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「という訳で、僕のアドヴァイスで伴さんはスランプを抜け出し、無事に曲を完成させることが出来たんですよ!」
「ほう、凄いじゃないか尊くん、大手柄だ。つまり君がいなければ、この名曲も完成しなかった訳だ」
「いいえ。伴さんなら、きっと伴さんなら、僕の助けがなくても曲を完成させたはずです。僕はそれをちょっとだけ早めただけ……。ドミナントにほんのちょっぴり色を差しただけです」
「それだけでも、大したもんだよ。やっぱり持つべきものは友達だ。伴くん、君はいい友達をもったねぇ」
「……そうですねー」
尊と洸ちゃんにコード理論の話をした数日後。完成させた曲を吉田さんに送ると、今度は一発OKだった。今日はその曲について打ち合わせをするはずだったのだが、何故か尊も同席しており、何故か尊が曲の制作を手伝ったと言う武勇伝発表会になり、何故か吉田さんもノリノリだ。
尊はさっきから小一時間ほど、ここ数週間ほどの曲制作の『お手伝い』を、面白おかしく誇張して話している。大袈裟に話してはいるが、嘘はついていない。止めようとしても、「興味深い話だね、もうちょっと聞かせて欲しい」と吉田さんが言うもんだから、俺はさっきから黙って尊の武勇伝を聞かされている。早く打ち合わせがしたい。
「一時はどうなるかと思ったけど、きちんと完成して良かったねー! あ、僕は伴さんがきちんと曲を作るって信じてたけど」
「……ああ、良かったよ。で、打ち合わせに入りたいんですけど」
話が一段落した雰囲気が無くならないうちに、本題に切り込む。こいつらに付き合ってたらいくら時間があってもたりない。
「そうだね、そろそろ打ち合わせしようか。尊くんの話を聞いて、ワタシの脳にはいま色々なプロデュース案が渦巻いているよ! これならいい感じに企画が進められそうだ」
あ、無駄に世間話したかった訳じゃなかったんだ。相変わらず、この人は読めないなぁ。
「……で、メールに書いてあった件なんですけど。珍しいですね、俺が作詞家と歌い手と打ち合わせするなんて。日時は今の所、何時でも大丈夫ですけど……」
俺が吉田さんから仕事をもらう時は、大抵曲を書いて渡しておしまいだ。それ以上の制作に関与することはまずない。作詞家や歌手など関係者と打ち合わせるすることは今まで無かった。それが一般的なことなのかは知らないが、そういうことになっていた。
「伴くんも、今回の仕事でひと皮むけた、というかもう一つ上のステージに行けたみたいだしね。……それはキミも気付いているだろう? 引越しするのも、それがきっかけなんじゃない」
「そうですね、環境を変えようと思いまして。……いつまでもだらだらしている訳にはいきませんし」
「ちょ、ちょっと待ってよ、伴さん、引っ越しちゃうの!? 僕、聞いてないよ!」
尊が横から口を挟んできた。やっぱりか、と思いながらも、出来るだけ無表情に答えてやる。
「ああ、言ってないからな」
「え、なんで? なんで引っ越しちゃうの? やっぱり、曲作りの手伝い、というか、曲作りに口を出すのはやりすぎちゃったかなって、僕も思ってたんだけど……あの、ご迷惑、でした、でしょうか」
恐縮しすぎて、口調がおかしくなってるぞ。
こうなるだろうから、引越しの件、尊にどうやって伝えるのか迷っていたのだけれども。この際だ言ってしまおう。
「いや、迷惑じゃなかった。むしろ感謝しているくらいだよ。……でも、きっと俺はこのシェアハウスにいたら、たぶんずっとこのままだ。きっといくら曲を書いても、いくらお金を稼いでも『半終止人間』のままだ」
「伴さんは『半終止人間』なんかじゃないと思うけど……自分でお金を稼いで生活してるし、落ちついてるし……大学に行く意味も分からないままサボって仕送りで演奏会を聞きに行く僕よりは、ずっと」
高額な演奏会の代金がどこから出てるのかと思えば、仕送りだったのか。そろそろ親御さんのすねは、かじられ過ぎて肉も無くなっているだろう。
「お前から見たらそう見えるかもしれないけどな、俺は結構、ダメな人間なんだぜ。なんとなく曲作って、それでお金稼いで。あんなに音楽が好きでこの世界に入ったのに、あの輝かしいサウンドを求めて作曲を始めたのに、やってることと言えば、作曲マシーンだ」
俺はここ一年で自分で作った曲をほとんど覚えていない。売れた曲もあれば売れなかった曲もあるけど、どれひとつとして覚えていないのだ。自分の曲にまったく、興味がないから。いい曲とか悪い曲とか、出来がいい出来が悪いもない。ただ理論に則って、統計に則って和音とメロディーを並べただけ。お金をもらうための作業でしかなかった。
「……別に、その半終止人間な生き方が悪いとは思わない。現に楽しかったよ。変人どもに囲まれてさ、馬鹿な事やったり、時々こんな生き方でいいんだろうかなんて思ったりさ。いつまでもゴールしないドミナントの状態は、気持ちいいんだよな」
「それは……僕にもわかる気がする。きちんと大学に行かなきゃ駄目だと思いつつ、でもクラシック音楽に没頭するのも、気持ちいいんだよね。こんなんでいいのかなーって思いつつだらだらするの。思えば、このシェアハウス、そんな感じの人ばっかりかも……」
ニッチすぎて売れないイラストレーター、家庭菜園に傾倒するフリーター、誰にも理解されない詩を書くシンガーソングライター、自称恐竜研究家、需要がほとんどない七宝焼き作家、アイドル志望の女の子(27歳)、一作品も仕上げたことない作家志望、趣味が「転職」の青年……改めて思い出すと、ダメ人間ばっかりだな。
「本音を言えば、お前らとまだまだ道に迷っていたい。ずっとドミナントなままで居て、次にどんな音が来るんだろうって希望だけを抱いて生きていけたらどんなに生ぬるくて心地よいだろうか。……でも、もう無理なんだよ」
お前のせいだ、尊。そして今ここに居ない洸ちゃんも。
「俺はもう、一度見てしまったんだ。ドミナントの先にある、トニックを。生ぬるくて悩んでいるだけですんだ生活の先にある、身を裂くほどに輝く音楽の世界を」
黄色い音楽が完成した瞬間は、ここ数年で一番、感情が揺れた。曲としての出来は悪くなかった、そう感じられたのが嬉しかった。もっと完成度を上げたいとも思った。もっといい作品が作りたい、自分が納得のいく音楽を作り上げたいと思えたは、久しぶりだった。
「自分が求める音楽を作るためなら、俺は手段を選ばないことに決めた。たとえ居心地の良い住みかであっても、それが音楽づくりに邪魔になるなら、捨てるんだ。……だから俺は今ある腐りかけの耳を切り落として、新天地へ引っ越すんだよ。道に迷ってる皆と一緒にいたら、俺もまた迷いたくなっちゃうからな」
「伴くん、難儀な性格してるねぇ。金銭的にも安定していて、友達もいて、穏やかな生活……普通の人ならそっちをとるよねぇ。ま、ワタシとしてはいい音楽を書いてくれる方が嬉しいんだけど」
吉田さんは本当にうれしそうだ。……というか、今回無茶な要求を出してきたのは俺を音楽の方向に吹っ切れさせるのが目的だったんじゃないだろうか。きっとそうに違いない。
「……そっか、伴さんが決めたんなら、きっとそれが伴さんにとって良いことなんだね。でも、たまに遊びに来るくらいは良いよね?」
「ああ、引っ越すって言っても、別に縁を切りたい訳じゃないんだ。ただ、自分の中で区切りをつけたいっていうか、『お前にはもう音楽しかないんだぞ』って自分に言い聞かせたいだけなんだ」
「そっか、じゃあ、絶対遊びに来てね。そして寿司と焼肉とケーキバイキングと満漢全席とフレンチフルコースをおごってね」
「おい、この前より増えてるぞ」
「おごれ!」
「なんで急に強気になってるんだよ!」
ああ、駄目だ。こういう意味のない軽口が楽し過ぎて、決心が鈍りそうだ。
「……で、話を戻すんですが、作詞家さんとの打ち合わせはいつにします?」
「おっ、もう良いのかい? いやぁー、伴くんと尊くんはおもしろいね。見てて飽きないよ。今回作詞は、金子くんに頼もうと思ってるんだけど。ほら、まえ伴くんの曲に……」
「じゃあ、そう言うことで。金曜の19:00に本社のミーティングルームで改めて打ち合わせしよう」
吉田さんは一通り打ち合わせを終わらせると、花柄に包まれた巨体を揺らしながら颯爽と去って行った。
本格的な打ち合わせになる前に尊は追い出したので、客間には俺ひとりだ。
「……引越し先、さっさと探さなきゃなぁ」
尊にあれだけ大見え切ったのだ。飛ぶ鳥跡を濁さず。未練が俺の足を引っ張る前に、さっさといなくなろう。
打ち合わせ先にアクセスしなきゃならないことを考えると、あんまり交通の便が悪い場所は良くない。そう考えると「YellowHOUSE」は最高だな。最寄り駅まで徒歩数分だ。
自炊をするなら、近くに安いスーパーがあると、便利だろうな。「YellowHOUSE」の近くのスーパーは綺麗で安くて好きだったんだが、チェーン展開とかしてないかな。夜にはたまに飲みに行きたいから、飲み屋街まで行きやすいと嬉しい。尊や洸ちゃんなど、ここの住民を誘うことを考えると、選択肢は限られるな。ガスは、プロパンじゃなくて都市ガスがいいな。ここは光熱費定額制だから計算が楽で良かった。
……考えれば考えるほど「YellowHOUSE」の良いところばかり思い出してしまう。未練たらたらじゃないか、俺。
淡々と曲を作って、比較的無味乾燥に過ごしてたように感じていた今の生活は、もしかして思った以上に煌めいていたのかもしれない。煌めきのドミナント。これはきっと、トニックが輝いていたからこそそう感じるんだろうな。ドミナントは来るべきトニックを輝かせたけれども、そのトニックもまた時を遡ってドミナントを煌めかせる。
もしそうだとしたら、俺がこれから出来ることは――今まで支えてくれた「YellowHOUSE」の友人たちに出来ることは、煌めいたドミナントが曇らないよう、輝かしいトニックを鳴らし続けることだけなのかもしれない。
了