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不思議な手品師

 時代は明治か大正といった頃の話である。



 それはもうすぐ日が暮れるという時分のこと。


 空が赤く焼ける中、一人の着物の男が道端の草むらに座り、ボーッと空を眺めていた。


 着物であるにも関わらず、場違いにも思えるシルクハットをかぶった、妙と言えば妙な出で立ちであった。


 そんな彼の耳に、何やら騒がしい複数の声が聞こえてくる。


 そちらに目をやると、数人の着物の男の子たちの姿が目に入った。何やら揉めているようだった。


 見るに子供特有のからかい、おちょくるといったものを含んだイビリのようだった。


 全員着物姿であるが、一人、何やら洋風のつばの短い麦わら帽をかぶった子供をいじっていた。


 大人で帽子をかぶるのも珍しくなくなった頃だったが、子供でかぶるのはまだ珍しかった。数人で一人を囲み、囃し立てている。


 やがてその中の一人が隙を見て帽子を奪い取り、それを近くの田んぼに投げ入れてしまった。田植え直前の時期であり、田んぼには水が張られ、ぬかるんでいる。そんな中に、帽子はボチャンと音を立て落ちてしまった。


 これには、さすがに今まで無抵抗だった男の子も怒ったのか、拳を振り上げて、他の男の子たちに飛びかかろうとする。いじめっ子たちはその行為が愉快だったのか、笑顔で囃し立てながら、逃げていくのだった。


 わざと怒らせて逃げる。子供には割とよくある行動である。勿論、やられた方はたまったものではないが……。


 結局帽子をかぶっていた男の子は他の男の子たちを追うことはしなかった。


 そして眉を吊り上げ不満を顕にしながら、草履を脱ぎ、裸足で田んぼの中に入って帽子を取る。落ち方が悪かったのか、中途半端に内部に水が入り、結構な部分が泥にまみれてしまった。


 男の子は田んぼを出て、脇にある用水路で足を洗い、そして帽子も洗おうとする。そこでその様子を見ていた男が初めて、声をかけた。


「麦わら帽を洗うのはおすすめしないよ。水に弱いからね。まぁ、いまさら遅いかもしれないがね」


 男の子は、男がいたことに初めて気づいたのだろう。ビクリとしながら、男を睨みつける。


「……何さ、おじさん。ずっと見てたの?」


「見てたとも。君たちがここに来る前からいたからね。子供の喧嘩に口を挟む気は無かったから、じっとしていたがね」


 子供はやや警戒していたが、男のかぶっていた帽子に目をひかれ、思わず彼に問う。


「おじさんって一体何なの? その帽子は?」


「私はマジシャンさ。この帽子はシルクハット。西洋じゃ珍しくないさ。日本でもかぶられるようになってきたがね。マジシャンは皆これをかぶるんだぜ」


「マジシャン?」


「手品師のことさ。……ふむ、そうだな、ここであったのも何かの縁だ。君に一つ手品を見せてあげよう。君のその帽子を貸してごらん」


 男の子は一瞬躊躇したものの、結局好奇心に負けたのか、その泥だらけの帽子を男に手渡す。


「これを使って手品をしよう。よく見ておいてくれ」


 そう言うと男は、受け取った男の子の帽子に布をかけ見えなくする。


「さて、この帽子がどうなるか……それっ! 一、二、三!」


 掛け声とともに布を取り外す男。男の子は凝視するが、そこに有ったのは相も変わらず泥に汚れた麦わら帽であった。


「……何さ。どこも変わってないじゃ--」


 文句を言おうとした男の子だったが、すぐに訪れた変化に思わず言葉を飲み込む。


 帽子自体に変化はない。しかし帽子がカタカタと揺れたかと思うと、帽子についていた泥が意思を持ったように動き出す。


 泥の群れはやがてそれぞれ人の形を取るようになり、帽子を囲むように距離を取ると、一斉に踊りだした。小さくて聞き取りづらいが、何やら歌のようなものを歌いながら踊る泥の小人達。その様子はさながら祭りか何かの儀式のようであった。


 すると次の変化がまた帽子から表れた。何やら帽子から、白いモヤのようなものが浮き出てくる。そのモヤはどんどん濃くなり、やがて麦わら帽の真上には小さな雲が出来上がっていた。小人たちがやっていたのは雨乞いの儀式だったのだろうか。


 その雲は音もなくスーッと隣にあった田んぼに移動したかと思うと、そこに小さな雨を降らせる。それとともに雲はどんどん小さくなっていき、やがては消えてしまった。


 その様子を見守っていた泥の小人たちは歓声を上げると、踊りながら次々と田んぼの中に飛び込んでいく。


 そしてやがて小人たちもいなくなり、辺りは何事もなかったかのように、いつもの様子に戻っていた。


 その不思議な光景を呆然と見ていた男の子。ふと我に返り自分の帽子を見ると…………そこには、自分が最初にかぶっていたときのような、きれいな帽子が目の前にあった。


 驚いて触ってみるも、それは確かにいつもどおりの、泥にまみれてもない、水に濡れてもいない、麦わら帽であった。


 男の子は、マジシャンを名乗った男を見る。彼はしてやったりという表情だ。


「楽しんでくれたかな?」


「え……? あ、うん…………その……」


 どうも上手く言葉に言い表せない様子の男の子。そんな彼を尻目に、男は荷物をしまい立ち上がる。


「さて、本来なら手品は有料なんでね。サービスはここまでだ」


「あっ……」


 何かお礼を言おうとした男の子だが、先程まで見た現象が飲み込めず、なんと言っていいのか、とっさに言葉が出ない。


「それじゃあな。少年」


 そして去っていく男。


 少年はそれを黙って見送る。しかし男のその後姿、正確には彼の足元の方を見て、目を見開いて驚き、思わず声を上げてしまった。


「あっ! 尻尾!!」


 それは人間には見られない、獣の尻尾。それが男の足元の着物の裾から、チラチラとはみ出ていた。


 男はその声に振り返り、少年を見据える。そして男はにやりと笑い、自分の口元に人差し指を当て、シーッと口をつぐむ仕草をする。


 それも束の間、やがて男は再び前を向き歩き出す。


 少年は歩き出した男にハッとし、その後姿に向かって叫んだ。


「あっありがとう! 手品師のおじさんっ!」


 少年の声に男は振り向くことなく、手を振って答える。その後姿を少年はずっと見つめていた。


 やがて男の姿が見えなくなり、少年もまた歩き出す。


 その表情に先程までの険しさはなく、頭にいつも通りの麦わら帽をかぶった少年は、軽やかな足取りで家路につくのであった。



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