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読んでくれて有難うございます。
この辺りでは一日二食が一般的で、裕福な家庭なら間食やお茶の時間などもあるらしいが、貧乏なオレなどはその二食にありつけるだけでも悪くない。
瓦礫通りに並ぶ店は、どこも一様にボロ屋で、看板などあったとしても文字が読み取れないほどに色褪せている。その点、蛙の尻尾亭の薄汚れた外壁には、煉瓦色の塗料で愛嬌たっぷりの尻尾の生えた蛙が描かれており、目印があるだけでも随分と気が利いていると言えた。
「こんばんはアマラさん」
「ふん、お前さんかい。ほら、座んな」
そう言って一切の愛嬌を排除した面持ちで、空いた席を目線で案内したのは、この店の名物女将のアマラである。
彼女はコンラッドと同じ小人族だ。小人族は成人しても俗人族の子供ほどの背丈にしかならず、一般的に感覚器官に優れた才能を持つ者が多い特徴を持つ種族である。
外見的には鼻と耳の大きさがやや目立つものの、俗人族とかなり似通っており、場合によってはその違いは曖昧なものだ。
その点で同じ多数派種族の岩窟人族との違いは顕著と言える。樽のような分厚い体型と、胸元まで伸ばした針金のように硬い髭を編み込んだ風貌。極めつけは顔の目立つ場所に、特徴的な入れ墨を施す文化を持つため一目瞭然と言える。
岩窟人族の顔の入れ墨は、元をたどれば洞窟で部族ごとに暮らしていた頃の名残りなのだが、現在は自らのルーツを主張する意味合いが強い。
いずれにしてもこの三種族がマルナの主要種族であり、街中では種族間の違いなどじつに些末なことに過ぎなかった。
「麦粥を一つください」
注文と同時にテーブルの上に置いたニラットを、ニコリともせずに黙って持ち去ったアマラは、すぐさま大きな器に並々と注がれた麦粥を手に戻る。
薄めの塩味だけのシンプルな味付けではあるが、ニラットでこの量を提供する店は、低所得者の多い瓦礫通りでもここだけだ。
「いただきます」
「たまには週末以外にも、もうちょっとマシなもん食ったらどうなんだい…」
いつもの愚痴をこぼしながらも、勢いよく麦粥を掻き込むオレを見て、アマラの口角が微かに上がる。
週末だけは一週間の労を労って、麦粥の他に一本四ラットの串焼肉を贅沢に楽しむ。アマラが口にしたのはそのことだ。彼女なりの叱咤激励なのだろうが、たしかにオレも早く食いたくてウズウズしていた。
蛙の尻尾亭はアマラと御主人が、採算は度外視で低所得者の空腹を満たしてやりたいという想いでやっている店だ。
コンラッドの話によれば、厨房を担当する御主人は、かつては貴族の屋敷に仕えていたことがあるらしく、材料さえ揃えば大抵のものが作れるらしい。
そうは言ってもこの価格でこの内容の料理を提供するのは、店にとってかなりの負担となるだろう。仮にそれが奉仕の精神に基づくものだとしても、無い袖は振れないわけだし。
そのせいか蛙の尻尾亭については、どこぞの貴族から支援を受けているのではないかとか、腕利きの猟師から食材の提供を受けているのではないかなど、店の常連客たちの間では密かに様々な予想がなされていた。
ものの数分で目の前の器は綺麗に空になり、アマラに礼を言ったオレは、背嚢を背負い街の南門を目指す。
「■■■■■ッ!」
その道すがら路地の裏手から怒鳴り声が聞こえた。何やら厄介事の匂いがするが、何となく気になって薄暗い路地を覗き込んでみる。
地べたに這いつくばる薄汚れた身なりの中年男。それを取り囲み足で小突いたり、罵倒を浴びせたりしている三人の男たちは、だいぶ酒に酔っている様子だ。
やはり覗くんじゃなかった。脳裏を過ぎったその思いは、三人の男たちの体格の良さに怯んだだけではない。
這いつくばる中年男に見覚えがある。通称、狂人エド。またの名を、ホラ吹きエドと言う、ある事ない事を流布して歩く変人として有名な男だ。前に瓦礫通りで見掛けた時には、何事かと集まる人だかりに向けて、目の前にたたずむ野良犬が自分が落とした銀貨を飲み込んだのだと騒いでいた。
瓦礫通りの連中は面白がって見ていたが、ツッコミ待ちとしか思えないその状況で、真剣に熱弁を続けるエドの姿は、まさに混沌を体現するものだ。
そもそも犬が銀貨を飲み込んだかどうかの前に、ろくに働いてもいないエドが、銅貨の一〇〇倍もの価値を有する銀貨を、どこで手に入れたかを不審に思う者はいないのか。話の内容によっては衛兵の出番となる案件である。
「おい、ジジイ! オレらの酒がどうしたって?」
「だから言ってるだろ、それは酒じゃなくて馬の小便だと」
「オレらが馬の小便を飲むってんなら、お前は馬の糞でも食いやがれ!」
苛立った酔っぱらいの一人が、力任せにエドの肩口を蹴り上げると、派手にもんどり打って道の脇にあった馬糞の上に倒れ込んだ。起き上がった糞塗れのエドの額には血が滲んでいた。そんな姿を見て、男たちはゲラゲラと声を出して笑う。
絡まれる理由はエドにあったのかも知れないが、非力な中年を痛ぶって酒の肴にするなど趣味が悪過ぎる。
「衛兵だ! 衛兵が来たぞ!」
突然の叫び声に、男たちは慌てふためきその場を逃げ去った。こんな夜更けに衛兵に捕まれば取り調べすらしてもらえず、そのまま牢屋で夜を明かすことになる。
ところがどれだけ待っても衛兵は現れない。叫び声を上げたのはオレだ。ホラ吹きを助けるために嘘をつくなんて、質の悪い冗談話のようだが今回は上手くいったようだ。
「大丈夫ですか?」
「お前さんは…」
呆けたような表情でオレを見上げるエドに肩を貸して立たせ、服のホコリを手で払ってやると、ようやくオレに助けられたことを理解したらしく、神妙な面持ちで頭を下げた。
「ありがとう。お陰で助かった。儂はエドだ。お前さん、名は?」
「ハルトです」
「ハルト殿、何か礼をさせてくれないか」
「いえ。そんなつもりでしたわけじゃないですから」
手を大きく振って礼など必要ないと強調するが、真剣な表情で真っ直ぐにこちらを見据えたエドは話を続ける。意外にもその面持ちには理知と見て取れる。
「いや、そういう訳にはいかない。銅貨を一枚持っていないか?」
「銅貨?」
「ああ、一枚貸してほしい」
妙な話の流れになってきた。助けた礼をするどころか、恩人のオレに金をせびるつもりだろうか。
「銀貨に換えてやる。こう見えても儂は錬金術師なんだ」
「ふぇ?」
突拍子もない話に思わず変な声が出た。錬金術師とは、物質を別の物質に変換する特殊技能だかを持つという稀有な職種なのだが、そもそも実在するのかも怪しい噂話の類だ。
「本来ならその銅貨自体も、儂が出すべきなのだが手持ちがないもんでな」
いよいよ変人でありホラ吹きの真骨頂といったところか。礼は必要ないと何度も丁重に断ると、オレは引き止めるエドの声を振り払うように、今度こそ塒となる南門を目指した。
通りの向こうに見える、大きく頑強な門を目指しながらふと思う。あからさまに如何わしい話を持ち掛けられていると言うのに、エドの言葉はどこか晴れやかで堂々としていた。この世には理屈で説明出来ない不思議な力が確かにある。
もしも、オレが金と時間を持て余す貴族だったら、面白がって快く銅貨を差し出したに違いない。いや、そもそも貴族は銅貨など持ち歩かないだろうか。いずれにしろ、未だに銅貨を受け取ったエドが、何をするつもりだったのか見届けたかったという思いが心の片隅に残っていた。それがどんな結末であれ、人は物語の結末を知りたがるものだ。
ホラ吹きエドなどと呼ばれているが、ひょっとすると彼には人を騙す技能でもあるのかも知れないな。だとすれば、それはそれで興味深い。次に会うことがあれば、それとなく問い質してみるか。そんなことを考えながら南門にたどり着いた。
「お努め、ご苦労様です」
「おう、荷物持ち(ポーター)の坊主。今日も野宿か?」
「はい。近くに天幕を張らせていただきます」
「火の始末はちゃんとしろよ」
門番の衛兵たちとも、いつの間にか顔馴染みになった。冒険者でありながら水路のドブさらいと、馬車の荷下ろしを本業としているオレの塒は、南門を出てすぐの場所にある街道沿いの木の下だ。
衛兵たちもそんな変わり者を面白がっている様子で、今のところは良くしてもらっている。彼らの近くにいれば、万が一の際にも心強いだけでなく、南門前の篝火のお陰で野営準備がしやすい。
本来であれば城壁のすぐ外で火を炊くなど、咎められても文句を言えない行為なのだが、その辺はコンラッドにもらったアドバイスのお陰で上手くやっている。
日々のご機嫌うかがいは当然だが、月に一度は安酒を片手に挨拶に出向く。銅貨一枚すら無駄に出来ない切り詰めた生活を送ってはいるものの、街の治安を司る彼らが味方か敵かで、マルナでの生活は一変してしまう。言わばこれは必要経費だ。
手際良く石を積み上げて竈を作り、天幕を張って野営の準備を整えると、火を起こして湯を沸かす。毎日の事なので、この一連の作業にもだいぶ慣れた。
背嚢から取り出した小さな布袋から、乾燥した植物の葉を数枚取り出して放り込むと、やがて辺りに爽やかな香りが立ち込める。森で見付けたグロンガという植物の葉を陰干ししたものだ。
グロンガは大陸に広く分布する塊根植物で、葉だけでなく、実や根に至るまで、食材や酒、薬の材料に用いられる。栽培種に比べて野生種は薬効が高いことから高値で取引されることが多く、見付けた際には街で買い取ってもらい生活費の足しにしていた。
採取した際に葉を何枚か採っておき、こうして落ち着いた一日の終わりを迎えるにあたり、夜な夜な茶を啜るのに使わせてもらっている。
見上げると真っ黒な空に、真円に程遠い月が煌々と輝く。明日は馬車の荷下ろし作業の日だ。そして、明後日は安息日。
そろそろ新しい靴下が欲しいのだが、先立つものが乏しくてなかなか手が出ない。また森へ植物採取にでも出掛けようか、それとも沢で蟹や小魚を捕まえる罠でも仕掛けてみるか。
一日の終わりだ。背嚢から茶色の香袋と白色の香袋を取り出したオレは、滑り込むように寝袋に潜り込み、両方を一遍に胸一杯に吸い込んで瞳を閉じる。
暗闇な瞼の裏に、闇に溶け込む髑髏が浮かぶ。本来の使い方とは異なるが、あの日以来ずっと繰り返すオレの日課だ。
これまでの戦績は全敗。さて、今日はどんな手を試すか。最初は闇を体現したようなその魔物に、成す術なく僅か数秒で屠られた。夢だと知らずに起き上がった翌朝は、これまでに経験のない凄まじい倦怠感に襲われた。
この頃は三分以上やっていられるようになったし、寝起きだって快適なものだ。そろそろ冒険者ギルドにも顔を出してみないとだよな。そんなことを思いながら、オレは今夜も闇の中でのたうち回る。
◇◆◇◆
マルナの朝は早い。街民の多くは東の空が白む頃にはベッドを抜け出し、陽がはっきりとその姿を現すまでには身支度を整える。
この生活にもすっかり慣れたオレは、服を着て昨晩の茶の残りで口を濯ぐ。手際よく天幕と寝袋をたたみ、竈の片付けを済ませ、南門の衛兵たちと朝の挨拶を交わし冒険者ギルドへと向かう。
しばらくご無沙汰たっただけに、いつにも増して入り辛い雰囲気だ。建物の前には既にガラの悪そうな連中がたむろしており、すれ違っただけで威嚇するような視線を浴びせてくる。
大抵の者がオレの背負う大きな背嚢を見ると、すぐに興味をなくしたように視線を外すのは、その視線が本来なら↓好敵手に向けられるべきものだからだろう。荷物持ち(ポーター)をライバル視する冒険者など皆無に等しい。
建物に入ったオレは誰とも視線を合わせずに、受付カウンターを通り過ぎると、そのまま奥の壁一面に設置された掲示板の前へと進む。
所狭しと貼り出された依頼書。冒険者にとってはこの依頼書の数だけチャンスがあるわけだが、全ての依頼が食い扶持になるとは限らない。
オレは依頼書に記載された書き込み日を確認しながら、日付の新しいものから順に目を通していく。貼り出されて数週間以上が経過している依頼書は、冒険者の間で俗に『毒依頼』と呼ばれるもので、依頼内容に著しく無理がある場合が多いからだ。
依頼者が依頼内容に、期限や請け負うための最低等級などを指定できるように、受ける側の冒険者にも依頼を選ぶ権利がある。
こうした毒依頼の中には、掲示日数の経過と共に報奨金が吊り上げられ、無事に依頼達成に結び付く物もあるが、多くの場合は掲示板の隅に追いやられていく。
まだ掲示板に貼られた依頼書の半分も確認できていないが、今日のところはこの辺で切り上げるとしよう。
オレは今日の仕事場となる、首領マイルズの治めるマイルズ商会の倉庫へと急いだ。
お時間あればまた覗いてみて下さい。