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夜闇⑤

◆ジョージ十三世二十九年 十二月三十一日 二三時四五分


 いつの間にか、王都のそこかしこから僧院が鳴らす鐘の音が聞こえ始めた。晴れ渡った夜空の下、それは透き通った音となり消えていく。

 橋の向こうからは、曳きずるような馬蹄の音もまた、近づいてきた。

 誰も表まで、迎えには出ない。気付けば私を先頭とした出迎えの列が、なんとなしに形成されていた。歩けば、一歩ごとに、肋が痛む。ああ、痛む。

「あぁっ……ヘンリーっ、そんな……っ」

 何か外から声が聞こえたが、誰も聞きたくない声だ。無視しよう。

「王子殿下、ご帰還されました!」

 門衛の声がむなしく響いた。

 先頭で戻ってきた王子は、全身雪と血に塗れていた。鎧はひしゃげ、兜はなく、肩当ては片方失われ、顔面にも深い傷が刻まれている。後続の三騎は……三騎しかいない。

 三卿は、一人も帰ってこなかった。

 この場にいる者の多くも、遠からず同じところへ行くだろう。あちらに行ったら、とりあえずのっぽの名前を聞こうとは思う。

 王子ら四人は下馬する。サーリンガム騎兵の一人が、手綱を預かり、恐慌に陥った馬を宥めすかしながら連れて行った。ジェーンは城門から姿を見せない。気を失ったか、へたり込んで悲劇の姫君をやっているかだろう。知ったことではない。

「ヘンリー殿下、ひとまず……」

 言い終える前に、王子がこちらを睨みつけた。

 その目の奥には、恐怖と怒りと混乱が渦巻いている。初めての敗北で人間的成長を得られたのだろう。多分良くない方向へ。

「砲兵連隊へ、狼煙を」

 囁きのような声だった。誰も反応しない。

 王子は数度震えながら背を丸め……次の瞬間、背筋を再び伸ばしつつ、怒号で周囲を引き裂く。

「砲兵連隊へ! 狼煙を上げるんだ。近衛を砲撃させる!」

 背後の兵たちから困惑が伝わる。殿下はおそらく、周りがもはや、見えていないのだ。

「殿下、お忘れかもしれませんが、近衛は王都市街に陣取っております。現在西練兵場へ展開したエルドマール砲兵は、殿下への忠誠心と練度の高い部隊ですが」

 嘘だ。見たことも聞いたこともない。多分王都近傍にありがちな見栄えは良く実戦経験のない部隊だろう。

「砲精度の問題から、彼女たちだけを狙うことは困難であります」

「それがなんなんだい」

 それが? なんなんだい??

 意味合いが咀嚼できず、繰り返してしまう。

「ですから、エルドマール砲兵連隊による砲撃では市街が巻き添えになる、ということになります」

「構わないよ」

 構わないことがあるものか。

「殿下、疲れておられるようですな」

 とにかく、一旦落ち着いてもらわねばなるまい。

「そのような選択は王道ではありません。小官は殿下より王都衛戍を任された身で……」

「黙れ!」

 咄嗟に構える暇もなく、王子の蹴りが私の胸を捉えた。折れた肋が軋み、視界が白く弾け、ひっくり返るように倒れ込む。痛いなあもう。

「総長閣下!」

 やめろ、やめろ。剣を抜こうとするコーヴァンを手で制す。馬に比べたら人の蹴りなど何ともないから。

 王族に剣を向けるのは、大逆となる。

「君が!! 君の無能が!! この有り様を招いたのだぞ!!」

 内容自体は反論のしようもない至極真っ当な言葉だが、時と場合を考えてほしい。

 王子は兵達の剣呑な視線に気づかないほど、錯乱している。まずい兆候だ。

「義父も守れず! あの女も捕らえられず!! 本来ならばいまごろ、暴発したあの女をここへ押し込めていたはずだったんだ……!」

 はい?

「……それはどういう」

 反射的に口に出して、後悔した。聞かなくとも分かる。そして、兵たちに聞かせるのはいかにもまずいことも。

「いえ殿下、やめましょう。そのような話は……」

 痛みを堪えつつ、起き上がって声をかける。

「ああ君は、聞かされていない、だろうとも!!」

 王子は唇を吊り上げ、冷笑とも痙攣ともつかぬ表情を浮かべた。頼む、周囲を見てくれ。

「そもそも……僕と義父で立てた計画だ。学院時代からあの女は『危険』だった。それで北の果てに追放したのに! 武功を立てる始末だ! ボーツシャー公爵も増長する。だから小さく暴発させて、君が捕らえる。それでよかったのに!!」

 なるほど、伯父上のやりそうなことだ。

 おかしいとは思っていた。過剰なほど冷遇された近衛、縁のないところからやって来たメアリ、彼女が手練手管で近衛を掌握したが、本来は手のつけられない暴れ馬になっているはずだ。

 そこに火をつけ、伯爵邸の強行捜査などに暴発させる。そうすれば「ほらやっぱり近衛は危険だ」として部隊は解体、メアリは引責され、旧王城に軟禁。紐をつけて、ボーツシャー公爵への手札にもできる。

 そんなことは、陰謀に通じていればすぐわかる。だが——口に出すべきでは、なかった。

 北部浪士達が、じりじりと生き残った重装騎兵の背後に近づいていく。二階の回廊では、弩の弦が引かれていた。君たちね、王族に剣を向けるのは大逆になるんだぞ。

 王子は唾を飛ばし、私を指さした。

「それがすべて台無しだよ!」

 本当にね。伯父上が私兵戦力と、近衛から叛乱に走る部隊の戦力の比を見誤ったばかりに全てが狂ったのだろう。あんまり同情はできない不様な失敗だ。

「君が!! あの女を庇ったばかりに!!」

 本気で当惑する。いやいや。

「庇った覚えなど」

「ない、とでも言うのかい! 南門で、わざと取り逃がしただろう!」

 南門から引き揚げたスレイトン浪士が剣の柄に手を伸ばしたまま、舌打ちをする。捕らえられる状態では、決して無かった。

 王子の血走った目が見開かれる。

「僕は覚えている……!! 学院時代、君はいつも、あの女を目で追っていたじゃないか!! 色目でも使われたか!? あの……『悪役令嬢』に!!」

 そっ、それは今関係ないだろ。

 今度は別の理由で周囲が気になり視線を走らせる。皆私から目をそらした。なんで!

「捕らえさえすれば! 君があいつを欲しいなら、いかようにでも扱わせてやったものを!! 僕に逆らいさえしなければ!!!」

 王子の過熱は止まらない。髪をかきむしり、最後には叫き声を上げた。

「忌々しい!! なぜ僕のほうが……あの女に、近衛どもに、こんなところにっ、押し込められているんだっ!!! 僕が! 僕こそが王だぞ!! なぜだ! なぜなんだウィリアム!!!」

 近衛、そして王と連呼する。陰謀を開陳したあとでそれをすれば、事情を知るものは皆こう思うはずだ。

 え? じゃあ国王陛下の崩御は……と。

 これはもう駄目そうだ。サーリンガム騎兵は短刀を抜ける姿勢で皆、腕を組んでいる。北部浪士達は、重装騎兵と王子ににじり寄り、弩を使えるものは回廊でこちらを見下ろしている。

 ちなみに、大逆罪に対する刑罰は市中引き回しの上、内臓抉りからの四つ裂刑だ。わあ……痛そう。

「王子殿下……そう、興奮めされずに」

 いてて。しかし、それでもできる限り場を収めねばなるまい。剣を抜かせたら、終わりだ。痛む胸を押さえ、のろのろと立ち上がる。

「ヘンリー殿下は……ご病気だ。寝所にお連れせよ」

 数瞬、王子が沈黙する。張り詰めた緊張が……

「……口を慎めえぇっ、この、下郎があぁあっ!!!」

 火を吹いた。叫びが石壁に反響し、妙にくぐもった余韻を残す。

 北部浪士組とサーリンガム騎兵たちが、目配せをしあい、頷いている。君たちが仲良くなってくれてよかったよ。

 ヘンリーの指が、ゆっくり柄にかかった。


 鞘走りの音が響く。銀の刃が、ランプの灯を受けてぬらりと光った。はい、終わった。


 剣先は、まっすぐ私の胸を指している。近づきすぎていなくてよかった。抜き打たれていては、対応しようがない。

「ウィリアム君は、叛逆者だっ!!」

 甲高い怒声が、石壁に幾重にも反響した。

 そして、その怒声が合図だったかのように——周囲で、金属が擦れる音が一斉に起こる。

 北部浪士組が長剣を抜く。槍を持った者たちは、穂先を下げた。

 ああ、大盾があれば。城に到着した時、皆片付けてしまっていた。城内の戦いでは邪魔にしかならないから、である。その通りなのだが、皆があれさえ持っていれば、凶器なしで穏便……どちらかといえば、比較的、穏便に制圧できたものを。それなら、言い訳もできたはずだ。今からでは、もう間に合わないだろう。とにかく間の悪い王子だ。

 ヘンリーの背後で、剣を抜こうとした重装騎兵が、音もなく接近したサーリンガム騎兵達に短剣を突きつけられ、動きを制される。

 二階の回廊からは、弩の先が階下へ向けて突き出された。向けられた先は、王子である。

 王子には金属だけでなく、視線も集中している。

 重装騎兵の、諦念と無念をたたえた目。

 北部浪士達からは、恨みがましい目。

 ボーツシャー系諸侯の浪士に至っては、弩越しに、完全に据わった目。

 そして、我がサーリンガム騎兵達の、感情が抜け落ちた、屠殺作業をこなす時の目。

 私は……どういう目をしているだろうか。

 兵たちは、疲労と寒さと屈辱と指揮官の無能ぶりに限界だ。かかれ、と声があがれば、爆発した感情により、おそらく王子一派は文字通り物理的に槍玉にあげられるだろう。外の近衛はたいそう喜ぶことと思う。

 衛士隊全員がめでたく大逆犯だ。そうさせるわけには、いかない。

「お前たち、軽挙妄動は慎めよ……」

「今更反省しても、もう遅いよ、ウィリアム君!」

 あなたに話してないんで黙ってもらえますかね。

「いかに口がうまい君でも! この数に囲まれては、何もできないだろう!」

 口がうまい! 口が悪い悪いと言われてきた私に、望外の評価だ。やはりこの人は……駄目だ、見る目がない。

「さあ! 彼を捕らえるんだ!」

 兵たちが顔を見合わせた。笑い始める奴もいる。少し、極限の緊張が緩んだ気がする。なんとか、なるか。

「どっ、どうした!? 君たちの総長は乱心しているんだぞ! 捕らえたまえっ!!」

 なんだか馬鹿らしくなってくる。場をわきまえず、笑みがわいてきた。

「くくくっ」

 堪えきれない。重装騎兵がギョッとした顔をする。北部浪士は苦笑し、サーリンガム騎兵はニヤニヤしはじめた。口笛を吹くものも、いる。

 態度を改めるべきか? よく言われるが……今日ばかりは誰も掣肘しないだろう。

「な、なんなんだっ!?」

「ははっ、あぁ、いえ……なんだか、もう……っ」

 全てが馬鹿らしい。こんなことになるために、やってきたのか。

 一年半前家督を継いでから……いや、二年前のあの「悪役令嬢断罪」から……私は「正当な手続きこそがあらゆる陰謀に勝る」と信じていた。いや、信じるためにそう振る舞っていた。その結果がこれだ。なるほど無能にもほどがある。そうして全てを失った。なんだか滑稽で、面白くなってしまう。笑うと肋が痛んで、それもまた面白い。

「わ、笑わないでくれっ! 僕を、ぼくをわらうな!!」

 あんたを笑ってるわけじゃないんですよ。というこの、すれ違いすら面白く感じてしまう。兵達にも感情の環が広がり、いまや過半がげらげら笑っていた。

「お前たちは、異常だっ……! まともなのは僕だけかっ!?」

 王子が周囲を見回し、拘束された重装騎兵を見て目を剥く。

「ウィル様! やっちまってくだせえ!」

 エドが酒を掲げながら囃す。

「総長……」

 コーヴァンが険しい顔で、しかし頷いている。

 オークレイは今頃市壁を越えただろうか。彼がいても、まあ、止めはしないはずだ。

「裏切り者どもめ……っ! よい! 僕自ら誅伐するさ!」

 まるで悪に対する、正義のような言葉だ。いや、正統に牙を剥く私は、もはや「悪役令嬢」と同様まぎれもない「悪役」だろう。

 なら、いっそ悪役らしく。

「殿下と!」

 びくっ、とヘンリーが飛び上がる。

「剣交えるは、武門の誉れ……!」

 伯父上なら、メアリなら、こう言うだろう。両腕を広げながら、演技をする。なるほど、やってみると楽しいものだ。

 そのまま、抜剣する。

「お手向かいいたしますぞ。殿下」

 両手で、長剣を正眼に構えた。それを上に上げていく。


 剣を構えるだけで痛む肋。打ち合いなど無理だ。振れてせいぜい一度。

 私が斬られれば兵達はヘンリーを斬るだろう。血祭りだ。そうなれば衛士全員が大逆犯となる。

 私が斬れば、私だけの罪だ。こんなに面白い「悪役」を他の奴には渡せない。大逆犯は、一人で十分。

 なら、全力を一撃に込めるだけ。斬れれば四つ裂き刑、斬れねばここで斬殺。至って単純だ。全てを、賭ければいい。サーリンガム騎兵らしい単純さだ。


「ウィリアムうぅぅぅぅっっ!!!」

「でええええぇあぁあっ!!!」

 意味をなさない、しかし裂帛の気合を発しながら、全てをかけて、長剣を振り下ろした。


 王子の体幹が揺らぎ、崩れ落ちるように倒れる。彼はもう、メアリや私に悩まされることはないだろう。

 床に、赤黒い血が広がっていく。結局彼は本当の「青い血」にもなりきれなかったわけだ。

「やりましたな」

「総長。ありがとうございますっ」

 声がかけられる。温かい言葉たちだ。

 ことここに至っては、もはや「手続きの人」である必要もないだろう。今更取り繕って何になるのか。

「貴官らは、乱心した総長を捕らえようとしたが、一歩及ばず、総長が殿下を討ち取った」

「……はい?」

「おいおい、せっかくの私の手柄を、奪うつもりかな?」

 しゃがみ込んで王子の服をまさぐる。おや、うめいた。何か言おうとし、言葉にはなっていない。目の端から、薄く涙が溢れていた。楽にしてやろう。取り出した短剣で、肋骨に滑らせるようにして心臓を刺す。さらば友よ。

 死体をまさぐっていると、捕らえられた重装騎兵が勇気を発揮する。

「貴様! このようなこと、許されはっ」

「重装騎兵三名は、戦傷がもとで死亡した。としても良いんだぞ」

「……」

「そう。そのまま黙っているべきだ」

 あった。貴人は皆持っているという緑の小瓶。毒薬だ。王子には必要なくなったことだし、使わせてもらおう。じゃないと市中引き回しの上、内臓抉りからの四つ裂きだ。私だってセリアに自裁を許そうとしたんだし、死に方くらいは選んでいいはずだ。懐にしまい込む。

「総長、それで、どうします」

 どうします、の意図は「このあとの身の振り方」だろう。担ぐべき神輿を失った衛士隊は、もはや降伏し、メアリの寛大な処置に期待する他ない。だが、そこは信じられる相手だ。「意味のある」暴虐以外は、しないだろう。

「君たちは降伏を。最後まで殿下に尽くした忠義の衛士たちを無碍に扱いはしないはずだ」

 意図が伝わらなかったとばかりに、コーヴァンが首を振る

「総長はそれで、どうします」

「私? 私は怪我人だ」

 皆、怪訝そうな顔になる。

「少し休ませてもらおう。風通しのいいところで、一人になりたい」

「……我々は」

「君たちは自由にしてよろしい。衛士隊はこれにておしまい、だ」

 衛士たちが揃って敬礼する。よせよ。手をひらひら振りながら、その場をあとにする。


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