一輪目 アヤメ
〈一章 たいせつなもの〉
【一輪目 アヤメ】
今日も雨が降っていた。ザーァ、ザーァと音を立て降りかかってくる。体から雫が滴り落ちる。
永遠と続く、山々を超え、歩道の片隅を歩いていた。
ゴー、ゴーと疎らに通る車の音と水たまりの上を通った車から土が混じり濁った水が降り掛かった。
足や手はぐっしょりと濡れ、歩く度に水が身体に絡まりついてくる。
二三日歩いただろうか………嵯峨野線の沿線沿いの国道に出た。
そういえば、ここ最近何も食べてないな……
空腹で腹が捩れるほどの痛みが俺を締め付ける。徐々に腹だけでなく心も…
四両編成の二二三形が隣を素早くきり抜いていく。その風が身震いがするぐらい冷たくて凍りそうになった。
沿線を通りながらが強風でパサパサと音を立てて流れる若草の聞きながら、一面の緑の波と灰色がかった空を眺めながら食料を探していた。
気づくと、かれこれ丸一日住宅街を歩き回っていた。勿論、飯も十分には食べていなかった。
もう、四日も飯を食っていなかった。
家と家の薄暗い隙間にゴミ箱があった。駆け寄ってみるとそこには生ゴミが捨てられていた。
その中には少し骨に身のついた魚があった。
俺はその魚の骨を持っていこうとした瞬間、家と家の隙間から冷たい風が吹き、雲の流れが速くなった気がした。
同時に向こうから俺と同じように腹を空かせた奴がやってきた。
「おい!何勝手に俺の縄張りで取った獲物を取ってるんだ。俺様によこせ!」
後から来たそいつは俺の飯を横取りに来た。勿論、これを先に見つけたのは俺だ。
「これは俺が先に取ったものだぞ」
俺は言い返した。
「お前偉そうに…俺と勝負しようじゃないか。勝ったほうがその魚を譲るってのはどうだ?」
後からやってきた奴が俺に勝負を挑んできた。
「望むところじゃないか!」
俺はそいつの勝負を受けてやった。ここで逃げるのは好きじゃない。正々堂々と戦うそれが俺のモットーだ。
この勝負に必ず勝たなければならない。そう自分に言い聞かせた。
食料、食料、食料、食い物、食い物、食い物!頭にはこの言葉が繰り返し連呼されていた。
この二単語しか思い浮かばなかった。
正面の敵と向かいあっているだけの状態がかれこれ十分ぐらい続いている。
俺の体力は持つのだろうか……
「シャャーーー!」
相手を威嚇する声を出してみた。しかし、相手は一歩もひく気配はない。
「シャー!」
さっきよりも大きく相手を驚かせるように声を出してみた。
まだ、相手は動かない。どうすればよいか………
ここ数日食べ物を口にしていないのもあり、必死になっていた。
体力が底を尽きそうだ………
渾身の力を振り絞り俺は生まれて初めて前足で相手の身体を引っ掻いた。
「痛ってぇなぁ…お前、覚えていろよ……」
と相手はそう告げて獲物を放ってフェンスの穴に入り逃げ足で何処かに行ってしまった。
風は落ち着き、雲や草木は緩やかな動きに戻った。
さっそく、手に入れた獲物を堪能できる。俺に至福の一時がやってきた。
「天の恵みに感謝していただきます」と相手から取り上げた食べ物を頬張った。
今日の俺の飯は"魚の骨に少し身のついたもの"だ。
頬張るほどの身はなく決して美味しいとは言えないが、ほんの少しだが腹の足しになった。
飯を食べ終わった後、再び、住宅街へと足を踏み出した。
家と家の間のブロック塀をよじ登り細い道を歩いた。瓦屋根の家が多くあることに気がついた。
これは使えるぞ!
屋根に上がると住宅街を一望できた。獲物や敵を見つけるのに最適な場所だ。
屋根から屋根へと飛び移り、再び細い道に降り立った。
薄暗い道だったが、そこを通るしかなかったので仕方なく歩いた。
細い道の隣には殆ど水の流れていない用水路があった。枯れた葉や生き物の死骸などがわんさか浮いていた。
到底、用水路には餌になるような生きた魚や虫はいるはずもない。
厳しい世界だな……
数分ぐらい用水路沿いの道を歩いていると路地のど真ん中で一対一で喧嘩をしているやつを見かけた。
また、喧嘩しているな…どうでもいい喧嘩だろう…適当に見ていた。
「シャーー!」
と白毛のやつが威嚇した。それに対抗した黒毛のやつが、
「ニャーーグルグルグル……」
と威嚇した。どちらも一歩も引かない様子だ。
黒毛のやつが前足を出したが、このスピードなら避けられるはずだ。
しかし、白毛の体に当たってしまった。
何故、当たったのか………?
しばらく観察していると白毛の後ろ足の動きが鈍いことが分かった。
白毛は後ろ足に怪我をしていたのである。
「そ、そこは僕のな、縄張りです!」
と白毛のやつが言った。
「ここは俺の縄張りやぞ!そっちが勝手に俺んとこ入りやがって!」
と黒毛のやつが白毛のやつに対抗して言った。両者は睨み合っている。
「お前、聞き分けの悪いやつなのうー、じゃー立ち入り量として俺の昼飯をもってきて貰おうか?
それが嫌なら俺の仲間呼んできたるわ!」
黒毛はそういった。
白毛は逃げようとはしない。
黒毛に殴られて、蹴り飛ばされて、吹っ飛ばされて……
それでも白毛は逃げない。
「そこの地域には獲物や食べ物が沢山あるんです!僕にも子供がいて子供に飯を食わさないと……」
と白毛のやつが言った瞬間。
黒毛のやつが躊躇なくパンチを一発お見舞いしようした。
その瞬間……ピュッ
俺は黒毛目掛けて飛びつき黒毛に噛み付いた。
「なんや、お前!」
「お前のようなやつが一番嫌いなんだよ!」
「邪魔者が来ようともぶっ飛ばしたるわ!」
黒毛は攻撃を仕掛けてくるが、俺は軌道を読んで全てかわした。
「あいつが俺を追っている間にお前があいつを殴れ!」
「ぼ、暴力はできない絶対……」
「お前、子供を守りたくないのか?」
「も、勿論、守りたいです!あの子達はぼ、僕の生き甲斐なので」
「よし!それぐらいの決心があるなら絶対に倒せるぞ」
「はい、が、頑張ります!」
黒毛は俺のことを目で追いかけている。
「今だ!」
白毛は渾身の力を込めて黒毛に噛み付き、前足でパンチを喰らわせた。
「やったな!」
「やりました!」
「痛ったいのう……次、会ったらただじゃおかんからな!」
家の隙間から何処かへ行ってしまった。
「大丈夫か?」
と俺は白毛に声をかけた。
「ぜ、全然、怪我してないです」
「それなら良かった!」
「た、助けて頂いて有難う御座います!お礼にぼ、僕達の家に来てください!」
「おう、有難う!」
俺は白毛と家に行くことになった。さっきの敵がいないか注意深く歩く。
「まず、この用水路を、ま、真っ直ぐ進んでから肉屋の角をみ、右に曲がってください!」
「分かった右だな…」
右に曲がろうとした時、肉屋からとても良い匂いがしてきた。揚げ物の匂い、香ばしい匂い……
昔、食べたことがあったか……?
肉屋から親子が出てきた。嬉しいそうに手に"コロッケ"を持っている。
この匂いは……?
「あの〜だ、大丈夫ですか?三回ぐらい声をかけたのに気づかないので…」
「あーすまんな、次の道案内頼む、ちょっとぼーとしてしまってなぁ…」
少し戸惑っていた白毛だが、次に進むことにした。
「次に、中央通りをま、真っ直ぐ進みます!」
「中央通りって肉屋の前の道で合ってるか?」
「はい、あ、合ってます!ただし、ここの道は車通りがさ、盛んなので気をつけてください!薬局がある突き当りまで進んでください!」
車には奇跡的に出会わなかったが、少し歩くと薬局がある突き当りにきた。
「次はどっちに行けばいいんだ?」
「本町通りを右にま、曲がってください!す、少し歩いて土手まで歩いてください!」
「分かった」
俺は白毛に言われた通り歩いた。さっきの敵が来ないか警戒していた。
数分ほど歩くと目的地に辿り着くことができた。
夕日が大堰川を照らして俺達の影が水面で揺れていた。
大堰川の土手沿いの草むらをかき分けて白毛と歩いた。
「ここが僕の住処です!」
「お邪魔します…」
「どうぞ!」
そこには白毛の家族がいた。
「紹介しますね!一番上の息子の"フルーフ"、ブチ柄をしています。二番目の娘の"アス"、僕と似て真っ白な毛をしています。三番目の息子の"グリ"、灰色の毛の子です………」
俺は白毛の子供に挨拶した。
それから今日のことを白毛は子供達に話した。
「本当に有難う御座います!」
白毛は俺に改めてお礼を言った。
深夜、寝る間際に一番目の白毛の子供が声をかけてきた。
「父を助けてくれて有難う、父は俺達の為に色々無茶したりすることがあるからこれからもよろしくお願いします」
「あいつ、大人しそうに見えて危なっかしいことするからな……」
「やっぱり、そうなんですね」フルーフは苦笑いした。
「そういえば、俺、お前の名前は聞いていないな、なんて言う名前なんだ?」
白毛に問いかけた。
「僕の名前は……レフコスです!」
「レフコス、良い名だな」
レフコスが俺に質問した。
「泊まる所ありますか?」
「ないな……」
「それなら、ここに泊まっていきますか?」
「いいのか?しかし、悪いな…」
「貴方は命の恩人です!僕にもお礼をさせてください!遠慮は無用です」
「では、レフコスの言葉に甘えるとするよ、有難うな」
「これから宜しくお願いします!今日は遅いので寝ましょう!」
「そうだな…」
俺は草むらの上に寝た。寝床からは雲ひとつない満点の星空に囲まれながら寝ることができた。
今日から俺はレフコスとの共同生活を始めることになった。