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雷雨②

 紙片は、外套の内側にしまったあとも、熱を帯びているかのようだった。

『宮廷医の足取りを追え』

 その一文を何度思い返しても、意味や狙いは分からなかった。紙の言う通りにしたとて、却って『見つめたくない真実』が明るみに出る可能性すらある。だが……私は……

 いや。考える前に、足を動かすべきだろう。

 警備隊制服の門衛達は黒に簡易国章を縫い付けた『衛士隊腕章』をつけているが、今まで通りやる気と覇気のない表情で市門に突っ立っている。特に誰何されることもなく、おざなりな敬礼を受けて市壁西門をくぐり、近衛臨時本部へ戻らず王宮へ直行した。

 王宮は、もはや衛士隊が警護するヘンリー王子派の巣窟となっている。サーリンガムの田舎連隊制服のまま、黒腕章をつけただけで王都衛戍を気取った『王都衛士隊』がそこかしこを彷徨き、忌々しいことこの上ない。だが、蛮人の雰囲気を漂わせながらも、ある程度は躾けられているのだろう。彼らは形式上の行儀は保っていた。近衛の外套には、様にならないながらも敬礼し、願い出ると身元を帳面へ記載されつつも、旧近衛本部へと入室を許された。

 旧本部は冷え切っていた。

 大きな窓から広がる、雨の日の拡散光が、埃の積もった机や棚をうっすら照らしている。

 幾人かの執務机を漁り、探し当てたのは、あの日死亡を診断した陛下の主治医の調書。近衛が王宮医務室で、記録したもの。執務机の持ち主は、比較的仲の良い同僚、フローラ・スチュアート卿。

 ページを開いた瞬間、眉がわずかに寄る。

「……これだけしか?」

 宮廷医スノウ氏の調書は、あまりに短かった。

 事件発生時刻、現場に駆けつけた時の状況、そこまで書くのは分かる。だが、肝心の——致命傷の状態・凶器の角度・争った形跡の有無。そういった医師として最も重要な所見は、ほとんど書かれていない。

 意図的に空白にしている、としか思えないほどだった。

「スチュアート卿は、こんな杜撰な調書を書くひとではありません」

 雨足が強くなり、窓を水滴が叩き始めた。

 冊子ごと持ち出すのは、衛士隊に見つかるだろう。証拠隠滅と、近衛の方が責められるきっかけを作りかねない。調書の一頁を破り取り、内ポケットに突っ込んだ。

 ともかく、このスノウ医師の「足取りを追う」なら、スチュアート卿を捕まえ情報を補強する必要がある。


「スチュアート卿! こちらにおられますか!」

「あら、セリアじゃない。どうしたの慌てて」

 もともと王宮警備にあたっていたスチュアート卿は、近衛から衛士隊への引き継ぎにあたり、王宮内に設けられた衛士隊の仮屯所へ詰めていた。近衛本部まで往復をせず済んで、ややホッとする。

「衛士隊の御歴々に聞かせることではありません」

「あら。どうしたのかしらセリアったら。ええと、皆さんごめんなさいね」

 衛士腕章をつけたサーリンガム騎兵達が「やぁ、お気になさらず」と席を外す。どうやらなし崩し的に休憩となったらしい。好都合だ。

「少し、確認したいことがありまして……先の一件、宮廷医への聴取はあなたが担当したとか」

「ええ。聴取を始めたばかりで、モルタム司令——いえ、前司令が自裁されて、混乱の中で……あんまりな状況だったし、医師殿にはお帰りいただいたの」

「帰った? ご自宅へ、ですか?」

「ええ。戻って診療録を作成する、と。それで、聞き取れたことだけまとめて、旧本部の執務卓の上に置いて……取ってこようかしら?」

「いえ結構です」

「それきり、ほら、本部の引っ越しと、ダールガム司令から治安維持優先へ方針転換するお達しがあったじゃない。だからなんにも進めてなくて……」

 胸がわずかにざわついた。

「医師の家を、訪ねてみても?」

「え? まあ……私はまだ引き継ぎが残ってるけれど、場所を教えるくらいなら、まぁいいわよ」

「恩に着ます」

 医師の邸宅を聞き出し、礼もそこそこに立ち去ろうとすると。

「セリア、もう終わったことなのよ。なにか、不審なことでもあるの?」

 何が終わったことなものか。終わらせてなるものか。

「それをこそ、調べるんです」

「やめなさいよ、もう近衛は信用されてない。平民たちですら、市壁の外に追いやられた私達が、何かしでかしたと気づいてるわ」

「ですから、信用を取り戻すために」

「取り戻せないわよ。気がかりがあるなら、ほら」

 声が聞こえてくる。低く、大きな声。

「だから俺はウィル様に言ってやったのさ、そりゃ砂糖と塩を間違えたんです、って……」

「がはは! っと、とと。おいエド! 近衛の嬢ちゃん方の前だ」

 同僚の背を、大男が数度叩く。叩かれた方の小男は、軽く頭を掻いた。

「あぁ……そう、ええと、連隊長に言ってやったのさ」

「今は衛士隊総長だろ」

「面倒だ、殿でいいだろ」

 ……田舎農夫ども。

 なにやら内輪で盛り上がりながら、衛士隊がぞろぞろ休憩から戻ってきていた。町の酒場ならいざ知らず、ここは王宮だというのに。

「彼らに相談すればいいじゃない」

「っ! 奴らは……っ、伯爵の甥が率いる私兵です」

「そうよ。だから安心でしょ」

 スチュアート卿は、疑念一つない目で言う。伯爵一派であるのみならず、この兵たちは……

「おう、嬢ちゃん。厨房から焼菓子を拝借したぜ、食うかい?」

 なぜか敵対的ではないが、あまりにも粗野で、王宮にふさわしくない連中だ。苛立ちが募る。奥歯から硬い音がした。

「……私一人でやります。情報提供ありがとうございました。あとの手出しは無用です」

「ちょっ……セリア!?」

「あれ? いらないのか」

「甘い物苦手なんじゃないか? ……フローラさん、いかがです?」

 もはやここにいる誰とも、話をする意味を感じない。踵を返した。


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