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ここではない何処かで始めるオレの冒険者生活  作者: アップルジャック
第一章 出会いと別れは、目覚めから始まる
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読んでくれて有難うございます。

浴場でつい転寝してしまい、起きると衣服と雑嚢袋が入った籠が消えていた。しっかりと温まったはずなのに、背中を冷たい汗が流れる。


オレの全財産と唯一のパンツ。あれを持って行かれたら、オレは文字通り無一文になってしまう。


「やっと起きたね。籠ならここだよ」


その声に振り返ると、果実の入った大きな器を抱えた果実売りの女性が立っていた。たぶん歳はオレとさほど変わらない。


浴場では老若男女を問わず、多くの者が働いている。果実売りや果実水売りは、彼女のような若々しい女性の仕事だ。まるで着丈の短いドレスのように、胸から腰に掛けて一枚の長い布を器用に巻き付けている。


まるで装飾品のように腰から下げた、鳥が翼を広げたような特徴的な形の植物の葉が、果実売りと果実水売りの特徴だ。


意志の強さを感じさせる大きな赤茶色の瞳をした彼女の傍らには、オレの衣服と雑嚢袋が入った籠が置いてある。


「あ、オレの────」


「アンタさぁ、馬鹿なの?」


聞き間違いだろうか。通常、果実売りや果実水売りの若い女たちは、明るくにこやかな表情で、常に客の関心と興味を引くように振る舞うものだ。


確かにオレは果実や果実水どころか、入場料以外はほとんど支払ったことがない。それでも客になる可能性を秘めているからには、まさか馬鹿呼ばわりはないはず。


「え、オレに言ったの?」


「アンタしかいないでしょ」


微かに眉根を寄せるようにして返す果実売り。間違いない。この女は敢えてオレを馬鹿呼ばわりしたんだ。


「わざわざ受付に『コソ泥に注意!』って書いてあったでしょ。あ、もしかして文字が読めなかったとか…」


彼女がオレを可愛そうな者を見るような目で見る。


「いや、読めるから。ちゃんと読んだよ」


「そう。じゃあ、やっぱり馬鹿なのね。あれを読んだのに籠を放って寝るだなんて」


受付にそう書いてあったのは記憶している。だからと言って人の荷物を勝手に持ち出すだなんて、それではまるでコソ泥と変わらないではないか。


「冒険者なんでしょ?」


果実売りの視線は、首から下げられた白磁の認識票(タグ)に向けられていた。今は冒険者であろうが、万年白磁等級であろうが関係ないはずだ。


「そうだけど…」


「冒険者なのに気付かなかったの? 怪しいヤツがアンタの籠の前を、何度も行き来してたの」


「え、そうなのか?」


呆れたと言いた気な様子を隠そうともしない果実売りは、肩を竦めてグルリと目を回す。ほとほと生意気な態度が鼻につく女だが、彼女の話が本当なら荷物が盗まれないように、オレが起きるまで見張っていてくれた事になる。


そうだとすれば、オレのパンツと全財産を守ってくれたのは彼女か。感謝こそしても、自分の不注意を指摘されて逆ギレするのは間違いだ。


そう思ってよく見れば、自信に満ちたその立ち振る舞いや、気が強く物事に白黒つけたがりそうな性格は正義感の現れとも言えなくない。


「あの、ありがとう。お陰で助かったよ」


「やっと認めたわね。じゃあ、代わりにアタシのお願い一つ聞いてくれない?」


正義感はどこへ行った。見返りを求める気満々ではないか。


「まあ、内容にもよるけど…」


「ちょうど果実がぜんぜん売れなくて困ってたとこなんだ。アンタ一つ買ってよ」


そう言い放つ彼女が抱える大きな器には、色とりどりの果実が盛られている。山盛りだ。つまりほとんど売れていない状況なのが見て取れる。


果実売りの娘たちと言えば、一般的には満面の笑みで愛嬌を振りまき、時には丈の短い布地から覗かせた、自身の美貌をも武器にすることを辞さない。運良く良家の次男か三男あたりに見初められれば儲けもの。何の未練もなく浴場を去る事だろう。


そんな美しくも商魂たくましい印象があるが、彼女の場合は意味あいが少し違う。こんな善意の押し売りみたいなやり方では、一日にいくつも売れずに陽が沈むはずだ。


「わかった。一つもらうよ」


「え、本当にいいの? じゃあさ、アンタにピッタリやつ選んであげるよ」


そう言うと、果実売りはオレに両手を付き出させ、抱えていた器を床に置くと、突然、オレの手を握り目を瞑った。


はっきりと主張する瞳を閉じると、長いまつ毛が余計に目立ち、それまでの勝気な印象が一変する。少し浅黒くも艷やかな肌は、彼女の中に流れる南部人(サウザンフォル)の血脈を色濃く表すものだ。少し濃い目の紅を差した唇が、肌の色によく映える。


彼女が腰に巻いた植物の葉先が、チクリと腿を刺激して思わず我に返った。いかん、いかん。オレは何を考えているんだ。


マルナで暮らす俗人族(タダビト)は、もともとは肌の白い北部人(ノーザンフォル)と、肌の浅黒い南部人(サウザンフォル)に大別されていた。


もっとも外見だけで判断しようとすれば、オレのように北部人(ノーザンフォル)とも南部人(サウザンフォル)ともつかない、起源の定かじゃないような者も大勢いる。


今では大半の血が混じり合い、外見からそのルーツをたどるのは難しいが、稀に彼女のように原初の佇まいを受け継ぐ者が現れる。先祖がえりと呼ばれる現象だ。


「オーケー、もういいよ」


唐突に目を開いてそう告げた果実売りは、器から鶏卵ほどの大きさの真紅の果実を選びオレに差し出す。


あまり見掛けない珍しい果実だ。広場の露店には、季節ごとに様々な野菜や果実が並ぶ。


多くは近隣の村で採れたものだが、近くの森で採取されたものや、遠くの街から運ばれて来たものもあり、時間に余裕があるときはブラブラと見て歩くだけでも楽しめる。


「アンタにはこれがオススメ。一つ一五ラットだけど?」


「一五ラット!?」


せめてもの礼に果実の一つくらいならと、軽い気持ちで承諾してみたものの、まさか麦粥の七倍以上の価格とは。いくら浴場という特殊な場所とは言え、こんなに高いものなのか。


「あれ、もしかして手持ちが足りない?」


「い、いや、大丈夫だ…」


正直かなり痛い出費だ。浴場を訪れる客たちは、よくこんなものに一五ラットも支払う気になれるものだ。少しばかり若い娘に愛嬌を振りまかれた程度で、あまりにも見合わない出費ではないか。


果実が欲しいなら露店で値切って五ラットも支払えば、メップルアップルなら三つ以上、クリスプベリーの実なら大きな器一杯ぶんは買えると言うのに。しかし、そもそもこの金がオレの手元にあるのは彼女のお陰だ。オレは断腸の思いで革袋から銅貨を一五枚取り出しすと、半ばヤケクソになりながら彼女へ手渡した。


「食べないの?」


「え、ああ、食べるよ」


何かを期待するような視線で果実売りに見詰められ、我に返ったオレは真紅の実を躊躇いながら口元へと運ぶ。微かに甘い香りが漂う。


一五ラットもする果実など、買ったこともなければ食べたこともない。何だか勿体ない気もするが、食べない選択肢など存在しない。


大きく口を開けかぶり付く。果汁が口一杯に広がると同時に、何とも言えない衝撃が押し寄せる。食い物でこんな感動を覚えたのは、初めて串焼き肉を食って以来だ。


「どう?」


「美味しい。これは何て名前の果実なんだ?」


「リルドレイク。別名、竜の実って呼ばれる果実よ」


竜の実。聞いた事のない果実だ。どこか遠方から運び入れたものだろうか。そうだとすればこの価格も納得できる。


「それで、他に感想は?」


「他に? 濃厚な甘さと、バランスを保つ酸味が素晴らしい…とか?」


他にどんな答えを望んでいるのかわからず、美食家の真似事のような言葉を並べてみるが、彼女は全く納得していない様子で更なる感想を求める。


「ごめん。あまり高価なものは食べ慣れてないんだ。どう表現して良いのか────」


「そうじゃなくて体の調子よ。何か変化はない?」


彼女に言われて自らを見回すが、特に何も思い当たらない。そう答えようとした矢先に、まるで鉛の衣服を脱ぎ捨てたかのような、不意に身体が軽くなる感覚を覚えた。


「あれ、そう言えば身体が軽いような…」


精神と肉体の疲労回復。それがリルドレイクの効能なのだと、果実売りは興奮気味にまくし立てると、まるで自分が褒められたかのように、満足気に笑みを浮かべる。


特殊効能を持つ植物は、直接口にするだけでなく、魔術や呪術の道具や、魔法薬(ポーション)の材料に使われることもあり、場合に寄ってはかなりの高値で取引される事もある。いったい何処でこんなものを。


「凄いでしょ? 驚いた?」


「ああ、驚いた。どこでこれを?」


「ふふ、それアタシが育てたのよ」


「育てた? 農婦なのか?」


「ハズレ、薬草師(ハーバリスト)よ。まあ、まだ見習いだけどね」


彼女の言葉には強い誇りと自信が感じられた。


特殊効能を持つ植物を手に入れるには、森や野原での採取が一般的だ。入荷が不規則なため価格も高くなりがちだ。技能(スキル)固有能力(アビリティ)を駆使すれば、あるいは可能かとも思われるが、それが困難を極める作業となるのは容易に想像がつく。


薬草師(ハーバリスト)の見習いである彼女がそれを成し遂げたのだとすれば、一五ラットで済まされるような内容ではない。


「何か特殊な固有能力(アビリティ)でも?」


「そこまでは会ったばかりのアンタには教えられないわよ」


「そうか。そうだよな」


「でも、よく知らないのに一五ラットも支払ってくれたわね、心意気は評価しないとね」


果実売りが握手を求めるように右手を差し出した。オレが一拍遅れてそれに応じようと手を握ると、オレの右手には小さな包み紙が残されている。


「これは?」


「言ったでしょ、心意気は評価するって。アンタ冒険者なんでしょ? もし怪我でもしちゃって、ピンチになったら一か八かそれ飲んでみなさいよ」


「何かの種なのか?」


「ケアの種よ。高級な回復薬なんかの材料にもなるわ。私が育てた特別製よ」


「わかった…ありがとう」


そんな窮地には立たされたくないものだが、取り敢えず御守的な意味合いとしてありがたくもらっておこう。


「アタシ、エレノア。気が向いたら北通りにある『緑の袋鼠』という店を訪ねて。アタシの働く薬屋よ」


「オレはハルト。ありがとうエレノア」


エレノアは果実の盛られた器を抱え笑顔で去って行く。そう言えば何で果実売りをしているのか聞くのを忘れたな。そんな事を考えながら、浴場を出る前にもう一度だけ浴槽に浸かり、一週間ぶりの風呂を満喫した。


浴場を後にしたオレは少し早いが蛙の尻尾亭へと向う。本当なら細々と買い足しして置きたいものがあったのだが、今日は浴場で想定外の出費をしてしまったので我慢しないと。それに浴場を出てからずっと腹の虫が空腹を訴え続けている。


それにしても、あのリルドレイクという果実は美味かった。一五ラットという価格はともかく、あれなら単純にあの味が好きで買い求める客もいるかも知れない。


それだけでなく特殊な効能まであるとは驚きだ。今だに身体が軽く感じられるのは、リルドレイクの効き目だろう。出来ることならば、満腹感を与える効果もあったら良かったのだが。


「ハルトくん」


東の通りの向こうに貧民街の苔色の門が見えた辺りで、不意に名前を呼ばれて振り返ると、伸び切った癖の強い髪が目に掛かった俗人族(タダビト)の姿があった。


「こんばんは、キネオさん」


「もしかして蛙の尻尾亭かい?」


「はい。少し早いんですが腹がペコペコで」


キネオは蛙の尻尾亭でたまに会う常連客の一人だ。彼のどこか憂いのある独特な雰囲気は、街の名誉職とされる鐘打ちを継承しているせいだろうか。


鐘打ちは朝と夕の決まった時刻に、街庁舎の鐘楼にある鐘を打ち鳴らす仕事である。


彼が先代の鐘打ちである父親から、その職を受け継いだのは四年前のこと。一〇歳からずっと父親に習って、雨の日も風の日も街庁舎へと通う。まさに名誉職と呼ばれるに相応しい仕事だ。


「キネオさんは、これから街庁舎ですか?」


「うん。少し早いんだけど、夕刻の鐘を打つ準備をしにね」


決まった時刻に鐘を打つだけのために、きっとオレたちの想像もつかないような苦労もあるのだろう。


「鐘を打ち終わったらボクも、ボクも久しぶりに蛙の尻尾亭へ行こうかな。あそこの棒麦麺は絶品だからね」


「そう言えば、キネオさんいつ見ても棒麦麺ですもんね」


棒麦麺とは蛙の尻尾亭の定番メニューの一つで、挽いた麦粉を塩と水を混ぜてこね、麺状にしたものを茹で上げ、塩と獣脂と少量の香草で炒めたものだ。


全体的に安くてボリュームのある蛙の尻尾亭の中でも、安い部類に入るメニューなのだが、キネオはいつも決まってこの棒麦麺を注文している。


鐘打ちが名誉職と呼ばれるのは、毎日ちゃんと決まった時間に鐘を打つ、まるで僧侶の修行とも思える仕事を、一人で欠かさずこなさなければいけない為だからだが、その割に給金は大して多くないと聞いた。


仮に本当にそうだとしても、流石にオレほど金に困っているわけではないはすだ。きっと服装もそうだが、倹約を旨とする生活を心掛けているのだろう。


挨拶を交し街庁舎へと向うキネオの背中に、強い信念にも似た格調高い品位を感じた。

内容はともかく更新は思った以上に順調です。

お時間あればまた覗いてください。

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