恐怖の象徴たるゲドー様
トロルが巨大な足で俺を踏み潰す。
「ぐべえ!」
「グハハハハ! そらそら、貧弱な魔法使いは哀れだなあ!」
ぐはああああ。
くそが、くそが!
くそがあああ!
この俺が。
このゲドー様が、下等生物のような醜い悲鳴を上げるとは。
潰れたカエルの気持ちを味わわされるとはあああ!
「総員、背後から突撃なのです」
「うおおおおおお!!」
マホの号令で騎士どもがトロルの背後を突っつく。
まあ効いていないが。
「ゲハハハハ! 貴様らから早死にしたいらしいな」
トロルが巨木のような腕を振り回して騎士どもを薙ぎ払う。
騎士どもは為す術もなくぽんぽん跳ね飛ばされている。
俺はその隙に、トロルの足元からずりずりと這い出した。
マホが近づいてきた。
「ゲドー様、大丈夫なのです?」
「この俺が何たる屈辱……。あのデカブツ、もはやただ殺すだけでは済まされんぞ……」
俺は怒り心頭だ。
全身の骨がガタガタなので這いつくばったままだが。
「でもゲドー様の魔法が効かないのです」
その通りだ。
実際問題、ロード種のトロルがあそこまで頑丈とは予想外だった。
キレーナ森林のダークエルフのように魔法障壁を纏っているわけではないため、マホが障壁をディスペルして俺が魔法を叩き込むという連携は使えない。
だがメガトンの爆発ですらあのトロルは多少焦げただけだ。
たとえザンデミシオンをぶっ放したところで致命傷には至るまい。
「マホ」
「はいです」
「俺の封印をもう一段階解除しろ」
俺の身体を縛めている4つの封印は、まだ1つしか解除されていない。
2つ目を解き放てば、あんな酒樽ごとき敵ではない。
マホはしばらく思案してから口を開いた。
「大魔法使いゲドー様の魔法は、ザンデミシオンが最強なのです?」
「そんなわけあるか。だが大技はそれだけ魔力消費が多いし詠唱も長い」
マホが俺の手を握り締める。
魔力が急速に流れ込んでくる。
「時間なら稼ぐのです」
「マホ、貴様。そんなに封印を解除したくないのか」
「それもあるのです。でも」
マホはいつもの無表情で俺をじっと見つめる。
「ゲドー様は受けた屈辱を、真正面から返さないと気が済まない方なのです」
「その通りだ」
「封印を解除しないと勝てなかったというのは逃げにあたると、ゲドー様なら考えるのです。それでは屈辱は完全には晴れないのです」
こいつ。
俺の心中を的確に指摘してきやがる。
追い詰められたからやむなく封印を解除した。
そうしなければ勝てなかった。
そうだ、俺はそれをある種の逃げだと考える。
そして俺は逃げない。
邪悪なる大魔法使いゲドー様は、相手が何者だろうが逃げ出さない。
逃げざるを得ないのはそいつが弱いからだ。
この俺は強者だ。
逃げる必要など微塵もない。
「マホ、もっと魔力をよこせ」
「はいです」
「もっとだ」
「はいです」
「まだ足らん」
「はいです」
叩き潰してやる。
真正面から、完膚なきまでにだ。
マホが手を離した。
大量の魔力が俺の身体を駆け巡っている。
充分だ。
これなら大技をぶちかませる。
「マホ。俺を守れ」
「任せるのです」
マホが俺の前に立ちはだかった。
クククク。
目にもの見せてくれるぞデカブツ。
「ゲハハハハ! 何をする気かしらんが、黙って見過ごすとでも思ったか」
トロルが騎士や兵士を振り払いながら突進してくる。
「トラエルシーダ」
マホが張った魔法の結界が、トロルの拳を受け止める。
ズシンと音がして、強固なはずの結界にヒビが入った。
凄まじい豪腕だ。
マホの奴、あろうことかこの俺に檄を飛ばしたんだ。
俺の詠唱が終わるまで、くたばることは許さんぞ。
「デス・デス・ジア・デス・デス・エーク・オーム・エル・リータス」
俺の指先が青い光を放ち、宙に印を描く。
印は文字を形成して、魔力を魔法へと変換していく。
「奈落よ。永劫果てるまで深淵を生み続ける暗黒の洞よ」
トロルが拳を振るうたびにズシン、ズシンと大きな音が響く。
結界はもうヒビだらけになっている。
マホは杖を突き出して、結界の維持に力を注いでいる。
騎士や兵士どもの剣は、もはやトロルにとっては羽虫以下の存在らしい。
振り払うことさえしていない。
「闇を吐く虚ろの孔を広げて、奈落の末端をこの場に引きずり出してやる」
俺の体内の魔力が、急速に減少していく。
魔法という超常の現象を成すための燃料になっているのだ。
漆黒の波動がバチバチと俺の身体を駆け回る。
いいぞ。
これが魔法だ。
これこそが全てを破壊する圧倒的な力だ。
「世界の理なんぞどうでもいい。このゲドー・ジャ・アーク様が許可する。ド派手に顕現しやがれ」
一際大きな音が響いてマホの結界が砕け散った。
くそトロルがこっちを見た。
だがもう遅い。
マホはきちんと役割を果たした。
「総員、退避なのです」
マホの号令に合わせて、騎士や兵士どもが一斉に散る。
「グオオオオ! 何をする気だ魔法使い!」
ククク黙れ。
そして死ね。
俺は両手を突き出した。
「ネアンデスタール」
巨大な球体が中空に出現した。
まるで暗黒そのもので形作ったかのような、闇色の球体。
球体は漆黒の波動をバリバリと撒き散らしながら落下する。
ズン――!
闇の球体が、トロルを押し潰した。
「グオ――」
トロルの悲鳴は最後まで聞こえなかった。
球体はトロルを飲み込み、地面を飲み込み、ずぶずぶと大地に沈んでからようやく消滅した。
闇の球体が落下した場所には何も残っていない。
トロルの巨体は完全に消滅し、城の中庭にぽっかりと巨大な穴ができていた。
「……」
誰も一言も発しない。
勝利の歓声もない。
圧倒的なまでの破壊力に、この場の全員が恐怖すら覚えていた。
「ク……クク……」
これだ。
この視線だ。
有象無象どもが俺に向ける、恐怖に塗れたこの視線だ。
「クククク……! ははははははは!」
心地いい。
心地いいぞ。
まるで500年前の全盛期に戻ったかのようだ。
「ふははははははは! はははははは! はあーっはっはっはっは!」
俺は哄笑した。
やはりこうでなくてはいかん。
この邪悪なる大魔法使い様は、愚民どもにとって恐怖の象徴でなくてはいかんのだ。
「おつかれさまなのです」
例外が一人いた。
マホはとことこと俺の側にやってきた。
「跡形もないのです。さすがなのです、ゲドー様」
ちっ。
こいつはそういう奴だ。
まあ賞賛の言葉を忘れないことは評価してやる。
「もう安心なのです」
マホが周囲に向かって言う。
周囲の騎士や兵士がぽかんとする。
「大臣に成りすましていた悪い魔物は、無事に討ち取られたのです」
「お、おお……」
有象無象どもが顔を見合わせている。
マホの言葉でようやく脅威は去ったと実感したのだろう。
「騎士や兵士の皆さんと、マンマールの魔法使いの勝利なのです」
「うおおおおおお!」
勝利の雄叫びが中庭にこだました。




