第三十話 追及
追い出されるように黄昏時にボクガの町を出立した健吉は山中の人であった。すでに夜のとばりは下ろされている。秋であれば立待月とでも言うべき、月齢十六日目の楕円みを帯びた月が夜空に二つほど輝いていた。
「アニキ~、なにも夜中、しかもこんな山の中でそんなことをしなくてもいいじゃないッスか。さっさと先に行きましょうよ」
正二がアニキと呼んだ健吉はというと、岩に腰かけて傷口を縫っていた。
「手元が見えない時にする作業じゃないッス。それに普通は消毒してからやるもんじゃないんッスか?」
健吉はそんな正二を見ようともせずに答える。
「俺はお前と旅をしてるつもりはねぇからさ。行きたきゃ行けばいいじゃねぇか。金は餞別代りにくれてやるよ」
「そんな意地悪言わないでくださいよ。アニキの為なら例え火の中水の中。命だってお預けしますよ」
健吉は無関心に縫合を続ける。
「そのおいらが思うにですね、なんか色々と怪しい感じなんッスよ。ですからここを離れた方がいいかな~って。本当は千里眼で追っ手を確認したって言っても信じないでしょうけど」
そうこうしてる間に健吉たちの前にケイラ一行が姿を現した。ケイラにカトゥら従者三名、それにマネを加えた五人である。それぞれショウリョウバッタを3メートル程に巨大化させたような生物に鞍をつけて跨っていた。
「ほら、おいらの言った通りでしょ?」
どこか自慢気な正二が健吉にアピールする。
「またあんたらか。随分と怪我の治りが早ぇな。医学の進歩ってのは凄いもんだ」
健吉は感心したように話しかける。一方のケイラたちは無言でバッタから降りた。
「なんだ、そっちの兄ちゃんがあんたのこれだったのか?」
健吉はマネの方を顎でしゃくり、ケイラに対して親指を立てた。
「今は貴様の相手をしている暇はない」
『地を鎮め、水を治め、火を防ぎ、風を止め、空を埋め、光を断ち、闇を照らせ』
健吉をいなしたケイラの後ろでカトゥが詠唱を終える。
『七色壁』
それと同時に正二とポチを虹色の壁が囲った。
「異世界人に化けた胡乱な奴! 貴様の存在は露見したぞ!」
正二は人差し指を自身にあてて、自分⁉ と言わんばかり仕草をとった。
「とぼけても無駄だ。思えば全てがおかしかったのだ」
ケイラは正二を観念させるように続ける。
「一つ目は異世界人の二人旅、それがギルド所属ならあり得るのだが二人とも無所属という通常ではあり得ない組み合わせだったこと」
緊張を隠せないケイラたち一行の後ろで健吉はシャツを着る。
「二つ目はサンゾたちが貴様を不自然な程に相手にしていなかったこと。普通なら異世界人の二人組として扱うはずだからな」
その後ろでは健吉が巨大ショウリョウバッタを不思議そうに見ている。さすがに物珍しいようだ。
「三つ目は貴様に関するサンゾたちの騒乱後におこなったギルドからの聞き取り調査と私の解析との齟齬。ギルドによれば『ミルキャスト共和国所属。千里眼Lv.2、変装Lv.1』だが、私の解析によれば『無所属。千里眼Lv.3、偽装Lv.2』だったこと」
正二が困った様にヘラヘラと軽薄な笑みを作り出す。
「マリノ付近の旅人への夜這いが慣行となっている集落における調査で判明したことだが、貴様へ夜這をかけた女が一晩中自主的に踊っていたにもかかわらず、本人や村長が違和感を感じていなかったこと」
ケイラたちが正二の結界を取り囲み始める。
「マリノの街でもそうだ。目の前で結界を破壊されたのに門衛たちが気にしなかったこと、人間とは共存不可能な魔獣が服従系タレントをもたない一行に同行してたこと、貴様に博打で負けた連中が自分から負けても本人たちは不思議に思わなかったこと」
ポチが気になり離れられないのか健吉は木に寄りかかり様子を見ている。
「だがなによりも、それだけ不自然なことが溢れていたにもかかわらず、誰一人として疑問を抱かずに当然のことと思っていたことが、貴様の不自然さの最大の証拠だ!」
ケイラ一行の緊張感は限界に達する。
「調べたらアルミテのギルドの結界も破られていたそうだ。既に付近の部隊への連絡は終わってる。……魔族! 覚悟しろ!」
「なぁ、ちょっといいか?」
臨戦態勢のケイラに対して健吉が気怠そうに声をかけた。
「お嬢ちゃんはさっきから犬に対してなにを熱心に話しかけてるんだ?」
「なにを----」
正二を見据えていたはずのケイラの表情が一転した。そこにいたはずの男が消えており魔獣のみが取り残されていたのだ。それは他の連中も同じようで、狼狽えた様子で顔を見合わす。
「七色壁は壊れてません」
カトゥがケイラに報告すると、その後ろから拍手が聞こえた。
「さすがはアニキッスね。おいらの移動が見えてたッスか」
「普通に歩いてただけだろうが。それにアニキじゃねぇだろ」
ケイラたちは茫然と正二を見つめる。
「ところが世の中の大半の連中はそうじゃないんッスよ」
正二は薄ら笑いを浮かべた。
「おいらが『あそこにいると思い込んだら』、『いるように見えちまう』んッスよね~。ほら、壁の染みが人の顔に見えたらそうとしか見えなくなる。アレと一緒ッス。おいらのはそれを強力にした奴ッスけど」
「アレと一緒って言われても経験がねぇからなぁ。染みは染みだろ?」
「いやいや、流石ッスね。アニキは……いや、そう呼ぶのは止めやしょう」
言うや正二の見た目が変化した。正二は一瞬の間に灰色の肌をした十三歳くらいの少女に変化していた。彼女は何故か黒いレオタードを着ている。
「やっぱり悪魔といえばこれだよね」
そして満足気に頷く元正二。
「ねぇねぇ。ボクのタレントを皆に教えてあげなくていいの?」
その少女がケイラに促す。顔面蒼白のケイラは生唾を飲むだけだった。
「代わりにみんなに教えてあげるね」
『地を鎮め、水を治め、火を防ぎ、風を止め、空を埋め、光を断ち、闇を照らせ! 七色壁』
余裕を見せていた少女を虹色の壁が囲った。それに対して少女は笑いを抑え切れずに「くっくっ」と音を漏らす。
「おじさん、早漏は嫌われるよ。ボクのタレントはね、千里眼Lv.7、心理操作Lv.23、思考分析Lv.18、偽装Lv.13。ホント、よくぞ見破ったって感心するよ。直接に違和感を感じないはずだから、なにか別の理由からボクに注目したのかな? どうでもいいけど」
そしてニッコリと微笑んだ。
「嘘をつくな! 歴代の魔王でさえも確認されてる最高値はLv.8だぞ!」
カトゥが怒鳴る。
「単純にボクの方が凄いってことだよ。凡百の魔王と比べるなんて失礼だなぁ。嘘かどうかは解析自慢のお姉さんに聞けばいいじゃないか」
カトゥがケイラを横目で確認するが、脂汗と青白い顔が全てを物語っていた。
「それでもって……こんな脆そうな結界ならこの通り」
虹色の壁は少女が手で押すと音もなく無残に崩れ去った。
「本当に脆いのは人間の心なんだけどね」
カトゥの信力から結界を崩壊させた少女は邪気満点の笑顔を浮かべる。
「Cランク事案。上位魔族、または他国工作員による内患の恐れあり……か」
少女は考えていることはお見通しと、ケイラの顔色を窺うように彼女の周りをうろつく。
「ボクがその気になったら、この国なんて一週間以内に崩壊するよ」
そして月に向かって哄笑をあげた。そこにガイが襲い掛かったが少女は足をかけて簡単に転ばす。
「ボクには考えてることがお見通しなんだから不意打ちは無駄だよ。時間さえかければ援軍が来るって思ってるみたいだけどそれも無駄」
ケイラの表情に衝撃が走る。
「ボクはね、遠くの相手の意識にも……しかも強力な働きかけができるんだ。キミ達みたいに確固たる目的をもった相手じゃなければ明後日の方向に行かしたり、サボらせたりってのは朝飯前。まして危険な任務に嫌々借り出された兵隊なんかは、目の前にいても気が付けないよ。遭遇したくない、見たくもないって意識を強めればいいだけだもん」
その少女は良い事に気が付いたと手を叩いた。
「そうだ、面白いことを見せてあげるよ。ボクは昔これで国を一つ滅ぼしたんだよ」
そして倒れているガイに何事かを囁く。するとガイは一瞬身を震わせ、慌てて立ち上がる。ガイは狂気のこもった眼で辺りを見渡すとサイトに殴り掛かった。
殴り飛ばされたサイトはサイトでガイには向かわずケイトへと向かっていく。
『縄』
そのケイトはというとサイトとガイに縄を飛ばすと縛りつけた。
「いったい何をしたんです!」
ケイトは勇気を絞り出して少女を詰問する。
「別に。ただ『あいつは敵みたいだよ』って言っただけ」
「嘘を----」
「聖王都の囁く者……」
マネが呆然と呟き続ける。
「三百年前の伝説……争い合っていた国々を糾合し、史上最大・最精鋭の対魔王軍の編成に成功した聖王の都が一晩で壊滅した原因……一人の旅人が誰かに囁いたなにか。そこから狂気が伝播し、人々は殺し合い、人望厚き王は最も愛した王妃に殺され、王妃も惨たらしい最後を迎えた。王都には数人のこれを伝える語り部たちだけが残された……」
マネはそこまで喋ってから我に返ったように首を振る。
「ち、違う! い、いったい僕はなにを言ってるんだ⁉」
「ボクが言わせたんだよ」
少女がない胸を張る。
「そんなおとぎ話には騙されません! 聖王都の崩壊は納得していなかった一部の国の兵士達と財政負担に反発していた王国の大臣が結託した反乱事件です! 聖王の失敗は財政負担を一手に担い、未だに各国をまとめきれていなかったのに自身の都に全部隊を一度に集めたことです!」
ケイラが少女の存在を否定するように首を振った。
「キミはボクの所業を見たことがあるよね?」
少女がカトゥの目を見る。
「……十年前の女がお前か」
少女が意地悪な笑みを浮かべてカトゥの二の句を待つ。
「カトゥさん! 言っちゃダメだ! 僕らから余計な信力がコイツにいくだけです!」
「……わかってる。……わかってはいるんだ。だが、言わないわけにはいかない気がするんだ」
疲れ果てた表情のカトゥはそのまま続ける。
「三等監察使と共にある農村の視察に行ったときのことだ。一人の中年女がいたんだ。自然と村に溶け込んでて、俺達も誰かの女房と思って気にもしてなかったんだが……」
「カトゥ!」
ケイラが叱責するがカトゥの口は止まらない。
「視察も終わり、酒場で監査使とともに一杯やってたら、その女がやってきたんだ。旦那を迎えに来た感じでもなく、妙に思ってたら一人の酔っ払いに何か囁きやがった。するとその酔っ払いが喧嘩を始めたんだ。そしたら一瞬のうちに酒場全体に乱闘が広まってな。俺も観察使も村人なんかには負けないが止める間もなく、手の付けようがなくなっちまった。なにせ乱闘……いや殺し合いは酒場に留まらず、瞬く間に村全体に広がったんだからな。火事が燃え広がる中で這う這うの体で逃げ出した俺達は燃え落ちる村を外から見つめていることしかできなかった」
マネとケイラは諦めたように立ち尽くす。
「数少ない生き残りやその時村にいなかった連中への聞き取り調査の結果、そんな女は存在しなかった。国は信力への影響からこの事実を伏せたが俺は理解してた。あの女は国の記録に刻ませるために俺達をあえて殺さなかったんだ……ってな」
「はい、よくできました」
正二だった少女は拍手をした。
「詳しく解説するとね、囁くのは言葉をぶつけて心を動揺させるため。その方が簡単にその人の考えを操れるから。あとはそいつに適当に暴れさせたら動揺が広がっていくの。そしたらボクはなにもしなくて遠くから自在に操れるってワケ」
そして少女が溜息をつく。
「もう君たちは術中に落ちてるから殺し合いをさせるのも絶望の中で自殺させるのも簡単なんだけど、なんでここまで聞かせたっていうとね……」
「おい、そろそろポチをあそこから出してやってくれねぇかな?」
少女の視線の先のならず者はケイラ達にそう頼んでいた。
「……やっぱり聞いてないのね」
少女が面白くなさそうに呟いた。




