粉雪①
◆ジョージ十三世二十九年 十二月二十五日
旧東離宮、そして旧王都警備隊本部にして現王都衛士隊本部。
数日前、取り急ぎ古い看板の上から、一枚板に「王都衛士隊本部」と書かれただけの板を打ち付けられた石造りの建物は、雨からみぞれを経て、降り始めた粉雪で少し白く化粧を施されていた。
廊下に立てかけられた槍は刃こぼれし、壁に打ち付けられた掲示板には、黄ばんだ巡回表やら祝宴の案内がだらしなく貼りっぱなしになっている。薄い煤けた硝子窓から差し込む冬の光は、埃を浮かび上がらせるばかりで、とてもこの都市を守る新進気鋭の治安組織の総本部には見えない。
その一室……本来の主を追い出した総長室の、見事な細工を施された豪奢な机の前で、ウィリアム・サーリンガム男爵は書類の束を睨みつけていた。
「……一人も来ていない、だと?」
唸るように、口から言葉が溢れる。
手元の表に記されているのは募集開始からの申し込み状況である。どの地区の頁も、どの日付も、志願者の欄はどこも「ゼロ」しか記されていない。
王都臣民を対象に行ったはずの新兵募集。貼り紙は市門にも市壁内の広場にも出した。政務卿マンカスター伯爵の御命令であること、俸給は近衛よりわずかに劣る程度であること、家族には税の軽減措置があること、できるだけ条件を盛り込んだ布告を発したはずだった。
にもかかわらず——誰一人、応募者はいない、という。暖炉の側に立ち、薪をくべながら副官オークレイが、肩をすくめた。
「残念ながらそのようでありますな、殿」
「残念、という言葉で済ませていいのかね、これは」
眉間を指先で押さえる。こんな書類と向かい合うくらいなら、敵と向かい合っていたほうが、まだ楽だ。
金だけあっても、兵がいなくては王都を守るなど絵に描いた餅だ。近衛と同等規模——いや、それ以上の兵力が、王都の盾たるに不可欠である。
にもかかわらず、王都臣民の誰一人として門をくぐろうとしない。これでは「王都衛士隊」の看板は張りぼてとなってしまう。
「近在の連隊は応援を出しそうか?」
「芳しくはありません」
オークレイが、別の一束の書簡を持ち上げる。
「いずれの歩兵連隊、騎兵連隊も『再編中』だの『定数が満たない』だのと、動く気はなさそうです」
魔王領侵攻で大敗を喫しているわけで、全くの嘘というわけではないだろうが。
「日和見だな」
「でしょうなぁ。元々王都周辺の連隊は王太子派で固まってます」
突然王と王太子を亡くし、第二王子が継承権争いの先頭に躍り出たのだ。その外戚のマンカスター伯爵は臨時政務卿として全権を恣にし、近衛を追い出して甥を王都の治安責任者にしている。とあっては、様子見をしたくもなる。こいつは信用に足るのか、つくことに利があるのか。
継承権三位のボーツシャー公が自領にこもり、その娘で継承権四位のメアリ嬢が本来の立場ではなく亡夫の姓「ダールガム」を名乗り風下についている……とあっては王子が本命であるのは揺るがなさそうだが、降嫁した王族や、王の叔父一族など、担ごうと思えば神輿には事欠かない。
「仕方ない。声を掛ける兵科を増やせ。工兵やら輜重兵でも、素人よりはマシだ」
「は」
「だがまぁ、望み薄だろうな……さしあたりウチが頼れるのはやはり隊内だけか」
「そうなりますな」
「サーリンガム連隊の生き残りはまだしも……こいつらはな」
ため息をついて、机の端に置いた冊子を開く。旧警備隊員の名簿である。年齢、出身地区、持ち場、勤続年数やら家族構成やら——文字がずらりと並んでいる。
半数ほどの名前には、赤い線が引かれていた。戦後の混乱で辞めた者、病を理由に退いた者、あるいは「王都を出た」とだけ記された者……統制が不十分だ。だいたいなぜ有事に自己都合の除隊など許しているのか。警備隊総長は随分人望と能力がなかったとみえる。
その総長は臨時政務卿府に部屋を与えられ、詰めている……といえば聞こえはいいが、要するに伯爵私兵に連行され監禁されている状態だ。この本部からあがる旧警備隊関連の書類にサインをするための筆記装置扱いであった。
残った者たちも、使い物になるかといえば……
朝の点呼時、彼らの列を見た。隊長級までどいつもこいつも腹が緩んで出っ張り、腰回りには脂がついている。まともな身体つきをしたのはごく僅かで、彼らも含めて剣はうっすら錆びつき、軍靴は磨かれず濁った色合いだった。サーリンガム連隊兵たちが目を剥いていたほどだ。
「まずは……事情の把握からだな」
ウィリアムは名簿を軽く叩いてから顔を上げた。
「オークレイ。旧警備隊の隊長級で、まとめ役を連れてきてくれ。あの総長殿の代わりに実務を担ってた奴がいるだろう」
「はっ。心当たりがあります」
「打てば響く。いい副官を持ったぜ」
ニヤリ、と笑った彼が踵を返して出ていき、ほどなくして、一人の中年男が部屋に連れてこられた。
腹が丸く膨らみ、制服の前ボタンが悲鳴を上げている。髭は剃ってはいるものの青く伸びかけ、肩章はくたびれた布地にかろうじて縫い付けられていた。これがまとめ役、ねぇ。
「王都警備……いえ、王都衛士隊三番隊長、フリントであります。衛士隊総長」
男はもたもたと、ぎこちなく敬礼した。勘弁してほしい。
「単刀直入に聞く。新兵募集だが——」
書類をひらひらと動かして、示す。
「どういうわけか、王都臣民から一人も志願がない。布告の仕方に問題があるのか、何か私の知らぬ悪評でもこの隊にあるのか」
「い、いえ、それは……」
フリントは冷や汗を浮かべ、逃げ道を探すように視線を泳がせた。そのまま沈黙し、机を指で軽くたたいていると、やがて観念したように、小さく咳払いをして言う。
「その……王都の警備隊というのはですね、もともと、誰でも入れるような職ではございませんで」
「ほう?」
顎に手をやった。平民主体で、身分を問わぬ組織と聞いていたが。事情というものは内側からしかわからないものだ。
「どういう者が入っていた?」
「たいていは、地区自治会の推薦を得た者か、隊員の親類縁者ですな、商家の次男坊三男坊が、寄付金持って、という例もあります」
指折り数えながら説明を続ける。
「地区自治会とは」
「あ、ええと。はい。王都には、地区ごとに自治会がありまして。そこで顔の利く連中が、警備隊との窓口を担っておりました。まぁ、治安維持というより『地区の代表』としての役目もございますからな。ですから、まったくの新参者が、ふらりと募集に応じて入ってくる……そういうことは、ほとんどございませんでしたなぁ」
「つまり、閉じた世界だったと」
「……は、はぁ。そう言われれば、そうかもしれません」
フリントは居心地悪そうに身じろいだ。どうにも、この隊は領地連隊の類とは大きく性格が異なるように思える。
「隊員たちは、地域の信頼を受ける代わりに、地区の顔役としての役得もございます。露天商からの場所代の取りまとめとか、祭りの際の屋台の割り振りとか、ね。ですから、よそ者に簡単に席を開けるわけには参りませんで」
王都は貴族の領邦ではなく、王のもと平等な臣民の町、とは聞いていた。なるほどしかし……
「役得、ね」
言葉を選んだ表現ではあるが、要するに利権だ。腐敗の香りをほんのり感じ、だんだん聞きたくなくなってきた。
「今回の募集は」
「は、はい。閣下がご就任なされて、すぐに『王都臣民に開かれた衛士隊』というお話がありましたが、その」
フリントは声を絞り出すように続けた。体格も相まって、蛙が潰れながら悲鳴を上げているようにも見える。
「隊の者からすれば、新兵というのは、自分たちの取り分を削る存在でして。今まで二十人で山分けしていたものを、三十や四十で分けることになっては困る、と。お、おわかりでしょう」
「……」
わかってくる、と同時に頭痛がしてきた。おお、愛しの南部サーリンガムの大地よ。さっさと帰りたい。
「ですから、自治会のほうにも、『募集などしないほうがよい』と……その、わたくしどもが申し上げまして」
「貴官らが、自治会に?」
「ええ。『王都衛士隊』という看板は立派でございますが、所詮はお上の都合。私どもが長年守ってきた現場のことは、わたくしどもに任せていただきたい、と」
言いながら自分でもまずいことを口走っていると気づいたのか、声がだんだん小さくなった。
しばし無言で彼を見つめ、やがてため息をつきながら椅子にもたれ掛かった。
そりゃ、こうもなる。
身内だけで回し、利を分け合い、外の者を排斥する。戦場でそんな真似をすれば、一晩で陣は崩壊するだろう。だが市民の暴動や貴族の小競り合いを除けば、ここ王都が本格的な戦場になったことは、建国以来一度とてない。安全な後方では、その癒着と腐敗が長年「安定」と見做されてきたというわけだ。
ただ目の前の魔族に剣を振るえばいい北部の戦いとは違い、この戦場は厄介だ。自陣にすら潜在的な敵がいる。勘弁してほしいな全く。
奥歯の裏を舌でなぞった。
「では、自治会とやらに話を通せば、募集は進むのか?」
「え、ええ。そうですな……地区ごとに『この数だけ新兵を推薦せよ』と要請すれば、そこから各々の有力者が根回しして……ええ。三か月もすれば、それなりに見栄えのする若者が揃いましょう」
「三か月で、見栄えがね」
遅まきながら上官の虫の居所の悪さを察したと見えるフリントが、肩を震わせる。
「……それまで、この王都を現有戦力で守れというのか」
「いっ、今の警備隊でも、充分やれますぞ。さきの陛下の即位時に起きた混乱を、我々は鎮定いたしました。当時は小官も槍を振るい、警備隊三区の三本槍などと呼ばれたものです」
三〇年前の小官は、三〇年分若い小官だったのですなぁ、などと本気なのかわからないことを口走り始めた彼を手で制する。
「今の話だ。やれているのか? やれているならなぜ、私は領地ではなくここにいる。近衛隊も『旧』警備隊も、市壁外の流民を困窮するにまかせ、市壁内外で犯罪が頻発しているだろう」
旧、を強調しつつ、現状のまずさを指摘する。わかっていないわけではないのだろう。フリントが半歩下がった。
「そ、それは、戦後の混乱でして……」
「そうだろうとも」
勢いよく立ち上がり、机から身を乗り出した。あくまで穏やかに話そう、と気にかけているが、ものには限度がある。
「旧警備隊諸君は長らく王都の治安を維持していた。我ら新参もそこには敬意を表する。貴官らの経験や知識を頼ることは多いだろう。馘首するつもりは毛頭ない」
いるだけの警備隊でも、槍を持って立たせておけば、歩哨程度はできる。できるよな?
「は、はい」
「しかし、情勢は急を要している。近衛が……いや。例えば魔族軍がいきなり現れたとして、王都を防衛するだけの力が、衛士隊には求められているのだ」
「まさか」
「まんざら絵空事でもないぞ。北部は都市がやられた。厳重に守られた王太子殿下も襲撃され行方不明だ」
「そ、そこまで危険が迫ってる、ってわけじゃないでしょう?」
「もはやいつ何時王都が戦火に巻き込まれるとしてもおかしくはない」
「そんな……」
まぁ、想定される攻め手は魔族軍などではなく、近衛や近在の連隊だが。誤差だよ誤差。
「ただでさえ冬の練兵は時間がかかる。もたつく余裕はない。外は既に、雪が……」
「どう、されました?」
雪のなか、あの流民……避難民たちがどう生活していくのか。サーリンガム連隊の援護がなければ死んでいた、と言っていたあの廃兵を思い出すところまで行って、頭の中で、ばらばらだった点が一本の線で繋がった。
「殿?」
「……いるじゃないか。おあつらえ向きの元領地連隊兵達。引き抜き自由の大兵力が」
「は、はぁ。総長には何か伝手がお有りになるので?」
「流民たちだ」
オークレイとフリントが、表情こそ違えど動きを止める。
「流民たちを、衛士隊に入れる」
「は、はぁっ!? りゅ、流民を、でございますか!?」
「殿、名案ですな」
「だろう」
慌てて、フリントが口を挟む。
「流民など、危険です! 命令など聞きませんぞ!」
「貴官がそれを言うか」
誰が募兵命令を握り潰させたが、思い出して欲しくなってくる。
「閣下、流民には、ならず者も、盗人も、山ほどおります。そんな連中を武装させるなど——」
「戦火で焼け出されて、家族を連れて逃げ、仕事も金もない。食うために犯罪を、というなら、我が隊が仕事と家を提供すれば彼らも喜んでナイフを捨て槍を握るだろう。予算なら心配せずとも十分ある。彼らの家族に支給する冬の薪代だって、布代だって、帳簿上はいくらでも捻り出せるさ」
「じ、自治会が許しますまい」
「おいおいおい」
いい加減に苛立ってくる。なぜ彼は、この期に及んで「王都を襲う敵」より「自治会」を気にしているのか。机を一つ叩く。
「ひっ」
「貴官の上官は誰だ」
「え、衛士隊総長サーリンガム男爵であります」
「そうだ。その男爵とは私のことらしいが、自治会とやらは私の上位組織かな」
「い、いえ」
「そう。私の上には臨時政務卿マンカスター伯爵しかいない。玉座は空位であり、臨時政務卿閣下は畏れ多くも先の陛下の御遺言で指名され、現在の継承権最高位ヘンリー王子殿下により任命された官である。この場合閣下の命令は勅に等しい。その閣下は『直ちに』衛士隊を戦力化せよと仰せだ。逆らうのはつまり……」
匂わせるのは「違勅」である。科される刑罰は流刑となる。
「し、小官は御命令に服従いたしますっ!」
「よかろう。どうやら貴官ら旧警備隊は長年の重責により疲弊しているようだ」
「はい、長年の重責により疲弊しております!」
苦笑する。効果は抜群のようだった。
「王都内は窮屈だ、諸君らにはそうだな、ひと月ほど静養してもらおう」
「せ、静養でございますか」
「いかにも。市壁外、西の練兵場でこの副官と運動や読書で羽を伸ばせ。やれるな、オークレイ」
「みっちり鍛え直してみせましょう」
オークレイが歯を見せて獰猛に笑む。フリントが震え上がる。視線は落ち着かず、総長と副官の間を彷徨う。それでも「違勅」を恐れてか、抗命も反論もない。
「下がってよし」
「は!」
慌てて、転がるように逃げていく。
「嫌われたかな」
「それはもう。臨時政務卿の威を借る田舎男爵ですからな」
どうやら、王都の治安を預かる面々は佞臣の伯爵に、悪役令嬢の近衛司令に、そして私にと、悪党揃いのようだった。




