一九八× 十四歳 7
「ミスターJBコンテスト」二次審査の日が迫ってきた。日曜日だったので、両親が家にいるはずだから、どうやって言い訳して家を出ようか、と思っていたら、前日の晩、夕食の時、母親が父親に
「明日の日曜だけど、たまには二人でデートでもしましょうよ。見たい映画もあるし、服や靴も買いたいし」
と言って、誘いかけていた。父親は
「俊哉はどうするんだ。悪い仲間と出かけたりしたら大変だぞ」
としなくてもいい自分の心配をしてくれた。
「大丈夫よ。今までずっと真面目にしてた子に、突然悪い仲間なんてできるわけないじゃない。悪い仲間がいるんだったら、もうとっくにその子達と遊んでて、家なんか帰って来ないわよ」
母親の言うことはもっともだ。いい友達というのもなかなかできないが、悪い仲間も「欲しい」と思ってすぐにできるというものではない。
「そういうもんかね」
父親もそこは納得したようだ。
「じゃ、明日だけだ。俊哉。お前も変なところに行ったりしないで、おとなしくしてろよ」
「わかりました。まあ、どうせ行く場所も行く相手もいないですけど」
と皮肉を込めて言ったが、伝わっただろうか。とにかく、その母親の発言のタイミングの良さに、「これはツイてる。もしかしたら本選まで行けるかも」と希望が湧いてきた。
会場はテレビ局だった。テレビ局に行くのなんて生まれて初めてのことだから、オーディションの緊張よりも、「有名人に会えるかも」というわくわく感の方が強かった。しかし、いざ会場が近づくと、緊張の方が大きくなっていた。そしてテレビ局の前で会ったのは、有名人ではなく意外な人達だった。
テレビ局の前には同じ学校の、同じ学年の奴らが何人かいた。バスケ部のエース、長峰章雄と、その取り巻き連中だ。連中は怪訝そうな顔でこちらを見ている。彼らの中の誰か―おそらく長峰だろう―が、コンテストにでるのだろうか。長峰は、いわゆる上位グループの中でも、特にトップクラスで、学年を仕切っている、学年一の人気者といっても過言ではない。スポーツはもちろん、勉強もそこそこ、ルックスもそこそこ、いや、取り巻き連中にとっては「学校で一番カッコいい」ということらしい。自分から見ると、確かにブサイクではないが、そこまで惹かれるルックスでもないと思う。まあ、学校でのイメージで下駄をはかせてもらっている部分はあるのだろう。彼に限らず、上位男子というのは、割とそういうパターンが多い。もし、先入観なしで、写真だけを見せたとしたら、特別カッコいいということはないだろう。平たく言えば、「学校の人気者」という、ただそれだけの存在だ。とはいえ、長峰がコンテストに出ると仮定すれば、スターになるのはこういう男なのかもしれない、と若干脅威ではあったが。
「あんた、こんなところで何してんの?」
中にいた女子の一人、伊崎真由美が自分に聞く。そのまま答えるのも癪なので、逆に聞き返してやった。
「そっちこそ、皆さんおそろいで何をなさってるんですか?」
嫌味っぽく聞こえるといいなと思って、敢えて敬語で話してみた。
「私らは、『ミスターJBコンテスト』に出る長峰君の応援に来たの」
もう一人の女子、坂本真理が言う。やはりそうだったか、長峰がコンテストに出るのか。
「そ。俺達も応募したけど、長峰しか受かんなくてさ」
数人いる男子のうちの一人、鵜飼譲治がいう。そうか、彼らも皆応募したのか。余計な情報ありがとう。君らなら落ちるだろうね、と心の中で思ったが、そこまでは言わなかった。彼らは皆上位グループの一員だったが、校内でちょっと人気があるというだけで、別にハンサムでもなんでもない。
「そういう武山は何してんの?まさか、このコンテストに出るんじゃないよね?」
また別の女子、川野唯が馬鹿にしたように言う。
「無理無理、あり得ない。こんな奴が出られるわけないって。ちょっと雑誌に載ったくらいで、そんな勘違いはしないっしょ」
さっきの伊崎が、さらに鼻で笑うように言った。連中がそれに合わせて笑う。あの、そのまさかなんですけどね。ちなみに言うと、「メンマガ」に載ったこと、君らもやっぱり知ってたんだね。知ってたのに、敢えて話題にしなかったんですね。はっきり言って、彼らの言い方には非常にむかついたが、別に彼らがライバルではない。自分のライバルは、会場にいる、たくさんの他の男子である。いちいち細かいことも気にしていられないので、さっさと局内に入ることにした。どうせオーディション参加者しか、中には入れない。あえて平静を装い、さらに敬語でこう返してやった。
「そうですね、申し訳ございませんでした」
それだけ言って、さっと踵を返し、テレビ局の中へと入っていった。連中がどんな顔をしていたのか見てみたかったが、彼らの表情よりも、オーディションの方が自分には重要だった。それに自分は、二次審査まで通ることは内定しているのだ。そんなことも知らないで、呑気なことを言う奴らが、気の毒に思えた。しかし、よくよく考えてみれば、長峰はコネも何も無しでここまで来たということになる。そう考えると、他の雑魚はともかく、長峰はやはり、ライバルの一人に数えておくべきか。
会場には五十人ほどの男子が集められていた。受付で合格通知のハガキを見せ、エントリーナンバーのついたバッジをもらう。なぜ五十人と分かったかというと、番号が五十までしたなかったからだ。それに欠席者もいるだろうから、「ほど」というわけだ。
会場ではエントリーナンバーの順番に座り、オーディションについての説明を受けた。今回二次審査に臨むのは、やはり五十人だった。欠席者も含めて、だ。二次審査では、そのうち十人に絞られ、三次審査に駒を進める。最終的には二人が、地区代表として決戦大会に出場できるとのことだった。二次審査では、五人ずつのグループに分かれ、簡単な面接と特技披露を行う。自分と長峰は、番号が遠かったので、会場でも口をきかず、審査でのグループも違った。彼は一番最初のグループにいた。特技披露では、今人気のバンドの歌を歌った。別に音痴ではないが、これでは合格は無理だろう、というレベルのものだった。長峰は審査が終わるとすぐ帰って行った。自分は一番最後のグループだったので、長峰は自分の特技披露を見ることなく行ってしまった。自分は、今年人気アイドル主演で映画化されたある文学作品のワンシーンを朗読した。映画は見ていたから、セリフとして読みやすかったし、さらに言えば、そのアイドルの所属事務所がこのコンテストの協賛となっているので、好印象を与えられるのでは、という計算もあった。ほんの一分くらいの朗読だったが、朗読一分というのは、思いのほか長いものだ。自分も歌にしとけばよかったかなとちょっと後悔したが、確かに同じようなことをした参加者は他に一人しかいなかったので、差別化には成功したと思う。果たしてうまくできたかどうか、イマイチ自信はなかったが、朗読の後、審査員の一人が、「なぜこのシーンを選んだのか」と質問をしてきた。特技披露の後に質問をされるのはほんの数人だったので、もしかしたら、と手応えが感じられた。朗読そのものよりも、この質問に答える方が緊張したような気がする。あらかじめ準備してきたことはちゃんと熟せても、アドリブにはまだ慣れていない。それでも何とか短時間で整理をして、言いたいことは言えた。
何とか二次審査が終了し、自分が会場を出た時には、既に連中の姿はなかった。また嫌味を言われるのかと思い、面倒臭いなと思っていたが、それは免れたようだ。
翌日は普通通り登校した。昨日テレビ局の前で会った長峰のその取り巻き連中の中には、同じクラスの奴もいる。何か嫌味を言われるかと思ったが、特にお互い目を合わせることはなかった。元々奴らとは、何か向こうからこちらに頼みごとがあるとき以外はほとんど話したことはない。特に下位グループを離脱してからは、存在すら認めていないような感じだった。彼らにしてみれば、自分はただの冴えないクラスメイト、いや、「メイト」ではないか、「同じクラスの人間」といった方が正しいだろう。端から相手にもしていない。
しかしなぜか、屋上では昨日のことが話題になっていた。
「トッシー、『ミスターJBコンテスト』の予選に出たんだって?」
そう聞いてきたのはカンちゃんだ。どうも彼氏の友達があの会場にいたらしい。
「何か、すごいのがいたって。ルックスもめちゃくちゃ良くて、中学生なのに、小説の朗読とかして。で、名前覚えてる?って聞いたら、武なんとか俊哉っていうから、トッシーじゃん、って思ってさ」
さすがソッチ系は情報が早い。その人が自分の特技披露を見たということは、同じ最後のグループにいた誰かだろう。その話を聞いて、屋上の皆がざわつく。すごいじゃん、スターの誕生か?なんて盛り上げるので、何だか恥ずかしくなってきた。そこで、話題をちょっと逸らすために、昨日その場にいた連中のことを話した。
「あ、バスケ部の長峰もいたよ。仲のいい連中皆で応募したけど、予選に出られたのは長峰だけだったってさ」
それを聞いて、バスケ部の一年生美少年二人が言う。
「長峰さんか…あの人あんまり好きじゃない」
「そうそう。ちょっとモテるからって勘違いしてるよね」
同じバスケ部の二年、中嶋も続ける。
「あいつの人気は校内限定だよ。ウチらコッチ系からみたら全然魅力無し」
どっと笑いが起こる。さすが皆辛辣だ。その中で一人、顔は笑ってるが、目が笑ってないのが一人いた。そう、三辺だ。
「三辺も誇らしいだろう。自分の彼氏がそういうコンテストに出られるなんて」
水口さんが三辺の肩に手をやり、嬉しそうに言った。が、三辺は
「…うん。そうだね…」と乾いた笑いを見せながら言った。
その日の授業が終わって帰ろうとした時、三辺がこちらにやってきた。一緒に帰ろうと言う。部活は、と聞くと、今日は休む、と言った。何だかやばそうな感じがしたが、できる限り平静を装って、一緒に歩く。しかし、二人はしばらく無言のままだった。ちょっとイライラしたので、自分から切り出すことにした。
「コンテストのこと、怒ってんの?」
「そうじゃないけど…でも、もし優勝とかしたら、俺のことも捨てちゃうの?」
おいおい、ドラマや何かに出てくるうざい女じゃあるまいし、何を言ってんだこいつは。
「あのさ、まだ優勝どころか、二次予選さえ通過したかどうかわからないのに、今からそんな心配してどうすんの?」
「そうだけど…でも…」
というと、いきなり三辺は自分を路地裏に引っ張り込んで、自分の背中にしがみついた。
「…見捨てないでよ…」
わかってるよ、と自分は答えたが、何だか鬱陶しくなってきたと言うのも本音だ。
JBコンテストから約一週間後、家にハガキが届いていた。「ミスターJBコンテスト 三次審査のお知らせ」とある。やった。無事二次審査を通過したのだ。ある程度分かってたとはいえ、嬉しいものだ。三次審査は次の日曜、会場は前回と同じテレビ局だ。
家に入ったら、何と母親がいた。いや、別に驚くようなことではないが、このハガキに気付かなかったのだろか。まあ、それならそれで構わないが。
合格の知らせを受けたことを、まず大貫さんに知らせた。大貫さんは、これからが本番だからしっかりね、とだけ言って、電話を切った。彼にはいくら感謝してもしきれない。自分がここまで来られたのも、彼のおかげだ。
その後、一応叔父さんにも知らせに行くことにした。叔父さんの家にはいつものように孝弘さんがいた。自分は二人にJBコンテストの二次審査合格通知のハガキを見せた。孝弘さんはハガキを見るなり
「わー、すごいじゃん。いよいよアイドル誕生?」
と、まるで自分のことのように喜んでくれた。しかし、叔父さんは必ずしも喜んでいないようだった。
「良かったな…でも、兄貴には何て言うんだ?」
「何も言わない。優勝とかして、既成事実作っちゃえば、反対できないでしょ。ダメだったらダメだったで、何もなかったような顔をしてればいいじゃん」
自分がそう開き直ったような口調で言うと、叔父さんは
「何か卑怯だな、それ」
叔父さんだって、自分の性癖隠してるくせに、何を綺麗ごとを言うんだ、と思った。
「まあ、卑怯なのは分かってるけどね。でも、自分に自由を与えない方が悪いと思うよ。他の子は、みんなある程度自由にやってんだから」
さらに開き直ったように自分が言った。すると叔父さんもそれ以上何も言わなかった。
「あ、そういえば、カメラマンの大貫さんって知ってる?」
一応知り合いかもしれないと思って、自分が叔父さんと孝弘さんに聞いてみた。孝弘さんは知らない、と答えたが、叔父さんは
「ああ、知ってるよ。俺の友達の彼氏だった人だね。今は別れたみたいだけど。その人がどうかした?」
「今回のコンテスト、実はその人の推薦なんだ。孝弘さん、覚えてない?デザイナーのパーティーで、何組かのカップルの写真撮ってた人」
「ああ、いたね…てことは、『メンマガ』の俊君の写真撮った人なんだ。あの人もコッチ系だったのか。」
「そう、そう」
孝弘さんも思い出したようだ。叔父さんは表情をやや和らげ続ける。
「大貫さんか…あの人の推薦なら、まあ間違いないだろうな。コッチ系の子を、何人かモデル事務所に紹介してるし。今人気の風吹タケオだっけ?あの子も確かそうだったような」
叔父さんも少し安心したようだ。ただ、それでも納得はしていないようだったが。
合格通知のハガキは、とにかく親にばれないように、その日に使う教科書に挟んで通学カバンに入れ、家に帰るとその教科書に挟んだまま本棚にしまった。そしてまた次の日の使う教科書に挟むようにするつもりだった。
次の日、学校に行くと、坂本真理が血相を変えて、自分のところに走ってきてこう言った。
「あんた!あれ、受かったの?」
坂本真理とは、同じクラスの女子で、JBコンテストの二次審査の時、テレビ局の前で会った、長峰の取り巻きの一人だ。そうか。その時まですっかり忘れていたが、長峰もコンテスト受けてたっけ。ということは、当然あいつのところにも審査の結果はもう届いているはずだ。結局奴は受かったのだろうか。自分は、どう答えようか迷ったが、取り敢えず向こうの出方を待とうと思い、
「いや…まだ結果来てないようだけど…」
としらを切った。すると坂本は
「あ、そう…じゃ、いいわ」
とだけ言って去ろうとしたので、
「長峰はどうだったの?」
と聞き返したら
「そんなことあんたに関係ないでしょ!」
と吐き捨てるように言った。長峰の合格不合格が自分にとって関係ないなら、自分の合格不合格こそ、お前には何の関係もないだろう、と思ったが、彼女はスタスタと勢いよく立ち去ったので、言い返す隙もなかった。でも、あの様子では、おそらくダメだったのだろう。
その日は三辺も部活が休みだったので、一緒に帰った。この間以来、二人の間は何となくぎくしゃくしている。こんな状態で切り出すのもどうかなと思ったが、嘘を吐くのも嫌なので、正直に言うことにして、あの合格通知のハガキを見せた。三辺は
「よかったね」
とだけ答えた。自分もそれ以上は何も言わなかった。
しかし次の日、一緒に弁当を食べながら、三辺はこう言った。
「ごめんね。昨日1日ゆっくり考えたんだけど、僕、やっぱり受け入れて、応援することにする。コンテストのこと」
その顔には笑みすらこぼれていた。やや寂しそうではあったが、奴の「柴犬の子犬の目」は笑っていた。
「どうしたの?急に。何か気持ち悪いなあ…ま、認めてくれるんならいいけど」
自分は若干不自然さを感じつつも、そこは素直に聞き入れることにした。
「うん。やっぱりトッシーの夢だもんね、芸能界は。優勝できなくても、決戦大会に出られれば何かチャンスはあるかもしれないし。よく聞くじゃん、何かのオーディションでだめだったけど、そこで別のプロダクションにスカウトされたとか」
大貫さんも同じようなことを言ってたっけ。そう、決戦大会まで進めれば、それだけ色んな人の目に触れるわけだから、スカウトのチャンスもある。
「だから、トッシーも頑張ってよ!取り敢えず目標は決戦大会だね!」
「ありがと」
三辺の激励は心から嬉しかった。自分は、三辺と「恋人」になってよかったと、その時初めて思った。というより、他人に対して「好き」とか「いとおしい」とか思ったのは生まれて初めてじゃないか。自分はその場で三辺にキスしそうになったが、よくよく考えたらここは道路だ。同じ学校の生徒だけでなく、色んな人達が歩いている。
自分が淡い気持ちを抱いていると、三辺が急に思い出したように聞いてきた。
「でもさ、トッシーの親って厳しいんでしょ?許してくれてるの?」
「いや、親には言ってない。ばれたら全部水の泡だろうな。まあでも、コンテストで優勝とか、ある程度の既成事実作っちゃえば、親も認めざるを得ないでしょ。」
そんな会話をしている時、いや実を言うとその前からであるが、背後に視線を感じ、思わず振り向いた。
「ん?どうしたの?」
三辺が問い掛ける。
「うん…何か視線を感じて。そう言えば、今日はさっきからずっと背後に何かを感じてたんだ。誰か後をつけてきてるような」
「そう?考え過ぎじゃない?まさか二次審査通っただけでもうスター気取り?」
「違うよ…。でも、何か気になるなあ」