弱者は打ち震えるもの
「お、お客様。宿内で争いごとは……」
「黙らっしゃい!」
「ひいい」
オッヒーに睨まれ、宿の主人はカウンターの奥に引っ込んだ。
俺は腕を組みながら、オッヒーに突き付けられた剣を眺めている。
マホは黙って数歩下がった。
空気の読める奴だ。
「マンマールの宮廷魔法使いマホ・ツカーリエ! あなたもこのゲドーの次に、剣の錆にしてやりますわ」
オッヒーは空気の読めない奴だな。
「で、オッヒー姫とやら。お前は吹っ飛んだ王族の仇を取りたいと」
「当然ですわ!」
「ククク……」
「何が可笑しいんですの」
可笑しいに決まっている。
これが笑わずにいられるか。
「おい雑魚」
「なっ」
今まで生きてきて、雑魚と呼ばれたことなどないのだろう。
オッヒーは顔を真っ赤にしていた。
「ワタクシを誰だと……」
「貴様が真に姫だというなら、なぜこんな場所にいる」
「えっ」
予想外の質問に、オッヒーは絶句した。
「貴様が王族の最後の生き残りなら、今こそ国を束ねて周辺国の侵略から国を守るべきじゃあないのか? え?」
「うっ……」
俺が言葉を続けると、オッヒーは呻いた。
「それをむざむざとこんなところまで落ち延びて、貴様は何をしている。仇討ちといえば聞こえはいいが実質は何だ? 城が吹き飛んだ恐怖のあまり、王族の責務から逃げ出しただけだろうが?」
「くっ……」
オッヒーは口をぱくぱくさせているが反論の言葉が出てこないようだ。
「今の貴様は姫でも何でもない。ただの雑魚だ」
俺の明言に、オッヒーは怒りと屈辱で全身をぶるぶると震わせた。
「あなたが! 城を吹き飛ばしたあなたが! それを言うのですか!」
「言うが? 城がどうした。弱い奴が悪い」
「な……」
オッヒーは二の句を告げられず、また口を開閉させた。
「この大魔法使いゲドー様を牢屋にぶち込んだのだ。相応の報いは受けねばなあ」
俺が口元を歪めると、オッヒーは剣を握る手に力を込めた。
「まあ姫としての責務から、せっかく尻尾を巻いて逃げ出したんだ。このままどこぞの片田舎で余生を過ごすがいい。よかったな」
「き、貴様っ!」
オッヒーが激昂して剣を振りかぶる。
「おい」
俺の低い声に、オッヒーが動きを止める。
「このゲドー様に剣を振るうのは構わん。俺は間違いなく貴様の肉親の仇だからな。だが」
俺の冷徹な眼光にオッヒーが身を竦める。
「この俺に敵対する奴は殺す」
俺はオッヒーに告げる。
「仇だろうが殺す」
告げる。
「俺が悪かろうが殺す」
告げる。
「それをよく理解したうえで、それでも来るなら来い」
オッヒーは硬直している。
剣先が揺れている。
身体が竦んで動けないのだ。
俺はそれ以上、何も言わない。
ただ目を細めてオッヒーを見据えている。
程なくして、オッヒーが床にへたり込んだ。
「う……ぐっ……」
オッヒーの肩が小刻みに震えていた。
嗚咽を押し殺している。
目に涙を浮かべている。
恐怖に負けたのだ。
そしてそれは、オッヒーにとって幸運なことだ。
こいつが俺に攻撃を加えれば、俺は容赦なくこいつを殺していた。
それがたとえ針の先で突いたほどの攻撃であってもだ。
もちろん俺はこいつを責める気はない。
こいつは弱者だ。
つまりこのゲドー様を前にすれば、恐怖に打ち震えて当然の存在なのだ。
「マホ」
「はいです」
「こいつを外につまみ出しておけ」
「はいです」
マホがオッヒーを外に連れ出した。
オッヒーは項垂れてそれに従った。
マホはオッヒーの背中を撫でていた。
扉から出る後ろ姿は、最後まで震えていた。
これからあいつがどうするのか、それは俺の知ったことではない。
まあ温室暮らしに慣れた姫のことだ、そこらで野垂れ死にでもすることだろう。
「おい」
「はっ、はい。お客様!」
「別にこの場では何もなかったな?」
「もっ、もちろんでございます。ごゆっくりお過ごしください」
宿の主人は逃げるように奥に引っ込んだ。
ふん、くだらん時間を過ごした。
だが意図的にではないにせよ、俺はオッヒーに世界の真理を一つ教えてやった。
弱い奴が悪い。
オッヒーがそれを理解できれば、弱者ながらに生き長らえることはできるかもしれんな。




