悪魔
「ヴァルマ・ゲドンは俺が奈落から召喚した悪魔だ」
「奈落……ですの?」
「ゲドー様の魔法の詠唱に、たまに出てくる言葉なのです」
オッヒーは知らない言葉のようだが、マホはいいところに目をつけた。
「そうだ。この大陸の地底深くには、奈落と呼ばれる世界があるとされている。俺の魔法は基本的に、その奈落から力を引っ張り出して行使している」
「ではヴァルマ・ゲドンは……」
「その奈落に生息している強大な悪魔だ。この世界で言えば、竜を遥かに凌ぐ力を持っている」
「竜……」
オッヒーは竜に会ったことがないのだろう。
どれほどの力か測りかねているようだ。
「そのヴァルマ・ゲドンが、俺に召喚されてから300年ほど健気に力を蓄えて、魔王と呼ばれるほどの存在にまで成長したのだろうなあ」
「そして今また力を蓄えているのです」
「そのようだな。ククク、この俺に倒されるとも知らずに哀れなことよ」
マホが首を傾げる。
「500年前ゲドー様に召喚されたときは、ヴァルマ・ゲドンはまだそれほどの力は持っていなかったのです?」
「少なくとも、大陸全土を敵に回せるほど強くはなかったな。まあ俺の元からさっさと逃げてしまったから、詳しい強さまでは知らんが」
「逃げてしまったのです?」
「ああ。俺も興味を失って、追いかけなかったからな。どこぞで300年ほど隠れて過ごしていたのだろう」
「きっとゲドー様が怖くて隠れていたのです」
「うむ、そうであろうな」
たとえ奈落の悪魔であろうが、この大魔法使いゲドー様を恐れないなどあり得んからな。
「一つ懸念があるのです」
「何だ」
「ここにある魔法陣は朽ちているように見えるのですが、もう使えないのです?」
「ふん? さて……」
気にもしなかったが、どうだろうな。
ああ、そうか。
また悪魔を召喚されたらたまらないとでも考えているのか。
小心者め。
俺は床に目を向ける。
魔法陣全体をゆっくりと見つめる。
線も文字も掠れてあちこちが消え、なるほど朽ちているように見える。
少なくとも並の魔法使いでは起動できまい。
だが。
俺は目を細めた。
「力のある魔法の使い手なら、まだ使えるな。完全には機能を失っていない」
「えっ!?」
オッヒーが顔を引きつらせる。
マホが俺の腕に、はしっとしがみついてきた。
ぶらんぶらん。
「おい」
「変な気を起こしてはいけないのです」
「呼び出さんわ、たわけ」
俺はマホを振り払った。
「だが俺は呼び出さんが、この魔方陣は定期的に利用されているようだな」
「ええっ! だ、誰がそんなことを……」
「気になるか?」
「なるに決まっていますわ! 2匹目の魔王など召喚されては」
「ならば確認してやろう」
「えっ」
俺は手を差し出す。
マホは俺をじ~っと見つめたが、何も言わず手を繋いだ。
魔力が供給されてくる。
「よし、いいだろう」
俺は床の魔法陣に魔力を流し込む。
魔法陣が淡く光り出した。
「むん」
俺は魔法陣に、ずぼっと腕を突っ込んだ。
「なっ、何をしていますの!?」
「奈落を漁っているだけだ。荷物を漁るようにな」
うむ。
うむうむ。
うむうむうむ。
……いた。
「見つけたぞ。こいつだ」
俺は魔法陣から――つまり奈落から、何かをズボッと引っ張り出した。
「グッ……!」
引っ張り出されたそれは、コウモリのような翼を羽ばたいて俺たちから離れて着地した。
「何者……」
それは人型だった。
だが決して人間ではなかった。
肌は浅黒く、爪はナイフのように長く鋭い。
背中にはコウモリのような薄い被膜の翼。
そして何より、特徴的なのは。
角。
頭から生えている、2本の捻くれた角。
「な、何ですの……」
オッヒーが怯えて後ずさる。
マホがオッヒーを守るように進み出た。
「どうやらこいつが、この魔方陣を利用して、定期的にこっちの世界と奈落を行き来していたようだな」
「そ、それはつまり」
「ああ」
俺は鼻を鳴らして、そいつを見据えた。
「こいつは悪魔だ。しかも上級のな」




