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『 ノンノン! まったくだめだよ! これは本当に君の望んだ煌びやかなイエローなのかい? 曲自体は悪くないから、別の企画で使う時には声かけさせてもらうよ。

吉田』

 吉田さんからの、8時間たってやっと返って来たメールは、たったこれだけだった。

 正直なところ、こんなことを言ってくるんであれば、きちんとした企画書が欲しい。「黄色い音楽を作ってくれたまえ」なんていう曖昧な注文で発注主を満足させるような曲が書ける筈がないじゃないか。せめて、もっと和音とかリズムとか、細かいところでいいから指摘をもらえれば、それをきっかけにブラッシュアップすることも出来るのに。

 吉田さんが気まぐれで変人で良く分からない感性の持ち主であることは十分に分かっているのでいまさら文句は言わないけれど(無茶言ったら言った分だけきちんとした報酬をくれるし)、さてどうしようか。

「……はら、へった」

 メロのストックやイメージの蓄積があるから、曲を書きなおすこと自体はそんなに時間はかからないんだけど、たたき台がないと着手しようもない。

 仕方ないから、とりあえず夕飯を食べに行こう。


 いつもなら住民でいっぱいになっているはずの夕食時の食堂には、二人しかいなかった。中央のテーブルで向い合って男が二人――あれは、洸之助(こうのすけ)と涼太かな。

「よお、今日は人が少ないな。……って、(こう)ちゃん、仕事の後はちゃんと手を洗ってこいよ」

「あはは……。いやぁ、分かってるんだけどね。めんどくさくて。見逃してよ伴くん」

 洸之助――洸ちゃんは、線の細い、物腰柔らかな好青年なのだが、顔に似合わずエログロやプラッターを得意とするイラストレーターである。ものぐさでずぼらなので、手にはいつも血のように赤い絵の具がこびれ付いたままだ。清潔感のある身だしなみ、柔和な表情とのギャップが、両手の赤色の猟奇性を高めている。

「洸ちゃん、今回はグロい仕事、もらえたのか?」

「いやぁそれが、今回もふんわりメルヘンな感じのイラストだったよ。評判は悪くないし、報酬もいいんだけどね……。どうも鬱憤が溜まっちゃってさ、仕事終わった後に三人くらい解体しちゃったよ、カンバスの上でだけど」

 洸ちゃんが眉根を寄せながら答える。彼の得意とする血まみれグログロなイラストはなかなか発注が来ないらしい。お金をきちんともらえているだけ文句は言えないが、自分がやりたいことを仕事にするって大変だよな、お互いに。

「おう伴、浮かない顔してんな。久しぶりに仕事でリテイクでもくらったか?」

「……涼太。いつも思うんだが、お前もしかしてエスパーなんじゃないか?」

「ちなみに俺は、家庭菜園した後だけどちゃんと手を洗ったぜ」

「やっぱりお前エスパーだろ」

 涼太は一見、我が道を行くオレ様系のイケメンのくせに、人の感情を読むのがうまい。趣味は家庭菜園で、本人は以前「植物の気持ちまで分かるぜ」とも言っていた。

「吉田さんから久々に無理難題もらっちゃってな。『黄色い音楽を作れ』だとよ。とりあえず作って送ってみたら『ノンノン! まったくだめだよ!』ってダメ出しくらって、具体的な指摘は一切なし」

「吉田さんって、あの渋い声した花柄のおっさんか。確かに言いそうだなー」

「んで、行き詰って気分転換に飯を食いに来たんだ。あー、どうすればいいんかなぁ」

「……伴くん、その黄色ってどんな黄色とか指定があるの?」

 珍しく洸ちゃんが話に参加してきた。いつもならニコニコしながら聞いているだけのことが多い――というか、聞くふりをして寝てたりする――のだが、色彩の話にイラストレーターとして思うところがあるのだろうか。

「いや、俺が子どもの頃演奏会で聞いた音楽に感動して、それが輝かしい黄色に見えたんですよねー、って話をしたら、『その黄色い音楽、作ってくれないか』ってさ。無茶ぶりもいい所だよな」

 俺は一通り経緯を説明してやる。洸ちゃんはなんだか興味深そうに聞き入っていた。涼太はあまり興味がなさそうだ。

「輝かしい黄色、かぁ。伴くんが見たその黄色って純粋なイエロー? それとも、太陽みたいにちょっと赤みを帯びたインディアン・イエローなのかな。いや、エッグシェルみたいな薄いのも表現によっては輝いているともいえるし、サルファー・イエローも輝いてるって言えなくもない、かな? 蛍光色にすればそれこそ光ってることになるしね」

 洸ちゃんが微笑みを崩さないまま一息に言いきった。どいつもこいつも自分の専門分野だとなんでこう口がよくまわるようになるだろう。涼太は「へーそうなんだ」とか相槌を打っているけれど、奴はきっと意味なんて分かってない。適当に流しているだけだ。

「洸ちゃん、ごめん。きちんと理解できなかったんだけど、それは色の名前、だよな? 黄色ってそんなにたくさん種類があるのか……」

「黄色だけじゃないよ。赤だって青だって、それぞれ数え切れないほど種類がある」

「……そんなに区別する必要があるのか? 確か三原色を混ぜれば基本的にはどんな色も作れる、みたいな話を聞いたんだが、とりあえず赤と青と黄色だけ用意して、自分で混ぜて作るのじゃダメなのか」

 中学、いや高校だったかな。美術の授業でそんなことを習った気がする。

「理屈上はね。でも実際に絵具でそれをやると、色が濁っちゃうんだよね。それに、色の名前って言うのはさ、なんというか『セカイの切り取り方』みたいなものだから、絵具を使う必要がないからってそうそう無くしていいものじゃないと思う」

「……ごめん、なおさら分からなくなってきた」

「うーん、そうだなぁ」と、洸ちゃんは一瞬虚空を見てから「伴くんは、虹って何色だと思う?」

 唐突に話題を変えてきた。

「虹? 虹って言えば七色じゃないのか」

「じゃあ、涼太くんはなに色だと思う?」

「……七色あっても多すぎるし、三色くらいでいいんじゃね?」

涼太はあまり話を聞いていなかったのか、少し考え込んでからおざなりに返事をしてきた。

「おい、いくらなんでも適当すぎるだろ。虹って七色だろ? 最近見てないけど」

「うん、確かに日本では七色って言うよね。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」

 洸ちゃんは指折り色を数えてから、悪戯が成功した子どもみたいな顔をして続けた。

「でもね、国によっては四色だったり五色だったり、八色だったりするみたいだよ」

「ごめん洸ちゃん、より一層こんがらがって来た。国によって虹の色が違うとでも?」

「ううん、物理現象としておこっていることは同じだと思うよ。違うのはね、色のどこからどこまでに、どんな名前をつけているかってこと」

 洸ちゃんはさも当然のようにさらりと言ってのけたが、俺には言っていることがまるでさっぱりわからない。

 俺の思案顔を察してか、洸ちゃんがいつもより穏やかな声でゆっくりと話を続けた。

「赤と橙の境目ってさ、厳密に言うと存在しないよね。赤がグラデーションで橙まで変化する。ぼくたちはそれを、なんとなくここら辺までが赤で、なんとなくここら辺までが橙って認識しているんだよ。赤と橙、その中間の色の名前があってもいいはずなのにね。赤と橙って記号に縛られている限り、赤と橙の中間にある微妙な色を固有の存在だと認識することは難しい。伴くん、君が『黄色』って言葉に縛られてイエローとサルファー・イエローを区別できないみたいにね」

 なんとなく、分かったような、分からない様な。

 ふいに涼太が横から口を出してきた。

「つまりあれだろ? チワワもセントバーナードもドーベルマンも、全部色も形も違うのに『犬』って言う記号でくくられている限り俺らはそれを『犬』だと認識してしまう。形も色も大きさもほとんど同じ柴犬でも、十把一絡げの柴犬と、名前が付けられたウチの可愛いハチとはまるで違って見えるって感じだろ?」

「涼太、これ以上話をややこしくしないでくれないか?」

 あーっ! もう、なおさら頭がこんがらがってきた!

「で、洸ちゃん、結局俺はどうすればいいんだよ!」

「……伴くんが見たその『輝かしい黄色』は、世界でただひとり、伴くんしか見たことないんだよ。だからそれを無理やりに現世にある普通の黄色にあてはめる必要はないと思うんだ。その色の名前を既にあるものの中から探すんじゃなくて、その色に君が新しく名前をつけてあげなきゃいけないんじゃないかな」

「まて、洸之助。伴のやつ余計に理解出来無くなってる。」

 うん。おれ、よくわかんない。

「伴、簡単にいえば黄色のことなんか忘れて、自分がいいと思う曲を作っちまえばいいんだよ。大事なのはその曲がみんなにとって『黄色』いかじゃなくて、お前にとって『輝かしい黄色』いかだ。多分あの花柄のおっちゃんが言いたいのはそう言うことなんじゃないかな」

「……良く分からないが、たしかに今まで他人の評価を気にしすぎてたかも知れないな。自分にとって良い曲、か。そんな曲を作ったのはいつ以来だったかな……」

 最近は、無難な曲とか、流行りそうな曲とか、きちんとしたコード進行の曲とかそんなのばっかり作ってた気がする。たまにはいいか、自分が好きな曲を作っても。もともと無理難題を吹っ掛けてきたのは吉田さんの方だ、文句は言わせない。

「……サンキュー、二人とも。ぜんぜん作れそうな気はしないが、行く方角くらいは見えてきたよ」

 二人への礼もそこそこに、俺は部屋へと引き返す。さっきまで感じていた空腹もどこかに行ってしまった。

 俺の作曲スタイルは「理論先行」だ。クラシックの和音理論から、ポップスのコード理論から、ジャズから、教会旋法から、様々な蓄積から意識的に引用し楽曲を構築していく。過去のヒット曲も分析し、より大衆に好まれるコードやメロディを追求する。……これがポップスにおいては、少なくとも薄利多売な作曲家にとっては一番効率のいい稼ぎ方だと信じている。

 だけど、今回はこの方法を取らずに作曲する。自分の思ったまま、自分が良いと感じたままに曲を作る。俺の体にはもうすでにコード理論が染み付いてしまっているのだ、ちょっとくらい羽目を外しても変な曲にはなるまい。自由に作曲していいと思うと、様々なアイディアが浮かんでくる。大衆受けしないと思って没にしたメロディー、奇抜すぎて使いどころに困っていたコード進行・不協和音。

 自室のドアノブに手をかける。ノブががっしりと握手を返してくれている様な錯覚がするのは、俺の体中にやる気が満ちているからだろう。

 もう他のことをやる気持ちになれない。直ぐに作曲を始めよう。俺は扉を開けた。

「あ、伴さーん遅いよ! 僕、待ちくたびれちゃったよ、早く『ピーター・グライムズ』観賞会を始めよう!」

 ……一気にやる気がそがれた。まずはこいつを駆除することから始めなきゃならないのか。


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