第1話 魔法使いの娘
・九月一日
あたしの名前は三木桜。今、一三歳です。
元は日本の兵庫県に住んでいたんだけれど、初めての家族旅行で大事故にあって…あたしも含めて、家族みんな死んじゃったみたい。気がついたら、アースーンという別世界に、みんな転生させられていました。
それから五年の月日が経ちました。
こっちにやって来たばかりの時、八歳だった私は今、一三歳です。兄の大樹は一五歳。兄は私より二年早く、エミンという町のダイヨー学園に入学して…妹の私も今年から同じ学校に入れた、というわけです。
学校は六年間、通うのだけれど、全寮制。今は友達ができるか、正直不安です…。
今日あったこと。
午前中は大講堂でシェーン・イースト学校長のお話を聞きました。学校長はとてもお歳だけれど、新入生の顔を見ると、毎年、また一年間頑張れるだけの元気をもらえる、とおっしゃいました。
「若く希望にあふれた諸君にお会いできて、わしはとても嬉しい。もちろん、毎年同じことを言っておるのだが、それでもやっぱり嬉しいのです。数ある学校の中から、わが校に来られたこと、本当に嬉しく思います。分からないことがあれば、先輩や先生方に遠慮なく聞くとよろしい。まだ若い君たちには分からないかも知れないが、人には『縁』というものがある。結婚したり子供を授かったり、どこかの会社や機関に入ることだけでなく、今、この学校でみなさんが集っているこの瞬間も『縁』なのだ。これは理屈ではない。いつか、何かのきっかけで分かる日がくるでしょう。くれぐれも、縁をないがしろにすることのないように。縁を大切にし、周りの人を大切にできる人になってもらいたい。勉強以外で、歳をとったわしが、みんなに覚えていてもらいたいのはこのことです。以上、入学の挨拶はおわりです。みなさん、入学おめでとう!」
短いけれど、いいお話だと私は思った。
周りをみると、したり顔で頷いているメガネをかけた男の子と、ちょっと目をうるわせている金髪の小柄な女の子が目にとまった。人それぞれね、とあたしは思った。
イースト学校長は、しわだらけで、肌の白い人だった。胸元まで伸びたおヒゲは肌よりずっと白くてきれいだった。
毎年、入学式にあわせて新調されているという深い紫色のローブは艶やかに光っていて、大きな人ではないけれど、言葉や仕草にとても威厳を感じました。
その後、若くて仕事の出来そうな美人の教頭先生・ジリー・フランクさんから、一人ひとり名前を呼ばれ、自分のクラスを紹介されました。講堂の中には三つの群衆の塊ができました。
今年は例年より、ちょっと新入生の数は少ないそうです。
学校長より少し色の薄い紫のローブをまとって、メガネをかけ、髪をひっつめていたフランク教頭先生は、ピシッと決まった外見より、とても優しい印象の人でした。きっと男子の中には、早速憧れちゃってる子がいるに違いない…。将来好きになる人がそんな人だったら嫌だなあとちょっと思いました。まあ考えすぎでしょう。
さて、クラスに別れて集まったあとは、みんな自分の名前を言い合うだけの、ごく簡単な自己紹介がはじまりました。
この学校に入れる人は、貴族や爵位のある人とか、親が会社の社長とか。はっきり言えば裕福な人たちばかり。名字を聞いて、きっとあの病院の子だわ、とか、図書館長のお孫さんかしら、とか。私でも気がついたくらいです。
この学校は、将来のエミンを率いていく立派な人材を育てることが目標で、豊かな人材づくりに長けているということで有名なのです。
だから、お父さんもお母さんも安心して子供たちを見送ることが出来たというわけ。何より、たくさん友達をつくるんだ、大きな人間になるためにも、とはお父さんの言葉です。
お互いの紹介が済むとすぐにお昼になり、大食堂でバイキング形式の食事が終わった後、最後にケーキとお茶が出ました。それを味わっている間に、今度は自分の部屋の割当を発表されました。学年ごとに宿舎があるのです。
男子の宿舎と、女子の宿舎は構内の東側と西側に分かれていて、北側には大きな三階建ての校舎があります。南側に正門があり、正門に近い方が六年生、一番奥が一年生の宿舎で、校舎に一番近いの。なにか困ったことがあった時、若い子たちほど相談しやすいように、との配慮だそうです。
構内の中央には小さな池があって、周りにはベンチが取り囲んでいます。
文化祭の時だけは、池から噴水を出すと聞きました。その頃、あたしはどうなっているのかな。
で、自分の部屋に引き上げてからは、昼間のうちに運び込まれていた荷物をほどいて、棚に入れたり。机にしまいこんだり。時間割を見て、明日の授業で使う教科書やノート、筆記具をカバンにつめたりしていました。
そうこうしていているうちに、ふと窓を見ると、もう夕方の赤い空です。
部屋は、一人ひとりに個室が割り当てられています。
勉強机にベッド、タンス、衣装掛けに押入れが一つ。他には、天井まで届く高さの本棚が二つ。
全体としては細長い部屋です。
ひとつ、驚いたのは、前にこの部屋を使っていた先輩からのお手紙が、机の上に置いてあったこと。
手紙の裏に署名があって、アンネ・クライネさんという人でした。
今、とっても寂しいでしょう。私もそうだったのよ。一冊だけ、私の好きな詩集を机の引き出しに置いておきました。よかったら読んでみてね。私は二年生で、服飾クラブに入っているから興味があったらのぞいてくれると嬉しい、とのこと。分からないことや不安なことがあったら、なんでも聞いてちょうだい。みんな最初はそうだったんだから…。
とても良い学校みたい。お兄ちゃんから聞いていたとおりで安心したけれど、新入生向けにこんなサプライズがあるとは知らなかった。教えてもらえなくて良かったわ。
寝る前の二時間は、学習室で勉強する時間が割り当てられている。分からないことは友達や先生に聞けるみたい。でも新入生のあたしたちは、入学初日はちょっとしたパーティを開くそうで、もうすぐ時間です。
お父さんに、さびしくなったら日記をつけるといい、と言われて、三年分の日記帳をもらった時は、そんなお子様じゃないわよう、と思ったけれど、いざ親元を離れるとやっぱり不安です。
こうやって文章にして読み返すと、先輩からのお手紙もあって、少し安心できました。お父さんが日頃、言っていることだけれど、書くことって自分をつきはなして見ることができるのね。やっとその言葉の意味が分かってきました。
こんなに寂しくなったのは、アースーンに来てからは、お兄ちゃんがこの学校へ行ってしまった日くらい。
* * *
パーティは楽しかった。
さっそく、五人と仲良くなって、一つのテーブルを囲んでいろいろおしゃべりしたけれど、二時間なんてあっという間。
就寝まであと三十分あるので、ちょっと気になっていることを書いておきます。
夏休みは七月から八月の二ヶ月。
冬休みは十二月から翌年の二月までの三ヶ月。
あと三ヶ月もすれば、すぐお屋敷に帰れるわけ。
勉強はとても大変だそうだけれど、三ヶ月だもの。全力で頑張らないと。
「休みが長いのは、その間、暑すぎたり、寒すぎて勉強にならないからだよ。光熱費がかかり過ぎることも原因みたい。食事は豪華だし、銀行や公共機関に出向いて実地講習を受けたりもするからね。上流階級の子供たちだからって、余分な教育費も集められないわりに、講師は国の中でも一流ぞろいだから、経営は結構、厳しいらしいよ。大企業の社長が経営学のセミナーを開いているのを聞きたいからって、学長と教頭先生までついてきたりねえ。毎週末に先生方の次の週の予定表が教員室前に貼り出されるんだ。それは先生方にどこに行けば会えるのか、質問をしたり相談にのれるかって配慮なんだけど、どの先生もスケジュールがびっしり。大人になっても人生ってこんなに忙しいのかって、正直、最初は怖くなったよ」
昨年、いよいよ私もこの世界の学校へ行くと決まった時、十二月の寒い晩のことでした。
大樹お兄ちゃんが帰ってきて、あたしが入学試験に合格したと聞いて、いろいろ話してくれたの。
家族みんなで食堂に集まり、暖炉にはたっぷり薪をたいて、あったかい気分で生姜入りのお茶を飲んでいるときだった。大樹お兄ちゃんは、あたしのために学校がどんなところか、結構、つっこんだ内容まで話してくれたのだ。
「…でも、その予定っていうのが、ほとんど僕ら学生のためなわけ。この時間は資料作り。この時間は学長と、来週の校外学習についてのミーティング、ていう感じでね。で、最初の頃はどうやって質問したらいいのか、悩んじゃったよ。でも、先輩がわざわざ声をかけてくれてね。お前たち、勉強で困っていたら、いつでも質問していいんだぞ。スケジュールでいっぱいに見えるけれど、生徒たちが声をかけてくれるのを、先生たちは心待ちにしてるんだからな。息抜きになって先生方も一息つけるんだ。気楽にいけよ…ってね」
「いい学校に入ったわね」とお母さんが言った。
「まあ、死ぬほど悩んで、探した学校だったんだ。相変わらず、良い校風みたいで安心したよ。でも、資金繰りに困ってるとは、グーテンさんにも聞いてないな」とお父さん。「我が家からも少し寄付をさせてもらおう」
そう言ったお父さんは、五年前とはずいぶん変わっていた。
率直に言えば、かっこよくなった。毎日よく寝て、よく勉強して、よく運動もしているから。車のない世界だから、用事があればたいていは馬車か、徒歩での移動。最初の二年くらいは、お父さんもお母さんもお出かけのたびに次の日は家で一日過ごしていたわ。
そんなお父さんも、今は目の下の黒いくまはなくなり、ぽっちゃりしていたのが、ひきしまって、ボロボロだった肌もすっかりキレイになった。ただ、白髪は増えたかな。
この五年間、やりがいのある仕事ばかりで、頼りにされることも多くなったので、すっかり自信がついて…そうね、もう一度生き返ったようだといえばいいのかしら。
お父さんは魔法使いということで、グーテンさんの紹介で(内々に)エミンの町の町長に紹介され、最初の一年くらいは道の修繕やら地下の下水に巣食っている大ネズミの退治や荒れ地の道に出没する盗賊の討伐とか、城壁の強化とかにつとめて、それは大変な信頼を得たみたい。どれもこれも、たいていの人間には手に負えないことだったから。
それで、晴れてお父さんは一年後、エミン町長から公式に貴族として認められて、一定のお給金を頂けるようになったの。ただ、それは家族とお屋敷のみんなが食べていくのにギリギリの金額だったので、お父さんは町の人たちと何回も会議を開いて、考えに考え抜いて、五つの『道」を切り開くことにした。
そして、今は一年間に一人十ドンさえ支払えば、誰でも街道を通れるようにしているの。
信じられないほど安い金額なので、みんなが利用するようになった。おかげで我が家のお財布は潤い、マリーさんは最近はアイルに似てきたみたい。親が子に似てくるなんておかしいけれど、よく笑うのよ。
それらの『道』は、レンガを敷き詰めて、なるべく雑草が生えないようにして、『街道』と呼ばれるものになっていったんだけど、あたしと大樹お兄ちゃんもこっそり手を貸したので誇らしかった。
レンガは鍛冶職人の人に焼いてもらったのだけど、そのお金の半分はグーテンさんが負担してくれた。
「確実に、たくさんの人が利用するでしょうからな。道の管理や保守にもまだお金もかかるでしょう。それでも、毎年現金で払いがあるなら、長い目で見て、充分見返りはありますよ」
残りの半分は、町長と図書館長が出してくれた。エミンの蔵書は国でも一番なので、街道が出来れば利用者が増えるのは確実ですと、グーテンさんにさとされてね。
道の他にも、お父さんにはずっと気になっていたことがあって、そっちの仕事がない時は、領地の中の村へ出かけていた。今まで、トレント家が穀物をとりたてていた村に出向いて、これからは自由に畑を広げていいと言ったの。ただし、山師さんと相談して、森や林のバランスが崩れない程度で、どこまで、という制限はあったけれど。
お父さんは『農奴』…畑に縛られて、穀物の九割を領主におさめなければならないという制度が嫌で(元々は五割だったのを、ダボンが釣り上げたの…)、穀物は一割、そして年間一万ドンを払えば、あとの収穫は自由にしていいと言ったの。畑仕事が嫌なら他に行っても構わない、とも。
お父さんは、ダボンのしたことで、村のみんなが他所にいってしまうのを恐れていたけれど、村のみんなは誰一人、農業をやめなかった。そしてお父さんに泣いて感激する人ばかりだった。トレントさんは優しい人だったらしいけど、土地の風習で、そこまで農民の暮らしを改善することはしなかったし、出来なかったのね。
村のみんなは、エミンとお屋敷までの道が開通して、穀物を運ぶのが楽になるし、働けばほとんどがこれからは自分たちの手取りになる。みんな生き生きしていて、あたしたち兄弟は、村のみんなにお嬢様、お坊ちゃまと呼ばれるようになって、くすぐったい気分だった。
と、ここまでは順調にきている私たちなんだけれど。
あまり順調なのでちょっと怖いくらいです。でも…元の世界でゾンビのように何年も働いていたのだし、お父さんは努力を怠らない人だもの。これだけのことをしてきたんだから、正々堂々としていればいいのよね。
そして今日は早く寝ようとペンを置こうとした時、部屋をノックする音を聞いたの。
もう就寝時間だからびっくりした。
ドアを開けると、金髪の女の子が立っていた。講堂で学園長のお話を聞いていた時に、目をうるわせていた子、とすぐに分かった。
「こんばんは。どうしたの?」とあたしは言った。
「あなた、魔法使いの娘なんでしょ?」とその子は言った。表情は無機質で、感情の読み取れない声だった。
あたしは身体をこわばらせた。魔法使いに対しての世間の評価というのは、すごく、微妙だから。その様子をじっと見て、その子は言った。
「明日、放課後にゆっくり話したいの。いいわね? あたしはジャンヌ・ドレス。それじゃ、おやすみなさい」
というわけ。もう寝ないといけないので今日はここまで。明日はいったいどうなるの?