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雷雨③

 冷たい、大粒の雨が降り注ぐ中、びしょ濡れになりながら辿り着いた宮廷医の屋敷は、王都北部の静かな住宅街にあった。

 扉を叩くと、年配の女性——医師の細君だろうか——が顔を出した。

「あら。近衛のお若い兵士さん。どうぞ入られて」

「お屋敷を濡らすわけには参りません。ここで結構です」

「あら。それで、主人から言付けでも?」

「いえ。近衛のヘスフィールドと申します。宮廷医殿はご在宅ですか?」

「夫なら……王宮におりますでしょう? 一〇日ほど前に呼び出され、そのまま戻っておりませんから」

「も、戻られていないのですか」

「ええ。陛下の体調が悪くなるといつもこうでしたから、気にもしていませんでしたわ。陛下の最期まで治療をできたのでしょう?」

 背筋に冷水を流し込まれたような感覚があった。明らかに、異常な事態が起きている。老婦人に礼を言い、その場をあとにした。


 雨足はいっそう強くなり、外套の肩口から冷たい水がじわりと染み込んでくる。たまらず、路地のアーチの下へと逃げ込み、マッチを擦って紙巻きに火を付ける。

 数度紫煙を吸い込む間に、思考を整理していく。

 数刻ばかり王都を駆けずり回って、各貴族宅の門衛や商家の奉公人たち、そして御者たちに慣れない聞き込みを行ったが、スノウ医師の足跡は未だ判然としない。

 わかってきたのは、王宮を馬車で出て、北へ向かい、大路を通って……どこかで姿を消した、ということだけだ。大路をまっすぐ進めば、大貴族の邸宅の並ぶ区画。東に折れれば平民の住宅街、西には職人街がある。

 目撃情報が得られなかったことから考えても、どうやら襲撃や斬り合いになった筋はなさそうだ。であるならば、馬車ごと消えたと考えるのが自然である。

 組合で行方不明となった馬車はいないかと尋ねても、半ば責めるような口調で応じられた。

 曰く、ここひと月は強盗やら窃盗やら横領やら、多数行方不明が出ていて警備隊様が捜査を行ってくださっている、とのことである。

 言外に匂わせられたのは「あんたら近衛は頼りにならんから」である。そのくらいはわかる。

 この王都は近衛の膝元でありながら、もとより民事は警備隊の担当である。そこまで治安が急速に悪化しているとは、気づけていなかった。警備隊……現在は衛士隊の手抜かりとはいえ、スチュアート卿の言うとおり、どうやら臣民からも近衛の信頼は地に堕ちている……疲労が頭の隅を鈍らせていると分かっているのに、思考が堂々巡りを止められない。

「それでも、グレイベリー卿の無念だけは……」

 自然と小声が漏れた。そう、それだけは忘れてはならない。どうすればいい。どうすれは……

「ヘスフィールド卿ですね」

 雨音のせいか、疲労のせいか。

 背後から声をかけられるまで気付かなかった。

「っ!? な、何者です」

 慌てて剣に手を伸ばそうとするが、手足の末端が寒さでかじかんで、思うように動かない。背筋が強張る。

「匿名の告発者、とさせてください」

「匿名の……?」

「あぁ、振り向かないで。俺も危ない橋を渡っているのです」

 声の調子は男性。感情はややおびえたもの……か? 剣に伸ばしていた手を戻す。まずは話を聞こう。

「スノウ医師をお探しでしょう」

「どこまで知って——いや、あなたが紙片を置いたのですか」

「ええ、俺はこのような悪事には耐えられないのです」

「悪事! どのような悪事があると言うのです!?」

「お静かに願います……どこに耳があるか、わかりません」

「す、すみません」

 迂闊だった。彼にあわせ、声をひそめる。

「旦那様はスノウ医師を保護……いえ、拉致監禁しております。国王陛下の死と、何か関連しているに違いありません」

 息を呑む。正しく、欲しかった情報だ。

「だ、旦那様とは」

「失礼。わが主……マンカスター伯爵アレクサンダー閣下です」

 点と点がつながった。おのれ、悪奸。捜査を妨害しようとしたわけである。

「やはり……!」

「俺は旦那様の怪我の治療のため、スノウ医師をお連れするように命じられたのです。邸宅と王宮の道中で待ち受けるように指示され、妙だとは思ったものの命令通りに動きました」

 私兵であるなら、その程度の疑問で抗命はしないだろう。証言に矛盾は今のところ、ない。

「通りで馬車を止め『スノウ先生ですな、急患です。往診願いたい』と声をかけました。彼はすぐ御者に命じ、伯爵邸へ赴かれたのです」

「医師の鑑ですね。それでどうなりました」

「館へ入られて、それっきりです。地下室へ食事を運ぶ使用人を見かけておりますから、おそらくそこにいるのかと」

「許せぬことです……卑劣漢めっ」

 紙巻きを地面に吐き出し、軍靴で踏み潰す。

「情報漏洩を避けるため、旦那様は衛士隊すら連絡役を置くだけで、邸の警護はすべて俺たち、子飼いの私兵が行っています」

 思い返せば、そうだ。あの鼻持ちならない衛士隊長の男爵、挨拶に来ていたが、その後は警備隊本部……東の離宮に向かっていった。

「どうか王都に正義を取り戻してください。もはや近衛で正義を追うのは貴女だけです」

「……告発、しかとお聞きしました。必ずや正義を天に示しましょう」

「ありがたきことです……では、俺は屋敷へ戻ります。怪しまれてはいけない」

 気配が薄れた。振り向くと、伯爵私兵……マンカスター連隊の外套が角を曲がって消えるのが見える。

「グレイベリー卿。神は見ておられましたよ……!」

 この証言があれば、悪役令嬢司令も動いてくださるだろう。王都に正義が戻る。本部へ向かわねば。

 遠雷が聞こえた。今度は軽快な足取りで、セリアは雨の中へ飛び出した。

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