一九八×年、十四歳 1
※ボーイズラブがキーワードになっていますが、激しい性描写はなく、登場人物を取り巻く環境として出てくるに過ぎません。
一九八×年、十四歳
「砂を噛むような」という言い回しが、今日国語の授業に出てきた。その言葉の響きから、「辛い経験」「悔しい経験」というような意味を想像していた。過去に読んだ文章にも、この言い回しが出てきたが、そのような意味に解釈しておよそ違和感はなかったので、その意味で間違いないと思っていた。しかし、実際には違ったようで、「無味乾燥、何の面白味もない」という意味らしい。ということは、今の自分の生活は、「砂を噛むような生活」と表現することができるのだろうか。
毎朝学校に行き、家に帰り、食事をし、勉強をし、テレビを見たりラジオを聞いたりして、寝る。休日には繁華街に出かけることもある―一見何の問題もない生活。しかし、何となく生きているという感じがしない。両親、それも父親に徹底管理された生活なのだ。入ったことがないので分からないが、刑務所とはこんな感じなのだろうかと思ってしまう。
勉強以外の活動が何もできない。子供の頃から、習い事をしたことがない。楽器、スポーツ、そろばん、習字…色々な習い事があるが、自分はどれも知らない。同級生が皆行っていたので、「自分も行きたい」と訴えたが、「勉強の役に立たない」と言って、却下された。そろばんや習字は独りでも何とかできるものの、さすがに楽器やなんかは高いし、子供独りで習得しようとしても、どうにかなるものでもないので、やったことがない。辛うじて、「泳げないのはカッコ悪い」と言うと、スイミングスクールだけは通わせてくれたが、それもある程度泳げるようになると、強制的に辞めさせられた。
あと、学校の外で友達と遊んだ経験がほとんどない。子供の頃、「○○君の家に遊びに行く」と言うと、いつも母親に止められた。「お父さんに怒られるから」と言うのが理由だったが、友達の家に行くのがそんなに悪いことなのかと疑問に思った。もっとも、一人での外出には割と寛容だったので、最初の頃は「一人で公園に行く」と嘘をついて、友達の家に行っていたこともあったが、それもいつかばれてしまい、しばらく外出禁止令が出たほどだ。そんなわけで、友達から遊びに誘われても断るようになり、そうなると、友達との関係も疎遠になっていく。あげくに「カホちゃん」なんてあだ名を付けられる始末だった。「カホ」とは「過保護」の「カホ」だ。そんな感じなので、友達の誕生日パーティーにも行ったことがないし、自分も誕生日パーティーに友達を招いたことがない。いや、自分は誕生日パーティーというものを開いてもらったことがない。父親は「あんなものは一部の特別な人間のやることだ」と言っていた。それでも好きな玩具を買ってもらえたりはしたが、それだけだった。
「普通にしろ」「平凡が一番」これが両親の口癖だ。父親は公務員で、絵に描いたような堅物親父だ。テレビでラブシーンなどが出てくると、すぐにチャンネルを変えるようなタイプで、仕事が終わるとまっすぐ家に帰ってくる。忘年会などの定期的な飲み会以外は、全く飲みに行ったりもしていないようだ。果たして思春期に恋愛なんかした経験があるんだろうか。分からないが、「がり勉君」なんてあだ名が付いてたんじゃなかろうかという感じの男だ。母親は専業主婦。基本的には夫、つまり父親には絶対服従、まさに三歩下がって夫を支えるといった感じの古風な女性だ。はっきりしたことは言えないが、テレビなどを見ている時の反応からして、奥手なタイプだろう。不謹慎だが、本当にこの二人がちゃんとやることをやって自分が産まれたのか、不思議に思う時がある。セックスのセの字も想像できない。親から性的な知識も全く教わっていない。ひょっとしたら自分は本当にコウノトリか何かに運ばれてきたのではないかと思うことすらあった。それでも、表面的には確かに平凡と言えば平凡だ。別に平凡な人生が悪いとは言わない。平凡でも幸せならそれでいい。しかし、今の自分の環境は、決して幸せとは言えない部分もあるし、そもそもこれが「普通」「平凡」なのだろうか。友達と学校の外でも遊んだり、勉強以外にも色んな習い事をしたりする。これが「普通」なのではないか。家が貧しいというのならまだ納得もできる。しかし、うちの家は同級生の家の中でもどちらかといえば大きい方だし、小遣いも、小学二、三年の時点で三千円もらってたように思う。子供心にも「これは多い」というのが分かっていたので、本当の額を人に話したことはない。うちじゃあ、うちは借金まみれだったのか?というと、確かに詳しいことがわからないが、少なくとも、そういう切羽詰ったようなところは見受けられなかった。
一見「普通」のうちの家庭。父親がいて、母親がいて、自分は毎日学校に通っている。毎日ちゃんと三食食事ができる。これはもちろん感謝するべきなのだろう。だが、「普通の」環境にいたからといって、ただ漫然と生きていて「普通の」幸せが手に入るとは限らないということも分かっていた。「普通の世界」には「普通の世界」なりに、やはり、努力や運も必要だ。そんな時、ふと、テレビを見ながら、芸能界に対する憧れが芽生え始めた。「普通の」幸せが、そんなに楽に手に入るというわけではないのなら、こういう世界を目指してみるのもありかなと。それで、中二になってすぐの三者面談で、「高校や大学に進学するかどうかは分からない。自分は芸能人になりたい」と言ったら鼻で笑われたことがあった。まあ、「才能がない」「魅力がない」と言われるならまだ許せる。しかし、その時担任が口にした「芸能界なんてやめた方がいい」という理由がどうも気に入らない。「芸能界なんかに入ったら、普通の生活ができなくなるよ。自由もないし」。あるいは、そうなのだろう。だが、普通の世界って、そんなにいいもんだろうか。家にいても勉強しかすることがないし、学校にも「上位グループ」と「下位グループ」、「不良グループ」の3つがあって、「不良グループ」は別枠として、「上位グループ」に入れりゃそれなりに楽しいだろうけど、「下位グループ」に割り振られたら、地獄だ。パシリとして、そしてサンドバッグとして扱われ、人権も何もない。何をしても悪くとられ、存在や人格そのものを否定されたような気分になることもしばしばだ。「上位グループ」が「平凡な幸せ」なら、「下位グループ」は「平凡な不幸」だろう。こうした「身分制」から抜ける自由はあるが、そうしてしまうとクラスの、学校の輪からは外される。いわゆる「村八分」というやつだ。とにかく、これが皆がいいと言う「普通の世界」の実態だ。表向きは「足の引っ張り合い」も「醜い争い」も「ない」ことになっており、基本は「皆仲良し」だ。が、果たしてそうだろうか。自分も芸能界の本当のことはよく分からないが、かなりどろどろした魑魅魍魎の世界だと聞く。ただ、そうした魑魅魍魎が「ある」という前提でいられる世界の方が、ある意味分かりやすくていいのではないか。それでも、友達でもできればまだいいのか。しかし、両親が極端にそれを嫌がるということもあって、自分は友達の家に行くとか、友達を家に呼ぶとか、そういった経験がほとんどない。そうなると、やはり友達もできにくい。完全に無視されてるわけではないが、同級生とは上辺だけの会話になる。校内でも一人で過ごすことが多く。これはこれで楽なのだが、果たしてこれが「普通」かと言われたら、どうなのだろう?また、学校が終わったり、休みだったりする時は、一人で外出することもあるが、自宅にこもることが多くなる。このように友達付き合いもできず、睡眠時間だって、試験の前ともなれば、三~四時間。はっきりいってこれなら芸能人のほうがましじゃないか?。まあ、彼らは彼らで辛いこともあるのだろうが、それでも金がもらえて、キャーキャー言われるだけ羨ましい。恋愛?そんなもの、ごく限られた「上位男子」と「可愛い子」の間でしか成立しえない。あえて「カッコいい男」とは書かないのは、「上位男子」が「カッコいい男」とは限らないからだ。「上位」グループにいながら、どう見ても「カッコいい」とは呼べない連中がいることも確かだ。「上位グループ」のやつらは、「そこそこに」勉強ができ、「そこそこに」スポーツもでき、「そこそこに」ルックスもいいというやつが多い。詰まるところ「中の上」の集まりなのだ。ちなみに、女子は「上位グループ」と「可愛い子」はほぼ一致するが、それでも「下位グループ」のほうに最上級に可愛い子がいるのも事実だが。
とにかく、基本的には学校と家の往復の日々。部活もやっていたが、少しでも練習で遅くなると父親が学校に電話を掛けて「うちの子にいつまで練習させるんだ」と顧問に文句を言うので、そのたびに恥ずかしい思いをすることになり、部内でも自分のことを馬鹿にするような空気が流れた。その上、うちの親の異常な束縛ぶりを知っていた同じ小学校のメンツがさらにそれを煽り、小学校の時と同じく、先輩や同級生から「過保護のトシちゃん」などとからかわれるようになってしまった。それでも何とか頑張っていたが、父親がすねるので辞めた。「家族そろっての夕食ができない」と言って。怒る、のではない。「すねる」のだ。ふて寝をしていたこともあった。もう何が何だかよくわからない。実際、家族そろって、にこだわる割には、賑やかな団らんもなく、葬式のように無言で食事をする。たまに「学校はどうだ」みたいなことを聞かれることはあったが、会話らしい会話はほとんどなかった。これなら別に一人でもいいのでは?と思うようなものだった。まあ、あいにくというか幸いというか、素質がなかったらしく、部活は中一の夏が終わると辞めた。父親は安心していたようだった。はたから見れば「可愛がられている」のだろうが、どうも窮屈だった。「過保護」というわけではないだろう。過保護なら、「学校に行きたくない」とだだをこねたら休ませてくれるはずだ。でも休ませてくれなかった。その時の言い方も何だかおかしかった。「学校に行け!」と怒鳴られたりするなら、わかる。「お願い!学校に行ってくれ!」とまるで懇願するかのような言い方なのだ。こう言われたら反抗する気にもならない。観念して黙って行くしかないと思った。あるいは、それが狙いだったのだろうか。いや、芝居をしていたようには見えない。あの眼は本気の懇願だった。母親はというと、全く助け舟を出してくれる様子もなく、父親の行動をただ黙って見ているだけだった。まさに亭主関白の夫の後についていくだけの女でしかなかったのだ。
自分に対する束縛…それは何かを恐れているようにも見えた。純粋に可愛がっているというより、いや、愛情がないとは言わない。愛情がゆがんでいるわけでもない。そういうものではなくて、何かが起こることを恐れているような感じがした。確かにはたから見れば「幸せな家庭」なのだろう。しかし、それは薄いガラスの舞台で芝居をしているような、危うさ、脆さを感じていた。おそらくその「幸せな家庭」の像が壊れるのをおそれていたのだろうか。まあ、わからなくもないが、「幸せ」の形は一つじゃないはずだ。とりあえず家族が笑顔か、少なくとも陰気な顔さえしてなければそれでいいんじゃないの?と思うが、それではだめなんだろうか。
自分の自由な外出時間といえば、学校が終わった後、夕食の時間の前の数時間に限られていた。なぜかこの時間の外出に関しては、親もうるさく言わなかった。とはいっても、特別なことをするわけではない。いや、ある意味中学生としては特別か。電車に乗って繁華街へ出て、街をぶらぶらし、気に入ったものがあれば購入し、喫茶店に入ってケーキセットを頼む。中学生ながら、小遣いだけは多めにもらっていた。クラスメイト達と小遣いの話題になった時、だいたい皆「三千円」、多くてもせいぜい「五千円」という中で、一人「三万円」というのは憚られたし、第一正直に言おうものなら、悪いやつらにたかられるのは目に見えている。実際そうやってたかられている奴らもいたし。心の中で「馬鹿だな」とも思っていたが、彼らは彼らなりにそうやって自分の存在意義を確かめているようなところもあったようなので、余計な口出しはすべきではないと思った。金で友達を作るとでもいおうか。自分はそこまでして友達が欲しくもなかったので、その辺は皆に合わせて「三千円」ということにしておき、「友達作り」よりも、自分の財布を守る方を優先した。実際、そのくらいの小遣いがあれば、友達がいなくても、自由時間が二、三時間しかない生活でも、寂しさや退屈をあまり感じずに過ごせたのも、お金のおかげだ。とはいえ所詮は中学生の出費、別に飲み歩くわけでもない。それに、自分には「臨時収入」もあったのだ。
土曜の午後、その「臨時収入」を得る場所に行った。電車で二駅ほど離れたところの、信行叔父さんの家である。叔父さんの家といっても、自分が幼いころに亡くなった祖父母もそこに住んでいた記憶がおぼろげながらあるので、父方の実家ということなのだろう。そこに叔父さんはずっと住んでいるということになる。信行叔父さんは美術系の専門学校の講師をしており、その傍ら、定期的に個展を開催したり、また、イラストレーターとして雑誌やポスターなどに絵を描いたりしている、まあ、平たく言えば「絵描き」である。その「絵描き」の叔父の絵のモデルをやることで、臨時収入を得ていたのだ。もちろん親もそのことは知らない。叔父のところに行くこと自体は知っていたが、そんなことをしているとは思っていなかっただろう。信行叔父さんは、父親の弟で、兄弟の中でも末っ子なので、年齢も三十五か六だ。しかも、肌が浅黒く、やや短髪でスポーツマンっぽい雰囲気を漂わせているさわやかな風貌で、さらに若く見える。絵描きというより、サーファーとか、サッカー選手とか、そういった感じだ。その日も、いつものように叔父から呼び出しを受け、家を訪ねたのだった。そしてまた、ここ最近はずっと出迎えてくれる孝弘さんという大学生が、いつものように、出迎えてくれた。
「いらっしゃい、俊哉君。ノブさんはアトリエにいるよ」
わかりました、と答えてアトリエに入ると、叔父がこれまたいつものようにキャンバスの前で腕を組んでいた。
「おう、トシ。来たか。まずは座って。あとでジュースとお菓子を孝弘が持ってくるから」と言って、目の前の椅子に自分を座らせた。そこからしばらく、たわいない世間話をしたあと、絵の話になる。
「今度の孝弘さんは結構続いてるね」
「ああ、半年だ。先月からはほとんどうちに入り浸りで、半同棲だよ」
そう、この二人、実は「恋人同士」なのだ。叔父のそういう傾向に気付いたのはいつのころだろうか。小学校高学年のころ、自分にヌードデッサンをさせると言ってきた時か。叔父の絵のモデルは、幼稚園のころからやってきたが、ヌードになれと言われたのはそれが初めてだった。幼稚園児や小学校低学年とかならいざしらず、高学年といえば、自分の体にも変化が現れ、人前で裸になることに抵抗を覚えるころだ。そんな時になって、あえてヌードになれとかいう叔父を不思議に思ったものである。そういえば、「助手」という名目でいつも違った若い男の人がいたし、まあ、そういう傾向のある人がいるというのは何となく知っていたし、ヌードモデルになる交換条件として、それまでは無償でやってきたが、以後モデルを務める時は、ヌードかそうでないかを問わず小遣いを渡すことと、「本当のこと」を話すことを求めた。しかし叔父はあっさり小遣い、つまりギャラを渡すことを承諾し、また全てを話してくれた。そのあっさり加減にこっちが拍子抜けしたくらいだ。叔父のそうした傾向は兄弟たちは知らない。ちなみに、モデルは毎回ヌードというわけではなく、実際には服を着る時の方が多かった。とはいっても、叔父が用意した衣装を着ることも少なくなかった。
叔父は四人兄弟の末っ子で、一番上の兄は自分の父親、間に女の兄弟が二人いる。叔父の親、つまり自分にとっての祖父母はもうすでに亡くなっており、叔父は高校生のころからそうだったようだが、「親父もおふくろも結局知らないまま、逝っちゃったよ。まあ、知らせないのも親孝行のうちだろうな」と笑っていた。そんなことを聞いたら、怖くて叔父に近付けなくなるのでは、と思う人もいるだろうが、そんなことはなかった。そういう人達だって、誰彼かまわず手を出すわけでもないだろうし、一応好みってものはあるんじゃないかということぐらいは予想が付いた。それと、あとで聞いた話だが、「そのケのない人」には普通は手を出さないらしい。中にはそのケのない人にしか興味がない人もいるそうだが、やはりある程度相手にも気持ちが入ってないと燃えないらしい。それに、やはり報復も怖いし、とのことだ。そこは何となくわかる気がする。そのケのない男に手を出すと、関係を持った後に、何らかの証拠を掴まれ、「職場にばらすぞ」などといって脅されたりするということらしく、実際にそういう目に遭った「仲間」もそれなりにいるのだとか。
そんな事情があるからというだけでもないようだが、そういう人達って、結構紳士的なのだ。実際、叔父の絵のヌードモデルをやっている時も、体を触られたりしたことは、ポーズの指示を除くと、ない。その手をいやらしいと思ったこともない。自分が鈍感なだけかもしれないが。もっとも叔父は最近になって「トシのことは結構タイプだから、その気になったらいつでも言ってこいよ」などと、本気とも冗談ともつかないことを言うようになってきている。自分も「オッケー」なんて適当に返事を返してはいるが、もし本当にその気になったらどうしよう?などと考えてしまう。学校ではさっぱり女にもてないけど、モデルをやっていると、確かにちょっと変な気分にはなる。その上、「かっこいいよ」とか「きれいだね」とか、普段聞くことのない賛辞を聞かされると、「悪戯されるくらいならいいかも」と思ってしまうのも事実だ。
その日は久々にヌードデッサンをするということで、自分はぱっと身に着けている物を取り、全裸になった。
「お、トシ。筋肉が付いてきたな。でも、部活辞めたんじゃなかった?」
「うん。今は毎日区民センターのトレーニングルームで鍛えてるから」
「ほお、いい感じだな。ますますお仲間っぽくなってきたぞ」
「何だよ、それ。さ、早く始めようよ」
実はそういう人達は、体を鍛えている人が多いらしい。かつ、叔父さんや孝弘さんみたいに、どちらかというとスポーツマンタイプの人が多く、いわゆる女っぽい、なよなよしたタイプはそれほど多くないのだとか。叔父さん曰く「女っぽいのはモテないからねえ」ということで、どこか無理しているところもあるそうだが、部外者が見る限りでは、結構わからないものらしい。「だから、トシ君の周りにも実はいるかもよ」なんて孝弘さんに言われて以来、それとなく観察してはいるものの、やはりよくわからない。もっとも、わかったところでどうにもならないが。
デッサンを終えた後、しばらく叔父さん達と雑談をした。その時、孝弘さんにある質問をされた。
「ねえ、トシ君て、将来の夢とかあるの?」
「うーん、笑わない?」
自分は、自分の夢を口にするのを躊躇うことが多い。おそらく全否定されるであろうことが分かっているからだ。
「笑わないよ。言ってごらん」
「えっと、芸能界に興味があって…」
確かに孝弘さんは笑わなかった。しかし、ある意味笑われるよりも衝撃的なことを言われた。
「そうなんだ。何かコッチ系っぽいんだけど」
「そうなの?」
孝弘さんの言葉に、若干の戸惑いを覚えた。実のところ、叔父さんに言われてヌードモデルなんかを何の抵抗もなくやってしまう、というより、ちょっと快感を覚えてしまっている辺り、そういう素質はあるのかもしれないと、薄々感じてはいたからだ。
「うん。コッチ系の子には多いよね。芸能界志望って。実際、芸能界には多いっていうしね。トシ君、実はコッチ系なんじゃないの?」
しかしながら、男性とのセックスなどを想像したことはないので、ここはやはり否定しておくべきだろう。
「そ、そうじゃないよ。ただ、芸能界に入ったら、普通のことしなくてもよさそうだから…。ちょっと常識外れな生き方しても許されるところってあるじゃん?結婚しないで女遊び繰り返すとか、酒に溺れるとか…」
「はは。面白い理由だね」
「うちの親、普通にしてればいいとか、平凡が一番とかうるさいんだよね。だから大人になったらめちゃくちゃやりたい。いや、大人になったらと言わず、もしアイドルにとかになれたら、今すぐ家出られるかもね。アイドルには自由がないけど、今の自分も似たようなもんだし」
自分は、ありのままの気持ちを二人にぶつけた。それに対し、叔父さんが答える。
「兄貴はトシを自由にさせないからね。自分と同じように公務員とか、かたい職業に就かせるだろう。芸能界なんてまず許さないんじゃない」
叔父さんには以前、自分の夢を話したことがある。その時も同じようなことを言っていた。
「ふーん。じゃあ、信くんが協力してあげればいいじゃん。一応親戚なんだし、保護者代わりになれないこともないでしょ」
「…うん、まあそうだけど…」
叔父さんはやはり兄貴、つまり自分の父親とはもめごとを起こしたくないようだった。
「でも、親の説得ぐらいしてあげなよ」
孝弘さんが言う。自分もそれくらいはしてくれるんじゃないかと期待はしていた。少なくとも、味方にはなってくれる、と。
「…そうだな」
一応肯定はしたものの、何とも歯切れの悪い返事であった。
そんなことを話しているうちに、時計は六時に差し掛かろうとしていた。孝弘さんが、出前を取るから、夕食一緒に食べないか、と誘ってきたが、「夕食は家で食べないと親の機嫌が悪くなるから」と断った。親戚同士なのに、それもダメなの?と訝しがったがったが、叔父さんが「それが兄貴のやり方だよ」と、しょうがないという口調で言った。また今度ゆっくりお茶でもしようよ、と言って、二人は自分を送り出してくれた。
家に着いたのは七時前だった。案の定、「こんな遅くまでどこにいたんだ」と若干怒り気味の声で父親に聞かれたので、「信行叔父さんのところ」と言った。嘘ではない。悪い仲間…ある意味いいとも言えないかもしれないが…と遊んできたわけではない、第一悪い仲間どころか、自分には一緒に遊べるような友達すらいないんだから。まあ、学校で話をしたり、グループ学習なんかでグループを作る時に苦労するほどではなかったが、学校を離れても遊べるような友達はいなかった。部活をしていた時も、まっすぐ家に帰っていたから、付き合いが悪いと思われてたようで、皆で遊びにいくって時もほとんど誘われなかった。一度部活の皆で遊園地に行ったことがあったが、帰りが七時過ぎになってしまい、その時、父親が心配しまくって、部員全員の家に必死の声で電話をしたりしたらしく、それに皆恐れをなしたようで、それ以来誘ってこなくなった。ある部員は「うちの母ちゃん、お前の父ちゃんの泣きそうな声を聞いて、こっちまで心配になったって言ってたぞ。遊園地がまるで違法の場所のように感じられたって」と言っていた。確かに異様だ、とは思う。反抗してみたこともあったが、殴られるとかではなく、「泣き落とし」でこられると、何もできない。天然なのか巧妙な作戦なのかわからないが、とにかく骨抜きにされてしまい、それ以来、よほどのことがない限り言う事は聞くようにしている。
「信行のところによく行ってるのか?」
食事の最中に父親が聞いてきた。
「まあ、たまに。」
「何してんだ?」
「何って…話したり、ゲームしたりですけど」
当然絵のモデルの話はしなかった。父親とは敬語で話す時の方が多い。別にそうしろと言われたわけではないが、その方がしっくりくるような気がしているからだ。敬語は、人との距離を一定に保ち、それ以上近づけない力がある。無意識のうちに、「父親には心を許さない」と思っていたのかもしれない。
「ふーん。でも、お前、なるべく行くな。お前の家はここなんだから、家に居ればいいじゃないか」
「別にいいじゃないですか。親戚なんだし。それに家にばかりいてもつまらないですから」
「ほお、つまらないのか。じゃ、出ていくか?」
大体いつもこんな感じになる。母親も何も言わず、もくもくと食事をし、もくもくと後片付けをする。ここでケンカをしてもいいが、ちょっと出かけるくらいなら、別にばれないので、ここは素直に「はい」と言っておく。その方が怪しまれないこともわかっているし、叔父さんもなぜが父親のそういうところを理解しているらしく、自分に用事がある時は、父親がいない時間を狙って連絡してくる。また、「俺んとこにくる時も、いちいち兄貴に言わない方がいいぞ。何かあったらこっちで適当にごまかしとくから」と言ってくれている。