クロエ・マニオ
俺は大きく両腕を広げて詠唱を始める。
「クロ・キタレ・マニ・キタレ・エーク・エル・リータス」
クククク。
目にもの見せてくれるぞ、毛玉。
「フウウウウ――。悠長に詠唱などさせると思うか」
その魔王は口を開くと、黒い閃光を放ってきた。
だがそこにマホが進み出る。
「トラエルシーダ」
いつもより魔力を込めた結界は強固だ。
魔王の閃光を弾いた。
「奈落に住まう双貌の悪魔よ。古において俺にケチョンケチョンにされた挙句、下僕にしてやった契約を履行しろ」
俺の黒髪がざわざわと蠢く。
「貴様らの都合など関係ないから今来い」
これは攻撃魔法ではない。
防御魔法でもない。
このゲドー様にしか使えない高等魔法だ。
「グオオオオ――!」
魔王が黒い光を連射するが、ことごとくマホの結界に防がれる。
だが仮にも魔王の攻撃だ。
マホの魔力消費も半端ではなかろう。
長持ちはすまい。
現に全力で張っていると思しき結界も、すでにあちこちにヒビが入っている。
「クロエ・マニオ」
魔法が完成した。
俺の両の手のひらに、ピシッと亀裂が入った。
その亀裂が、メリメリと広がる。
「ギイイイイ……!」
亀裂が鳴いた。
その亀裂の内側には、小さな牙がずらりと並んでいる。
亀裂は口になった。
俺の左右の手のひらに、口が生じたのだ。
左右の口がギイギイとやかましく喚く。
「ヌウ……。その魔法は」
「ふはははははは! 覚悟はいいだろうな、ヴァルマ・ゲドン。このゲドー様の力を目に焼き付けてから灰となれ!」
俺は両手を突き出した。
「ホノ・ホノ・ジア・ホノ・ホノ・エーク・エル・リータス」
右手の口が詠唱を開始する。
「キリ・キリ・ジア・キリ・キリ・エーク・エル・リータス」
左手の口が詠唱を開始する。
「ザム・ザム・ジア・ザム・ザム・エーク・エル・リータス」
俺が詠唱を開始する。
そう。
これが500年前の魔法全盛期において、このゲドー様を大陸最強たらしめた秘術。
俺が本気を出せば、3つの魔法を同時に行使できるのだ。
「させぬわ。デスタール」
魔王が黒い球体を放った。
さしものマホの結界も、これを防ぐことはできずに砕け散った。
黒い球体は俺の魔法障壁も突破し、俺の腹を貫通して風穴を開けた。
どてっ腹に穴が空いて痛いんだよくそがあ!
だが風通しがよくなっても俺の詠唱は止まらない。
腹の穴などじき塞がるしな。
右手と左手を大きく突き出す。
「クククク、ははははは! 守護の精霊ごとまとめて消し飛べ」
順番に魔法を放っても、順番に守護の精霊に打ち消されるだけだろう。
だがこのゲドー様の魔法を3つ同時だ。
跡形も残らずに消滅しやがれ。
「ホノエラシオン」
右手の口が紅蓮の業火を吐き出した。
「キリエラシオン」
左手の口が絶対零度の吹雪を吐き出した。
「ザンデミシオン」
俺は極太の稲妻を放った。
「グオオオオ――!」
魔王が咆哮した。
防御魔法を展開したのだろう。
だが無駄だ。
無駄無駄無駄無駄無駄だ。
魔王の周囲を舞う守護の精霊が、紅蓮の業火と相打ちになった。
魔王が展開した防御魔法が、絶対零度の吹雪を押し留めた。
だがそこまでだ。
極太の稲妻が、魔王の巨体を飲み込んだ。
稲妻はそのまま地面を削り、遥か彼方まで大地に痕跡を残して消えた。
「グオ……」
土煙が晴れると、魔王は生きていた。
全身を焦がしてぶすぶすと黒煙を上げながら、まだ立っていた。
「ヌウウ……。やってくれたな、魔法使いゲドー……」
口から煙を吐き出しながら、深紅の瞳で睨みつけてくる魔王。
「ふははははは。哀れな格好だなあ、ヴァルマ・ゲドン。ディナーの席に熊の丸焼きとして並べてやろうか?」
「おのれ、脆弱な人間風情が……!」
地響きを立てながら接近してくる魔王。
怒りの表情をしている。
どうやら肉弾戦を挑むつもりのようだ。
この伝説の大魔法使いゲドー様を前にして、魔法勝負では分が悪いと踏んだのだろう。
賢明な判断だ。
ククク。
だがなあ。
肉弾戦なら勝てると思っているあたり、所詮は熊並の知能しか持っていないようだな。
「マッソーラ」
右手の口が唱える。
俺の全身の筋肉が、メキメキと膨張して逞しくなった。
「ハッソーラ」
左手の口が唱える。
俺の全身が身軽になり、敏捷性が上がった。
「ガッチーナ」
俺が唱える。
全身が鋼のように硬くなった。
「ふぅははは! 肉弾戦においてもゲドー様は最強であると思い知れ」
接近した魔王が巨大な爪を振り下ろす。
俺はそれをかいくぐり、魔王の腹にボディブローを叩き込む。
「グオオ……!」
魔法で強化された俺の強烈な拳は、熊のような魔王の肉体をもへこませた。
たまらず魔王が爪を振り回す。
「温い温い温い温い温い! くたばれああああああ!」
ボディボディボディボディ!
一撃ごとに魔王の腹がミシミシと音を立て、魔王が悶絶する。
ズドン――!
俺の猛烈な右フックが胴体に突き刺さり、魔王のアバラをへし折った。
「グオオオオ――!」
魔王が高らかに咆哮する。
「弱い弱い弱い弱い。もっと魔王らしいところを見せてみたらどうだヴァルマ・ゲドォォォン! ははははははは! はーっはっはっはっは!」
俺は魔王をボコボコに殴り続ける。
魔王の胴体はべこべこにへこんで見るも無残な状態だ。
この分だとアバラはおろか内臓もイッているに違いない。
クククク、ざまあないな。
「オオオオオ!」
魔王が雄叫びを上げる。
無抵抗だ。
はははは、どうやらこのゲドー様には何をやっても勝てないと悟ったようだなあ。
では死ね。
俺は大きく拳を振りかぶり――。
「ネアンデスタール」
魔王の口が巨大な黒い球体を吐いた。
「何い……!?」
至近距離だ。
避けられない。
馬鹿な。
くそが。
俺の首から下が消し飛んだ。




