が一人で一〇〇〇匹もの魔物をなぎ倒す、吟遊詩人の詩にはロマンを駆り立てられるが、現実的に考えると興醒めしてしまう。


「ちなみに得物を見せてもらっても?」


得物という表現には合わない気もするが、オレは腰の雑嚢から取り出した生活ナイフを差し出した。


「生活ナイフ? 他には?」


「いや、それだけですけど?」


「ひょっとして()冒険者だったっスかね?」


一応、今でも冒険者なんだが。喉元まで出掛かったその言葉を飲み込み、苦笑いで応えた。


お時間あればまた覗いてくれると嬉しいです。

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