一九八× 十四歳 4
一学期の終業式の日、三辺が「一緒に帰ろう」と言ってきた。同級生と一緒に帰るなんていつぐらいぶりだろう。三辺は普段は放課後は部活に出てるし、家の方角も逆だから、一緒に帰ることはまずない。今日は部活もないし、時間もたっぷりあるからということだろうか。三辺は続けた。
「どうせなら、家寄ってかない?誰もいないし」
自意識過剰だろうか。なぜかひどく胸騒ぎがした。
「でも、うち結構親うるさいんだよね。一旦帰ってから行くんじゃだめかな?」
自分はその胸騒ぎを隠しつつ、なるべく平静を装ったつもりだったが。
「あー、そういえば以前何かあったらしいね。部活の皆で遊園地に行った時だっけ?」
一応奴も事件のことは覚えていたようだ。
「でもさ、それじゃかえって出てこれないんじゃないの?」三辺が聞く。
「いや、夕食までに帰れるなら、その方が都合がいい」
「そっか。じゃ、あとで。住所はクラス名簿見ればわかるでしょ?でも、一応書いとく。それ参考に来てよ」
「オッケー」
三辺はノートの切れ端に住所を書いて、自分に渡した。
三辺の家を訪れたのは、午後一時過ぎだった。自分の校区は基本的に住宅街で、どこをとってもそんなに変わり映えはしない。駅の近くに行くと、昔ながらの長屋や、安アパートの立ち並ぶ一角などもあるが、うちも三辺の家もそういうエリアからは少し離れている。三辺の家もうちとそう変りない、ごくありふれた二階建ての一軒家だった。
玄関のチャイムを押すと、すぐに三辺が出てきた。
「さ、入って」と言われ、靴を脱いで家に上がった。同級生の家なんて、それこそ中学に上がって以来初めてじゃないだろうか。ちょっと感動していると、自分は二階にある彼の部屋に通され、ベッドに腰掛けるように言われた。
「今飲み物取ってくるけど、何がいい?」
「別に何でもいいよ」
「オッケー。じゃ、適当に取ってくるよ」
そう言って下に降りて行った。自分は三辺の部屋をしげしげと眺めた。割ときれいに片づけられているように思った。ソッチ系の人達は、やはり掃除や整理整頓も得意なのだろうか。それとも母親がやっているのだろうか。まあ、見たところ普通の部屋だ。プラモデルの完成品が飾ってあったり、絵のコンクールで「金賞」を獲った時の賞状があったり。しかし、その手の本とかはやはりベッドの下なのだろうか。いや、そもそもソッチ向けのそんな本があるのだろうか?
そんなことを考えているうちに、三辺がコーラとレモンソーダを持ってきた。「どっちがいい?」と聞くので、自分はコーラの方を取った。ドリンクを飲みながら、最初は屋上でするような他愛もない話をしていた。が、一旦話題が途切れ、沈黙が覆う。そして三辺が口を開いた。
「ね、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「何を?」
「トッシーの好きな人」
来た。そっちか。とはいえ、自分がずっと避けてきた話題ではある。
「皆知りたがってんだよ、トッシーの好きなのは誰か」
「ま、そうなんだろうね」
そこら辺は普通の男女と同じなのか。誰は誰のことが好きで、彼はあいつのことが好き。屋上でもいろいろ聞いたっけ。
「トッシー、実は皆に狙われてんだよ」
三辺のその言葉に、自分は飲んでいたコーラを吹き出しそうになった。
「え?だって皆彼氏とか好きな人とかちゃんといるんじゃないの?」
三辺によると、ソッチの世界はフリーセックスに近いというか、心と体は別、みたいなところがあって、相手がいても、「ばれなきゃ別にいい」というノリでやっちゃうことが多いらしい。ばれたらばれたで修羅場になることもあるようだが、基本的には黙認がルールだそうだ。
「どこまでを『やる』と定義するかは人によって違うけど、裸になって抱き合って、互いのモノを扱きあって射精すれば、もう立派なセックスになるよ。いや、裸にならなくても、パンツ脱ぐだけでもそれならできるし」
なるほど、それなら簡単だ。やろうと思えば公衆トイレでだってできる。そういえば、どっかの公衆トイレでやったとか誰かが言ってて、トイレでどうやってセックスするのか非常に疑問だったのだが、そういうことだったのか…って感心している場合じゃない。
「で、話は戻るけど、トッシーが好きなのは誰?」
もはやこれまでか。ここまで追い詰められると、もうさすがに逃げられない。万事休す。来学期からは普通の中学生に戻ります。さよなら、秘密クラブ。さよなら、特別な自分…
「あ、実は…」と口に出そうとした瞬間、三辺の唇が、自分の唇に触れた。
「僕でよかったら、初体験の相手になるよ。好きなクラスメイトがいるって言ったろ?あれ、実はトッシーなんだよ。一年の時、部活で初めて見た時から、ずっと気になってたんだ」
ついに来た。ちょっと予想していたこととはいえ、実際に告白のようなことをされたことは今までになかったので、戸惑う。ましてや、相手は男だ。
「で、でも、俺は…」
今更違うなんて言えようか。
「大丈夫。彼氏になってくれなんて言わないから。なってくれたら嬉しいけど、まだそこまで吹っ切れてなさそうだし。僕がちゃんとリードするから」
「吹っ切れてなさそう」とはまた微妙な言い方だ。ソッチ系になることについて言っているのか、それとも、三辺の「彼氏」になることについてなのか。ほんの数秒の話の中で、色んなことが頭の中を巡っていた。まあでも、リードしてくれるなら、この際穴に墜ちてみるのもいいかもしれない。三辺は童顔で、何となく柴犬を連想させる顔をしている。それも、子犬の。そんなわけで、可愛いなと思ってはいたし、屋上で上半身裸でハグしあった時、不覚にも下半身が反応してしまったし。今も反応してきている。
「…じゃ、よろしく」自分は三辺を受け入れることにした。
その日帰宅後の夜は、色々考え事をしていた。行為そのものは別に大したことはなかった。裸になって抱き合い、モノを扱き合い、射精するだけだった。終わった後も、一緒に風呂に入ったりして、その辺は男同士というか、妙にさっぱりしたものである。実際には恋愛というよりも、友情の一歩先を進んだという感じだ。ちょっと二人の絆が深くなった気がしたとでもいおうか。ひょっとしたら、男なら誰でも一度通る道なのかもしれない。三辺に
「これで僕らは完全に仲間だね」
と言われたのも、そんな気持ちをより一層強めていた。仲間、か…。今まであまり意識したことのない言葉であったが、心をくすぐられたのは事実だ。まあいいや。どっちみち、ほぼ毎日のように部活があるようだし、三辺とは二学期が始まるまでは、たぶん会うことはないだろう。その間に気持ちを整理しとけばいい。叔父さん達にはこのことは黙っておいた方がいいような気がした。また要らぬ心配をされても困るから。ともかく、「普通の中学生に逆戻り」という、自分にとっての最悪の事態だけは免れたようで、一安心といったところか。
夏休みも半分過ぎたが、案の定三辺からは何の連絡もない。別に期待していたわけではないが、本当に何もないのも寂しい気がする。帰宅部の夏休みなんて、ハッキリ言って暇だ。暇なら暇で宿題を早めに片付けよう、と思っていたら、八月に入るころには、宿題の大半が終わっていた。区民センターでの筋トレは続けていたが、せいぜい一日二時間くらいのもの。そこで話しかけてきた五十くらいの男性に「君、いつも熱心にやってるね。よかったら、うちのジムで本格的に鍛えて、大会でも目指さないか?」とスカウトのようなことをされてしまった。「まだ中学生ですけど」と答えると、「始めるなら早い方がいい」と。いっそのこと「中学生ボディビルダー」でも目指すか…そんなことを考えながら、家の郵便受けを開けてみると、珍しく自分宛の郵便が届いていた。何だろうと思って裏をみると、たまに行くショップからであった。「秋の新作、入荷しました」と印刷され、白人の男女のモデル二人が、おそらくその新作と思われる洋服に身を包み、さわやかな笑顔を振りまいている。そういえば前に店で住所書かされたっけ、宣伝のハガキか、と思い、適当にしまおうとしたら、ふと手書きの文字が目に入った。「最近お見えになりませんね。また新作見に来てください。冬木裕美子」とあった。
「冬木さん…」
冬木さんというのは、そのショップの店員だ。今どきのオシャレなお姉さんという感じで、小柄で色白、パッチリした目にちょっと茶色いセミロングのヘアが印象的な、なかなか可愛らしい人であった。そう、おそらくプライベート用と思われる電話番号を書いた名刺を、自分に渡した女の人である。もちろん、そういうことは初めてではなかったし、たぶんお客皆に渡しているんだろうくらいにしか思わなかったので、それを特別視したことはなかった。しかし、この時は暇を持て余していたこともあったし、ちょうど前の週に、叔父さんの絵のモデルのバイトをして臨時収入もあったので、店をのぞきに行くことにした。
ちなみに、前の週モデルをしに叔父さんの家に行った時は、叔父さん一人だった。ここのところずっと二人一緒のところしか見ていなかったので、新鮮だった。「別れたの?」と聞いたら、
「そうじゃない。大学の友達と旅行だって。あいつがいると、またお前に余計なことを吹き込みかねないからね。あいつがいないうちにやっとかないと」
叔父さんは自分がソッチ系と接触を持つのを嫌がっているようだった。それならモデルも辞めさせりゃいいのに、とも思ったが、それは臨時収入がなくなると嫌なので言わなかった。
その日の午後、冬木さんがいるショップをのぞきに行った。自分が中に入った時、冬木さんは他のお客さんの接客をしていたが、ふと目が合って、それとなく「ちょっと待ってて」とでもいうように目配せをされる。なので、しばらく一人で店を眺めることにした。夏の残りの品が「三十%OFF」などと書かれた棚に無造作に積まれている。売れてしまったものとどこがどう違うのだろう。見た目は同じなのに、正規の値段で買われるものと、安値で叩かれるもの―人間も同じなのだろうか。「NEW ARRIVAL」と書かれた棚にはいかにもきれいな感じに洋服が並べられていた。これらの中からもいずれ、「何%OFF」として叩かれてしまうものが出てくるのだろう。やはり人間も同じか。カッコいいかそうでないかなんて、本当は紙一重なのかもしれない。などと考えていると、ブルーになってきたので、気を取り直して、「秋の新作」のほうに目を遣った。その中によさそうなシャツがあったので手に取ってみる。
「それ、お似合いですよ」
前の接客が終わったのか、冬木さんが話しかける。
「サイズお出ししましょうか?」
「いや、これLだから、これで大丈夫かと…」
「それ着てパーティーとか行ったら、モテますよ」
パーティーか…そんなとこ、行ったことないなあ、いつか行ける日が来るのかな、と思いつつ、
「じゃ、これください」
とそのシャツを購入した。冬木さんは、シャツをきれいに畳み直し、専用ケース入れて、さらにロゴ入りの紙袋に入れる。出口まで送ってくれ、
「いつもありがとうございます」といった後、周りを気にしながら
「お電話くれないんですね。正直言うと、ちょっと残念です」
と小声で言ってきた。あの名刺はどうやらそれなりに真面目だったらしい。
「あ、そのことなんですけど…実は僕、まだ中学生なんです。ほら、これが証拠」
と言って生徒手帳を見せると、冬木さんは急に慌てたような仕草を見せ、
「あら、やだ、私ったら…未成年、それも中学生をナンパしてたなんて…」
彼女はあっさりナンパと認めた。でも、その慌て振りが可愛くて、つい
「でもお茶飲むくらいならいいかも」と言ってしまった。すると冬木さんは
「そうね。お茶くらいなら別にいいわよね。私、三時から休憩なんだけど、よかったらいかがです?」敬語とタメ語が混じっているところをみると、まだ動揺しているようではあるが、とりあえず三時十分に、近くの喫茶店で待ち合わせをすることになった。
冬木さんは約束の時間ほぼきっかりに、喫茶店に現れた。席に就くとバッグからタバコを取り出し、「吸ってもいい?」と聞いてきた。自分はもちろん「どうぞ」と答えた。彼女が持っているのは、自分が知っているそれよりも細めのタバコだ。タバコにも女性向けと男性向けがあるのだろうか、そのタバコは冬木さんのようなオシャレな大人の女性にはよく似合っている。注文したアイスコーヒーが来て、それを一口飲んだ後、彼女はこう続けた。
「ホント、びっくりよね。確かにちょっと幼い感じがするなとは思ったけど、まさか中学生だったなんてね」
タバコをふかしながら言う。冬木さんは今年で二五歳、都内の某私立大学の英文科を卒業後、アパレルメーカーに就職し、現在このブランドの店舗で販売員をしているという。
「将来は海外に店舗ができるといいわね。そこで働くのが夢」
それから彼女とは、学校のことや好きな本などのことについて話をした。英文学については詳しいことはわからないが、先日読んだ本の中にそれっぽい作家の作品があったので、名前を出したところ、彼女もその作家が好きらしい。
「何か俊哉君って、普通の中学生っぽくないね。中学生でそんな本読むなんて。私が中学の頃の同級生の男子なんて、バカばっかやってたような気がするけど」
―普通の中学生っぽくない―そう言われて、ちょっと嬉しかった。
「いえ、僕はあんまり友達もいないし、一人で過ごすことが多いから」
「そうなの?明るそうだし、友達多そうだけどなあ」
「うち、親が変わってて…。友達と遊ばせてくれないんですよ。『学校以外は家にいろ』みたいなノリで。まあ、昼間はそれでも外出させてくれるんですけど、夜とか絶対無理。部活で帰りが遅くなっても嫌な顔されるし、それでやめちゃったんです」
「ふーん、大事にされてるんだね。でも、ちょっとやり過ぎのような気もするけど。何かあるのかな」
こうした話をして、「何かある」みたいな反応を見せたのは彼女が初めてだ。それまでは、誰に話しても「それだけご両親は君のことが可愛いんだよ」の一言で片付けられていて、そこに不満を言う自分が悪者みたいに扱われていた。さすが大人のおしゃれな女は違う、と感心した。
「何かって、何ですか?」
「私にも分からないけど…俊哉君が生まれる前にお兄さんかお姉さんがいて、何らかの理由で死なせちゃった、とか。あ、ごめんね。変なこと言っちゃって」
「いえいえ。そういう反応は初めてだったから、新鮮ですね」
「あら、そう?ま、でも気になるなら一度聞いてみたら?すぐに本当のことは教えてはくれないだろうけど」
「そうですね」
彼女も、もしかしたら何かそういう経験をしてるのだろうか。言葉に若干重みが感じられた。
そうこうしているうちに休憩時間も終わりに近づいた。
「今日は楽しかった。中学生と話してる気がしなかったわ。あ、そうだ。よかったら来週の水曜、うちのデザイナーさんの誕生日パーティーがあるんだけど、一緒に行かない?まだ夏休みでしょ?アフタヌーンティーパーティーだから、ご両親に心配もかけないし。そうそう、今日買ったシャツ着てきなよ。秋物だけど、クーラーガンガン効いてるから、ちょうどいいよ。それに、シャツにあうネクタイ、私が用意するから」
パーティーという響き―時間的にも問題なさそうだし、もちろんOKした。
「じゃ、来週の水曜日、一時に店の前で。店自体は休みだけどね」
そう言って彼女とは別れた。そういえば、女の人と二人きりで会う、要するに、デートするのは、これが初めてだと、その時改めて気が付いた。
パーティー当日、一時五分前に店に着くと、冬木さんは既に来ていた。自分は彼女に言われた通り、この前買ったシャツを着て行った。八月半ばの長袖はまだ暑い。シャツが汗でびっしょりになる前に、冷房の効いたところに行きたい。
「やっぱり似合うね」
冬木さんがさりげなく言った。それから、自分の方にやってきて、シャツのボタンを三つ外して、胸がちょっとはだけるような感じになった。
「ネクタイもいいけど、ほら、この方がいいかも」
店のガラスの扉に自分の姿を映してみる。そこには、自分と同じ顔の、全く知らない自分がいた。ここは本当に、今まで自分がいた世界なのだろうか。SFなんかにあるような、パラレルワールドに舞い込んでしまったのではないか。自分は、元の世界に戻れるのだろうか。まあ、戻れなかったらそれもいいかもしれないが。
「さ、行こ」
彼女は慣れた手つきでタクシーを捕まえる。まあ、二十五歳なら当然か。
パーティーの会場は、店からタクシーで十分程のところにあるカフェであった。扉に「本日五時まで貸切」という張り紙がしてあった。扉を開けると、さらに異世界に飛び込んだような気がした。当たり前だけど、大人しかいない。自分は冬木さんと口裏を合わせ、大学生ということにしておいた。冬木さんが会う人会う人に頭を下げ、あいさつをする。上司と思しき人もいれば、後輩と思われる人もいる。
「会社の人間が多いわね。あとはデザイナー個人の知り合いとか、雑誌社の人やカメラマンの人もいるね」
何となく華やかな、でもどこか排他的な雰囲気に圧倒されそうになっていた。ファッション業界の人達は、やはりちょっととっつきにくいものなのか。居場所がないのかも、と思った時、見覚えのある顔に出くわした。孝弘さんだ。向こうも自分に気が付いたようで、手を振りながらこちらに近付いてきた。
「こんなところでトシ君に会うなんてね。隣は彼女?」
「いや、そういうわけじゃないけど…」
自分と孝弘さんがそんな風に会話していると、冬木さんが割って入ってくる。
「二人は知り合いなの?世間って狭いわね。だからパーティーって好きなの。意外な人間関係が見えるから。ていうか、私もあなたのこと知らないけど」
「はは。僕は藤村孝弘といいます。武山君とは大学の同級生です」
機転を利かせたつもりなのか何なのか、孝弘さんがまた適当なことを言う。それがまた冬木さんと口裏を合わせた通りのことを言ってくれたので、おかしくなった。冬木さんも笑いをこらえているような感じがした。二人がなぜそんなにおかしそうなのか分からないといったような表情の孝弘さんは、ちょっとだけ可愛かった。その時、冬木さんが上司に呼ばれて場を外したので、孝弘さんと二人きりになった。
「何で孝弘さんがここにいるの?」
「僕もこの会社への就職考えててね。ちょっとコネを使って潜り込んだってわけ」
「コネ?」
「そ。あ、ファッション業界は仲間多いからね。今日の主役のデザイナーもたぶんそうだよ。他にも何人かいるね」
孝弘さんが自分に貴重な情報を提供してくれていると、冬木さんが戻ってきた。
「ね、ごめん。藤村君だっけ?ちょっと俊哉君借りるね」
「はーい。僕も自分の将来探しに行きまーす」
そう言って孝弘さんは、どこかに行ってしまった。
冬木さんは、あるグループの中に自分を連れてきた。女性が一人に男性が二人。一人はどうもカメラマンっぽい。
「こちら『メンマガ』編集部の結城さんと立花さん。そしてカメラマンの大貫さん」
「どうも、初めまして」女性の結城さん、そして男性の立花さんからそれぞれ名刺を受取った。結城さんの方が若干貫禄があり、年上に見える。ということは彼女の方が上司なのだろうか。『メンマガ』とは、二十代男性をターゲットにしたファッション雑誌である。カジュアルからフォーマルまで、さまざまな着こなしを紹介しており、十代の読者も決して少なくない。中学生が読むには少し早すぎるが、自分は毎月購読しており、私服の参考にしていた。冬木さんが続ける。
「私達二人一緒の写真を撮りたいんだって」
「へ?」
「二人なかなかお似合いよ。雑誌に載せたら絵になるかも、と思ったのよ」
結城さんが言った。『メンマガ』には、そういえば毎月、カップルを紹介するコーナーがあったような気がする。そのコーナーに自分達が載るというのだろうか。それはそれで嫌な気はしないが、プレッシャーも大きい。
「もちろん何組か撮るから、必ずしも載るとは限らないけどね」立花さんが付け加えた。それならプレッシャーも半減する。
「記念撮影のつもりでいいわ。載せても載せなくても、できた写真はプレゼントするから」
そう言われると俄然気持ちが楽になり、二人はすっかりカップルになって、乗りに乗って写真を撮った。最後にカメラマンの大貫さんがこう言った。
「あなたなかなか筋がいいねえ。モデルとか興味ない?良かったら仕事紹介するわよ」
オネエ言葉だ。ということは、大貫さんはソッチ系?
「こら、またそうやって若い子に手を出そうとして。あ、この人ソッチ系だから。ゲイってこと。騙されちゃだめよ。一回寝たらポイ、だから」結城さんがたしなめる。
「人聞きの悪いこと言わないでくれる?仕事とそれは別。ホント、気が向いたら連絡頂戴。はいこれ、名刺」
「あ、ありがとうございます」
自分は苦笑しながら名刺を受取った。でも、別に、キスされたりとか、変なことはされなかったので、もしかしたら純粋に仕事を頼みたいのかもしれない、と思うことにした。
パーティーは四時過ぎにお開きになった。孝弘さんはいつの間にかいなくなっていた。「自分の将来」とやらを探せたのだろうか。
帰り道、心地よい気怠さを感じながら、冬木さんと二人で街をぶらぶらしていた。
「モテモテだったね、俊哉君」
「そうですかね?あのソッチ系のカメラマンさんだけじゃ…」
「あはは。それもあるけど、でも、あの中では一番輝いてたよ。ねえ、本当に中学生なの?」
「本当ですよ。学校じゃ、冴えないグループの一生徒…」
自分もつい口走ってしまった。冬木さんの前では、本当はカッコつけていたかったけど、パーティーの後の空虚な感じが、自分に本音を口走らせたのだ。
「そうだったんだ。私の頃にもそういうグループ分けみたいなのはあったけどね。でも、その時モテるグループにいた男子が、五年も経たないうちに凄くダサくなっちゃってて。で、当時のアルバムとか見返してみると、全然カッコよくないことに気付くの」
「へえ、そうなんだ」
「やっぱり小学校や中学校だと、スポーツできるとか、ケンカが強いとか、どうしてもそっちに目が行っちゃうからね。でも、それとその人本来の価値とは関係ないよ」
「そう言ってくれると嬉しいです。僕は、スポーツは…個人競技は得意だけど、団体モノはさっぱり。ケンカは…あんまりしたことないからわからないけど。でも、弱いって思われてるだろうな。だから、冴えないグループでーす」
自分が勢いに乗って、おどけながら本音をべらべらしゃべっていると、冬木さんはこういった。
「ね、そういうこと、今日は忘れてみない?」
「え?」
何が言いたいのか、大体想像がついてきた。彼女は自分を誘っているのだ。
「今四時半だから…あと二時間くらいなら大丈夫でしょ?今だけ、男になるの。ただの男。中学生とかそういうこと忘れて。そして私はただの女。十一歳の差も何もかもなし」
さすがは大人の女。パーティー後のテンションも手伝っている部分もあるのだろうが、確か「据え膳食わぬは男の恥」なんて諺もあったっけ。ここは誘いに乗るしかない。とはいえ、何をどうしたらいいのかイマイチよくわからない。
「わかりました。でも、俺、初めてですよ。それに俺、まだ付き合うとかそういうのは…」
「そこは任せて。ちゃんとリードする。それにこれは一度限りのこと。次に会う時は、また店員とお客」
リードする―前にもどこかで聞いた言葉だ。そう、前は三辺だっけ。そういえば、三辺の奴、今頃どうしてるんだろう。奴がこのことを知ったら、どう思うのだろうか。しかも、一度限りでいいなんて。さすがは、大人の女。
この夏は、自分にとって、忘れられない夏になりそうだ。