雷雨④
一八時の市門閉門寸前に滑り込む形で近衛臨時本部へ戻る頃には、雨はさらに激しくなり、雷鳴が響くようになっていた。街をゆく人々も絶え、市壁の内外を問わず、誰もが自宅に引きこもっている。
食堂横を通ると、近衛たちが疲れ切った様子で配給されたぬるいスープを啜っている。誰も彼も、表情は暗い。だがそれも今日までだ。弾む足取りで、駆けるように早足で廊下を歩く。
とにかく報告だ。司令はかつて「悪役令嬢」と呼ばれた女性。まだ計りかねるところはあるが、少なくともヘンリー王子やマンカスター伯爵に阿る人物ではない。そもそも、その呼び名の由来は学院内で敵対的な学生たちを徹底的に追い詰めたことにあると聞く。なら、今回もこの情報を「敵を追い詰める」のに使ってくれるだろう。
上司を利用する形となること、少し良心は痛む。だが、決めたのだ。グレイベリー卿の仇を討つと。
司令本人からも「何かわかったら報告を」と言われていた。余人に話す内容ではない。直接執務室の扉を叩いた。
「入って良いですわ。どうぞ」
「失礼いたします。セリア・ヘスフィールド隊士、ご報告申し上げ……」
暖炉の炎に照らされる長い金髪。上質な椅子に端然と腰掛けた『悪役令嬢』メアリ・ダールガム男爵夫人——近衛司令の姿が目に入る。彼女は顔を顰めていた。
「ご、ご多用中申し訳ありません。急ぎ……」
「ヘスフィールド卿。淑女らしくなさい」
「は」
「外套を脱いで、髪を整えてから要件を話しなさいな」
「あ、これは」
突然羞恥が芽生える。外套を脱ぎ、コート掛けへと引っ掛けると、雨のようにそこから水が滴った。
軍服もびしょびしょに濡れているようで、足元には水たまりができつつある。司令がご実家から持ち込んだという絨毯は、泥で汚れてしまっていた。
「も、申し訳ございません」
びしょ濡れのセリアを見て、メアリはふっと小さく笑みを浮かべる。
「しょうのない子だこと」
縮こまって、出直そうかなどと考えてしまう。メアリが絨毯を見て、息を吐いた。
「それで、どうされたのかしら。そんなに慌てて」
「は。ご報告申し上げます!」
国王陛下暗殺事件に疑義あり、根拠は伯爵家内部の告発者。邸内に宮廷医が監禁されており、その証言が得られれば近衛に対する疑惑は覆るはずである。
その旨を、一息に説明し、誇らしげに胸を張る。
「……お話はわかりましたわ。わたくしに何をお望みかしら?」
「無論! 立ち入り捜査です!」
証拠と証人を葬られる前に、可及的速やかに踏み込む必要がある。捜査は本業ではないが、その程度は理解している。
「そうね。わたくしも、そうできれば良いとは思いますわ」
「では!」
「そのためには証拠がいりますのよ。何かお持ち?」
「こちらに」
紙片と調書の一枚を差し出す。彼女はサラリと一読し。
「これでは何の証拠能力もありませんわね。残念ですけれど、許可は与えられませんわ」
「う……」
わかってはいた。あくまで決め手は証言のみ。
「そ、その証拠を見つけるために、立ち入りを……そうです。貴族が王宮で抜刀したときなどは、われわれ近衛に捜査権があったはずです!」
確か、百年ほど前何処かの帯剣貴族がやらかしていた。その際も近衛は粛々と対応したはず。
「許可は、与えられませんわ」
「なぜです!!」
貴女まで、伯爵に与するのか! と叫びだしたくなる。平民出身の一代貴族である私や、グレイベリー卿は彼女にとって駒でしかありえないのか。
睨みつけていると、メアリが巻き髪を、くるくると弄びはじめる。どこからか遠雷が響いた。
「なぜ、なぜなのです……」
「ヘスフィールド卿。あなたの所属は?」
言葉遊びでもするのか。憮然としつつ返答する。
「近衛にございます」
「そうよね。近衛は誰の軍かしら」
「もちろん陛下の軍であります」
「よくわかっておりますわね。誰の目にも明らかで、急を要するならまだしも、そうでないとなれば、捜査には陛下の裁可が必要ということになりますわ」
やはり、貴族たちの諧謔だ。
「その通りですがっ、しかし」
「そう。陛下は御隠れになられていますわね」
ならば、行動あるのみではないか。考えを見透かしたように、メアリがこちらを指さす。
「わたくし、これでも王族の末席ですわ。故事には通じていてよ。玉座の空位においては政務卿が裁可を出すのですわ」
「勉強になります……が、ということは」
「マンカスター伯爵邸の捜査を、マンカスター伯爵ご本人に裁可いただく必要がありますわね」
つまり……
「許可は与えられませんわ。理由はお分かりね」
「こ、これは悪法です! 従う必要など!」
間近で落雷の音が響く。思わず飛び上がったが、司令は身じろぎ一つしない。少しの沈黙のあと、再び語り始める。
「哲学者ハドリアヌスに曰く、悪法もまた法」
「う」
「許可は与えられませんわ」
目も合わさず、彼女は断じる。堂々巡りだ。とりつく島も、もはやない。
「これ以上の捜査も禁じます。貴官含め、近衛は平素通り、王都衛士隊と協力し、都内治安の維持に専念すること。よろしくって?」
「り……了解、いたしました。司令」
法に関しては、メアリがニ歩も三歩も上手であると認めざるを得ない。それでも、正義は。正義だけは。
「必要とあらば……辞表を。これだけは、これだけは成し遂げねばならないのです」
いつの間にか、涙が両の頬を伝っている。
「私は『国家の子』です……グレイベリー卿が親代わりだったのです。こんなのは、こんなのは。あんまりです……」
「私怨、ですわね」
冷たく断じられる。王が引き取った戦災孤児である『国家の子』は、後の従軍を条件に奨学金を貸与される。教育には、近衛の女性兵が充てられた。
「唾棄すべきことです。わかっています。職は辞します。奨学金は、いつか返します。み、身を売ってでも……!」
「……だから?」
「だから、私に、捜査の許可を。グレイベリーかあさまに、ちゃんとした、お墓が欲しいのです……っ」
「何を言われようと、許可は与えられませんわ。しつこくってよ」
この方は、やはり悪役令嬢だ。我々下々のことなど、何も見てはくれない。
王国の行く末を担うのは、陰謀のため善良な医師を葬る王子と伯爵、その取り巻きの野卑な男爵、保身に走る悪役令嬢だ。もはや、未来などないのだろう。
一瞬、グレイベリー卿も同じ絶望を抱き、義挙に走ったのでは? と疑念が脳内によぎる。そんなわけは、ない。はずだ。と、信じて……信じて……
がっくりと項垂れる。動く気にもなれない。終わりだ。近衛も、私も、国さえも。
「っ!?」
柏手を一つ打たれ、顔を上げる。
「仕事の話をしますわよ」
「いえ、ですから辞表を……」
「受け取りませんわ。聞きなさい」
めちゃくちゃだ。
「近く大晦日の定例となる、近衛による王都巡視が催されます」
街区を回り、警備隊……今は、衛士隊の警備状況を確かめ報告する、といえば聞こえは良いが、要するに世襲貴族と一代貴族しか入隊できない近衛が、平民主体の警備隊の労をねぎらう宴席である。今年はあの衛士隊を相手に酒を注ぐことになる。ぞっとしない。
「幹事……いえ指揮を貴女に任せます。気分転換なさい」
「あの、私は官を辞して……」
「どの兵を市壁内に伴うかは、わたくしがあなたへ一任します。せいぜい五十もいればいいでしょう」
「……っ!!」
「よいですの? 兵五十を率い、大晦日に王都を巡視なさい。はい復唱」
眼光鋭く、メアリが告げる。セリアは、涙を拭い再び姿勢を正した。
「承知いたしました。兵五十を率い、大晦日に王都を巡視いたします。小官の最後の任務と考え、励みます……ありがとうございます。司令」
「わたくしは貴女に巡視の任を与えたのみ。伯爵邸の捜査には、あくまで許可を与えられませんわ。わかっていらして?」
「ええ、ええ。わかっております。司令にご迷惑は、決しておかけしません……ありがとう、ありがとうございますっ……!」
なにが「悪役令嬢」だ。彼女は実質的に自由裁量を、私に与えてくれた。私にとっても、近衛にとっても、これは最後の機会となるだろう。無駄にはしない。できはしない。
「巡視の成功を祈っておりますわ」
小さなつぶやきが聞こえた。必ずや、成功させてみせます。
万感の想いを込めて、セリアは最敬礼した。
雷雨は続く。王都に晴天は、しばし訪れないようだった。




